(3)

 俺は岸野くんに付き添って、交番に顔を出した。この前の件では佐々木さんも応援で現場に来てたから、錯乱した俺を見ていたはず。気まずいから、あまり顔を合わせたくないんだが……。事情が事情だし、しょうがない。


「こんにちはー」


 交番のガラス戸を引くと、そこには佐々木さんの姿はなく、まだ配属になったばかりって感じの若いお巡りさんが、暇そうに携帯をいじっていた。


「はいー、どうしましたー?」


 目だけこっちに向けて返事するお巡りさん。やる気ねーって感じ。大丈夫か、こいつ。でもしかでお巡りさんやられた日にゃあ、泣くぞ。俺は。


「あれ? 佐々木さんは?」

「ちゃりでパトロールに出ましたー」


 お役目ご苦労さま、だ。


「落とし物ですか?」

「いや、この子がかつあげに遭ったっていうからさ」

「ええー? またっすかあ!?」


 つまらなそうな顔だったお巡りさんの顔に、くっきり怒りの色が浮かんだ。おお! 見かけによらないのかも。


「ガキからカネせびるなんざ、最低っすよ!」

「だよなあ……。しょうもないヤンキーどもが、みんなそう思ってくれりゃいいんだけどね」

「ったく!」


 ぶつぶつ文句を言いながら事務机の引き出しを引いたお巡りさんが、日誌を引っ張り出して岸野くんの陳情を書き込んだ。


「人相がよく分かんないのかー」

「はい。逃げるのに必死で……」

「体型と服装だけじゃなー」


 ということは、警察でも連中の特定はまるっきり出来てないってことかな。俺のしかめ面が気になったのか、お巡りさんが慌てて弁解した。


「こいつら、ほんとにすばしっこくてねー。尻尾が掴めないんですー」

「へえ……現場急行ってのもあったんですか?」

「あったっすよ。でも、その時にはもう犯人が逃げてて被害者だけになってるし、子供たちはすっごい怯えてて聞き取りはうまくいかないし」

「今まで連中を直接見たことがないんですか?」

「俺らはないんすよー。だからおやっさんも俺も、最初はガキの作り話かと思ったくらいで」

「へー」


 若いお巡りさんのネームプレートを確認する。木村さんか。最初はかったるそうに見えたけど、隠れ熱血なのかもな。


「現場にはいつもあなたが?」

「いや、おやっさんのこともあるっす」

「で、どっちの時も逃げられる?」

「そうなんすよー。おやっさんに二人で挟み撃ちにしようって言ったこともあるんすけど、交番空にするのはまずいからそれはだめって……」

「確かにそうだよなー。あ、木村さんは、いつからこちらに勤務されてたんですか? 初めてお目にかかるので」

「先月からっす」


 俺が例の事件で潰れてる間に異動があったってことか。前任の津野さんはすっごいエネルギッシュな人で、俺は好きだったんだが、きっと本署勤務になったんだろう。


 木村さんは、鉛筆のケツで日誌をぽんと叩いてぼやいた。


「ここは平和過ぎて、ヒマっすー」


 わはは、そうかもなあ。


「刑事課とか狙ってた?」

「そりゃあねえ。やっぱ、かっこいいしぃ」

「交番て言っても、この町内は静かでのんびりしてるからね」

「そうなんすよ。だけど、学校や地域の防犯活動にはしっかり身ぃ入れろって言われてっから、俺はもっとがっつり突っ込みたいんすけど……」

「ああ、今回みたいなやつですね」

「そうっす!」


 岸野くんは、若いお巡りさんがまじめにかつあげのことを考えてくれてたのを見て安心したようだ。お巡りさんに向かって、ぺこりと頭を下げた。


「すいません。なんか迷惑かけちゃって……」

「何言ってんの。やられたのは君なんだから、がっつり怒らなきゃ!」

「あはは」

「ああ、木村さん。つかぬことをお伺いするんですが」

「なんすか?」

「このあたりのパトロールは、佐々木さんがスケジュールを立てておられるんですか?」

「はい。俺にはまだこの辺の土地勘がないし、一人暮らしのお年寄りんとこの安否確認なんかもするんで、行き当たりばったりはないすね。定時にエリア決めて巡回っす」


 やっぱりな……。


「お手数をお掛けしますが、子供たちも不安に思ってますし、パトロールをしっかりお願いしますね」

「任せてください!」


 木村さんが、胸を張って誇らしげに答えた。今時の若者かなと思ったけど、どうしてどうして。ちゃんと正義感、使命感を持って働いてるただ、交番勤務はヒマネタばかりでつまらないと思ってただけなんだろう。初々しいなあ……。


◇ ◇ ◇


 交番を出た俺は、岸野くんに付き添って家まで送り届けたあと、その足で正平さんのところに行った。


「正平さーん!」

「おう」


 のそっと箸を手にした正平さんが出てきた。ううー、そういや昼飯をまだ食ってないや。


「わんこの具合はどうですか?」

「はっはっは。まだまだ慣らしさ。向こうさんから俺に何かせがんで来るまでは放置だよ」

「え? どうしてですか?」

「俺のお節介は、向こうさんには偉そうに見えるからだよ。野良は基本一人なんだ。犬だろうが、俺らだろうが同じさ。そこに無神経にずかずか踏み込んじまうと、その先ずっとだめになるんだよ。向こうが欲しがった時に、手いっぱいくれてやるのさ」

「うーん、なるほどねえ。すごいなあ」

「すごかないよ。俺は小難しいことは分かんないけどよ、俺ならそれが嬉しいかなって。それだけさ」


 正平さんはそう言って、にこにこと笑った。


「あ、ちょっと別件で聞きたいことがあって」

「ん?」

「老人会の方で、最近会合への出席率が悪くなったとか、急に落ち込んじゃってるとか、そういう人がいません?」

「……。何かあったんかい?」

「分かんないんですけど……えげつない連中がうろうろしてるみたいなので。悪質な訪販とかは、お年寄りが餌食になりやすいですから」

「ああ、確かにそうだな……」


 じっと俺の顔を見上げていた正平さんが、きつい表情で漏らした。


勝山かつやまのばあちゃんが、ここ数日どうも変だ。元々大人しい人なんだけどよ。それにしたってまるっきり元気がねえ。集会所にもあまり顔を出さねえし。それに……」

「怯えてません?」


 さっと俺を指差して、正平さんがばつっと言い切った。


「そうなんだよ。俺たちが何か心配事でもあるんかって聞いても、黙っちまって何も言わないんだ」

「一人暮らしですか?」

「そう。後家さんさ。子供もいない。死んだ旦那は羽振りのいい社長だったが、その女遊びで苦労したらしい。やっと憂さなしで伸び伸び暮らせるって言ってたのによ」

「……」


 資産家で、縁者のいない独居老人。ぴったりだ。急いで確かめないと。


「なんか……あるんか?」

「分かんないです。でも……」

「ああ」

「嫌な気配があるので。先に手を打ちます」


 にっと笑った正平さんが、俺の肩をばしっと叩いた。


「このわんこの件でえらいへたったって聞いて、心配したけどよ。大丈夫そうだな。安心したわ」

「すいません、ご心配おかけして」

「いやいや。子供は生まれたんかい?」

「はい! 今朝。二人とも元気です」

「はっはっはっ。そらあよかった。めでてえなあ! 中村さんも、もう父ちゃんなんだからよ。根性据えてがんばってくれや!」

「ありがとうございます!」


◇ ◇ ◇


 さて。それじゃ次。今度は江畑刑事のところだ。時間が無駄に出来ないから、キオスクでパン一個買って昼食は終わり。移動の間に、江畑さんに振る話を整理しておく。


 警察署の受け付けに名刺を渡して、面会をお願いする。現場に出ていたら捕まらないが、今のところ大きな案件はないはずだ。


「おう、みさちゃん、大丈夫か?」


 ものすごく心配そうな顔をした江畑さんが、二階から駆け降りてきた。


「すいません、この間は本当にご迷惑をおかけしてしまって」

「いや、いいけどよ。俺たちにとっても後味の悪い事件だったからな……」


 江畑さんが、ぶつぶつこぼしながら顔をしかめた。俺は、その表情を見てほっとする。錯乱していた時、俺がぶっ潰れた最後のダメ押しは、江畑さんの一言だったんだ。


『たぶん事件性はない』


 それは、江畑さんがあの子を軽視して言った言葉じゃない。俺が加害者であるという可能性を消すため、ひろやフレディを安心させるために言ったセリフだ。だが、それが俺に届かないほど俺は壊れかけていたんだろう。


 今度はあの時とは違う。まだことは起きていないか、今ならぼやで済む。今のうちに一気に片を付けておかないと、俺には手が出せなくなる。


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