(4)

 フレディと姉貴からそれぞれ同じような内容の依頼があって。とりあえず、姉貴の方は経過観察にした。翌朝、俺から三中さんに、古田の行動に再度強い警告を発するようお願いしたからな。ただ……その時に三中さんが気になることを言った。俺はそれが引っかかったんだ。


「実は、五日前に古田に最後通牒を発してるんですよ」


 な、なにぃ!?


「なぜですか?」

「私どもでは、DVや強姦の被害者が同じ犯人から再被害を受けないよう、シェルターの役も引き受けています」

「ええ。よく存じてます」

「今回の栄恵さんのケースでも、例外にはしていません。加害者の動向をチェックし、目に余る付きまとい等の迷惑行為があった場合には、警察への通報も含めて強い対抗措置を講ずることにしています」

「はい」

「で、警告してあったにもかかわらず、古田が栄恵さんへの付きまとい行動を起こしたので、その事実を突き付けてもう次はないぞとどやしたんですよ」

「付きまといの事実が分かったのはいつですか?」

「一か月前からですね。奥さんとの離婚裁判が始まってからです」


 読み通り、か。


「警告に対する古田の反応はどうだったんですか?」

「彼は今奥さんとの離婚裁判で係争中です。そこで、自分に不利な材料が出れば、確実に全敗しますからね。もう絶対にしないと震え上がってました」

「そうか」

「それも嘘っぱちか、演技だったんですかねえ……」


 五日前にすでに古田に強い警告が? どうもおかしいな。姉貴が誰かの視線を感じて、不安に思ったのはここ二、三日だと言った。ということは、姉貴は古田の付きまといがあったことに一か月近く気付いていなかったってことだ。姉貴への付きまといがバレて、裁判に影響するような強い警告を出されているにもかかわらず、古田がその後も鈍感な姉貴にすらバレるような露骨な追尾をする意味がどこにある?


 古田の浅知恵は、姉貴のと大差はない。古田は、サイコパスのような心情が読めない強烈な犯罪性向者では決してない。単なる女好きのバカだ。裁判の切り札をゲットしたいと言っても、やり過ぎて破滅になるならもう二度と突っ込んで来ないだろう。裁判で負けて自棄になっているなら話は別だが、まだそっちはけりがついてないんだろうし。どうも話が変だ。


 俺は、三中さんにお願いした古田への再警告のお願いを一旦取り下げた。すでに警告して下さったのなら、必要以上に古田を刺激したくない。そう言って。

 その代わり、姉貴に指令メールを流した。姉貴への指令内容、それはフレディと同じだ。自分への視線をいつどこで感じたか、面倒くさがらずにそいつを出来るだけ正確にメモしておいてくれ、と。それは姉貴の身辺警護に係る重大事だからしっかり頼む、と書き加えた。即座に、姉貴から了解したという返事が来た。


 三中さんにお礼を言って、所長室に直行する。いるかな?


「フレディ?」

「ああ、みさちゃんか。入ってくれ」

「おう」


 所長室では、デスクの前でフレディが口を固く結び、ぎっちり腕組みをして机の上の紙片を睨み付けていた。


「昨日はどうだった?」

「昨日も感じたよ」

「時間帯は? 四六時中ってわけじゃないんだろ?」

「夕方だけ。それも長時間じゃないんだ」

「ふうん……」

「昨日みさちゃんに言われて、自分でも覚えている限りのをさらってみたんだ」

「どうだった?」


 フレディが紙片を手にして、それを読み上げる。


「始まったのは四日前。それから毎日だ。最初は、みさちゃんがお姉さんと挨拶に来た日の夕方。退勤時」

「時間は?」

「はっきり覚えていないが、たぶん俺がジムに行く途中の十分間とかそのくらいだな。六時から六時半の間くらいだと思う。路上だ」

「なるほど」


 俺はすかさずそれを手帳に書き込んだ。


「次は?」

「その翌日。時間もほぼ同じだ。ただ、この日は気配を感じた時間が短かった気がする。ほんの数分だけだ。」

「おとついは?」

「時間帯は同じ。気配は短時間だったが、やっぱりあった」

「で、昨日もあった、と」

「そう」


 うーん……。


「今日がどうなるかだな」

「ああ」

「フレディが、気になるけど誰かが特定出来ないってことは、気配がひどく微弱だってことだろ?」


 フレディが苦笑した。


「さすがみさちゃんだな。確かにそうだ。殺気や敵意は感じないんだ。視線は、観察者のそれだよ」

「うーん。それにしてもフレディほどの実力者が、気配の元を特定出来ないってのがどうにも解せないなあ」

「俺自身がそう思っているのさ」


 腕組みを解いたフレディが、でかい背中を丸めて大きな溜息をついた。


「はあ……。人間ていうのは、本当に厄介な生き物だな」


◇ ◇ ◇


 フレディのところも姉貴のところも、週末には気配を感じなかったという報告が来た。もっとも二人とも家からは一歩も出ず、ずっと閉じこもっていたらしい。つけているやつは、家にまで押し掛けるつもりはないってことか。どうも、今一つ犯人の行動パターンが読めないな。


 捜査の行き詰まりを打開すべく、俺はフレディに、週明けから三日間の調査期間をもらった。フレディ自身に見つけられなければ、俺が代わりにフレディの目となってフレディを監視しているやつを特定しなければならない。三日間はフレディに密着し、その周辺を監視する。それをフレディに伝え、フレディにはいつも通りに行動するように命じた。


 その三日のうち、フレディは初日も二日目もごくわずかな時間、視線を感じたらしい。時間はやはり六時ちょっと過ぎ。俺はその周辺をすかさずチェックして回ったが、雑踏の人数がもっとも多くなる時間帯だ。俺一人ではどうにもならん。


 そして姉貴の方は、古田が諦めたのかつけられている気配が消えたらしい。姉貴は、ほっとしたと言った。だが念のため、これまで姉貴が視線を感じた時間帯と場所を確認する。

 朝。アパートから駅までの通勤路。そして、夕方。アパート直近の駅からアパートまでの帰路。最初に姉貴の口から聞いた通りで、変更点はなし。だが強い気配を感じているのに、姉貴はそいつの姿を一度も見たことがないと言う。それもおかしな話だ。しかも帰路では、会社の同僚が一緒にアパートまで着いて来てくれている。そして、その同僚には監視の視線が感じられないらしい。


「うーん……」


 俺は一つ気になったことがあって、姉貴の勤めている社に出向いた。そして、親身に姉貴の世話をしてくれている井上さんという年配の女性社員にお礼を兼ねて面会を申し入れ、話を伺った。


「いつも姉が大変お世話になっております。これ、みなさんで召し上がってください」


 姉貴のセクションの社員全員に行き渡るよう、巨大な洋菓子の詰め合わせを持ち込んだ俺は、それを井上さんに手渡した。


「あらあ。そんなお気遣いなく」

「とんでもない! 姉がすっかりお世話になってしまって」

「いえ。一人は本当に大変ですから……」

「ありがたいことです。ところで」

「はい?」

「姉はいつも退社後に、真っ直ぐ帰ってます?」


 俺が、姉貴の生活態度を気にしてると思ったんだろう。井上さんがくすっと笑って、俺の懸念を打ち消した。


「ちゃんと寄り道せずに帰っていますよ。今は、買い物とかが不自由なので、スーパーの買い出しなんかは時間決めで待ち合わせてわたしたちがお手伝いしていますしね」


 本当によくしてもらって、頭が下がる。


「じゃあ、退勤時に一人になるってことは実質ないってことですね」

「はい。……あ」


 ん?


「いつも社を出て帰る時にはすぐ近くの佐上駅を利用するんですが、そこで十分だけ待っててほしいって言われます。どこか、近くにお気に入りのお店があるみたいで」


!!!


「そうですか。まあ、まじめにやってるなら安心です。本当に助かります」

「いえいえ、弟さんが厳しいので手抜き出来ないってぼやいてましたよ」


 そういうことは、もう少しましになってから言え! ばかたれ!


 それにしても。俺がフレディに密着していた三日間。フレディの感じていた視線は継続していて、姉貴の方の気配は消えた。じゃあ、姉貴の方はもう片付いたのか? いや、俺はそんな単純な話ではないと見ていた。


 三日間の調査期間が終了して、俺はフレディの書いたメモ、姉貴の書いたメモ、そして俺が手帳に書き込んだメモを三つ並べて、じっくりと見回した。


「なるほど。そういう……ことか」


 第三者から見れば、それはバカみたいな話なのかもしれない。だが、これは人生にかかわる重大事だ。俺がし損じて、がちゃがちゃにするわけには行かない。まず、最終確認が要る。そのためには、フレディに俺の行動を覚られないようにしなければならない。ひろに協力要請するか。俺は、ひろに短いメールを飛ばした。


『明日、具合悪くなってくれ』


 ひろからは、メールではなく電話がかかってきた。


「ちょっと、みさちゃん! 何よ、これ!」

「済まん。俺が誰からも完全にフリーになる日を一日だけ作りたいんだ。協力してくれ」

「はあ!?」


 面食らっていたひろだったが、俺の口調が重かったことで何かあると思ってくれたらしい。急遽、病院に行く用事を作って休みを取ってくれた。それから。俺は明日ひろの付き添いで病院に行くので出勤出来ないとフレディに告げて、一日仕事を休むことにした。


 俺が段取りを整えてJDAの社屋を出ようとしたら、入り口でばったり姉貴に出会った。


「おい、姉貴どした?」

「うん? ちょっと三中さんに相談したいなと思って」

「あほー! 三中さんはここの社員じゃないんだ。嘱託なんだよ。忙しい人なんだから、アポなしはまずいって!」

「う……そ、そか」


 姉貴も、相変わらずネジがすっ飛んでる。こういうところはまだまだだ。


「おい、みさちゃん、どした?」


 そこへのそっとフレディが登場した。


「姉貴が突撃で三中さんに会いに来やがってっ。相変わらずの世間知らずだよ。ったく!」


 苦笑するフレディ。残業を嫌うフレディは、特段のことがない限りいつも定時上がりだ。確認しよう。


「フレディはもう上がりか?」

「そうだ。これからジムへ行く。ああ、お姉さん。あれから古田の方は大丈夫ですか?」

「おかげさまで、今のところ……」

「はっはっは。何よりです。ああ、それじゃあ」


 巨体を揺すりながら駅に向かったフレディの背中を見ていた姉貴も、腕時計を見て慌て出した。


「あ……ごめん! 帰らなきゃ」

「気を付けて帰れよ」

「うん! ありがと!」


 姉貴も、小走りに駅に戻っていった。


「これで。明日もう一度姉貴とフレディに気配の継続があるかどうかを確認すれば、おっけーってことだ」


 帰宅後。俺は三枚のメモを見回して、もう一度自分自身に念を押した。


 俺がフレディのところにいないってことが、事実確認には欠かせない。明日、全ての真実が明らかになるだろう。そして……俺は、もう一つのプランを練る。そう、本当は確認なんざどうでもいいんだよ。すでに謎は解けてしまってる。種明かしをしたところで、何の意味もない。それよりも、もう一つのプランが成功するかどうかの方がずっと大事なんだ。


 俺が険しい表情で手帳を睨み付けているのを、ひろがじっと見つめていた。


◇ ◇ ◇


 翌日の夜。姉貴とフレディにそれぞれどうだったかを確認する。


 姉貴は怯えていた。朝も晩も、気配が復活した、と。そしてフレディの感じていた夕方の気配も、やはり途切れていなかった。それは……俺が今日こっそり姉貴の行動を見張って確認したこととぴったり一致した。これで確定、と。


 確認作業は終了した。さて、本番と行こう。


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