(3)
俺は、マンションに戻る道を逸れて間道を抜け、それから高速に乗った。一区間だけだが、ゴーストップが多い一般道だとひろがしんどいだろうからな。
「二十分くらいのドライブになるかな。ずっと家の中に缶詰だったんだ。少し気晴らししてくれ」
「いいけど、げろ吐くかもよ?」
「とほほ……」
俺はアクセルを少し強めに踏み込みながら、流れている車列を見つめる。
姉貴は、基本的に両親の性格をそっくり受け継いでる。毒はないものの常識に大穴が開いてて、しかも思いっ切りだらしない。基本はわがままなので、お人好しで騙されやすいってことはないが、年齢に見合った社会常識を兼ね備えているとはとても言えない。それなのに、外見がいわゆるイイオンナだ。中身とのギャップが大き過ぎて、アンバランスもいいとこだ。正直言って、あまり人様の前には出したくない。
だが姉貴は一応働いていて、生活は俺からも親からも完全に独立している。ひろのようなばりばりのキャリアなんかじゃ決してないが、普通に事務員として働いて給料をもらい、それで暮らしてる。今まで、金銭面での無心を受けたことは一度もない。もっとも貧乏そのものの俺にたかったところで、一円玉一枚引き出せないだろうけどな。だから、金銭トラブルの線は薄いだろう。
ぐだぐだの姉貴からは、これまでオトコ関係の浮いた話は一つも聞こえてこなかった。それに、もう年が年だしな。ストーカーとか三角関係とか、そういう男女関係のもつれの線も薄そうだ。
あと、考えられるとすれば体調面だろう。一人暮らしだと、それがしんどい。だが単なる不調なら、必ず電話でサポートを懇願してくるはずだ。それをわざわざメールにする理由はなにか? 話す相手が身内の俺であっても、体調不良の原因をおいそれと口に出来ないってことなんだろう。メールなら、ほとんどの情報を一方的に削って絞ることが出来るからな。
だから、俺はメールは嫌いなんだよ! ちっ!
ろくでもない姉貴のメールオーダー。その中身を……嫌でも確かめないとならない。
ちっ!
◇ ◇ ◇
姉貴のアパートの真ん前に路駐して、車を降りて二階の姉貴の部屋を見上げる。
「姉貴の部屋が、一見してどこか分かっちゃうっていうのもなんだかなー」
俺がぶつくさ言ったのを聞き付けて、ひろも車を降りてきた。
「え? どこ?」
「どこだと思う?」
「……」
黙って二階を見回したひろが、ゆっくり指差したところ。それは……見事なゴミ部屋だった。
「あたーりー」
「ひええ……」
ひろが絶句している。
廊下にまでぎっしりといろんな雑物が立て並べられていて、奥の部屋の人は通行に支障があると思う。きっと大家には、ガラクタをなんとかしろ、さもなくば出ていけと言われていることだろう。
さて。いきなり急襲してもいいんだが、姉貴がどんな小細工を弄するのか、そいつをじっくり見ておきたい。それによって、こっちも対応を調整しないとならん。あえて、予告を入れることにする。
『これからそっちに行く。今部屋にいるのか?』
ぴっ、と。すぐに返事は来ないだろう。返事が来るまでは、待機だ。監視続行。車に戻った俺は、バッグから商売道具の小型双眼鏡を出して、姉貴の部屋の窓を注視した。廊下同様に、部屋の中も物だらけでカーテンを引くことも出来ないんだろう。がらくたにがたがたに切り取られた部屋の断片が見える。角度的に姉貴の動作を一々確認するのは無理だが、人の気配があるかどうかくらいは分かる。
「ねえ、みさちゃん」
「ん?」
俺がさっき流したメールの文面を見ていたひろが、首を傾げた。
「なんでこんなにあいまいな書き方したわけ? 時間もどこから行くのかも分かんないじゃない」
「時間をたっぷり与えると、姉貴に準備されちまうからさ。姉貴の使った手を、そのまま返しただけだよ」
「あ! なあるほど!」
「んだ」
最初に姉貴が寄越したメールを見て、俺が姉貴のところに出て来るだろうってことは姉貴は読んでる。だが姉貴には、俺が『いつ』動くのかは分からない。そこを特定して返してしまうと、その間に姉貴にどんな小細工をされるか分からない。
このメールが姉貴のところに届いた後、姉貴は少なくともイエスかノーかの返事をしないとならない。そうしないと俺が強制的に踏み込む可能性があるからだ。その返事をするなら、姉貴はそれまでの間に急いで準備をしなければならない。言い訳か、それ以外のことか、それは分かんないけどね。でも、俺が『いつ』を省いたことで、姉貴の余裕はなくなった。返事を寄越すまでのわずかな間に姉貴がどういう行動を起こすか、その欠片だけでも分かれば俺は対処が出来る。やれやれ、だが。
まあ、十分もくれてやればいいだろう。これから行くの中には、すぐ近くまで来てるぞのパターンもあるのだから。別にウソはついてない。
車の運転席から部屋の様子を伺うと。わざわざ俺がひっそり見張る意味もないくらい、大慌ての姉貴がいろんなものを引っくり返しながらばたばた動き回っているのがちらっと見えた。
「……。どう見ても、元気そうだな」
頭痛がしてくる。考えたくはなかったが、いたずらの線かよ。俺はむかっ腹を立てながら車を降りた。姉貴からメールの返事は来ていなかったが、もう踏み込もう。とっても付き合っとれんわ、ったく!
「ひろ。ちょい、車で待っててくれ。姉貴に引導渡してくる」
「ぷっつんしたらだめだよー」
「ああ、分かってる」
と答えたが。正直、ぷっつんしそうだった。ぼよよんな性格の姉貴とは言え、ここまで人迷惑なやつだとは思わなかったよ。俺はぶりぶり怒りながら、乱暴にアパートの階段を上った。
「姉貴! 入るぞ!」
さっきは激しく部屋を動き回る気配がしていたが、今度は一転して何の気配もなくなっていた。部屋の中はしんと静まり返っている。
「ふん?」
ドアをノックしても呼び鈴を鳴らしても、一向に姉貴が出て来る気配がない。
鍵は? 閉まってない。俺はドアノブを回して引いてみた。
「うっ! くっせえっ!」
何をどうしたらこういう臭いになるんだか。酔っ払いが戻したげろのような異臭が、部屋中にぷんぷん漂っていた。部屋の中は外から見えた以上のゴミ部屋状態で、足の踏み場もない。そのがらくたの中、辛うじて床が見える座卓の横に、げろ塗れの姉貴が倒れていた。
「……」
あーあ。とんだメールオーダーだよ。俺の怒りは臨界点を突破し、ほとんど脳みそ沸騰状態だった。気絶したふりをしている姉貴の耳元で大声でがなった。
「くだらん小細工は止せ! ぶっ殺すぞっ!」
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