(2)

 ところがどっこい。そういう時に限って、普段は全く入ってこない依頼が飛び込んで来る。それも、とことん厄介なところからだ。買い物に出ようとして、チェックした特売チラシをまとめていた時。テーブルの上の携帯が鳴った。


「ん? 電話じゃなくて、メールか?」


 なあんか嫌な予感がしたんだよな。俺は、そもそも電子メールというのが好きになれない。なぜかって? そこには感情がほとんど入っていないからだ。

 電話でのやり取りで、相手の口調や言葉遣いの変化が分かるって言うのはとても重要なことだ。だがメールの文面からはそれが何も見えてこない。文字に変換された時点で感情や態度が削り落とされ、味気ない文面の下に隠れてしまう。


 それでも簡易な連絡手段として、ただ事実だけを伝えるという割り切った用途ならば、それはしゃあないと思う。ひろとの事務連とか、クライアントとの打ち合わせ日時の設定とかね。だけど、依頼をメールでしてくるなんてのは論外だ。通販の買い物じゃないんだから、メールオーダーなんてのは馬鹿げてる。絶対にお断りだ。


 と。普段なら速攻ぶっちするところなんだが。ぶっちも何も、メール嫌いの俺のメールアドレスを知っている相手なんざ、ほんの一握りしかいない。ひろ、フレディ、この前の中学生の男の子。……そして、姉貴だ。依頼は、その姉貴からだった。


 『みさちゃん たすけて』


「……」


 普通は。それを見た瞬間に血の気が引くだろう。だが俺は商売柄神経が極太メリヤス編みになっていて、それを額面通りには受け入れなくなっている。メッセージの発信者が姉貴以外だったら慌てるけどね。姉貴じゃなあ……。


 まず。本当に状況が切羽詰まっているのなら、メールなんていうまどろっこしい手段は使わないだろう。携帯が使えるなら、何はともあれ電話してくるはずだ。メールを投げるっていう時点で、すでに緊急性が低い。もちろん、声を出せない切迫した状況ってのがないとは言えないが……。姉貴だからなあ。まず、それを確認しようか。


 俺は姉貴の携帯に電話を入れた。そして……唖然とした。


「着信拒否だとう!?」


 それを見て、ますます緊急度の低さが分かってしまう。音が出せない緊迫した状況なら、携帯が鳴らないように電源を落としてしまうだろう。だから『電話に出られないか、現在電波の届かないところにいる』というアラートが出るはずだ。そうじゃなくて着信を拒否してるってことは、メッセージは姉貴側からしかコントロールしない、しかもメールでしか受け付けないっていう宣言だ。


 偉そうに。助けてというやつが、その手段について注文をつけるなんざ論外だ!


 俺はますますやる気がなくなった。知るかバカヤロウと放置してもよかったんだが……。一応確認だけはしておかないと、本当に何かあった時に寝覚めが悪いからな。ったく、めんどくせー……。ぺたこらぺたこら。使い古しのガラ携のキーを押し、文面を作る。


 『どした? 状況を知らせよ』


 んなもん、最低限でいいわい。ぴっ、と。


 ところが。送ったメールに返事が来ない。助けてというくらいだから、姉貴にとっては切羽詰まっている状況のはずだ。それなのに、一向にレスポンスがない。


「……」


 助けてと言っておきながら、その状況を送って寄越さない。メールを打ちたくても打てないのか、それともそれ以上打つ気がないのか。いずれにせよ。三十分待っても一時間待っても、姉貴から続報が入ってくる気配はなかった。


「うーむ……」


 普通の探偵物語なら、姉貴はすでに死体になっていて、さっきのメールがダイイングメッセージ、なんてことになるんだろうが。


 ありえんな。姉貴だし。


 まあ姉貴が何を企んでいるのかは、だいたい分かる。それにまんまと乗せられるのはどこまでも嫌だったが、しょうがない。


「ふう……」


◇ ◇ ◇


 検診でひろを病院に連れていった帰りの車の中。ずっと浮かない顔の俺の様子を気にして、ひろが話し掛けてきた。


「みさちゃん、なんかあったの?」

「あった。まあた、ただ働きになりそうな厄介な依頼がね」


 ひろが、顔をしかめて文句を言った。


「人がいいんだから。そんなん受けなきゃいいのに」

「そうもいかんのだわ。しかも、まだ依頼の中身が分かんないから頭が痛いよ」

「え? どういうこと?」

「今朝、姉貴からSOSが来たのさ」

「ええっ!?」


 ひろの血相が変わった。


「ちょ、ちょっと。急がなくて大丈夫なの!?」

「さあね」


 ひろの表情が険しくなる。俺が妙に冷淡なのが解せないんだろう。


「どうして、そんなに冷静なわけ?」

「SOSがメールで来たからだよ。しかも俺の電話を着信拒否してる」

「なにそれえ!?」


 ひろも、さすがにその異常性に首を傾げた。


「だろ? もし本当に緊急性があるなら、全ての通信手段はオープンにしておくはずさ。携帯が使えるなら、もっとも連絡手段として迅速かつ確実に使える通話のところだけを拒否して潰す意味はないだろ?」

「うん、そうだね。変だなー」

「しかも、俺がメールで事情を説明しろって送ったのに、それに返事が来ない」

「それって……」


 最初は姉貴を擁護しようとしたひろも、さすがに呆れたらしい。姉貴と俺との間には普段行き来がないから、ひろは姉貴のことをよく知らない。いったいどういう人なんだと訝る気持ちはよーく分かる。だが、それが分かったところでたぶん何の足しにもならんだろう。


 姉貴はそういうやつだ。人迷惑なことを進んでやるってのはないが、かと言って人の役に立つこともしない。自分勝手なやつだが、基本は人畜無害だ。だが今回の騒動は、きっと無害では済まないだろう。そこがとことん頭の痛いところだ。


「お姉さん、何か企んでるの?」

「分からん。ただ、あんなメールを投げた目的だけは分かる」

「え? 目的があるの? いたずらとかじゃなくて?」

「姉貴は抜けまくりのおぽんちな性格だけど、毒は持ってないよ。人騒がせなメッセージを俺に送りつけて、その反応を見て喜ぶってことは、たぶんないね」

「ふうん……」

「メールのメッセージには嘘はないんだろう。確かに切羽詰まってるんだと思う。でも、なぜ『助けて』なのかは絶対に言いたくないってことさ。だから不自然にチャンネルを絞ってるんだ」

「あ……。じゃあ、目的は」

「そう。俺を直接呼びつけるためだよ。ひろがこの前仕込んだ半券よりは、ずっと狙いが分かりやすい」


 苦笑いしたひろが、真顔に戻った。


「みさちゃん、どうするの?」

「しゃあないだろ。姉貴にまんまと乗せられるのはしゃくだけど、様子は見んとな」

「そうね」


 俺の返事にほっとしたように、ひろが背筋を伸ばした。それから、自分の腹を両手でそっと押さえて微笑みながら語りかけた。


「お願いだから、もう少し大人しくしてね。今からこれじゃあ、母ちゃん、辛抱たまらんわ」

「わはははっ!」

「笑い事じゃないよう、もうっ!」

「まあ、安定期に入るまでは何とかしのがんとな」

「うん」


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