(3)
「一件落着、か。何も落着してないけどな」
確かに、依頼は完璧にこなした。猫を探してくれと言う依頼があって、その猫が轢死していたことを確かめ、それを依頼人に伝えた。依頼人はそれに納得し、俺に調査料を支払った。何も瑕疵はない。猫探しにかけた時間、その実働時間を考えれば、ぼろい商売だったというわけだ。だが、俺は敗北感に塗れていた。そう、真実を知っても俺が何も出来ないということに。
回転椅子の上であぐらをかいて、机の上にメモ代わりの手帳を広げる。今回のことを記録しておいても、本業の参考になることはないだろう。だが、そのまま記憶からさらりと流し去るにはあまりに重く、教訓の多い案件だった。俺はこれまで調べた情報を整理して、手帳にびっしり書き並べていった。
三島という女は、あの部屋に三年以上住んでいた。猫の虐待死が取り沙汰され始めたのはこの一年。つまり、三島という女が最初から猫を虐待していたわけではないということが分かる。そして、猫のことで近隣住民の苦情が殺到しても三島が猫飼いを止めなくても済んだ理由。それは、あの部屋のオーナーが三島ではないからだ。
三島はとある権力者の愛人として、あの部屋で飼われていた。だが、一年前にその寵愛が切れた。あの部屋をあてがわれてはいるが、実質捨てられたんだろう。三島はその裏切りをどうしても許せなかった。だが、三島はまさに飼い猫のようなもの。自力では何も出来ない。すがりつくことも、復讐することも、諦めることも。その鬱屈した思いが、全部猫に向けられたんだ。
捨てられた子猫を拾い、それを無心にかわいがった。三島自身も最初は男にそうされていたのかも知れない。しかし、猫への愛情は突然殺意に変わって膨れ上がる。男が自分への興味を失いごみのように捨て去ったように、三島ものうのうと自分の愛情を
そして、死んだ猫はすでにモノだ。生きながら
だが、三島の破綻はもう時間の問題だった。残虐な猫殺しの被疑者として周囲から嫌悪の視線を向けられ、経済的な余裕もなくなり、敗残者としての人生が目前に迫ってくる。膨大な憎悪と絶望を背負った三島があのぶち猫に向けた殺意は、これまでで最大だったんだろう。
一方で、今まで何も世俗の些事に関わることなく、室内でまったり極楽猫ライフを送ってきたぶち猫。ぶち猫にとって突如主人から向けられた強烈な殺意は、驚天動地だった。慌てて逃れようにも、自力で部屋を出たことがないぶち猫にはどこにも逃げ場がない。逆上した三島に追い詰められて、最後に猫が逃がれようとした場所。
それが……三島の中だったってことだ。
三島の体に飛び込んだぶち猫の魂魄は、三島の魂魄をその肉体から弾き出してしまった。弾き出された三島の魂魄は、空になったぶち猫の体に納まるしかない。結果として、猫と三島が入れ替わった形になった。それが単なる偶然なのか、それともそれまで非業の死を遂げていた他の猫の呪いのせいなのか、それは俺には分からない。だが、入れ替わったことで次の悲劇が幕を開けてしまった。
猫になった女も、女になった猫もパニックに陥った。特に殺される寸前だったぶち猫は、主人から向けられた強烈な殺意の恐怖に苛まされ、一刻も早くそれを遠ざけたかったんだろう。さらに中身が入れ替わったことで、同室の全ての猫がその異変に気付いて、自分を極度に警戒して威嚇し始めた。仲間から投げつけられる敵意。女の体を持つぶち猫には、それが耐えられなかった。全ての敵意を遠ざけて、自分一人になりたかった。それで、全ての猫を部屋から追い出したんだ。
ぶち猫には、自分が人間になったのだという強い自覚がない。人間と猫では、人間の方がはるかに強い力を持っているということが分からない。ぶち猫の行動は、単に猫が自分の縄張りを確保するための自衛措置の延長だったんだろう。
ただ……ぶち猫は、他の猫と違って三島が化した猫とだけは二度と顔を合わせたくなかった。それはぶち猫にとって、まだ三島そのものなのだから。部屋から追い出しても、そいつがいつ戻ってきて自分に再び危害を加えるか分からない。それでわざわざ公園まで捨てに行ったんだ。足に付いていた枯れ草は、その時に付いたってことだ。
三島の部屋には、猫を外に連れ出す時に使うケージが置いてあった。それは猫を散歩に連れ出す時、そして猫の死骸を捨てにいく時の両用で使われたんだろう。三島が化した猫は、なぜ大人しくケージに入ったのか。三島もまた、自分がぶち猫に折檻されることをひどく恐れたんだろう。逃げたり暴れたりすればぶち猫を刺激し、その場で殺されるかもしれない。唯々諾々と従うしかなかったんだ。
ケージを持ったぶち猫の行き先が公園だったのは、三島がぶち猫を連れてそこまで連れ出していたからだろう。ぶち猫が知っていて、なんとか自力で家に戻れる最も遠い場所。それが、公園だったんだ。
ぶち猫は、三島をケージごと公園に捨てて来た。それでも、まだ安心出来なかった。三島が戻ってきたらどうしよう……不安で仕方なかった。でも、外に出て三島の行動を見張る勇気はなかった。早く安全な部屋に閉じこもりたかった。それで三島を放逐したその足で、マンションへの道途中にある俺の事務所を訪ねたんだ。そして三島がマンションに戻ってこないかどうか、その動静を自分の代わりに俺に確かめさせた。猫を探すんじゃない。猫の行動を見張らせるのが目的だったんだ。
そういう……ことだ。
あの時女は、窓から俺の事務所の看板が見えると言った。きっと抱き上げたぶち猫に、三島が外の景色を話して聞かせていたんだろう。ほら、あそこに得体の知れない探偵事務所があるよ、と。あのぶち猫は、それをどこかで覚えていたってことだ。
一方の三島。ぶち猫とは逆で、三島は見かけは猫でも中身は人間だ。その思考力が仇になった。猫の
立ち並ぶ家のどこかに隠れたかったんだろうが、落ち着く前に犬か何かに追われたんだろう。パニック状態に陥って車道に飛び出した。で、轢かれた、と。
「ふう……」
俺は、メモ代わりの手帳を閉じた。そして、頭の後ろで手を組んで、目を瞑った。
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