(3)
一息ついて、すぐ続きを話す。
「当たり前ですが、脱出成功で終わりじゃないんです。自分も子供も生きていかないとなりませんから。佐伯さんは、すぐに住む場所と仕事を探して新しい生活を始めました。佐伯さん、部屋探しや職探しはどうされました?」
「高校の時の先生に相談して……」
「それは賢明ですね。いい先生だったんでしょう?」
「はい! すっかりお世話になりました」
「そういう縁。外部との接点。それが出来た時点で、佐伯さんに目を向ける人が増える。園長さんもそうでしたよね?」
「ええ」
「田中って男がいくらお金をばらまいても、人の目や口を全部塞ぐことは出来ません。佐伯さんの公の行動が定まるほど、組織としては表立って動けなくなるはずなんです」
三人をぐるっと見回して、一呼吸置いた。
「組織犯罪なら、何があっても佐伯さんを家の外に出すことはないはず。もし出したにしても、その後は知らぬ存ぜぬでほっかむりですよ。犯罪責任が上部にまで及んだら、最悪組織が潰れますから。だけど田中は、人を使って佐伯さんになりふり構わず圧力をかけてる。それで、田中の行為が浅知恵の個人プレイだということが分かるんです」
今度は勝山さんに話を振る。
「勝山さんが巻き込まれた事件もそうです。首謀者は恐ろしく頭が良かったんですが、使い捨ての手下がアホだった。ボスの指令より自己保身を優先させてしまい、不自然な行動を晒して足が付いた」
「ええ」
「組織犯罪っていうのは、その組織をかっちり作るのが意外に難しいんですよ。絶対に裏切り者を出さない堅固な組織にすれば、組織自体が周囲から浮いて目立ってしまう。中心から離れるほど三下ばかりという組織は、切り代の下っ端制御がうまくいかない」
床を拳でとんと叩く。
「で、田中ってやつは出来のよくない下っ端だった。さっき言った赤ちゃん確保のプランは組織からの指示ではなく、そいつが幹部にのし上がるための上司への手土産だったのかもしれません。あくまでも私の推測ですが」
さて。背景説明はこれくらいにしておこう。あとは、結果がどうなったかだけでいい。
「でね、田中が指示して手下にやらせてたストーカー行為。あんなのは瑣末なことで、警察が摘発を狙っていたのはあなたに対する田中の直接加害の方でしょう。でも、捜査を入れるには確たる証拠が必要です。性的加害を合意上の行為にされてしまうと民事問題になり、警察には手が出せません。ですので弁護士さんと一緒に向こうに行って、田中から自分が無理やり
俺は、ICレコーダーに入れておいた田中との交渉音声を流す。佐伯さんへの接触を断つ確約と、慰謝料として三千万円の支払い。田中とのやり取りが、生々しく再現される。
「これは音だけですが、動画撮影もしてありますので一切の言い逃れは出来ません。田中本人の供述ですから、警察でも裁判でも間違いなく証拠採用してくれます。これがある限り、田中は二度とあなたには手が出せません。以上が、本件に関する調査報告と対応です」
ざっつおーる、ね。三人が、揃ってはあっと大きな溜息をついた。
これで、ストーカーの方の危険はなくなった。だが前も危惧した通り、問題はアフターケアなんだよな。
「あの、中村さん」
園長さんが、こわごわ確かめる。
「その……さっき中村さんが言われたもっと上の方が何かしてくるってことは」
「ないです。田中が切り代ですから、その田中にぶら下がっている佐伯さんも含めて、もうおら知らん、関係ない、なんです。責任を田中とその部下に全部押し付け、ほっかむりするでしょう」
「そうか」
「見かけ上のボスの田中が罪を認めていますから、その責任は下にも及びます。身元が割れているストーカー役の下っ端は、警察と組織の両方から追われることになる。そいつらを特定できる佐伯さんの前に顔を出すと足がついてしまうので、二度と現れることはないでしょう」
ほっとしたように、佐伯さんが肩の力を抜いた。園長さんも安心しただろう。園がとばっちりを食う危険もなくなったからね。
「されてきたことはものすごーく理不尽だと思いますけど、まず安全確保が第一ですから」
「そうですね。あと……」
「はい?」
「さっきの録音だと、三千万がどうのって」
「ええ。そいつがもらえりゃ一番いいんですけどねー」
俺は、どうしようもなくダルな気分になる。
「あれは、額なんかどうでもいい。一円でも一兆円でも関係なくて、田中が自分のしでかしたことを認めてカネで解決しようとした……その証拠としてしか使えないんです」
「じゃあ、三千万はどこかに返却されるってことですか?」
「受け取り人なんかいませんよ。払った田中は、ヘマをしでかした上に、組織に大損害を与えた大バカ者。いずれ上部組織に消されるでしょうから」
消されるという言葉を聞いた途端に、三人がかちかちに固まった。
「勝山さんなら、一番リアルにお分かりかと」
「は、はひ……ひひ、ひええ」
「犯人側の元締めは、田中との関係が特定されて指令責任を追求されたら、最悪の場合組織が潰れる。絶対に資金回収には動かないです」
「う……わ」
「じゃあ、警察で没収するか? 百円、二百円じゃないですからねえ。民間人の大金を、警察が理由なく接収することはできないです」
「そうですか。じゃあ、弁護士さんが?」
「司法の世界で生きている人は、絶対にグレーや黒のカネには手を出しませんよ。ヤクザのお抱えっていうならともかく、今回助太刀をお願いした方は、ばりばりの硬派ですから」
「そうしたら、中村さんが?」
「わはは! 正直喉から手が出るほど欲しいのは確かです。でも、それは私の金じゃない。聞いていただいたやり取りは演技じゃなく、本当の交渉なんです。田中に振り込ませたのは、佐伯さんの
「ええ。確かに」
「ですので法的な手続きも含め、弁護士さんと司法の方とで管理方法を考えていただいて、佐伯さんの自立支援に使う。それが筋なんです」
「そんなのいりません!」
ものすごく強い口調で、涙をだらだら流しながら佐伯さんがきっぱり拒否した。うん。やっぱりね。
「断られると思ってました。自分のされたひどいことを、お金でなんか済ませて欲しくない。そうでしょう?」
声が詰まって何も言えなくなった佐伯さんが、頷きで肯定した。
「お気持ちは、よーく分かります。でもね」
ずいっ。思い切り身を乗り出して、声のトーンを落とす。
「じゃあ、もし佐伯さんが今の職場をクビになったら、どうやって生活しますか?」
「え……?」
甘い。それは、佐伯さんの性格から来るものじゃなく、境遇から来るもの。小林さんと同じで、経験がまるっきり足りないからなんだ。
「ここで、あえて一つ厳しい指摘をさせていただきます。佐伯さんが今お勤めになっているのは、デリカテッセンの裏方、ですよね?」
「はい」
「とても、気持ちよく仕事をされてると伺いました」
「間違いなくそうです」
「それがすごくおかしいということに、ちゃんと気付かれていますか?」
「は? え、ええっと……どして……ですか?」
ふうっ。大きな溜息を一つ床に転がす。
「あのね、佐伯さん。あなたは高校卒業後にすぐ家政婦として田中の屋敷に入り、そこを追い出されてすぐ今の職場で働き始めた」
「はい」
「つまり、あなたの就労経験はその二回しかない。しかもとっ始めが最低最悪だった。そうするとね、田中の屋敷よりマシならなんでも快適に感じるんです」
「あ……の?」
「今回、園長さんがあなたの代わりに連絡する形で、急遽お仕事を休んでもらいました。生命に関わりかねない緊急避難なので仕方ないんですが、小人数で回してる製造業の現場で突然三日間もシフトに大穴を開けたら、まずアウトです。それがいかなる事情であっても、ね」
「あ……」
佐伯さんが、ざあっと青ざめた。
「私が緊急避難の指示を出した時。佐伯さんの口からは、どうしても休まないとだめですかという懇願が出てきませんでした。それは、佐伯さんに対して雇用責任者が『休んだら承知しないからな!』という強いプレッシャーをかけていないことを表してるんですよ」
園長さんに、同じ話を振る。
「園では、よほど深刻な理由がない限り、職員さんの急な欠勤は認めませんよね?」
「もちろんです。わたしたち保育士一人がお世話できる子供たちの数は、決まっておりますので……」
「それは、職員の方には?」
「もちろん、しっかり訓示します。職員同士の人間関係にも影響してしまいますから」
「当然ですよね」
佐伯さんに向き直る。
「ねえ、佐伯さん。店長さんから、そういうプレッシャーがかかったことがあります?」
「……いいえ」
「そもそもそれがおかしいんですよ」
園長さんが、何かに気が付いたような表情を浮かべた。
「そうか。わたしも、変だなあと思ったの」
「佐伯さんの欠勤を連絡された時ですよね」
「そう。普通は、不愉快さが口調とか言葉尻とかに出るんだけど、妙に淡々としてたから」
佐伯さんへの、説明を続行する。
「製造業ってね、時間拘束が厳密でスケジュールの融通が利かないんです。工場みたいな大きな職場なら別ですが、小さな店の裏方で一人欠けたら他の職員の負担増が半端じゃない。子供の都合でころころシフトを動かされたら、普通はみんなぶち切れてしまうんです」
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