(5)
電話連絡から三十分後くらいに、見るからに悲壮な顔をした園長さんと、赤ちゃんを抱いた元気のないシンママさんが事務所の呼び鈴を鳴らした。
「どうぞ、お入りください」
「失礼します」
二人にソファーを勧め、小林さんにお茶を出してもらう。園長さんは、小林さんを見て目をまん丸にしている。
「あの、中村さん」
「はい?」
「彼女は……」
「今日から事務員として働いてもらうことにした、小林です。まあ……電話番兼雑用係ですね」
「まだお若そうですけど」
「十八、です」
「え……」
目を白黒させてる。そっちで与太話が出来るくらい余裕があればいいんだが、あいにく事態が切迫している。さっさと話を進めよう。
「すみません。佐伯さん、ですね。所長の中村です」
「よろしくお願いします」
赤ちゃんを抱いた佐伯さんが、ぺこりと会釈をした。
ふむ。小林さんのような飛び抜けた美少女ではないが、あどけなさを残したややロリ系の顔で、ボディも均整が取れている。いわゆる男好きするタイプだ。ただ、髪は染めていないし、化粧もほとんどしていない。すっぴんに近い。服装もものすごく地味だ。経済的な制約もあるんだろうけど、自分を魅力的に見せようっていう意識が一切伝わってこない。男性を誘引する魅力がありながら、本人がそれをあえてくすませている感じがする。だから崩れた印象にならないんだ。
さて。佐伯さんご本人のチェックはそれくらいにして、さっさと黒幕を暴こう。向こうがおおっぴらにやってることなら、その正体はすぐ割れるだろう。
「小林さん、パソコン立ち上げて、検索の準備をしといて」
「あ、はい」
あとは俺が全部やってくれると思っていたらしい小林さんが、慌ててばたばた準備を始めた。あほたれ。ここにいる限り、することは山のようにあるんだよ。さて。
「まず、あなたのフルネームとお年、お子さんの名前と性別、月齢を教えてください」
「
「お子さんのお名前はあなたが?」
「……いいえ」
ふむ。
「出生届は出ているんですか?」
「そう……聞いてます」
「認知は? 父親の欄は埋まっていますか?」
「わかりません」
「あなた自身が、役所等で確かめたことはないんですね」
「はい」
本当に届けが出ているとすれば、赤ちゃんの戸籍はある。無戸籍ではないということか。ただ、母親のところしか欄が埋まっていないだろう。なるほど……。
「じゃあ、次に。家政婦としてお勤めされていたお宅の雇用主の名前、その方のご職業を教えてください。最低限、それだけ分かれば対応策をアドバイスできるかもしれませんので」
まだ自分のことを聞かれると思っていたらしい佐伯さんは、ぽかんと口を開けて驚いていたが、言いたくない感爆裂でぼそぼそと返事をした。
「田中……
「そこの社名は分かりますか?」
「いいえ」
「……うーん、そうか。あ、そのお宅の住所は?」
「それなら……」
自分がかつて住み込みで勤務していたところだから、さすがに覚えていたんだろう。住所が書き出された紙を小林さんに渡して、そこをパソコンで検索してもらう。
「検索結果の中に、街区の地図も出てくるはず。見つけたら教えて」
「はい」
小林さんは、ぎごちなくぽちぽちキーボードを叩くと、出てきた画面を指差した。
「こんなん、表示されました」
「どれどれ」
席を立って、パソコンの液晶画面を覗き込む。地図に表示されていたのは、まあまあ大きめの戸建て住宅。大邸宅というにはあまりにしょぼ過ぎるが、うちの事務所のようなバラックでもなさそうだ。ただ……立地がなあ。そこは、決して高級住宅街なんかじゃない。駅近の、見るからにがさがさな場所だ。
「ほほー。そう来たか」
「あの、中村さん。それで何が分かるんでしょう?」
「敵の規模です」
「は? て、敵……ですか?」
「そう。今回のお話ね、相手の規模によってこちら側の対応を変えないとならないんです」
「どういうことでしょう?」
「ああ、小林さん。あなたも聞いといて。人ごとじゃないからね」
「は……い」
自分にしか意識がなくて、社会に対する関心が極端に低かった小林さん。それが元で、とんでもない悲劇を引き寄せちまった。危険な場所、人物、状況さえ回避していれば、あんなの楽々防げたことなんだ。事件は確かに理不尽だったけど、あれは紛れもなく小林さんの自爆。その再発を防止するためには、逃げ込める場所を狭めるだけじゃどうにもならない。今は幻想にしか向いていない目を、きっちり現実に向け直さ
せる必要がある。
探偵事務所には、人間のありとあらゆる汚い部分が流れ込んでくる。だから、感受性の鋭い繊細な子にはあまり近付いて欲しくない。岸野さんの息子に警告したみたいにね。でも、小林さんの場合は逆だ。世の中ってのが一体どんな風になってるのか。綺麗事じゃ済まない現実を直視して、意識の心棒にそいつを刻み込んでもらわないとならない。現実を元に意思決定を動かせるようにしないと、いつまでたっても自分の殻から出られないだろう。うちには現実直視の機会がいっぱいあるから、そいつを活かしてもらうしかないんだよね。
さて、と。本題に行こう。三人プラスおまけ付きでソファーに並んで座っている女性たちに、俺に見えている背景をざっと説明しておくことにする。
「まず。本件は、絶対に単純なストーカー事件なんかじゃありません。ものっすごくヤバいです」
「えええっ?」
園長さんが、顔色を失った。
「普通ね、ストーカーは単独なんです。人を使ってストーキングするなんてのはストーカーとは言わない。それはよくて嫌がらせ、その実は脅迫です」
佐伯さんが、くんと強く頷いた。
「ですよね?」
「はい!」
「でね、色気違いの富豪がカネにものを言わせて女の子を奴隷にしようとしてる……最初そういう仮予想を立てたんですが」
「ええ。そうじゃないんですか?」
「人を大勢使うような大金持ちが、こんなちんけな家に住みますか?」
全力で苦笑して見せる。
「ダンナが住み込みの家政婦に手をつけて、子供を産ませちゃった。それを知った奥さんが激怒して、佐伯さんを家から追い出した。それでよろしいですか?」
言葉にすらしたくなかったんだろう。渋々という感じで佐伯さんが頷いた。
「それなら、あなたに未練がある雇用主の男のアクションは、こっそりになるんですよ。そうなってます?」
「あああっ!」
園長さん、愕然。
「違いますよね? ものすごく矛盾があるんです。奥さんが怒って追い出したにも関わらず、ダンナの方がカネに糸目をつけずに派手に佐伯さんを取り込みにかかってる。それを奥さんが知ったら黙ってるはずがない。アンタ何やってんのよ! 必ずそうなるはず」
「そうか」
「でも、怒り狂っているはずの奥さんの制御が、まるっきり効いてない。ダンナが奥さんを全く怖がってない。ダンナに頭が上がらない奥さんなら、佐伯さんを屋敷から追い出すなんてことは絶対に出来ないんですよ。むしろ、追い出されるのは奥さんの方だ」
「う……」
「夫婦の行動が支離滅裂なんです」
ぴっ! 人差し指を立てて、それをふいふいと振る。
「それだけじゃない。金持ちのやりたい放題にしては、どうにもこうにも変なんですよ」
「どういうことなの?」
突っ込んできたのは、部外者のはずの小林さんだった。
「警察がすでにつきまとい禁止の警告を出してる。監視者のメンツを代えてるって言っても、それは現場の連中が警察にとっ捕まるのを防ぐためであって、指示役をぼかすためじゃない。元締めの行動はおおっぴらなんです。佐伯さん、そうでしょ?」
「はい」
「つまり、警察の押さえが全く効いてない。警告を無視したつきまといは、れっきとした犯罪ですよ。事実確認ができれば、警察は必ず摘発に動くはず。でも、そうなってない。なぜ?」
三人揃って、黙って俯いてしまった。
「ね? 変でしょ? あ、佐伯さん」
「はい」
「あなたがその家で働いていた時、他に家政婦さんがいましたか?」
「いいえ、わたしだけです」
「その家の奥さんは、いつも家にいましたか?」
「……いいえ。ほとんど」
「やっぱりね。家では、あなたを雇用した男とあなたしかいない状況がうんと長かった。そして、男は仕事で家を空けることが多かった。仕事から戻ってきた時に、あなたを無理やり犯すだけ」
「……う……は……い」
「あなたが妊娠しても、その状況は変わらなかった。身寄りのないあなたには、そこを逃げ出してもどこにも行くところがない。出産まで、ほとんど一人で耐えないとならなかった。出産もその家で、でしょ?」
「……はい」
ふうっ。思わず天を仰ぐ。
「それでも、あなたは芯がとても強い。その状況にとうとう耐え切っちゃったんですね。唯一、あなたの性格だけが連中の想定外だったんでしょう」
事情が全く飲み込めない園長さんが、わたわた慌てている。
「あの、全く話が……」
「ああ、案件の背景が分かっても、アドバイス役の私以外には何の意味もありません。分からないままにしといてください」
「は?」
「この件、園長さんにお返事した通り、私の手には余ります。警察すら正面からは動けない案件ですから、それ以外の抑止力をどこかから確保しないとなりませんが、そんなの思いつきます?」
三人揃って撃沈。
「でしょう? ですので、今この場でこれこれこうして対処しましょうとは言えないです」
園長さんと佐伯さんが、がっくり肩を落としてしまった。
「でもね。園長さんにはお話ししましたが、背景が分かれば打てる手が見つかるかもしれません。その背景を探るところを、私がやりましょう」
「え? でも依頼料が……」
「ああ、それは」
俺は、にやっと笑って佐伯さんを指差した。
「あなたの雇用主だった、田中って男に払ってもらうことにしますよ」
誰も、俺の意図がどこにあるのか分からないんだろう。不安そうに互いに顔を見合わせている。
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