(4)

「で、話を元に戻しますね」

「はい」

「麻矢さんは、あの案件の時に原則論を絶対に曲げない私の姿をこれでもかと脳裏に焼き付けたはず。つまり、私が代理依頼を絶対に請けないということはもうご存知なんです」

「うん」

「でも、アドバイザーの麻矢さんは、探偵に素行調査を依頼するなら、全く知らない業者さんにアクセスするよりも、自分の案件を受け持ってくれたここかJDAの方がいいと考えた」

「そうですー。ぴったりですー」

「でしょ? でもJDAは大手すぎて、こっそりの依頼が出来そうにない。貧乏一人探偵のここの方が、臨機応変に対応してくれそう。そう判断した」


 トミーが苦笑してるってことは、大当たりなんだろう。


「なんだ、わたしが説明する必要もないですねー」

「いや、それでも麻矢さんご本人からは私に頼みにくいでしょ」

「えー? なんでー?」


 ひろが、ひょいと首を傾げる。


「そりゃそうさ。自分自身の依頼じゃないんだ。それなのに麻矢さんが俺にアクセスしてきたら、それをご主人や関係者に覚られた途端にものすごくややこしくなる」

「わ! そうかあ!」

「だろ?」

「なるほどなあ。ちゃんと、それぞれの行動に理由があるってことなんだね」

「そう」


 俺は、トミーに向き直る。


「あなたを代理人に立てたことにも、深い理由があります。本当の依頼人から何人もの人を介して依頼が持ち込まれた場合、伝言ゲームと同じで情報がひどく歪みやすい」

「そうですね」

「つまり、麻矢さんと私との間をつなぐメッセンジャーは、そのどちらにも感情のバイアスがなく、麻矢さんの情報を色付けせずにきちんと伝えられる資質がある人。なおかつ、親交が深くて信用のおける人。それはあなたしかいないはずです」


 トミーが屈託なく笑った。


「あはは。敵わないね。全部お見通しかあ」

「いや、そう出来るのは、麻矢さんがちゃんと自分以外のものに意識を置けるようになったということですから。それが分かって、私はすごく嬉しいです」

「ふふ。マーヤにそう言っときます」

「で、あなたが今日こちらに来られたのは、私に問い合わせするため。その方との面談を、出来るだけ極秘裏に目立たない形で行う方法がないか教えてくれないか。そういうことでしょう?」

「そうです。それでどんぴしゃりです」


 ぱん! ひろが手を叩き合わせた。納得の表情。


「そうか! そういうことだったのかあ。だから打診なのね?」

「そう。本来であれば、来所していただくのが一番確実なんですが、小さなお子さんをお持ちの方の場合、それは難しい」

「ええ」

「じゃあ、私が出向けばいいか。そういう単純な話にもならない」

「ええー? なんでー?」

「知らない男性と二人でいるところを第三者に見られると、どういう噂を立てられるか分からないから」

「あ……」

「だろ?」

「そうか。確かにそうだー」


 俺とひろの掛け合いを楽しそうに見ているトミーに、もう一つ説明を足す。


「依頼は、おそらくご主人の素行調査なんでしょう。でも、奥さんが依頼したということを、万が一にでもご主人に覚られるわけにはいかない」

「どうしてー?」

「ご主人が用心して尻尾を隠してしまう。もしくは、素行調査されたことを逆手に取って、俺を信用出来ないのかと開き直る。どっちにしても、奥さんには不利にしかならないから」

「うー」

「つまりその奥さんは、普段の生活を全く変えないままで、どこかで調査員と接触して面談し、契約を決めて依頼をするという手続きをしないとならない」

「そんなん、可能なの?」

「楽勝だよ。俺らの仕事は、そんなのばかりだからね」


 まあ、麻矢さんと仲良くなるということは、依頼人はおそらく麻矢さんとよく似た性格の持ち主。大人しくて自己主張が苦手なタイプだろう。そういう女性が、自分とは全く異なる世界の『タンテイ』なんていう人種と接触しようものなら、態度の変化を配偶者にすぐ覚られてしまう。麻矢さんの懸念はぴったり正解だ。それさえ確定出来れば、私には対処するノウハウがある。そいつをただ適用すればいい。何も難しくない。


「これが、新事務所での第一号案件になるかな。依頼費も安く済むでしょう。六桁行くか行かないかくらいだと思います。調査期間は、報告込みで実質三日ってとこかな」

「うわ……そんな短期間で出来るんですかー?」

「被調査者が油断していれば、一日で終わりですよ。だからこそ、どうしても相手に覚られないうちに調査を終わらせないとならない」

「ひえー」

「ただね」

「ええ」

「事実なんか、すぐに揃うんです。問題はそのあとなんですよ。シロならいいですけど、クロならどうするか」

「うーん」


 トミーとひろが、二人して腕組みしたまま考え込んでしまった。


「そこはうちの管轄ではありません。夫婦で直接話し合う、親や友人に相談する、弁護士さんや行政に相談する……いろんな方策があるはずなんですが、なかなか軟着陸はしない。そして、一度仲に亀裂が入ると夫婦間の力関係の差が勝敗を分けてしまう。そこがね」

「勝敗?」

「そう。男性側の不貞による離婚は、圧倒的に女性にだけ不利なんです。事実としてね」

「どゆこと?」


 ひろが目を三角にした。自分の稼ぎが桁違いに大きいひろには、ぴんとこないだろなあ。


「堂々とやらかすような男は、人の尻どころか自分の尻すら拭かない。やりっぱなし。社会的責任とか家族の将来とか、そんなのクソクラエなんです。どんなに法律で重石をつけてもね」

「ぐ……」

「む……」


 二人揃って、ものっすごく強い怒りの表情を浮かべた。ふふふ。おもしろいなあ。仕事も境遇も全く違う二人なのに、リアクションが双子のように似てるよ。


「ダンナの謝罪や補償を引き出すよりも、どうやって明日からダンナなしで食っていくかを考える。それに備えた上で、いざ開戦、なんですよ」

「なるほどなあ」

「そんなことを、あなたから麻矢さんに知恵つけてあげてください。それが麻矢さん経由でその方に伝わるでしょうから」

「分かりました!」


 まだうーうーうなっていたひろが、突っ込んできた。


「ねえねえ、みさちゃん。でも、向こうのダンナに警戒されないで依頼者と面談出来る方法なんかあるの?」

「ある。家の外ではなかなか出来ないよ。誰の目があるか分からないから」

「でも、家を訪問するのも同じでしょ?」

「家にいるのが奥さんだけならね」

「!!」


 ひろもトミーも、ばかっと大口を開けて絶句。


「う……わ」

「ひえー」

「お子さんが幼稚園に行かれてるのなら、幼児向け教材販売会社の営業さんがうろうろしてるはず。ご主人がおられる時にお伺いしますと先に伝えておけば、何も警戒されない。私がそいつに化けて潜り込めばいい」

「そ、そんな手が……」

「あえて自分を被調査者に見せて安心させる。そういう手もあるんです。そしてね、その方法だと奥さんとご主人の面談を同時に終わらせることが出来る。すごく効率がいいんです」


 にっ!


「ご主人が浮気で気もそぞろになり、家庭への興味を失っていれば、あとはおまえに任せると言ってさっさと離脱するでしょう。私はそれを確かめて、奥さんとゆっくり面談を続け、契約書にハンコをもらって調査に着手すればいい」

「ううーん、すごいなあ」

「あとは、フレディのところでやってるみたいなアフターについても、うちである程度出来れば一番ベストなんですけどね」

「今は出来ないんですか?」

「私には法律関係の深い知識がありませんから。そこは、どうしても専門家にアドバイスを仰がないとどうにもなりません」

「そっかー、JDAの三中さんみたいな」

「そう。三中さんは辣腕で弁護経験も豊富。三中さんクラスじゃ、金銭的に俺には無理さ」

「うーん……」

「まあ、そこはおいおい考える。今は立ち上げを急がないとね」


 とりあえず、トミーから持ち込まれた打診に関しては目処が立ったと。でも、せっかく得難いゲストが来てくれているんだからしっかり利用しよう。俺は、トミーに雑談を振った。


「高崎さん、お仕事の方は順調なんですか?」

「あはは。おかげさまで、今三誌で描いてます」


 うわあお! 売れっ子じゃん! すげえ!


「でもねー。わたしももう三十後半だし、勢いだけで描くのはもう無理ですねー」

「そうなんですか?」

「ええ。あの後、別の出版社に持ち込んだ百合探偵のシリーズを採用してもらい、それが当たって漫画だけで食べていけるようになりましたけど、エロ系は旬が短い。自分の表現の幅を広げて他ジャンルにも打って出ないと、結局前と同じことになっちゃうんです」

「ううむ」

「今の三誌のうち二誌は女性誌なんです。そっちがうまく行きそうなら、エロからは徐々に手を引きます」

「新分野の方が着想を広く取れる……そういう理解でいいですか?」

「その通りです。十代、二十代の時に描いていた感覚で、その年齢向けのものを描き続ける……しんどいですよー。無理です」

「確かに。若い作家さんがどんどん出てくるし」

「ええ。今の自分が無理なく、しかも意欲的に描けるネタを探す。その方がずっと楽しいし」

「ははは。そうですね」

「だから、マーヤには幼稚園戦争のネタを提供してもらってますー」


 トミーがいたずらっぽく笑った。さ、さすがプロだ。貪欲だよなあ。


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