(3)

 次の言葉を口に出す前に、もう一度おさらいしておこう。腕を組み、改めて彼女をじっくり観察する。

 美人の母親の血を受け継いで、容姿、スタイルとも、同年代の美少女たちの中でも水準のはるか上を行く。街中を歩いていれば、必ず芸能事務所やモデル事務所にスカウトされるタイプだろう。もし本人に人一倍の意欲と向上心があれば、間違いなくアイドルとして大成する。それくらい極めて高い資質を持っている。……外観は、ね。だが残念なことに、彼女の中身は豚以下だ。最初からジャンクだったわけではなく、不幸にしてひどく劣化してしまったんだ。


 きっかけは、とてもささいなことだった。思春期に突入した子供なら誰にでもある親子衝突。権威者としての親に反発して制御を拒むのは、子供が自立する上でのファーストステップだ。俺もひろも通ってきた道だし、俺やフレディの子供にも必ず難しい時期が来るはずだ。その時には、俺らも必ず嵐に向き合わなければならないだろう。

 娘の強い反発に対する父親の対応が粗雑だったことと、母親が父子間の緩衝材としてうまく機能しなかったこと。不運が積み重なって、とんでもない不幸に繋がってしまった。そらあ、まだ子供が小さい俺が分かったようなふりをしてああだこうだと講釈をぶちまかす筋合いじゃないさ。だが、精神の未熟さゆえに娘さんが最悪のカードを引いてしまったという事実は厳然とある。否定しようのない事実であるがゆえに、本人だけではなく誰にも逃げ場がないんだよ。


 ろくたら頼れる友達もいないのに、父親の叱責に激昂して家を飛び出した娘さんは、途方に暮れていたところをまんまとヤクザに取り込まれ、食い物にされてしまった。肉体をしゃぶられただけで済めばまだ御の字だったんだが、彼女は上物過ぎたんだ。JK売春婦として彼女を使い潰そうとしたヤクザどもは、彼女をアジトに閉じ込めてシャブとのセットで性奴隷に仕立てようとした。それも超短期間にね。フレディによる奪還作戦が少しでも遅れていれば、生命の危険すらあった乱雑な仕込み。当然、その反動はものすごく強く出る。

 医療施設でのシャブ抜きは壮絶だったようだし、なんとかシャブ抜きが完了しても、精神に受けた傷が深くて日常生活にすぐ戻れなかったんだ。そして、施設退所後もメンタルケアが遅々として進んでいない。せっかく入った高校も、休学を通り越してすでに自主退学してしまってる。復学の目処が全く立たないんじゃ、しょうがないわなあ。彼女の時計は、高一になってすぐの時点で止まってしまった。なので、高二になった弟に全ての面で追い抜かれてしまうことになるわけだ。


 被害者として、大いに同情すべき面があるのは確かだ。彼女自身が、他者を傷つけるような反社会的行動、言動を繰り返していたわけじゃない。ただ親の干渉を嫌って家から逃げ出しただけ。全ての咎が、彼女にではなく彼女を食い物にした鬼畜どもにあるのは間違いなく事実だ。じゃあ、その事実が彼女の再起を助けてくれるのか。そこさ。過去をリセットするのに、同情ってのはちっとも使えないんだよ。

 同情は、傷ついた心を癒し、精神を安定させることには大いに役に立つ。いや、必須だと言ってもいい。ただ、同情は自立のエネルギーにはならない。自分自身をどやして、顔を強制的に上げさせるエネルギーとしては使えないんだ。逆だよ。同情は、せっかく上がった顔をくたりとまた倒してしまう。なんの力もない、惨めな自分の姿を呼び覚ましてしまうだけなんだよ。


『大変だね。辛かったね。あなたは悪くない。いいんだよ、泣いて』


 ああ、それは被害者にとってものすごく心地のいい響き。同情の中にどっぷりと浸っていれば、自分は何もしなくていい。周りが気遣って、あれこれなんでもしてくれる。そんな風に、母の胎内で羊水に浸かっているところまで意識が退化してしまう。

 彼女のリハビリのために充てがわれた三年間。それは丸々無駄になってしまった。シャブが抜けたところで、復帰プロセスがぴったり止まってしまったんだ。いや、プロセスが止まるだけならいいさ。でも時は待ってくれないんだよ。本人が石になっている間に、無情に時だけが流れ過ぎて。その間に、さらに多くのものを失った。数少ない友人も、現実との仲立ちをしてくれる学校という器も、そして……両親の支えさえも。同情をタダ食いして生きていくのはもう限界なんだよ。


 本当に精神の病に侵されているのならば、そもそも施設から外には出られない。だが、医師の判断はそうではなかった。もちろんフラッシュバックに襲われたり、パニック障害を起こしたりと、被害による後遺症はどうしても残るだろう。しかし、クスリの影響さえ脱すれば、あとは一刻も早く日常に心身を慣らしていった方がいいという見立てだった。さっさと現実との擦り合わせを行えということだよな。

 俺も全く同感だ。リセットには、慣らしってのが極めて重要だと思っている。小林さんの娘と同様に悲惨な性犯罪被害に遭った、ミスト事件の光岡さん。被害の深刻度が小林さんの娘よりも桁違いに大きかったにも関わらず、光岡さんのリセットは極めて早く、しかも強力だった。小林さんの娘との大きな違いは、本人の社会復帰に対する強い意欲だ。社会人としての高いプライドが彼女を駆動し、すぐにリハビリモードに入れた。短期間で慣らしが進んだことで、どん底から素早く浮上出来たんだ。職は変えざるをえなかったが、ちゃんと社会復帰を果たし、その後素晴らしい夫をゲットするところまで人生を充実させている。


 小林さんの娘には、残念ながらそのプライドがない。皆無と言っていい。それは失われたんじゃない。最初からなかったんだ。まだ精神が幼かったからね。彼女を支配しているのは、クソの役にも立たない自己愛だけ。しかも被害と絡まり合って、自己愛の表現型がどうしようもないほど歪んでしまってる。精神の病気ではないにしても、正視出来ないほど根性がひん曲がっているんだ。


 彼女の普段の生活は、まさに引きこもりの典型だ。弟がきちんと学校、部活、勉強のスケジュールをこなしている中、彼女は朝から晩まで自室に閉じこもって、音楽とネット三昧。何一つ生産的なことに向き合おうとすることなく、ちっぽけな自分の世界だけを後生大事に抱きかかえて、無味乾燥な毎日をしらっと垂れ流している。まあ、そのまま一生だるまさんみたいな生活が出来りゃあいいんだけどな。そうは行かんだろ。

 娘の悲劇の一端を作ってしまった両親は、娘を直接どやすことが出来なくなった。今度娘を触り損ねて首でも吊られたら、寝覚めが悪いどころの話ではなくなるからな。だが、弟が極めて真っ当な生活をしているのに、姉の飼い殺しを続けるわけにも行かない。思い切って自立支援施設に預けようという話になっていたわけ。親の感覚としては極めて真っ当で、俺もそれが一番いいかなと思う。


 しかしだな。今まで怠け放題に怠けていた娘が、親のお勧めを聞いて慌てたわけだ。そんなところには絶対に行きたくない! 死んでも嫌! まあ、そりゃそうだ。誰も同情してくれなくなるからね。でも、切羽詰まっているのは娘さんだけでなく、親もなんだよ。自分から動くか、俺たちに動かされるか、どっちでもかまわないが再始動してくれ。俺たちは、もうこれまでのような対応は出来ない! 親から唐突に最後通牒を突きつけられた娘は、そこでフリーズしてしまった、と。

 馬鹿者め。悲劇のタネを蒔いたのは、結局自分自身なんだってことを自覚しろよ。

俺としては、そう言って突き放したいところだ。そして、アフターケアをしっかりやるフレディでさえも、彼女の態度を見てこらあかんと思ったんだろう。シャブ抜き完了の時点で、小林さんのアフターケアからはフェイドアウトしてる。アドバイザーとしてはまだ動いてくれてるけど、もう距離を置いてるんだ。


 今日家族というコブ付きで彼女をここに呼んだのは、家に閉じこもることがもう出来ないのに復学するつもりも仕事を始めるつもりもなく、自立支援施設に行くのも絶対嫌だという彼女に、俺がもう一つの選択肢を提示するためだ。もちろん俺の言い出したことではなく、社員探しに行き詰っていた俺の愚痴を聞いてたフレディが思いついたアイデアなんだよ。なあ、みさちゃん。みさちゃんにとっても、決して悪い話ではないだろってね。

 いや、フレディ。それは違うよ。俺にとってはサイアクに近い、とんでもなく悪い話さ。こんなぐだぐだで何の役にも立ちそうにないボロ雑巾みたいなやつを、社員として使えってのはね。


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