(4)
店の外で薄暗い路地を見通す。それから、電飾にあぶられて褪せた夜空を見上げた。
俺は、八木にごくごく一般的な警告をしたに過ぎない。もし八木がまだ沖竹の調査員だったとしても同じ警告をする。ただ、警告の意味と重みは立場とタイミングによってまるっきり変わる。
八木が箸にも棒にもかからないバカなら、俺が込めた真意になんか気付かないさ。警告にはなんの効果も抑止力もない。だが、きっちりプランを立てて大規模なトラップを構築する能力があるやつなら、必ず俺の警告の裏を読む。そして……深読みがやつの命取りになるだろう。俺は、その帰結がどんな形であっても構わない。二度とこんな陰惨な事件が起きないのであれば、八木が数少ない選択肢から何を選んでも構わないんだ。
「見える色の向こうの色を読め、か」
ブンさんが遺した警告の一つ。俺はその警告をしっかり自分の芯に刻み込んだから、これまでミスジャッジやヘマをうんと減らせた。だが、八木は不幸だったな。あいつは調査員としてのテクニックは教えてもらえても、俺がブンさんから叩き込まれたような警告を誰からももらえなかった。もしブンさんが生きていれば、八木が心の底に溜め込んだ女性への恨みの感情を嗅ぎつけて、そいつが一方的で理不尽だってことが理解出来るまで徹底的にどやし続けただろう。
小さな恨みの感情が何かのきっかけでぶくぶくと膨らみ、そいつを支配してしまう恐ろしさを。人間の皮をかぶった悪魔が出来上がってしまう前に……あいつに警告したかったな。
「さて」
これで抑止効果がなければ、次の手を考えなければならないけど。俺にははっきりした終息の予感があった。
「そろそろ報告書を書くか」
◇ ◇ ◇
俺が八木に警告を出した翌々日の夜。息急き切って、左馬さんが事務所に飛び込んできた。
「はあっ、はあっ、はあっ、ちょ、ちょっとっ!」
「お、こんばんはー。どしたー?」
左馬さんが手にしていたのは夕刊。三面の片隅に、ビルの屋上から飛び降り自殺した男の記事が載っていた。
「ねえ、自殺者の個人情報って、マスコミに出るわけ?」
「ほ?」
そこには『八木貴則』の文字が。
「ふうん、やっぱり出したか。これで、公私ともに事後処理完了ってことだな」
「しょ……りっ?」
「そう。それは死亡公告だよ。八木は間違いなく首謀者だと思うけど、もっと上位に黒幕がいる可能性もあるからね。もし残党がいたら、これが抑止力になるの。次はおまえの番だからなってね」
「げええっ!」
目をまん丸にして、左馬さんが絶句する。えげつないだろ? でも、そういう規格外の抑止手段を取らなきゃならないくらい、法の縛りは厳しいってことなんだよな。
改めて新聞の囲み記事を凝視していた左馬さんが、何度も首を傾げた。
「でも、なんで自殺? 八木ってやつの計画通りだったんでしょ?」
「そうだよ。全てあいつの書いたシナリオ通りに進んでた。そこからの逸脱はないよ。でも、あいつ自身がそのシナリオから外れちまったのさ」
「どういう意味?」
俺はガラステーブルの上にICレコーダーを乗せ、一昨日居酒屋で八木と交わした会話を再生した。いや会話じゃないね。俺からの一方的な宣告だ。五分に満たない俺の警告を聞いていた左馬さんが、どうにも分からないという感じで口をへの字にする。
「ねえ、これのどこが自殺に追い込まれるほどの絶望につながるの?」
「昨日ヒントをあげたでしょ?」
「ううー、ちっとも分かんない」
「分かっても、あんま楽しくないと思うよ」
「ちょっとお!」
「ははは。これで報告書を書けるようになったから、骨子をチームMの中間報告で上げるよ。それを聞いて、宿題の答え合せをして」
「ええーっ? まだ引っ張るのお?」
ぷううっ! 左馬さんが、ぷんぷくりんに膨れた。その表情を見て、俺は思わず吹き出してしまった。
「わはははははっ!」
「何がおかしいのよう!」
「いや、屈託ないなあと思ってさ」
「えー?」
「俺は……正直もうこれ以上突っ込みたくないんだけどね。だって、加害者側、被害者側、両サイドに甚大な損害が出て、しかも事件に責任を取れるやつが誰もいなくなった」
「うっ」
首謀者の八木にいっちまってた意識が、急速かつ強制的に原点に引き戻されたはずだ。実際、八木のことなんかどうでもいいんだよ。それより光岡さんに端を発した未曾有の凶悪事件だということ、そして事件には永劫にけりがつかないかもしれないという現実を直視してほしい。
「恐ろしく理不尽だと思うけど、それが世の中ってやつなんだろう。関わった俺らは、そこから教訓を得るしかない。自分の関わる範囲には、こういう悲劇を二度と近付けないようにってね」
「でも、被害者の女性にはなんの落ち度もないでしょ?」
「ないよ。ミストの異常性をずっと感知出来なかった、モール運営会社のずさんなチェック体制。被害者女性の勤務先で彼女たちの異常に誰も気付けなかったこと。これほどまで悲劇が大きくなってしまった原因は、異常に対してあまりに鈍感だった社会環境にある」
左馬さんは、いきなりくたくたに萎えた。鈍感な側に自分も居たということだからな。もちろん、俺自身も同じ
「俺たちはマスコミとは違うよ。事件が起きた時だけわあわあと騒ぎ立て、ほとぼりが冷めたら記憶から風化させてしまう。それじゃあなんの意味もない」
「うん」
「集まった時に俺が話をするのは、反省だけさ。解決してよかったねなんてことは何も、何一つない。この件は」
閉じた手帳で、ぱんとテーブルを叩いた。
「俺たちへの警告しか残さないよ。最後の最後までね」
【第二十二話 警告 了】
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