ひろとの出会い編 第九話 中間報告

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 ミストを仕切っていたセンサーの、飛び降り自殺による死。システムの全権を握っていた八木がシステムごとくたばったことで、将来的に絶対安全かどうかはともかく、トリガーが発動する危険性は極めて低くなった。もちろん、洗脳に使われた配信サイトのアカウントやファイル、命令を取り出すフィルターアプリの登録も全て抹消されている。第三者が極めて危険なプログラムの存在に気付き、それを悪用するというリスクはうんと下げられたということだ。プログラムの稼働期間が長かったから、まるっきりゼロになったわけではないけどね。


 とりあえず加害者側の全滅が確認出来たので、八木の情報を教えてくれた沖竹所長を訪ねて今回の顛末を説明し、調査協力への礼を言った。所長は八木の浅慮を嘲笑うかと思ったんだが、逆にむっすり黙り込んだ。


「あいつは、数を敵に回す怖さを知らなかったということだな」

「数、ですか」

「そうだ。どんなに悪知恵が働いても、結局最後は数の論理になるんだよ」


 数の論理……か。


「一騎当千の荒武者でも、数万の軍勢を一人で倒すことは出来ない。策を練るなら、まずそこからだ」

「なるほど」

「裏返せば。小人数でやるなら、出来ることを最初から小さく見積もらないとならないのさ。あいつはそこを膨らませ過ぎた。だから自滅した。それだけだ」


 所長らしい、乾いた論評だった。ブンさんの遺影をじっと見下ろしていた所長は、顔を上げて俺を見るなりにやっと笑った。


「それにな。あいつのはちっとも美しくない。美学のない悪事はすぐに破綻する」


 げえー。俺のうんざり顔を横目に、所長がつらっと言い放った。


「中村くんにすぐ見破られるような下策なんざ論外だ」


 とほほ……。相変わらず手厳しい。くるっと俺に背を向けた所長は、小声でさらに付け加えた。


「つまり。もっとスマートにやれるやつが、必ずどこかにいるということさ。十分気を付けるんだな」


 あっ!!


◇ ◇ ◇


 怖い怖い怖い怖い怖い。心底怖い。本当にしゃれにならん。沖竹所長の警告は、俺にとって猛烈なインパクトだった。八木が構築していた暗示の遠隔操作システム。もしそれを八木ではなく沖竹所長が手がけていたら、その完成度はしゃれにならなかったはずだ。そして沖竹所長レベルのプログラマーは、世の中にいっぱいいる。……それが警告の真意だろう。


 薬剤と暗示の組み合わせは使い古された調教の手口だが、今でも暗殺者やテロリストの養成に用いられていると聞く。それは過去の遺物ではなく、今なお悪魔のツールとしてうごめいているということ。加えて、昔にはなかった調教の効果や効率を上げるサブツールが増えている。たとえば今回であればスマホと動画配信サイトの組み合わせがそうだ。

 悪魔のツールを使おうとしているやつらが、数の論理を組み入れる前に気付け。悪巧みが美しくない……つまりまだ悪事が不恰好で腐臭がするうちにそいつを嗅ぎ当てろ。誰かが失敗すれば、それを見て手口をリファインするやつがいる。あらゆる危険性をチェックしておけ。恐ろしいくらいに的確な警告だった。俺がブンさんにどやされてきた以上に、所長はブンさんに根性を叩き込まれてきたということなんだろう。


 沖竹所長の冷たさには、ちゃんと意味がある。危機の大きさや輪郭は、湧き上がってしまった感情の湯気に紛れて不鮮明になってしまうことがあるんだ。左馬さんがまんまとやられたのも同じ図式。所長は、感情に左右されるリスクを下げるためにいつでも頭を氷漬けにしているんだろう。もちろん、そんなことが出来るのは沖竹所長しかいないけどさ。危機に厳しく向き合う姿勢は、俺もしっかり見習わなければならない。


「うーん。俺もまだまだへっぽこだよなあ」


◇ ◇ ◇


 沖竹へのスジを通したところで、俺のしなければならないことは一段落になった。実家に帰って療養することになった光岡さんが休職される前に、チームMを招集して中間報告を行っておくことにする。まだ何も終わってない。何一つ片付いてないよ。それでも、区切りはどうしても要るからね。


 JDAの会議室に集合したチームMの面々の前で、俺は報告を始めた。


「みなさん、お忙しいところをお集まりいただき、ありがとうございます。まず。私の報告は最終報告ではなく、あくまでも中間報告であるということに留意してください」


 前置きに納得出来る人も出来ない人もいるだろうけど、そこはスルー。


「報告の骨子は、現在までのファクトの整理。それから、本件に関する反省点の整理です」


 資料の入った大判封筒を全員に配り、それが封かんされていることを指し示す。


「今配布したものはチーム員限りの機密資料です。加害者、被害者の個人情報を含みますので、資料は会議後に回収します。また資料の内容は、どんな瑣末なことであっても第三者に口外しないでください。それを確約出来ないという方は、封筒を開封しないようお願いいたします」

「事件はもう報道されてるのに、なんで?」


 左馬さんが首を傾げた。


「本件、表に出ているのは麻取の部分だけです。それ以外の部分が漏れて喧伝されると、光岡さんも含めて大勢の女性に多大な不利益が降りかかる恐れがあります。十分なご配慮をお願いいたします」

「う……確かにそうだ。申し訳ありません」


 左馬さんの中では、事件がもう過去のことにされてたんだろなあ。そこが被害者と第三者の差なんだよね。厄介だ……。まあ、いい。先に行こう。封筒から資料を出して手元に置いてもらい、報告を始める。


「被害状況の報告からいたします。ミストに絡んだ事件において、海外に出国させられた女性は四名。うち一名はすでに死亡していました」


 フレディから、すかさず質問が出た。


「死亡した理由は?」

「結婚相手の男に射殺されています。向こうで制御出来なくなったんでしょう」

「!」

「残り三名は、出国先の国と日本政府との間で帰国交渉中。もし帰国出来ても、ほとんど人格を失った状態だと思われます」


 全員、言葉を失う。小さな喫茶店で国家まで巻き込むような物騒な事件が起こっていたこと。それにより、人生どころか生命まで失った女性がいること。悪夢のような事件とは一生無縁でいたかったが、まだ渦中にある俺たちは現実から目を逸らすことができない。


「ミストでの調教後に裏に移された女性が六名。全て療養中。こちらも極めて重症です。現時点では、早期の回復は見込めないようです」

「ロボット化してしまったということか」


 フレディが沈鬱な表情で呟いた。


「ええ。そして光岡さん同様にミストでの調教過程で客を取らされていた女性が、現時点で十五名判明しています。この数は、将来的にまだ増えると思われます。警察もしくはJDAで保護された女性は全員療養に入っていますが、こちらもケアには相当時間がかかる見込みです」


 そう。後段まで行かなかったからラッキーなんてことには決して、決してならない。被害の深刻度はほとんど変わらないんだ。


「その他に、ワンタイムユーズで連中のおもちゃにされた女性は数十人規模に上ると思われます。本件は、間違いなく日本の犯罪史上稀に見る大型事件でした」

「ちょっと待って!」


 会議室に、左馬さんの鋭い制止の声が響いた。


「それだけの大きな事件なのに、なんで外にまるっきり漏れてないの? マスコミが喜んで食いつきそうじゃない!」

「左馬さんの疑問は当然です。もしこの件が東京でセレブな売春宿を始めるための仕込みという犯罪だったならば、必ず外に漏れて大騒ぎになったでしょう。でも本件は海外への人身売買事件です。それでお察しください」


 左馬さんには、俺の暗示したことが分かったんだろう。顔が青ざめ、がっくりと首を折った。非公式でも政府が帰国交渉に当たっているということ。その重大さ、深刻さは生半可じゃないんだ。


「次に、加害者側の現況をお知らせします」


 こっちは、すでにけりがついているという事実確認だけ。淡々と読み上げて済ませる。


「首謀者は、センサー役の八木貴則。自殺により死亡。共犯者は、トレーナー役の小坂義郎。他殺により死亡。事件はまだ未解決です。トラッパー役の久喜友也。麻取と傷害罪の容疑で逮捕、起訴され、拘留中。バイヤー役の米国人、ウィル・ブルンス。溺死。他殺だと思われますが、まだ未解決です。フィニッシュ監視役の男、佐山篤男、二藤孝明。風営法違反、監禁の容疑で逮捕、起訴され、拘留中」


 フレディが、資料に目を通しながらぼそっと漏らした。


「端役しか……生き残れなかったということだな」

「ははは。フレディ、甘いよ」

「うん?」

「連中は、たぶん誰も生き残れない」

「どうしてだ?」

「トラッパーの男は、有罪判決でもせいぜい二、三年の服役さ」

「ああ」

「出て来てすぐに消されると思うよ」

「!!」


 江畑さんが、俺に同意した。


「俺もそう思う。あいつはヤクのばらまきを大っぴらにやり過ぎた。それは、サプライヤーの許容範囲を超えてる」


 顔をしかめたフレディを横目に、江畑さんが話を続けた。


「監視役の二人もそうだ」

「なぜ?」

「トレーナーのじじいは女性たちの身元を精査してない。年齢と容姿が素材としての基準を満たせば、罠にはめる女性は誰でも良かったんだ」

「ふむ」

「けどな、監禁されてほとんど廃人になってる六人の被害者の中に、ある大物の娘が入ってたんだよ。主導的なやつらは、もう消えたか消されてる。恨みは生き残ったメンバーに集中するのさ」

「そういう……ことか」

「どっちみち、送検後は事件が俺らの手を離れる。俺らはもう何も出来んよ」


 江畑さんがすぱっと放り出して、話を締めた。俺も前半の部をまとめる。


「私たちは、犯罪が再発しないことさえ確認出来ればそれでいいんです。正直、反省と再発防止のことだけでいっぱいいっぱいです。連中のアフターフォローまではとても手が回りません」

「そうだな」


 ふうっと大きな息を漏らしたフレディが、力なく頷いた。


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