(2)
「田城駅に面した大型ショッピングモールの中に、ミストという喫茶店があります。一年ほど前に開店した新しい店なんですが、モールの概要写真を見る限り、店舗が取り分けおしゃれということもなく、店員にハンサムガイがいるともてはやされてるわけでもなさそうです。どこにでもありそうな、何の特徴もないごく普通の喫茶店です。それなのに、なぜか若い女性に人気があるんですよ」
「ふむ」
「そこで、狩りが行われています」
「狩り?」
江畑さんが、シャーペンのけつを俺に向けた。
「どうやって?」
「独身で、面とボディがよく、独り住いで素行が崩れていない若い女性。そういう条件を満たす女をマスターと常客に化けた探査役が探り出して、マスターが飲み物に麻薬を盛る」
「まや……くだと?」
江畑さんの手が止まった。裏の世界じゃ、ユーザーも売人も露出を極度に警戒する。その常識に全く当てはまらないから、信じられないのが当然だ。だが、それがなぜかをぐだぐだ説明する時間がない。
「麻薬の作用で朦朧とした女に、いわゆる催眠術師が強い暗示をかける。俺には逆らえない。必ずこの時間に店に来い。そこまでで一か月くらいかけて、暗示がしっかり効果を発揮するようになれば、今度は暗示がかかっている間に、術師が女に命じて知らない男の相手をさせる。男に抱かせる」
「な、なんだとっ?」
江畑さんの驚きようは尋常じゃなかった。
「でもそれは売春で儲けを出すためじゃない。何があっても強い暗示が解けずに持続するかどうかを確認するためです。行為の最中に暗示が解けてしまうようなら、もうその女には手を出しません。狩りをするやつの基準を満たさないということだから」
「む……」
「麻薬は、あくまでも調教に必要な場に通わせることと、暗示をかける効率を上げるため。本当のジャンキーにしてしてしまったら、商品価値が下がってしまいますから。上手に調整してますね」
「なんて……こった」
「調教が完了する、つまり指令者の命令に百パーセント逆らえなくなれば、そこでほぼ完成品に近い肉人形が出来上がる。女に命じて合法的に職場を辞めさせ、その後裏に持ち込んで、もっと強い暗示をかけながら
室内が、水を打ったように静まり返った。それは犯罪のえげつなさに驚いたからではなく、俺の話があまりに荒唐無稽だからだろう。
「なあ、みさちゃん。なんでわざわざ人身売買なんだ? 裏の連中にとっちゃ、売春婦の仕込みの方がずっと手っ取り早いだろう?」
江畑さんの疑問は当然だ。俺の話がいきなり人身売買に吹っ飛んだことに、どうにも納得が行かないはず。そこらへんは、俺と同じように性犯罪被害者絡みの調査を数多く受け持ってきたフレディの方が、まだ分かるかもしれない。
「仕切ってるのがヤの字ならね」
「違うのか?」
「たぶん違います。今は、売春婦自体が供給過剰の状態なんです。違法にわざわざ仕込まなくたって、女性の方から自発的に商売にしてる。ホテトル、個室、デリヘル、どのジャンルも、そして未成年から熟女までね」
「む……」
「国内のマーケットは実質飽和してます。女がどんなに上玉であっても、相場も単価も下がってるから大したもうけにはならない。胴元も仲介者もね。しかも国内だと、麻薬や強要を伴うような違法な手口で特殊な女を仕込めば、それがどこかで露呈してしまう危険性が非常に高い。被害者も客も特定個人てわけじゃないんですから」
「ううむ……確かにそうだ」
「狩りを大掛かりにやるってことは、リスクを負ってもアガリがでかいってこと。それは日本の司法が届かない海外しかないでしょう?」
「海外に連れ出して、オークションにかける……そういうことか」
「はい。私の見立てはそうです。それなら、ものすごくアガリが大きい。上玉なら七桁後半でしょう。それに調教済みなら、出品された女の維持管理に元手がかからない。落札者のところで逆らったり、逃げ出されたりするリスクも小さい。出品者がギャラと信用を総取りですよ」
「く……」
みりみりみりっ! 江畑さんの額に青筋が浮いた。
「フレディにはちょこっと言いましたが、これだけ大掛かりなのはヤクザには無理かと。短期間での調教は出来ないのに、それに麻薬を絡めてしまうと組織にとってのリスクが大きくなり過ぎます」
「ああ、そうだな」
「そして海外のマーケットへ出すなら、日本語の通じない相手と相当ディープなやり取りしないとならない。いくらインテリヤクザが増えてきたと言っても、日本のヤの字にそれはまだ無理ですよ」
「なるほど。それで外国人てわけか……」
フレディがぶっとい腕をがしっと組んで、眉間に深い深い皺を寄せた。
「たぶん目立たない複数の連中が、きっちり役割分担して動いてますね。連中の行動の独立性が高いから、動きが外に漏れにくくなってる。ものすごく用心深い。そして、もっとも上位にいる元締めのバイヤーは、最後まで表に出る必要がありません。商品が来るのを待ってるだけ。こんなの、ど素人に組み立てられるはずがありませんよ。相当の手練れが仕組んでると睨んでます」
「くそったれがっ!!」
江畑さんが、がなり立てた。
「なあ、みさちゃん。でも、物証は何もないんだろ?」
フレディに突っ込まれる。
「ありません。商品となりかけてる光岡さん以外は、ね」
「あっ!」
俺と光岡さん以外、全員が立ち上がった。
「光岡さんが昨晩うちに来て依頼したことは……自分の素行を探って欲しい、です。そして、私の事情聴取にほとんど機械的に答えてる。そこに意志がない」
「それって……」
左馬さんが、こわごわ光岡さんに目を遣る。
「ロボットですよ。もちろん、光岡さんがそうなりたいわけじゃない。そうさせられてる。分かりますか?」
重苦しい雰囲気の中、光岡さんが目を擦り始めた。
「光岡さんがいなければ、私が今べらべらしゃべったことは全部ただの妄想ですよ。なんの根拠もないから。でも、光岡さんは連中の生きた作品なんです。そこに、連中のしでかしたことが全部刻み込まれてる」
「なるほど……」
江畑さんが、絶句したまま光岡さんをじっと見つめてる。光岡さんは、泣くしかない。
「う……う、ううっ」
はあっ。俺はでかい溜息を三つ連発してから、みんなをぐるっと見回した。
「今の時間は、まだ暗示の縛りが強くかかっていません。だから光岡さんは泣けるんです。昨日は……もう壊れる寸前でした」
「壊れる……って?」
左馬さんが、こわごわ俺に聞き返した。
「この二か月間にあったことは、光岡さんにとって覚えていたくないことばかりなんです」
「ええ」
「そして、連中は調教時間内のことは、その時間が過ぎたら覚えるな、全て忘れろと命じている」
「あ……」
真っ青になった左馬さんが、光岡さんの肩をぎゅっと抱いた。
「そうなんです。強い暗示をかけられている間は心が空っぽになっちゃうんですよ。自我を完全に失ってしまう。その間は誰の命令にも逆らえなくなる」
「そ、そんな……」
「自我が水面下に沈んでしまうと、もう二度と浮上出来なくなるでしょうね。昨日、光岡さんが残った気力を振り絞って私にアクセスしたこと。それが最後の救助信号だった」
くっ。小さく光岡さんが頷いた。
苦悶の表情を浮かべていた江畑さんが、何度も手帳をシャーペンで叩きつけながら、ぶつぶつ言ってる。
「証拠、証拠、証拠……どこかにアゲられる手がかりはねえのかっ!」
「ねえ、江畑さん」
「ん?」
「連中は、分業にすることでそれぞれの役割負担を軽くしてるんでしょう。だから、連中のアクションが目立たなくなってる」
「ああ」
「でもね、逆に言えば細かい連携を柔軟に調整しにくいんです。キモはそれぞれの分担者が責任を持ってこなさないとならないんですよ」
ぱん! フレディが、分厚い手のひら同士を景気良く叩き合わせて、でかい破裂音を出した。
「おおう! みさちゃん! 冴えてるなあ」
「てか、それしか食い込める隙はないです」
「どうするんだ?」
「フレディに手駒を貸してもらいたい。危険はないです」
「ふむ」
「若い女性の調査員を、ミストに行かせてください」
「おい……それは」
「年配女性と若い女性、二人組でね」
「ああ! そうか」
「でしょ? 連中は、必ず一本釣りする。連れ立って来る客は、対象にしないでしょう。でも、その中の誰かの面やスタイルが良ければ、グループをばらすためにエサを撒くはず」
「飲み物に何か仕込むってことだな」
「ええ。そいつを飲んだふりして回収して欲しい。たぶん、ハーブティーでしょう。それが、唯一の物証になります」
「みさちゃんの見立てでは、何が入っていそうだ?」
「メスカリンみたいな幻覚剤と筋弛緩剤じゃないかと」
「ミックス……か」
「呼び水効果が高いから、コカインなんかも使われてるかもしれません。リピさせるためにね」
「なるほど」
「ええ。ヤの字が使うなら覚せい剤でしょうけど、あれは暗示をかける目的では使えませんから」
「だな」
「外国人絡みじゃないかってのは、それもあるんですよ。特殊な麻薬は、国内では入手が難しいので」
「確かにそうだ」
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