(4)
「それでも、危険信号が出たから辛うじて間に合ったんですよ。トミーの執着は、なぜわたしを避けるのかという詰問から、逃げ続けるなら死ぬまで追いかけてやるという脅迫、そしてぶっ殺すという殺害予告にまで膨らんでいた。ご両親、そして永井さんが、その危機をちゃんと感じ取ったからこそ、私どもへの依頼が間に合った。ぎりぎりでしたけどね……」
「うーん、なかむらさん。すごいです。わたしには、まったくみえていませんでした」
ジョンソンさんが、大仰に両手を広げて唸った。
「しょうがないですよ。こんな特殊なケースは、そうそうありません」
「うーむ……」
俺は、麻矢さんに改めて確認する。
「麻矢さん。私が一方的に話してきたことは、全て私の推測です。私は麻矢さんではないので、事実確認が出来ません。私の推論に誤りがあれば、今の内にしっかり正してください。誤りがあっても『それでいい』は絶対になしです!」
「は……い」
「最初に申しましたが、まだ事件は解決しておりません。きっちりけりを付けるなら、事実関係の誤認は絶対に避けないとならないんです」
「はい。分かります」
麻矢さんは赤くなった目を擦りながら、俺のしゃべっていたことを思い返すようにずっと反芻し、何度か頷いた。
「高校の時の高崎さんとの関係、大学を選んだ動機、進学後の高崎さんからのアプローチ、それに対するわたしの対応は、中村さんが推察された通りです。卒業後の高崎さんの動向については、わたしは何も知りませんでした。今日初めて分かりました」
「麻矢さんご自身に関することは、大筋で合っているということですね?」
「はい」
「高科さんが、本ミーティングの記録を取られています。それはジョンソンさんからご両親に提出されるあなたの身辺調査報告書の中に盛り込まれますので、それをご自身でも確認し、事実と異なる部分があれば必ず私とジョンソンさんに知らせてくださいね。今後の対策に必要になりますので」
「分かりました」
ぱんとテーブルを叩いてから、ぐるりと出席者を見回す。
「これで、本日お忙しい中をみなさんに集まっていただいた目的が、ほぼ達成出来ました。先日の事件が何に起因して発生し、それがどういう結末になったか。お集まりのみなさんの間でその認識がずれないように事実関係を擦り合わせ、共有してもらうこと。よろしいでしょうか?」
全員頷いた。
「ですが。みなさん、何か違和感を感じておられないですか?」
あれ? という風に。互いに顔を見合わせる出席者たち。
「みなさんは、一番最初の高科さんの開会挨拶を覚えておられますか?」
緊張してるし、儀礼的なものだろうとみんな聞き流したに違いない。あほたれ。俺は、筆記係の高科さんにもう一度挨拶文を読み上げてもらうことにした。
「すみません、高科さん。最初の挨拶文を朗読していただけますか? 文面がありますよね?」
「ございます」
「その内容を吟味しながら、もう一度よーくお聞きください。高科さん、ゆっくりお願いします」
「はい。では、読み上げますね」
すっと立ち上がった高科さんが、メモに目を落としながら通る声で挨拶を繰り返した。
「本日はお忙しいところをご足労いただき、ありがとうございます。みなさんご存知のように、先日お客様が巻き込まれる形で事件が発生し、当社の社員が図らずも関わってしまいました。県警からの情報提供依頼もございまして、当社としてはそれを無視出来ない状況になっております。ですので、本日は事件の再発防止、包括的解決に繋がるよう、関係者間での事実確認と意思統一をさせていただきたいと思います。ご不満はいろいろあろうかと存じますが、何卒ご協力くださいますよう、よろしくお願いいたします」
ジョンソンさんと高科さん、そして俺以外は、それぞれに考え込む。どこもおかしいところなんてないよねって風に。
「ええとね。今の高科さんの挨拶の中に、麻矢さんの名前が一度でも出て来たでしょうか?」
「そういや……」
「お客様って、誰でしょう?」
「麻矢ちゃんじゃないの?」
永井さんが首を傾げながら俺に聞く。
「違いますよー。麻矢さんの身辺調査を依頼したのは誰ですか?」
「あ……」
「ジョンソンさんのクライアントは、麻矢さんじゃない。麻矢さんのご両親です。ジョンソンさんは、今回のトラブルがクライアントすなわちご両親に波及することだけは絶対に避けたい。それは、調査会社の信用を毀損してしまうからです。逆に言えば、クライアントではない麻矢さんがどうなろうと知ったこっちゃないんです」
ジョンソンさんは俺の暴言を聞いて苦笑いしたが、怒ったり訂正したりはしなかった。
「当社の社員が図らずも関わった。それも同じ意味です。黒子に徹しなければならない調査員が表に出ることで、クライアントや社員に危険が及びかねない事態になってしまった。JDAに何か不手際があって、その咎を負わなければならないでしょうか? そんなのありませんよね? あるとすれば、起こりうる不慮の事態に備えきれなかったという自己責任だけ。ああ、やっぱり原則を踏み外してる依頼なんか、絶対に承けるべきではなかった。それが反省点です」
し……ん。
「それは、私も同じです。もし私が冒頭の挨拶をしたとすれば、ほぼ同じ内容になったでしょう」
かん! かん! かん! 拳で何度もテーブルを叩く。
「県警からの情報提供依頼。これでもね、ずいぶん表現を調整してくださったんですよ。さすが、ジョンソンさんはオトナですね。私ならどう言ったか。あんたらのせいで警察から犯人扱いされ、痛くもない腹を探られてるんだよ。一体どうしてくれるんだ! ……です。そして、事件の再発防止。事件て、なんでしょう?」
「ストーカーのことじゃないの?」
永井さんから、変なこと聞くのねという感じで咎められた。
「何言ってんですか。私たちはご両親や永井さんから何を承けました?」
「え……と」
「素行調査。身辺調査。その人物がどのような行動、言動をしているのかを調査し、依頼人に報告する。それが、私たちの請け負ったことです。そこに、事件のじの字もありませんよ!」
「あ……」
「事件は、麻矢さんが襲われたことじゃない! 別々の依頼人から全く同じ依頼を承け、互いを敵とみなす危険な状態を作り出してしまったことです! 私もジョンソンさんも、もう二度とこういう事件を発生させたくない。麻矢さんのトラブル解決の義務は、私どもでは負っていないんです! もし私どもが同士討ちで死傷者を出しても、誰も補償してくれないんですから!」
がんがんがん! テーブルを何度も拳で叩きつけて、見附一家と永井さんをどやした。
「それを、深刻に捉えてくださいね!」
ぎっ! 全力で睨みつける。
「いいですか? 私は独身の一人貧乏探偵。くたばろうがなにしようが、私一人のことで済みます。でも、ジョンソンさんはそうは行かない。所長という立場で、大勢の調査員さんの安全、生命、生活を守らないとならないんです。だからこそ、Xデイの時に自ら現場に来られたんですよ。調査員を危険にさらすリスクを、少しでも下げるためにね!」
「そのとおりです」
穏やかな口調で同意したジョンソンさんが、ゆっくり、でも大きく頷いた。
「わたしのところも、なかむらさんのところも、けいびがいしゃではありません。ちょうさはしますが、けいびやけいごはしません。きけんですから」
「はい!」
「じゃあ……なぜ調査するの?」
永井さんの咎め立てする口調が一段と強くなった。
「決まってます。事実が分からないと警察や警備会社が動いてくれないからですよ」
「ああっ!」
「永井さん。いいですか? 私たちが特別に使える権限なんて何もないんです。調査会社には、永井さんや見附さんと同等の権利しかないんですよ。私たちは捜査権や逮捕特権のある警察じゃない! それは、あらかじめ説明しましたよね?」
「……そうでした」
「餅は餅屋、です。警察が調査をしてくれないなら、調査の部分だけは私どもで引き受けましょう。でも、調査で何か分かったなら、その事実を携えてすぐに警察に行ってください、なんです! もうお分かりですよね? じゃあ意思統一はなんのため?」
永井さんが、しおしおに萎れて答えた。
「危険が解消しない限り、中村さんはもうこれ以上手伝いませんって……ことですね?」
「私だけじゃない。ジョンソンさんもです」
ごほん! でかい咳払いをして、ジョンソンさんがのそっと立ち上がった。
「なかむらさん。わたしがかくしたてーまをせつめいしてくださって、ありがとうございます。わたしは、けいやくしょにかかれていることしかじっこうできません。どうか、ごりかいください」
ゆっくり着席したジョンソンさんと入れ替わって、立つ。
「それとね、永井さん。沢本さんに依頼された警護内容も、極めて非常識であったということをご承知おきください」
「えと……なぜ?」
永井さんは、汗びっしょり。冷や汗だろう。
「麻矢さんを付けているやつの見当が全くついていない段階では、一人だけでの護衛は無理なんです」
「そうなんだよ」
沢本さんが忌々しそうに吐き捨てた。
「自分でやってみりゃあ分かるさ」
「永井さん。人間には目が一対しかないんです。麻矢さんを見ればそれ以外は見えない、麻矢さんの周囲を見れば麻矢さんを見落とす。しかもどちらか一方向にしか視線を向けられない。私たちは、目玉が飛び出してて360度周りを見回せるカメレオンじゃないんです。だから、少しでも監視の目を増やすために、私と沢本さんとで即席タッグを組んだんです。それが今回はたまたま功を奏した。でも、それはあくまでも偶然です」
「ええ……」
「麻矢さんに気付かれないことと、確実な護衛をすること。優先するなら後者の方です。最低でも二人以上での随伴警護が必要だったんですよ」
「はい……」
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