(3)
雅恵ちゃんは相当焦っていたようだ。その翌日すぐに、会えませんかとメールしてきた。それは想定済み。
「じゃあ午後四時に、スーパーイズミの休憩コーナーで」
「はい!」
店長に早上がりを告げてバイトを切り上げた俺は、アパートに戻って背広に着替え、伊達メガネをかけて小道具をセットする。黒い折りカバン。胸の社員証は
雅恵ちゃんは、僕が昨日と全く違ったスタイルになっていたからしばらく気付かなかったみたいで、休憩コーナーを覗いては、あれーって感じで首を傾げていた。どれ。席を立って、迎えに行く。
「宇佐美さん。宇佐美雅恵さんですね。鳥越予備校の中村と申します」
ぎょっとして振り向いた宇佐美さんが、俺の顔を見て絶句した。
「な、中村さん……ですか?」
「そ。じゃあ、冬期講習プランのご案内をさせていただきますので、お席にどうぞ」
「わ!」
雅恵ちゃんは、なぜ話をしていても絶対に怪しまれないと俺が豪語したか分かっただろう。
予備校の営業の人がすっごい強引でさあ、冬季講習のこと聞きに行っただけなのにしつこいの。自宅に来られるのは困るし、予備校に行ったらそのまま捕まって契約しちゃいそう。しょうがないから買い物ついでにここで話を聞くことにしたの。そういう言い訳が簡単に出来る。誰に見られても、無理なく説明出来るでしょ。テーブルの上にもその手のパンフを広げてるから、周囲から余計な詮索をされる心配がない。それに、保険屋のオバさんなんかもよくここでお年寄り相手にビジネストークをしてるんだ。なんら違和感はない。
「昨日は遅くまでごめんね。おじいさんに怒られなかった?」
「大丈夫です。わたしのことより、例の件が……」
「あーあ」
さて。時間がない。さくさく進めよう。
「まず、僕の業務内容をざっと説明しておきます」
「はい!」
「調査業は、まだ明らかになっていないことを調査して、事実関係を確定し、その結果を依頼者に報告するのが仕事です」
「ええと、具体的にはどういうことですかー?」
「例えばね、ダンナが浮気してるかもしれないって疑った奥さんが、僕にダンナの素行調査を依頼したとします」
「はい」
「ダンナが浮気してなければシロ。してればクロ。僕が調査をして奥さんに報告するのは、シロかクロか、それだけなんです。つまり、その後奥さんに、ダンナに対してどういう対抗手段を取ったらいいのかって聞かれても、僕はそれには答えられません」
「あ……ああ、そうかー」
「でしょ? それは弁護士さんなり民間の相談員なり、そういうプロの人たちの仕事。権限もノウハウもない僕には、中途半端に手が出せないの」
まず。探偵は何でも屋でも便利屋でもない。その事実をきちんと認識してもらわないと、俺は動けないんだ。
「そこまで出来るよってうたってる探偵事務所もありますけど、そういうところは間違いなく大手です。弁護士さんと組んで、トータルケアを売りにしてる」
「そっか、中村さん一人じゃ」
「無理無理。しかも独身の若造でしょ? マンパワーも経験もないんだから、絶対に無理」
「うーん……」
「雅恵ちゃんが想定していることが、事実として合ってるか違ってるかを確かめる。僕は、それなら引き受けられます。でも仲裁とかそういうのは無理だわ」
「ううー」
原則から言えば、俺は今回の件は引き受けられない。だけど、別の手があるのさ。
「で、僕からのアドバイスね」
「はい」
「仲裁してくれる人を確保しましょう。お金が絡んでいる以上、最悪法廷闘争になっちゃいます。でも裁判ていうのは、勝っても負けてもカネと時間がかかるだけなの。なんのメリットもない。そんなバカらしいことになる前に、話し合いでさっさとけりつけろってどやせる人が要るの」
「それでほんとに仲直りさせられるんですかー?」
「それ以前に、当事者三人が揃った形での直接のやり取りがまだ一度もないんじゃない?」
「あ、そうかも」
「三人が、誰にも邪魔されずにきちんと自分の言い分を話す場がまずないと。つまり、全員の事実確認をまずしておかないと、仲直りなんか出来ないよ」
「う……ん。そうですね」
「みんなが顔を揃えれば、誰が何を言ったっていうのは公開された事実になるの。みんなの前で口に出した以上、言い逃れが一切出来なくなります。まず、そこからでしょ」
「うー、でもぉ。そんなめんどくさい話し合いに、わざわざ立ち会ってくれる人なんかいるんですかあ?」
泣きそうになる雅恵ちゃん。
「まあ、普通はそうだよね。でも今回の場合はそうじゃないんだ。確実に一人、頼めそうな人がいる」
「えっ? そうなんですか?」
がばっと雅恵ちゃんが立ち上がった。
「その人へのお願いは、僕の方からしてあげてもいいよ。それくらいはサービスするさ」
「わ! 助かります!」
テーブルに頭突きするんじゃないかってくらいに、何度も雅恵ちゃんがお辞儀を繰り返した。
「あの……それって誰ですか?」
「君のおじいちゃんの上司」
「ええー? そんな人いませんよう!」
「うくく。雅恵ちゃんは神社の家系なのに、そこが疎いね」
「は? それって……」
ぴんと来なかったんだろな。まあ、雅恵ちゃんが神社の仕事をしてるってわけじゃないなら、分からないのは仕方ない。
「あのね。禰宜っていうのは、あくまでも神社のサポーターなんです。重要な神事を直接執り行うことは出来ない。それは
「あ……」
「つまり君のおじいさんは、普段は不在の宮司さんから神社の管理や簡易な神事の代行を請け負ってるってことね。例大祭のような大きな祭事には、ちゃんと宮司さんが来るはずだよ。高嶺神社は大きいから」
「そうだー。確かにそうです。その時にはうちにいっぱいお客さんが来ます」
「でしょ? どんなに実務を禰宜が代行していても、神社という組織に属している以上、宮司の裁定は絶対です。それを利用するしかないでしょう」
「なるほどなー。知らなかったー」
それはいいんだ。俺が宮司さんに交渉して、話し合いに立ち会ってもらうのは出来ると思う。問題は別なところにあるんだよな。
「でもね、高嶺神社の宮司さんはそこだけの
「そうかあ」
「それに、高嶺神社の宮司さんは、立場上君のおじいさんの擁護者になっちゃうから、もしおじいさんの判断をあっさり支持したら、他の二人が黙ってないでしょう」
「うう、確かに」
「つまり高嶺神社の宮司さんにこの件を中立の立場で仕切ってもらうためには、お膳立てが要るの。一体何がどうなっているのかを前もって調べて、その情報を宮司さんに渡しておかないとならない。いきなり関係者を集めて事実を話せって言ったら、もっと揉める。水掛け論になる。それには備えておかないとならないよね」
「うん」
「僕が引き受けられるとしたら、その事前調査だけかな」
「なるほどー。事実関係の確認、ですね?」
「そう。それなら出来るよ」
「でもぉ。何を確認するんですか?」
「そこさ」
あらかじめ用意しておいたチェックシートを、雅恵ちゃんに手渡す。俺の手元にも同じものを置く。そこにはいくつかの疑問文が並んでいる。
『Q1 杉田さんは、どういう人物なのか?
Q2 杉田さんは、どのような賽銭箱を作ったのか?
Q3 作られてしまった賽銭箱は、社にすでに設置されているのか?
Q4 おじいさんと杉田さんの間で、すでに直接の接触、衝突があったか?
Q5 杉田さんは、おじいさんがへそを曲げていることをもう知っているのか?
Q6 賽銭箱の価格を決めたのは誰? 宇佐美さん? 大迫さん? 杉田さん?』
「この他にも知っておきたいことはいっぱいあるんだけど、とりあえず、ここの文面にあることくらいは確かめておかないと、仲裁者のセッティングが出来ません」
「はい、でも……」
「うん」
「これって、大迫さんのことがほとんど入ってないんですね」
「ははは。雅恵ちゃん、鋭いね。探偵の素質あるよ」
「ふふっ」
「大迫さん絡みで知りたいことはいっぱいあるんだけど、簡単には調べられないんだよ」
「え? どうしてですか?」
「騒動の原因を作ってるのが、全て大迫さんだからさ」
「あっ!」
ばっとチェックシートをつまみ上げた雅恵ちゃんが、もう一度その文面を見回す。
「でしょ?」
「……はい」
「君のおじいさんに大きなへまがないのであれば、杉田さんか大迫さんがへまをしたってことになる。そして、杉田さんのところは僕らが何も情報を持っていない」
「それがQ1なんですね?」
「そう。まずそこが分からないとどうにもならない。そこは僕が調べる。で、もし杉田さんがシロだったら?」
「うー」
「実際、大迫さんのところがものすごーく不自然なんだよ。そこに食い込まない限りは、何も見えてこない。でも、おじいさんが深く信頼してる大迫さんを、無神経に
「……はい」
「そうしたらQ1を確かめて杉田さんの白黒を決めた上で、おじいさんと杉田さんの周りから事実を固めていくしかないの。大迫さんのところは一番最後。もどかしいんだけどね」
「そっか。すごいなあ。数学の応用問題みたいだあ」
「いや、それよりもずっと難しいよ」
「そうなんですか?」
「数字は嘘をつかないけど、人は隠すし、嘘つくし、感情を取り繕う。白黒なんて、最初っから付けらんないのさ」
「うわ、そうかあ」
「だから、仲直りさせるっていうのは至難の技だよ。おじいちゃんを東大に合格させるより難しいと思う」
雅恵ちゃんが、しゅんとしちゃった。
「でも、難しい問題だからって諦めて解かなかったら、永遠に解けないよ。解く努力はした方がいいよね?」
「はい!」
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