独立直後編 第一話 一号案件

(1)

「来やがったな……」


 午後四時過ぎ。店の前の歩道の奥から、だらしなく制服を着崩した男子高校生の一団が大騒ぎしながら近付いて来るのが見えた。その騒擾を、レジの後ろからうんざり顔で見遣る。

 そろそろクリスマス向けのディスプレイを始めなきゃいけないのに、コンビニの店内にはその気配すらない。まるで、どこかの会社の購買部のような味気ない商品配置と品揃えだ。そんな殺風景な陳列にしているのには理由がある。店内に死角を出来るだけ作らないようにするため、棚の上の方に商品を置かないようにしてる。陳列する商品も、換金性が低くてかさばるものに一時的に変更してある。もちろん、万引き対策だ。


 万引きはどこの世界にもあるが、連中のやらかすのは万引きなんていうかわいいもんじゃない。まるでハイエナだ。何人かグルでやって来て、商品を堂々とビニール袋やショッパーに放り込み、チロルチョコ一個の会計で出て行こうとしやがる。会計を済ませていないものを持ち出すなとどやせば、これは他の店で買ったものだ、いちゃもんを付けるなと凄む。威圧的な態度で店のものをかっぱらえば、それは窃盗じゃなくて強盗だよ。この店に、女性のバイトが一人もいない理由がよーく分かったわ。

 あいつらが来るたびに毎回何千円も損を出していたんじゃ、他の時間帯にいくら稼いでも意味がない。お遊びならともかく、ここに押しかけるあの連中は商売として万引きをやってる。このコンビニが、転売するブツの仕入れ場になっているんだ。たまったもんじゃない。


「ったく」


 本当に、最近のガキどもはめちゃくちゃだ。こっそりならともかく、集団で堂々とやらかすのはやんちゃの域をとうにはみ出している。捕まったところでせいぜい説教で済むと思ってるから、手口がどんどんエスカレートする。店長が警察に被害届を出し、実行犯の何人かが補導されたこともあったらしいが、手下をころころ入れ換えて続行するから埒があかない。もちろん、補償なんてただの一度もしてもらえたことはないそうだ。

 ガキどもも論外だが、それをきちんと指導せずに放置している高校もどうかしてるよ。学校側が毅然とした態度を取らなかったら、ガキどもが図に乗るのなんか当たり前だ。いくら公立の低位校だって言っても、義務教育じゃないんだ。分別のないガキを養殖するくらいなら、とっととそいつらを追い出して欲しいよ。


「店長はまたトイレか……」


 悪ガキどもに完全に標的にされてしまったこのコンビニ。店長の弱気な姿勢が被害に拍車をかけてるんだよ。最近は、この時間帯が近付くとストレスで腹が下るみたいで、トイレから出てこれなくなる。高校の近くにコンビニを作れば、下校時の買い食い高校生をあてに出来ると考えた店長には、もうちっと学生の質を考えてからにしやがれとがっつり説教したい。だが、バイトとして雇われている俺は、そんな偉そうなことを言える立場にはない。せいぜい、万引き防止対策の手伝いをすることくらいしか出来ないんだよな。


 近付いてくるがらの悪い連中の顔ぶれを、ざっとチェックする。


「やっぱりいないか……」


 連中の元締めは、とある議員の高三の息子だ。犯行の仕切りだけで自分は現場に来ない。歩いてくる連中のケツに見張り役の一団が控えてて、そいつらのさらに後に総元締めがいるってことなんだろう。ガキのくせに、いっぱしの組織犯罪だ。もし実行犯から芋づるを手繰られて共犯で捕まったとしても教唆の事実が証明出来なければ微罪。しかも、親が逆ギレして警察にプレッシャーをかけると来たもんだ。息子がやったという証拠があるのかってね。何が議員だ。息子も親もいっぱしのヤクザだよ。あんなのに投票する奴の気が知れんわ。


 ともかく。ここは、ひどい。何の変哲もないコンビニバイトのはずが、とんでもなく劣悪な職場環境だ。普通なら、そんなひどい店でバイトなんかするものか、とっととやめようってことになるんだろう。どっこい、そうは行かない。ここは俺にとっての最適解。そう簡単に手放すわけにはいかないんだ。なにせ、このコンビニは俺のアパートの目と鼻の先にある。通勤の苦労がなくて、出入りの融通が利く。自宅で飯を食ったり、トイレを使ったり出来るからな。売れ残り食品を破格値でゲット出来るのも、貧乏道まっしぐらの俺にとってはとてもありがたい。

 おまけに、バイト連には悪評ふんぷんの店だからライバルがいない。ああいうがらの悪い連中が出入りしている限り、俺の職が誰かに取って代わられることはないわけだ。俺は学生の時に嫌になるほどコンビニバイトをやったから、コンビニのシステムや客扱いの段取りは熟知している。他の連中が嫌がってやらないからと言って、代わりに入っている俺が仕事の手を抜くことはない。最近は、店長もすっかり俺に頼るようになっている。仕事の手際がいいだけじゃなく、俺はがらの悪い連中をまるっきり怖がらないからね。そりゃあそうさ。沖竹にいた頃は、下手すりゃこれもんのヤクザや外国のスパイまで出てくるんだぜ? ここらのガキどもの犯罪ごっこなんか、かわいいもんだよ。そんなのに一々ぶるってたんじゃ、仕事なんか出来やしない。


 ぎいっ。立て付けの悪い店内トイレのドアが開く音がした。やっと出て来たかー。


「う……うう」


 トイレからはなんとか這い出て来たものの、肩をいからせて近付いてくる連中を見て店長ががたがた震えている。俺の制服の袖を引っ張って何か言おうとしてるけど、恐怖のあまりろれつが回っていない。


「な、な、なな、中村くん」

「なんすか?」

「ほ、ほ、ほんとに……大丈夫なのかい?」

「店長が乗り気でないのなら、いつでも止めますよ。この店が潰れるだけっす」

「う……」


 勢いで脱サラして店を始めましたっていう感じの、あまり先読みが出来ない中年の店長さんだ。コンビニにはこういうリスクもあるんだって、考えなかったんだろうか? まあ、いいけどさ。


「店長は家でテレビでも見ててくださいね。絶対にゲンバに来ないでください」

「うう」


 気弱な店長を人質に取られると、こっちが身動き出来なくなるからな。かえって足手まといだ。


「片が付いたら、電話入れますので」

「わ、分かった。じゃあ……頼むね」

「ほい」


 店長が制服を着たまま、裏口からそそくさと店を出て行った。俺はレジカウンターの向こう側に移動し、クソ野郎どもがのこのこと罠にかかるのを待つとしよう。単価的には全然割に合わない仕事だけど、これが中村探偵事務所としての初仕事だ。探し物が真っ先に来るのかと思ったけど、こんな展開になるとはね。ははは。


◇ ◇ ◇


「あれから三か月、か……」


 大見得切って沖竹を辞めたけど、具体的に次にどうするというプランがあったわけじゃない。俺一人なら、身軽だから何とかなると気楽に考えていたんだよな。ところがどっこい。世の中はそんなに甘くなかったね。


 俺一人の生活なら固定電話なんか無用の長物なんだが、事業主となるとそうは行かない。何せ固定電話が引けないと、タウンページに事務所の名前が乗せられん。貧相な宣伝一つかますことが出来ないんだ。携帯一丁でも仕事上の連絡は何の過不足もなく出来るんだけど、携帯は俺が探偵業をやっていることを知らしめる手段には使えないんだ。チラシを配ったり張り紙をしたところで、連絡先が携帯じゃ090金融となんら変わらんからなあ……。俺が街の住人でも、そんな怪しいところには絶対依頼しないだろう。

 無理して今のアパートに固定電話を引いたところで、俺の部屋に依頼人と面談出来るスペースはない。だいたい四畳半一間の家賃月二万の倒壊寸前おんぼろアパートじゃ、俺がメシ食って寝るスペースだけでいっぱいいっぱいなんだ。客なんざ入れないし、入れたこともない。探偵事務所の看板なんか、恥ずかしくてとても出せたもんじゃない。たちの悪い冗談だと思われるのがオチだよ。もっともそんなのは形だけのことで、面談や打ち合わせは外でやりゃあ済むんだけどさ。案件が増えてくれば保存しておかなければならない書類の量も増えるだろうし、事務機器もある程度は必要になる。沖竹ほどごついのは要らないけど、狭い一室でいいからどっかに事務所を確保しないと、どうにもこうにも身動きが取れん。


 事務所だと? あほか。今の二万の家賃と数千円の光熱費ですら、ひいこら言いながらぎりぎりで支払ってんのによ。アパート以外のところに事務所借りて電話引くくらいなら、まるっきり別の堅気の仕事をやる方がずーっと現実的だ。俺は探偵事務所の常設を、まだまだ先のプランとして凍結せざるを得ない。まず、今、きちんと食ってくことが最優先だ。そして、ある程度まとまった資金を貯めていかないと今後が見通せない。手持ち資金が出来るまでは、探偵業を本業には出来ないと割り切るしかない。本末転倒だけど、それが厳しいゲンジツってもんだよな。


「うーん……」


 俺って、そこらへんの危機意識がすっぽり抜け落ちてるんだよなあ。後先考えてないわけじゃないよ。でも一人で地味に出来ればいいやって、妙に楽観的になっちまってる。正直、一人だから出来ることよりは一人じゃどうにもならないことの方がずっと多い。でも、それはヤバいぞっていう切迫感がないんだ。長い貧乏暮らしにすっかり慣れてしまって、生活するのがしんどいっていう感覚が鈍くなってる。仙人化して、思考も行動もすっかりじじくさく、みみっちくなってるっていうのはちょっとなあ。

 一応探偵事務所の事業主なんだから、博打を打ってどこかで派手に花火を上げないと、そもそも顧客が付かない。お客さんがいなければ、探偵業なんてのはただの看板だけ。実際今は、じみじみとバイトで食いつないでるだけの痩せっぽちフリーターだよ。ははは……。いやいや、しょーもない自虐ネタをかましてる場合ではなく。一円ケチるためにチラシをチェックしてる場合でもなく。もうちょい大局観に立った将来展望をだな。


「んー」


 ぼろぼろのジーンズの尻ポケットから、ぺっちゃんこの財布を抜く。


「大局観にはとても耐えられない軍資金だよなあ」


 そう。もう少し足元を固めないと、今のままじゃ夢は永遠に夢のままで終わる。とりあえず、中村探偵事務所最初の案件を解決させよう。まず取っ掛かりを作らないと何も始まらない。相手が鼻垂れのガキだろうが、よぼよぼのじいさんだろうが、絶世の美人だろうが、屈強の兵士だろうが、俺の出来る方法で事態を好転させないと、依頼者の信頼が掴めない。まあ、観察、準備期間を長めに取ったから失敗はないと思うが、成否は蓋を開けてみないと分からない。肝を据えるしかないね。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る