(5)

「あいつは。ハジメは。前科もんなんだよ」

「!!!」


 腰が抜けるくらい、びっくりした。


「そ、そんな……でも、それじゃ、今みたいな商売はとても出来ないんじゃ?」

「んなこたあねえよ。昔の泥つくが、更生後に警備のコンサルやる時代さ。自分の経験や腕を真っ当に使えば、それで構わん。そうだろ?」

「ええ。でも信用第一の調査業で、前科あり……じゃ」

「マエは、紙には残ってねえ」

「は?」

「あいつの前科は、未成年の時だ。詐欺でな」

「詐欺? 冗談! あの朴念仁で冗談の一つも通じない、四角四面のむっつり所長が、ですかあ?」

「おまえのドタマも意外にかてえなあ」


 うう。ブンさんのツッコミは効くなあ。


「あいつの頭の回転の速さを考えてみろ」


 外に出ないことと、頭がいいこと、そして詐欺。……ああ。ああ、そうか。


「ネットか何か……ですか?」

「そうだ。あいつはその道で名を馳せた、悪質なクラッカーだったんだよ」

「クラッカーすか」

「ああ。セキュリティーを破って、他人のIDやパスワードをかっぱらい、そいつの名義でカネをちょろまかす。犯行を誇示するような跡を残さない、恐ろしくスマートなクラッカーだったんだよ。それも十代前半でな」

「げ!!」


 し、信じられ……なくはないな。あの所長だ。そうか……。


「クラッカーとしては図抜けてたが、かっぱらったカネの使い方がガキだった。そいで足が付いたんだよ」


 カネの使い方、か。何に使ったんだろ? 想像出来ないけど、ろくな使い方じゃなかったんだろなあ……。


「凶悪犯罪じゃない。親が金銭的損害を補償した。だから短期の少年院送致で済んだ。だが、あいつの根っこはちっとも変わってねえ。怖くて……しょうがねえんだよ」

「犯罪性向が強いってことすか?」

「それもある」


 それも? じゃあ……他に?


「あいつは……仲間を作れねえ。いつも一人ぼっちなのさ」

「あ」

「だろ? 他の連中とまともなコミュニケーションが取れん」

「でも、それじゃ調査業なんか……」

「出来ねえさ。調査業どころか、軽作業だってまともにこなせねえ。人間として、壊れてる」

「……う」

「だが、壊れてるからって放置すりゃあ、またロクでもないことを考える。あいつにとっては、それが唯一外界と繋がる手段になるからな」

「じゃあ、誰かが所長をガイドしたってことですか?」

「俺だよ」

「え?」


 あまりの衝撃で、頭ン中が真っ白になった。嘘……だろ? でも、ブンさんは俺の反応なんか見もしない。淡々と話を続ける。


「あいつの事件を挙げたのは俺じゃねえ。だが、たまたま補導の後であいつと話す機会があってな。俺があいつを誘ったんだよ。そのアタマの良さ、他で使えよってな」

「うわ」

「ハジメは、人とのやり取りを通して相手の感情を汲み取る能力が極端に低い。その反面、限られた情報の破片から全体像を読み取る能力、そして俯瞰能力が図抜けてるんだよ」

「そうか。その部分をポジティブに活かせば……」

「ってことさ。だが、どうしても最初はサポートが要る。形ぃ作る手助けはしてやらんと、あいつ一人では何も出来ん」

「でも、どうしてブンさんが?」

「懐かれたんだよ」

「!!!」


 し、信じ……られん。


「あいつの感情の希薄さを一番疎んでいたのは親さ。親は、ハジメを薄気味悪いろくでなしとこき下ろしていた。肉親にすら認められなきゃ、他に誰が認める?」

「そうすね……」

「俺は、あいつに力の使い方を考えろって言った。だが、あいつはそれを未だにうまく使えねえ。ぶっこけねえようにするためには、最初は補助輪が要る。そいつは……手伝ってやろうと思ったのさ」

「わざわざ刑事を辞めて……ですか?」

「まあな。元々刑事っていう仕事の限界を感じてた時だった。俺らには挙げた奴の『次』を作れねえ。それぇ出来る仕事をしたいと考えてた。だがな。人の生き方に触るには、そいつと心中する覚悟がいる。俺には一人が限界だよ」

「それが……所長だってことですか」

「そうだ」

「じゃあ、なんで辞めるんですか?」

「あいつがいつまで経っても成長しねえからだよ!」


 苛立ったように、ブンさんがでかい声で怒鳴った。


「人とのやり取りを嫌って、すぐ逃げる。篭る。人の感情に配慮しねえ。寄り添えねえ。それを俺が何万回注意しても、治らねえ。治す気がねえ」

「聞き流しちゃうんですか?」

「違う。最後に、俺に逃げ込んじまうのさ」

「……依存、すか」

「そうだ」


 ビール瓶をがっと鷲掴みにしたブンさんは、中身をコップに注がず、らっぱ飲みにした。


「もう十代のガキじゃねえんだ。いい加減自分の足で立ちやがれ!」


 ブンさんの話で、所長とブンさんがずっと不機嫌だったわけが分かった。


 俺の名古屋出張の直後に、ブンさんが所長に辞表を出した。それで、ブンさんに見捨てられたと感じた所長が荒れた。所長は、ブンさんを必死に引き止めたんだろう。でも、いつまでたってもブンさんへの依存体質が治らない所長に、今度はブンさんがぶち切れたんだ。そうか……。


「でも。辞めた後、どうすんですか?」

「俺か?」

「ええ」

「どうにでもなる。他社で調査員やってもいいし、警備やアドバイザーの仕事も出来る。それよりハジメだ。俺のど突きをまともに受け止められねえようなら、あいつはおしめえだ」


 げー……。


 ブンさんの右手がぐいっと伸びて、俺の胸ぐらが掴まれた。


「操」

「う、うす」

「おまえも、もう辞めようと思ってるだろ?」


 嘘は吐きたくなかった。


「そうすね」

「俺は、それは止められねえ。おまえの人生はおまえのもんだ。誰が指図することも出来ねえ」

「はい」

「だが、ハジメに付いてけねえって言って辞めるのだけは。勘弁してくれ」


 人に絶対に頭を下げないブンさんが、胸ぐらを掴んでいた手を放すと、両手をカウンターについてぐいっと頭を下げた。


「この通りだ」


 自分の人生を懸けて、他人の人生の修正を助ける。ブンさんの、その壮絶な生き方に。俺は……何も言えなくなった。


「……うす」


 下げていた頭をゆっくり戻した後、ブンさんの顔は一層険しくなった。


「そしてな」

「はい」

「おまえも、残念ながらハジメと大して変わんねえな」


 う……。


「仲間がうまく作れねえ一匹狼だ。ハジメほど極端じゃねえが、態度が妙に冷めてて温かみを感じねえ。今日のなんかその典型だ。違うか?」


 認めたくなかったが……それは間違いなく事実だった。俺は、俯くしかなかった。


「ただな。おまえの芯は真っ当なんだよ。おまえがドライなのは、ハジメと違ってポーズだ。ほめられたポーズじゃねえがな」


 これまた図星。そう。俺は冷めてるんじゃない。スネてる。スネてるのを見透かされたくなくて、態度が素っ気なくなってしまう。俺の根っこは……あの豚女と何も変わらない。


「おまえがこの商売を続けるのか、別の商売を探すのか、俺は知らん。だが……」


 ブンさんは、空になったコップにビールをどぼどぼと注いで、俺にそれを突き付けた。


「もし他でも調査員を続けんなら。もっとしっかり自分を磨け。くすむな。曇りを取らんと見えるものも見えんぞ。それは、調査員としては致命傷になる。覚えとけっ!」


◇ ◇ ◇


「ふうっ……」


 安アパートに戻って、ベッドの上に転がる。俺が説教しなければならなかったのに、逆にがっつり説教を食らってどつぼっちまった。本当に情けない。所長の過去は意外だったけど、だからどうのこうのということはない。それよりも……。


「もうブンさんは……いないんだよな」


 所長がずっとブンさんのサポートを受けてきたように。俺もまた、ブンさんに目をかけられ続けてきた。それは、俺がブンさんに気に入られたからじゃない。俺に調査員としての才能があったからでもない。俺が……とんでもなく危なかったからだ。心根が歪んでいて、いろんなことを斜に構えて見てしまう。そういう俺のねじけた部分は、俺がどんな仕事をしても俺の足を引っ張るだろう。

 人の魂胆を疑うところから始まる調査という仕事をする限り、自分の芯を人一倍真っ直ぐにしておかないと、仕事に精通すればするほど根性がどんどんねじ曲がる。ブンさんが、所長や俺の行く末をすごく案じているのは……。根性がねじ曲がった所長や俺が起点になって、不幸が連鎖したり、再生産される恐れがあるから。それに尽きるんだろう。


 望んで不幸になりたいなんて奴は、誰もいない。だが、次々に不幸を呼び込んでしまう原因が己にあることを知らない奴は多い。俺も……そうだったんだろう。そして、病巣はまだ俺の中にある。おまえは汚い。そう説教してくれる人は少ない。俺も所長も、これからは説教してくれる人なんかいないと思わないとならないんだろう。その分、覚悟して自力で備えないと……ならないんだろう。


 ふっと。俺に向かってがみがみ怒鳴り散らしているブンさんの顔が、脳裏に浮かんだ。ああ、そうだよな。さっきの飲み屋のあれ。あれがブンさんの……俺への最後の説教になったんだ。考えてみれば、今日まで俺はブンさんに説教されっぱなしだったな。


『見えるもののもっと向こう側を見ろ』

『真実の黒さ、汚さ、重さから目を逸らすな』

『汚い真実に向き合い続けるために、自分を磨け。くすむな』


「くすむな……か」


 俺が今の稼業を続けるにしても、止めるにしても。今より少しでもマシにしようと努力しなければ、心根が歪んでいる俺はどんどんくすんでいく。それは……いつか俺を内側から壊してしまうだろう。甘美な誘惑に流されて、人生を自らゴミ箱に放り込んでしまったあの男のように。俺は、絶対にそうなりたくない!


 上半身を起こして、何もない壁に正対した。飲み屋では、ブンさんの勢いに飲まれてきちんとお礼が言えなかった。長い間ご指導ありがとうございました。お疲れ様でしたって言えなかった。まず、そういうところから直そう。ぶつくさ文句を言う暇があったら、自分をちょっとずつマシにしていこう。

 俺の向こうには、いつもブンさんがいる。腕を組んで、何やってやがるって苦虫噛み潰したような顔で、俺をぎぎっと睨んでる。そのブンさんにがみがみ説教されないよう、つまんない言い訳をしなくて済むよう、もっと頑張ろう!


「あざあっしたあっ!」



【第三話 説教 了】

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