第7話 10万文字の再会
「こんな綺麗な人にネクタイ結んでもらえるなんて幸せじゃん」
常に先輩面の新卒小娘、松井が言う。
「ここを通してと、あれっ、こっち向きでいいのかな」
サキコがオレの胸元で苦戦する。
「なにそんなに汗かいちゃってるのよ~」
オーランドブルームが横から茶々を入れてくる。
(てめぇらにはわかんねぇ事情なんだよボケ)、心の中で叫ぶ。
サキコはオレを完全に練習台というモノにしている。真剣にネクタイの結び方を習っている。オレの目を見ない。額に汗があふれる。白いYシャツが黄ばむ。ほんの数ミクロ、サキコの手がオレの胸をかすめる。意識を失ってしまいそうだ。確かに今のオレはイタリア人男性を意識して(失敗した)パーマと髭面だ。中学時代は3年間丸坊主だった。でもなんとなくわかるだろうよ、(オレだよ、オレ)、ヨシカワだよ、ヒデキだよ、そう、ヒデだよ!心の中で叫んだ。
サキコの右手が結び目を喉元に「キュッ」と持ち上げようとした瞬間、
「ヒデ?」
「サキコ…」
2人は目を合わせ、声にならない声で同時に発した。
「お知合いなんですか?」
松井が言う。
「ヨシカワくんがこんな綺麗な人と知り合いなわけないでしょ」
オーランドブルームがキャラ通り失礼なこと言う。
幸い店はすでに騒がしいマイクチェックが始まっており、松井とオーランドブルームにはこの吐息のやりとりははっきりと聞こえなかったようだ。オレは《サキコ》と本名を言ってしまったことを瞬時に悔いた。だからといって幼馴染にこの極度の緊張の中、芸名を言えと言われても無理だ。サキコも中学ではオレを《ヨシカワ》と呼び捨てていたのに、反射的に小学生の頃の懐かしい呼び名が出てしまったようだ。
「お上手です~、結び目はそんな感じですね、もうちょっと持ち上げても大丈夫ですよ、他にもわからないことがあったら何でも聞いてくださいね、あっ、ついでにサインもらっていいですか」
AV女優に食いつく女も珍しい。松井はサキコのファンだったのだろうか。
松井がサキコに積極的に話しかけていくのでな、オレはタグが付いたネクタイをしたままさりげなくその場から離れた。
ストックルームに駆け込むと、すぐさまロッカーに行き、ウェットティッシュで脇汗を拭き取り、デオドラントスプレーを腋毛が凍りつく勢いでスプレーしまくった。
鏡越しに長い髪の毛をアップにするサキコの首筋を見た時、小学生の頃、ポニーテールにしているサキコの首に息を吹きかけて驚かせたいたずらを思い出した。
同時に今この身体はファンを虜にする唯一無二の商品なのだなとも感じた。
同郷の大物男優がビデオでしていたようにサキコを抱くシーンを想像した。あり得ない話だが、もしサキコを抱ける時がきたら、それはすべてを失う時なのだろうと思った。
その後、ショーに出演するイタリア人モデルたちが続々と到着し、マッチョな本社の人間含め、ゲイたちは大はしゃぎだった。
「さっきめちゃくちゃ緊張してたでしょ」
振り返るとニヤニヤする松井がいた。勘ぐるのが好きな松井をかわすため、「彼女、AV女優なの知ってたか」
そう切り返した。
「知ってるよ、K・Mちゃんでしょ」
松井は知っていたのだ。このイベントでは下の名前『K』で出演しているサキコのことを。女でありながら出演作の半分は見たようなことを言っている。女の癖にAV見て何やってるのだろうと考えたりもしたが、使い方は自由だ。
ヤクザの組長をパトロンに持つ新卒の小娘、松井弘子は「AV女優だろうがモデルだろうが、私は彼女を女として尊敬している」と言った。イベントで会ったばかりなのにオレを奴隷のようにこき使い、膨大な量のストック捌きを命じ、店頭に出てシャンパンサービスをするチャンスを奪う松井弘子もまた、サキコの自伝を読んでいたのだ。サインをもらったのはオレが持っている文庫本ではなく、初版のハードカバーの方だった。
松井はオレに愚痴をもらしたい時だけバーカウンターに入って来た。客がムカつくやら、お局死ねだとか、店長キモいだとか、オーランドブルーム話長すぎだとか、なんで自分だけこんな目にあわなきゃいけないの、と言った。それを言いたいのはこのオレの方だったが、浴びせられる愚痴の雨に濡れるしかなかった。機嫌が良いと自慢話、パトロンである組長は私といる時だけはかわいい顔して甘えてくるのとか、第2のパトロンにブルガリの18金のアンティークコインのトップをパッソドッピュオのチェーン付きで買ってもらったのとか、でも、バーキンだけは自分で働いたお金で買いたいのと言った。オレを話に付き合わせたいがために煙草をくれて喫煙所に連れていかれたりした。松崎弘子は今まで出会った女の中で一番生意気だが彼女も確かに美人だった。そして彼女が付き合ってきたパトロンたちの話にオレは関心を持ち始めてしまった。金持ちと付き合うことにより、良い気の流れを注入してもらっているのだと松井は言う。その言葉には妙な説得力があって、こうしてあぶく銭たちが何十万、時に何百万のバッグやドレスやスーツやジャケットをあっさり買っていく姿を見ると、汗水たらして働くことがすべてではないような気がした。
「私ってね、要するに綺麗なものが好きなの、このブランドってゲイブランドなのにレディースも超人気でしょ、男も女も関係ないの、美しいことがすべてなの、だからこのブランドに入社できて本当によかった。
男なんてジュエリーで言うと所詮は《トップ》なのよ。女という《チェーン》に付け替えられるだけの飾りなのよ。確かに18金のペンダントトップの方が値段は高いけど、飽きたらすぐに付け替えられるわ。私はそんなトップよりホワイトゴールドとイエローゴールドが交互に散りばめられた”チェーン”の方がよっぽど好き。」と言った。
チェーンは2本もいらねぇだろ、と言いそうになって止めた。イエローゴールド一色だけでなく、ホワイトゴールドとのミックスか。オレには松井が何を言わんとしているかがわかった気がする。ブランドやラグジュアリーの世界も芸能界と一緒、ゲイもいればレズもいる。そしてそれをカミングアウトできることはもはやひとつのステイタスだ、キャラクターとして引け目を感じることはない。私ってこうなの!と言った者勝ちなのだ。
「もしサキ…、じゃなくてK・Mがお前に迫ったらどうする?」
オレはからかうつもりが口を滑らして本名を言うところだった。
「チェーンは絡まるだろうね」
予想通りとはいえ、オレが松井くらいの年齢だったら、そんなカッコいいカミングアウトはできないなと思った。レズビアンか。
「ライバルだね」
「はっ? 何言ってんだよ、オレたちが手の届く存在じゃないだろ」
動揺を隠しきれないオレに松井は何か勘付いたのかもしれない。
優れた感性で斬新なデザインを生み出すファッション業界に性のボーダーラインなどない。常識や既成概念を超えられる者こそが突き抜けた美しさを生み出せる。世界に名を馳せるブランドは多くの人々を様々な場面で巻き込み魅了し、そして快楽をもたらすのだ。ブランドは快楽だ。
もしオレが女でもサキコの美しくエロティックな身体に触れてみたいと思うのだろうか。もし松井がサキコに抱いて、と迫ったら、サキコは何かを教え諭すように抱いてあげるのだろうか。そして何かを注入してあげるのだろうか。
やっとシャンパンサービスに戻れたオレはレズビアンという崇高な行為を、絡まるチェーンに見立てていた。
「ねぇ、ヨッシーの奥さんってどんな人?」
松井はまだ後ろにいた。なぜオレが結婚していることを知っているのだろうか。
「芸能人だと誰に似てるの? Kちゃんより綺麗? そんなわけないか、そういえば奥さんも背高いんでしょ」
どこからそんな情報を仕入れたのだろうか。松井まで妻とサキコを同化させるようなことを言う。迂闊にオーランドブルームにプライベートを喋るんじゃなかった。
「Kちゃん、関取と付き合ってるって噂本当かな、確かめるチャンスだよね」
「コラっ、失礼だぞ、それはやめろよ」
「そんなこと聞くわけないじゃん、バーカ」
なぜかばうのだろうか。なぜ焦るのだろうか。なぜ幼馴染だとさらりと言えないのだろうか。むしろ自慢してやるくらいでいいじゃないか。
「もし彼が関取だったら、どうやってセックスするんだろうね?」
松井はオレと同じことを考えていた。
午後からファッションショーがスタートした。派手な音楽が質の悪いウーハーでズンズンカマされる中、女子アナのようなMCが声を張り上げた。
「言わずと知れたAV女優でモデル、作家としてもご活躍されていらっしゃいます、K・Mさんの登場です!!」
「フォー、フォー」
配膳部隊は盛り上げ役も時給のうちだ。
新作のワンピースを着てサキコは登場した。
「カシャ、カシャ、カシャ」
シャッター音は本当にこんなカシャカシャするのか。
フラッシュの洪水が会場を飲み込む。笑顔で2、3ポーズとり、花道をゆっくりとUターンする。
このブランドのどんなところが好きですか、というベタな質問にベタな答を返すサキコ。
その姿は完全に芸能人だった。
サキコに続いて内臓が2、3個足りないだろうと思わせるイタリア人女性モデルたちが続々と登場した。
ネクタイの練習台になった朝以来、プロレスラーのようなマネージャーのせいで、オレはサキコ、いや、K・Mに話しかけるチャンスはなかった。
きっとオレが出していたファンメールも見ていないのだろう。
それから76時間と45分後だった。イベントが終わってどうやって家に帰ったのかも、本当にイベントが終わったのかも良く憶えていなかった。いつも通り昼間は寝て深夜からストーリーの続きを書こうとして、3日前の夢のような出来事を夢のまま書こうとしてやっぱり書けず、PCを閉じようとした時だった。まさかとは思いつつもメールボックスを見ると、返信が来ていたのだ。
「K・M」から、いや、「サキコ」から、いや、やっぱり、「K・M」からだった。
『ヨシカワ様、
同級生からのメールにはなんて名乗ろうか迷って照れます。
先日は出演させていただいてありがとうございました。
そして心臓が飛び出そうなくらい驚きました。始めはまったく気づかなくて、
妙な既視感だけがありました。
髭とパーマでも目(目の奥?)は変わってないんですね? そんなことより驚いたのが優等生の中の優等生だったヨシカワ君がこんなところでバイトしているなんて、と思いました。きっと地元で学校の先生にでもなってるかなって思って。
さてさて、東京に住んでいるんですね。あたしは同級生とは東京でも地元でも会わない(と言うか、連絡先知らない)のですが……もしご都合が合えば、是非改めてお会いしたいです。
あたしも短編を書いていますよ。掲載媒体は携帯とか、文芸誌とかです。あ、あと新聞のコラムが始まるかな。雑多ですが、小説は今後も書いていきたい分野なんです。
ではでは、今後も連絡取り合っていけたら良いかなと思います。
お互いに素敵な三十路(笑)を迎えましょうね。
M拝』
誰かのいたずらか、いや、正真正銘K・Mからのメールだ。返って来たのだ。メールの返信が来たのだ。このストーリーがどんなに虚構であっても、返信が来たのは事実、ノンフィクションだ。
こうして、よそよそしくも嬉しく、嬉しくも何か後ろめたいやり取りが始まった。K・M=サキコと本当に連絡できる状態になったのだ。
締め切りまであと2週間を切った。
何か書けるだろうか。どうすれば続きを書けるだろうか。
コンペの最低基準、10万文字。
ストーリーは、文字量は、半分に満たない。
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