第2話

『1セットマッチ』というのは、いわゆる団体戦における一人当たりの試合と同じ長さだ。

 つまり本格的な試合の長さで闘うことになる。


 次二郎と入学初日で闘ったときは、『1ゲーム』という長さだった。


 4ポイント先に取ったら1ゲームがもらえるというものだ。1セットはさらに6ゲームを取った方の勝ち、という試合形式である。

 試合が長い、ということは、次二郎の時のような、その場の勢いと流れによるごまかしが効かないということである。

 いや、効く場合があっても、一瞬だけだ。勝利には繋がらない。


 さて……、どうしたものか。


「サーブは王くんでいいよ。急に来たのはワタクシ達だしね」

「あ、ありがとう」


 ぶっちゃけ、こんな左腕じゃあ、サーブ側の優位性なんてゼロなんだけどな。

 サーブは相変わらず下から打つ型だ。一応、アンダーサーブという名前がある。

 通常の……、オーバーヘッドサーブに見られるような、あのカッコイイ振りかぶりも打ち付けるスイングもない。

 威力もない。

 それ以前に入れる必要があるから、アンダーサーブにするしかない。


 そんなサーブを、俺は静かに打った。恥ずかしがるそぶりも見せずに。

 一方の愛仁は、俺のサーブがアンダーサーブという事実に一瞬驚いたように見せ、直後にポジション移動した。

 そう、打った後に移動しても追いつくぐらい遅いのだ。


 さて、そんなアンダーサーブであるが、これでも一応成長はしている。入学初日の物とは大きく違う。

 それは回転だ。


 これは『壁』の練習における副次的な作用と言ってもいい。

 『壁』の練習で、俺は左手の手首を固定することが出来るようになった。


 つまり、手首の『ブレ』が抑えられるようになったのだ。

 もちろん、逆ベクトルの技術であるスナップはまだまだ出来そうにもないし、強いスイングや高い球威を相手には固定も難しい。

 しかし、サーブの為に自分が放ったトス相手なら楽勝だ。


 そうして、固定された手首を用いて、『振り下ろす』ようにアンダーサーブを打つ。

 ポイントはラケットの面を上に向けること。そして、手首のスナップを効かせないこと。


 それにより、ボールは押し出されるように、そして切るように面に当たり、下回転がかかる。

 下回転、つまり『スライス』だ。


 スライスのかかったボールはゆっくりと伸びる球になる。

 ゆっくりと伸びた球は、ゆっくりと高度を落とし、地面と接触する。

 伸びたことにより接触する直前は地面と限りなく平行だ。

 さらに、アンダーサーブはオーバーヘッドサーブに比べ遥かに威力が劣る。


 つまり、このサーブは、ほとんど、弾まない!


 ……ほとんど。


「ほう……」


 僅かに湧いて出ていた自信を蹴散らすほど、愛仁はなんなく捉えた。


 まあ、そりゃそうだろ。

 ちなみに、実際の本格的なアンダーサーブは下回転に加え、横の回転もかかっている。

 軌道としては、『弾まない』というより『転がる』という表現が正しくなる。非常にやっかいな技だ。


 ただ、横回転となると手首の固定だけでは難しい。


 スナップが必要になってくる。

 というか、本来アンダーサーブとはスナップの得意なヤツが使う技だし。

 まあ、ここは妥協で打つしかあるまい。


 この純粋な下回転を。

 まあ、ここまでただ単に、純粋な下回転だと、意外と初めて見る軌道になるんじゃないのか?

 ああ、で、あっさり捉えられたのか。そういえば。

 じゃあ全然思惑どおりにいかないな。


 ……だ、だが、その後はどうする?

 打点は低く、ネットは近い! そんな状況で果たしてマトモな球が打てるかな?

 愛仁の側、つまりレシーブ側の定石としては、愛仁自身もスライスを打って返すことだ。それも短く。

 短い球は短く返しやすい。

 ならば、俺はそう来た時の為に前へ詰める!

 ネットへ走り出す。


「なるほど……」


 この走り始めたタイミングで、こう呟いたのは愛仁だ。


「慣れない左手で、にわかじこみにサーブを打とうとしたら、こうなるのだろうね。いいですよ。正解だ。でもね」


 なんだ? なにをするつもりだ?

 イヤな予感がする。


「こうしてやるよ! うおおおおおおおおおおおおおお!」


 愛仁は体勢を獣のように低くした。

 それだけじゃない。

 全体重を後方に置いている。

 さらに、あのモーションは、スライスとは真逆。すくい上げるフォームへの準備段階。


 バカな! それじゃあ、飛びすぎるか、ただ高く上がるだけだ!

 飛び過ぎたらアウト、高く上がったらチャンス球に。

 これは、いい対処とは言えない。


 その時、愛仁は弾けるように回転した。


 もちろん、全体重を後方下部にかけている状態で、上に向かってスイングしただけなのだが、俺にはそう見えた。ダイナミックな動きだった。


 放たれた球は、一メートル程上昇し、その直後……落ちた!

 正確にはコートへ抉るように潜っていった。

 常識を逸脱した強烈なドライブ回転によって。


 本来、遥か彼方へと飛んでいくハズだった衝撃を受けた球は、ドライブによって進行方向を無理やり下に変更され、遥か彼方へと飛んでいくハズだった相当の勢いで地面に衝突し、のこのこと前に詰めていた俺の頭をゆうに超える高さまで反発。

 そのまま本来のゴールだった遥か彼方まで飛んでいった。



「な……、なんだよ、それ……」



 圧倒的。

 こんな右手の所為で、定石まで持っていくのすら苦労しているのに、そんな定石が意味を成さないほどの圧倒的なパワーで俺を押さえつける愛仁。

 あざ笑うとは、この為にあった言葉のようだ。

 勝てるわけないと思った。思い知った。


 こんなのを打ち続けられたら、絶対に捕れないし、たとえ中途半端に触れたとしても、力の入れづらい左腕じゃあ、差し込まれてしまう。


「何を呆けた顔しているんだい? 君も、数ヶ月前までは、こんなテニスを普通にしていたんだよ?」


 愛仁の言葉で目が覚める。

 ……それもそうか。すごいな、俺。こんなプレイを毎日してたんだな。

 あ、でも、実力でいったら、やっぱり愛仁の方が強いのかな……?

 俺よりも恵まれた体格と身体能力を持っている。さっきのドライブなんてまさにそうだ。だって、現役時代の俺でも、あんなのは出来なかったし。

 よく勝てたな、中学時代の俺。

 ……ん?


「あ!」


 思わず声を上げた。


 クソ! 騙された!

 何が『普通に』だ!

 アイツ、全然こんな技使ったことなかったぞ!

 身長を超える程のバウンドをするストローク、なんて無敵レベルじゃん!

 バンバン使えばいいじゃん! 全国大会決勝で封印する意味、まるでないじゃん!


 かと言って、アイツが劇的に進化したようには見えない。

 天候も普通。風も弱い。実力がそのまま表れる環境だ。


 て、ことはなんだ?

 つまり、俺の球に原因があったってことだろ!


「だー! クッソ!」


 そう考えるとなんとなくわかるぞ。

 要するに、あのレシーブには強烈な上向きの縦回転がかかってるんだろ?

 で、それが、俺の所為だと。


「あー、王君? そろそろサーブを……」

「はーい。すみませーん」


 審判を務める愛仁の執事に怒られちゃった。

 公式試合では、ポイントが決まってからサーブを打つまでに時間制限がある。それを超えると相手にポイントだ。

 だからこその注意であって、この審判は当然のことをしたにすぎない。

 さて、これ以上の熟考は危険だ。

 ルール的にも危険だが、精神的にもおかしくなる。考えがパンクしていく。

 俺は意外と素直にトスを上げた。アンダーサーブだから、言うほど上がってはいないけど。

 ……。もし、俺の仮定が正しくて、俺に原因があるなら、スイングで切るのを抑え回転数を下げるだけだ。


 単純に考えてそうだろう。

 アイツに向かう俺の純粋な下回転がそこそこ強いから、アイツが、純粋な上回転をかけられたに違いない。


 確かに、サーブとしての質は落ちる。

 仮定も全然的外れで、さらに打ち込まれるかもしれない。


 なあに、それでもかまわないさ。

 まだ試合は始まったばかり。それに俺は挑戦者という立場。色々試してナンボってなものだろう。

 俺はスライスのスイングを抑えた、回転数の少ないサーブを打った!


 さあ、今度のサーブは若干下回転はかかってるけど、さっきよりしょぼいぞ!

 どうする?

 俺のゆっくりなサーブは俺に余計な緊張感を煽る。

 そして、そのサーブが愛仁の目の前に辿りついた。

 来る!

 来た!

 愛仁は打つ!

 普通に!

 普通に返してきた!

 ドライブをかけようともしてこなかった! 無駄だとわかったのだ!


 よし! よしよし! 攻略できた! この程度のまやかし、簡単に攻略できたぞ! この腕でも!

 そんな嬉しさ噛み締め、さて、と言って試合に集中する。

 愛仁は冷静に、俺の浅く遅いサーブを普通に打ち返してきた。

 次二郎のようにトドメの一撃ではないから、俺が次二郎にやったようにロブを上げて見たところで、普通に追いつかれてしまった。

 ロブに追いついた愛仁は、そこから、さらに普通に打つ。

 しかし、この、最後の『普通』は、愛仁にとっての『普通』だ。

 愛仁と俺では、今や別世界にいる。実力的に。

 別世界。


 今の俺にとって、愛仁クラスのプレイヤーは、全くの常識が通じない別世界の住人だ。半端な作戦という常識が通用しない世界で生きているのだ。

 そいつが放つ『普通』のショット。浅いサーブに対処するのとはワケが違う、『普通』のショット。


 それが、来る!

 別世界とは言え、衰えていない足腰でなんとか追いつき、衰えていない感覚神経でなんとかボールを捉える!

 そして未熟な左腕で打ち抜く!


「ダメだ!」


 差し込まれる!

 ……ボールというのは、どのスポーツでも共通なのだが、身体の少し前で打つことが理想とされている。


 愛仁の別世界の球威は、俺に理想のポイントでのインパクトをさせてはくれない。

 理想より、少し後ろ。身体の近く。

 力が入らない。

 ただでさえ非力で不安定な左腕でそのポイントでは……。


「んあっ」


 振り抜くことが出来ず、制御もままならない。

 球は、俺のラケットに弾かれた。打たれたのではない。

 そして、そのままどこかへ消えた。


 かなわない。わかっていたことだが。

 たとえ『普通』のショットであっても太刀打ちができないレベルの差がここにあった。

 俺にとって今のアイツのラケットは、暗い未開の森で邪魔な木を切り倒すオノの様であり、片や俺のラケットはゆったりとした空間に敷き詰められた絨毯の上を歩く為のスリッパの様だ。


 スリッパ卓球ならぬスリッパテニスをしている気分だ。相対的には。

 もちろん、ラケットの所為ではなく、腕に原因がある。

 でも差が大きすぎて兵器(ラケット)のレベルで差がある気分になってくるのだ。仕方がないことなのだ。


「っすっごーい! 王ちゃん! 追いついたよ! 触ったよ! あんな速い球に!」


 蛭女が元気に感想を述べている。


「いや……、蛭女、全然だめだったでしょ……」


 本人的に全然凄いと思っていないトコロを褒められると居たたまれない気持ちになるでしょ?

 なんか、世の中にはもっと凄い人がいるのに、この程度で調子こいてて、狭い人間関係と世界観だけでのうのうと生きてるって、他人から思われてそうって感じる、アレ。

 今の俺、そんな感じ。だから、一生懸命、自分を蔑む。


「追いつくのは前から出来てたし、ていうか、それは足の早さとか反応の早さは関係なくて、だいたいの身体とラケットの面の角度から予想してるだけ、要は慣れだし、追いついてもタイミングがズレてて、変な面で捉えてるし、それを押し込むことも出来なくて、しかもちょっとは体重かけてしっかりとスイングしてたのに手首がボールに押し負けてどっか飛んでっちゃったし……クソだったでしょ?」


 そして、俺は愛仁の方へ向き直り、


「こんな試合して楽しいのか!?」


 って叫んだ。


「楽しいね~。それに、こんな実力差があっても、なんとかしてしまうのが、ワタクシの知っている王君だよ。期待が高まる!」

「病気かテメェは!」


 審判台にいる執事が、銃の安全装置を外す。病気呼ばわりが不味かったらしい。

 しかし、本当にヤバイだろ、コイツ。なんでこの状況で俺に期待するんだ?

 ヤメてくれ。

 本当に怖いのは、これで見捨てられた時なんだ。


 なんか、集中が途切れているというか、重圧と不安が混ざった心境のまま、次のサーブを打つ。どうせダメなんだろうな。

 走る。追いつく。動きの鈍い左腕を何とか使って、当てる。なんて強烈なんだ、と思う。振り抜く。

 けど、やっぱりダメで、どこかへ飛んでいってしまう。


 焦るな焦るな焦るな。落ち着け俺。さっきと全く変わってないぞ。

 落ち着け落ち着け俺俺俺。そうだ、思い出せ。上半身を丁寧に使うんだ。

 そうだ。蛭女と一緒に練習したじゃないか。犬になったじゃないか。

 その丁寧な上半身の動きを立った状態でもやるだけじゃないか。そうだそうだ。


 サーブを打つ。……ダメだった。

 1ゲーム終了。

 コートチェンジ。


 何もできなかった。

 これが、後5ゲーム続くのか。地獄だ。

 今までの俺の相手も、こんな気分だったのか。

 しかも、俺はそれに加えて、相手に失礼な目線を送っていた気もする。

 気もする、というのは自覚がないけど、他人に指摘されたことがあるからだ。


 しかし、もし指摘通りに、この状況で蔑むような視線を送られたら、それは耐えられないだろう。

 そりゃあテニスを辞めたくなるってもんだ。


 みんなの、もう諦めてるけど、応援してるっていう目線が痛い。

 辛い。天さんに至っては、俺の成長すら諦めてるし、ああ、もうダメだ。泣きたい。


 キングだった頃の俺は、毎日、他人をこんな目に合わせていたのか? いや、蔑む目線の分、さらに質が悪いのか。

 とんだ暴君だったようだ。

 そんな自分は必要なのか?

 そんな自分は長く続くのか?


 いや、続かなかったじゃないか。

 そうか、俺は間違ってたのか……。

 だったら、いっそ……。


「試合に集中して! 余計な事、考えないで!」


 蛭女だった。蛭女が俺を心配してなのか、悲痛な叫びをあげ、俺を救い出した。思考の闇から。そんな蛭女は眩しかった。


「ありがとう」


 おかげで目が覚めた。それなりに眩しいだけはある。


 俺はまたひとりで無駄なことに考えを巡らせる、というクセを行っていたようだ。

 このクセが行き過ぎると、考えがネジ曲がり幼馴染にぶつけるという事態になるのだ。

 それもいい気になって調子こいて。危ない危ない。

 今はそんな事考えてる場合じゃないんだぞ! 凄嵯乃王!

 例え、それが正しくてもだ。


「ふふ、相変わらずいいコンビだね。さあ、サーブを打つよ? 全力で。手加減は一切しない」

「ふん。やめておけ。全力が打ち砕かれた時ほど打ちひしがれるような悲惨なことはないぞ。

 後から実は手加減してたんです、というのもなしだ」


 目が覚めたついでに挑発でもしておいた。




続く

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