第7話
「さて、今日からもう一つ練習を追加する」
月曜日。天さんがこう切り出した。
心配の種の一つである上半身の動きも、だんだんと左向き用の型に慣れてきた頃だった。
「いいですね。もうこんなリハビリみたいな練習にも飽きてきたところです」
ここ最近の技術練習といえば、跪く例のアレと、下から打つ簡易サーブの練習のみ。
戦える球が打てるとは思えない。
基礎体力面では、自転車に乗った蛭女と楽しくおしゃべりしながらのランニングといったところだ。
「そうだろうな。早い球、打ちたいか?」
天さんが当然のことを聞く。
「そりゃあ、まあ。なんだかんだで球技の醍醐味って速球にあると思いますし。
でも、無理ですよ? 完全には慣れることのない左腕で速球なんて……」
天さんも配慮が足りない人間なのだろうか。
「確かにそうだ。速球とはただ筋肉を膨らましただけでは打つことは出来ない。細かいテクニックによる『衝撃と制御の両立』が必要になってくる」
「じゃ無理ですね。ありがとうございました」
「まちなさい。結論を焦るのは良くないぞ。凄嵯乃に欠けている要素は確かに多く大きい。
そして、そんなものが失われてしまった。……だったら相手から借りればいい、そう思わないかね?」
「……質問の意図が読めません。まさか『カウンター』を使え、と言うんですか? アレこそ技術の結晶の様な技ですよ?」
ここでのカウンターは一般に言われているカウンターと全く変わりない。
相手の攻撃の勢いを利用して攻撃をするという意味だ。
相手の球を完全に見切り、パワー、スイングスピード、面の角度、打球の方向、その他もろもろに気を使って、そうしてようやく打てる球、それがカウンターだ。
左腕がヨボヨボな俺に出来る技ではない。
「いや、そこまでは求めていない。壁打ち、という練習はしたことあるか?」
「はい、好きですよ」
壁に向かって打つ、帰ってきた球を打つ、という一人用の練習方法だ。
「では、君には、その壁を再現してもらう」
「つまり、壁の様に面を合わせて、跳ね返せってことですね!?」
「そうだ」
「なるほど! 確かに、中学の時は、県大会レベルのやつが打つ球より、壁から返ってくる俺の球の方がやっかいでした!」
「……そ、そうだな。多少減速して、魂が抜けた死んだ球にはなるが、……それでも相手の格下程度の球にはなるんだよ。
つまり、相手にとっての格下レベルの球が打てるんだ」
「それは、ボクにとっては飛躍的な進化ですね。あと、球を捉える能力と根気には自信があります。なるほど、コレは今のボクに必要で最適な技術ですね」
「でもさ~、そんなんで意味あるの? ですかぁ?」
と、質問するのは蛭女。
ふむ……。
どう簡潔に短く蛭女に教えられるだろうか。そう思って黙っていると、
「ふふ、でも、真っ当な疑問だと思うよ。『相手にとって格下レベルの球が打てる』なんて表現は弱そうに思えるね」
天さんは親切にも、蛭女に答えようとしてくれた。こういうところに人間性が出るのだと思った。
これがコミュニケーション能力というものなのだろう。
蛭女が細かく頷く。
「ただ、格下レベルって言っても、それでも大抵は人間の走る速度より速く飛ぶんだよ」
「あ」
「だから打つ方向によっては、相手は追いつけないんだ」
そう、一口に『壁』と言っても、その『壁』は相手の球に垂直である必要はない。
ちょっと角度をつけて、反射させれば、かなりキツイところに飛んでいく。
自分の力を一切使うことなく。
「ただし」
俺が付け加える。
一見、蛭女に教える様に言うが、同時に天さんへの確認の意味も込めている。
天さんの認識を確かめるために。
「これは、相手のスキを突く技だ。相手のスキを作る技じゃない」
「うん」
天さんが頷く。
蛭女は何か得心がいったのか、ぱっと明るい顔になってこう言った。
「つまり! 相手より威力のある打球で相手を打ち崩すことは出来ないけど、
万が一にも相手が打ち崩れていたら、その壁を使ってトドメを刺せるってこと?」
「り、理解が早い……! さすがだ、蛭女。ご褒美にオリゴ糖をやろう。はい、あ~ん」
「あ~ん。……ん~!」
蛭女がその甘さに目をぎゅっとつむる。可愛い。
「でもさ~、だったら何で、もっと早くこの練習をしなかったの?」
甘さに悶えながら蛭女は呑気に聞いた。
「あはは、そ、それはね……、ホラ、練習の段階があるというか……」
慌てて、天さんが、取り繕うように説明をしようとした。
取り繕うように。
取り繕う。
過失をごまかし、体裁だけを整える。
「それはね」
俺は、そんな天さんを遮って、蛭女に言った。
「天さんが、俺の成長を諦めたからだよ」
天さんに比べてずっとコミュニケーション能力に乏しい俺は、平気でこんなことが言えるのだ。
日常は続く。
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