エピソード03 「美少女はずっと前から僕を知ってると言った」

言ってみれば、僕の仕事はセールスマンの様な物だ。

納入予定先のエンジニアに久保田精機の製品を売り込む為に、相手からの詳しい質問に技術的に答えるのが僕の役目、一方で価格とか納期とか、そう言った事については、来週営業部の岩城サン(♂)が来て担当してくれる事になっていた。


岩城サンは入社10年目の中堅で、会社でも将来を有望視されている優秀な人材の一人だ。 英語もバリバリに話せるらしい。 ウチの課長の山ノ井サンが僕の様な英語もつたない新人の派遣を許可したのは岩城サンが一緒についていてくれるからだった。



翔五:「みんな、どうしてるかな。」


日本を離れてまだ一週間たらず、ホームシックになるには未だ早いが、かく退屈なのである。


本格的な仕事は来週から始まる。 僕だけ先にこっちに来たのは、岩城サンが急遽日本での大きな会議に出席しなければならなくなって遅れたからで、特に僕が先にやっておかなければならない事が有る訳ではなかった。 まあ、あるとすれば家のインターネットはどうやって契約するとか、近くに買い出しに便利なスーパーは有るかとか、接待に使えそうなレストランを調べておくとか、そんな事くらい。


会社は、映画でよく見る「タワーブリッジ」(僕はこれをロンドンブリッジだとばかり思っていたが、隣に在る本当のロンドンブリッジは何の変哲も無いコンクリートとアスファルトの橋だった)からそう遠く無い所に在るビルの2階。 協力会社「ライラック・オートモティブ・テクノロジー社」の会議室を一つ久保田精機のリエゾンオフィスとして使わせてもらっている。 6人入ればいっぱいになる小さな会議室には、横長の机に電話にノートパソコンが2台、それとテレビ会議用の機械が置かれてあった。



アパートは少し西へ行った先のボンドストリートという街にある「高級アパート」の一室で、何でも久保田精機の役員の知り合いの持ち物を借りているらしい。 幸いな事に電気・ガス・水道・テレビの契約はランドロード(大家=役員の知り合い)が契約しているモノをそのまま使って良い事になっていたが、インターネットが開通しておらず現在苦戦中。 3ベッドルームのリビングダイニングとキッチン付き、風呂&トイレ2カ所(一組は主寝室)という間取りで、僕と岩城サンは此処で暮らす事になっていた。


通勤は地下鉄で、ボンドストリートからリバプールストリートまで「セントラル」という地下鉄の線に乗って一本である。 川中サンに教えてもらった「オイスターカード」(日本で言うスイカ・イコカ)は実に優れもので、ロンドン中「縦横無尽じゅうおうむじん」に張り巡らされた地下鉄網を最安で利用する事が出来た。 今の処通勤にしか使っていないが、その内あちこち出掛けてみるつもりである。






そして、電話が鳴った。


…何でだ?

…どうして此処に人が居る事を知っている?

…やっぱり、英語だよな…、英語の電話って嫌い。 唯でさえ英語判んないのに、受話器越しだと余計に聞き取り難くって何言ってんだかさっぱり判んないんだもん。



それでも、仕方なく、恐る恐る、僕は受話器に手を伸ばす。



翔五:「へ、ろー。」

芽衣:「あっ、デタデタ! よう、元気?」


日本語…

しかもバリバリの大阪弁イントネーション…



翔五:「もしかして、忍ケ丘先輩?」

芽衣:「そうよん、どう、ロンドン生活楽しい?」


翔五:「楽しいか楽しく無いかと聞かれれば、…苦しいです。」

芽衣:「あかんって、人生なんでも前向きに楽しまな、」


僕は、チラッと時計に目をやる。



翔五:「処でそっちって今何時なんです? 確か時差8時間だから、」

芽衣:「うーん、12時(PM)回った処かな、」


翔五:「相変わらず忙しいんですね。」

芽衣:「新型エンジン用の設計図面の納期やからね、皆張り切ってるよ。」


翔五:「いや、主に先輩だけでしょ、前向きなのは。」

芽衣:「そんな事より、ちょっと頼みたい事が有るんやけど。」


翔五:「はい、何でしょう。」


僕はノートを拡げてメモの準備を整える。



芽衣:「キャスのロンドン限定商品ってのが有るんやけど知ってる?」


…ロンドン限定商品?

どうやら、仕事の話では無いらしい、



翔五:「いえ、知りません。」

芽衣:「日本でも通販で買えるんやけど、何処(Web)見ても品切れなんよ。 アンタんとこってキャスの店に近いやんか、買って、送ってくれへん? 送料アンタ持ちで、代金は日本に帰って来た時払うと思うから。」


…うん?ウン?

…何だか、色々理不尽なお願いをサラッとされた感じ?



翔五:「…先ず、キャスって何なんですか?」

芽衣:「アンタ、キャスキッドソンも知らんで生きて来たん?」


翔五:「はあ、オタクなもんで。」

芽衣:「ほんましゃーないな、資料送るから携帯のメアド教え、」


翔五:「携帯…まだ持ってない。」

芽衣:「アンタ何してたん、一週間も、」


…なんでそんなに責められる?

…僕だって、この一週間色々と大変だったんだ!

…主にコミュニケーション的な事だけど。



翔五:「てゆうか先輩、もしかして僕をイギリスのパシリにしようとしてません?」


芽衣:「何言うてんの! アンタ住む場所が変わっただけで、私のパシリである事には「何ら変わりは無い」やんか。」


芽衣:「まさかイギリスに逃げたら 勘弁してもらえるとか思ってたんちゃうやろね。」


僕は新人歓迎コンパの時に無理矢理「酔い潰され」て、一晩中芽衣に「膝枕」で看病してもらった事が有った。 それ以来、僕はこの先輩に頭が上がらない。



翔五:「はあ、済みませんでした。 僕が間違ってました。」


芽衣:「かく、はよう携帯 うて…そやなスマホにし、そしたらフェイスブックとかで連絡取り易いやん。」


翔五:「嫌ですよ、それって村木先輩とか世界中に見られちゃうんでしょ?」


村木先輩とは、僕をおとしいれて「こんな所」に追いやった張本人である。



芽衣:「大丈夫やって! フェイスブックには「グループ」って言う設定が在って、非公開でグループを作ったら、グループの人だけが見られる言う奴が有るんよ。」


翔五:「つまり、僕と先輩が「友達」になるって言う事ですか…、」


僕はSNSと言うモノをやった事が無い。

やっても誰も相手にしてくれないからだ。 つまりそんなモノは「ソーシャル」でも「ネットワーク」でも有りはしない。 要するに自分の「自慢」とか「恥」とかを全世界に「露出」するだけで、しかも何一つ反応してもらえない訳だ。 そんな恐ろしいモノに近づきたいなんて思った事は一度も無い。


それでも、「憧れ」が無かったかと言うとそれは嘘になる。 SNSとはいえども「友達」になると言う事は、つまり自分を「認めて」くれる存在を確かめる事が出来ると言うに他ならないからだ。 現実の僕には「友達」が少ない。



芽衣:「いや、アンタは私のパシリやん。 友達とはちゃうやろ。」


翔五:「…そうですね。 まあ、善処します。」


僕は、震える手でノートに「スマホ」「フェイスブック」と書き入れた。






僕のもう一つの役割は、実際に生活してみて、諸々の厄介ごとをピックアップしておいて、人事部に報告する事だ。 3ヶ月後に人事部の担当者が出張して来て、今後の本格的海外オフィス立ち上げに向けた相談をする事になっていた。


僕は、それ用のノートに「インターネット」と書き入れる。



川中:「ちょっと良いかな。」


基本、会議室のドアは開きっぱなしになっている。 別に中にいる僕が「さぼってない」か監視する為ではなく、空調の所為せいで閉め切ると時々寒いからなのだが。


そう、イギリスは夏でも暑く無い。 今は7月だと言うのに、長袖シャツにジャケットを羽織る格好で外を出歩けるのだ。 それなのに室内は冷房が入っていて、しかもこの壁際の会議室の床から冷気が噴き出しているので 矢鱈やたらにこの会議室は寒いのだ。


と言う訳で、開きっぱなしになっている会議室のドアから、少し遠慮した風に川中サン(命の恩人)が話し掛けて来た。



翔五:「はい、勿論です。」

川中:「どう、少しは慣れたかな、イギリス生活。」


川中サンは歩み寄って来て僕の隣の席に腰掛ける。



翔五:「お陰さまで。」

翔五:「まだちょっと時差ぼけが抜け切らなくてキツいですけど。 後、お腹の具合があんまり良く無くって、こっちってウォシュレット無いからチョット辛いですね。」


時々ヒリヒリするのだ。 …局部が。



川中:「ああ、こっちの水カルシウムが多いからね。 スーパーで売ってるミネラルウォーターを飲む様にしたら、少しはマシかも知れないよ。 私のオススメはヴォルビックだね。」


確かに、ステンレス製のシンクは常に白ズん?でいる。



川中:「ところで、今晩何か予定有る?」

翔五:「いえ、特には、帰りにちょっとスマホでも見て行こうかと思ってたくらいです。」


川中:「来週には岩城サンも到着して、正式な歓迎会はその後でも良いかなって思ってるんだけど、良ければ今晩、軽く飯でも食べに行かないかい?」


翔五:「ああ、それは嬉しいです。 是非お願いします。 色々、使える店も知りたいし。」


川中:「星田君は着いたばっかりで 未だこっちの料理に飽きてないかも知れないけど、日本食でいいかな? スイスコテージに美味い寿司屋があるんだ。」


翔五:「良いですね。 日本食最高です。 こっちの料理は、何というか味が足りないんですよね、薄味というのとは違う…。」


川中:「シンプルで凝ってないからな、塩かければ「そこそこいける味」になるんだけどね。 やっぱり、時々あの繊細な和食の味付けが恋しくなる。」


翔五:「僕なんか5日目にして既にアミノ酸欠乏症ですよ。」







G-Shockのアナログ針は既に午前0時を過ぎていた。

スイスコテージで「特上チラシ寿司」と「純米酒」を頂いて1時間半、その後ピカデリーサーカスの飲み屋で川中サンの「絶唱」を聴いて2時間半、


…なんだかんだ川中サンもストレス溜まってんだよな、



流石にロンドンの目抜き通りはこの時間でも人通りが多い。

若者達が楽しげに集うエロスの像のたもとに「Nissanマークに似た地下鉄の看板」を見つけて、ピカデリーサーカスの駅に通じる地下通路を降る。



川中:「じゃあ、僕こっちだから。」

翔五:「今日は本当に有り難うございました。」


川中:「また来週。」


ベイカールー線に向かう川中サンを見送って、ピカデリー線の「逆方向行き」のホームへ降りて行く。 ボンドストリートへの最終電車はハルバーン(Holborn)の駅でセントラル線に乗り換えなければならないらしい。




流石にこの時間帯の地下鉄に 人気ひとけまばらだ 。


ロンドンの地下鉄は、思っていた以上に小さい…気がする。 両サイドの座席に人が座って お互いに足を伸ばしたら、真ん中通路を人が通り抜けられ無いくらい狭い。 それに天井の角が丸い。 トンネルにぴったり沿うかの様に天井がアーチ上になっているのだ。 英語で地下鉄の事をTube(チューブ:管)とも言うが、まさに言い得て妙…である。


換気の為に開け放たれた連結器側の窓から轟音と共に風が吹き込んで来る。




レセスター・スクエアの駅を過ぎた所で、車両には僕以外に誰もいなくなった。 不意に異様な眠気が僕を誘い。 一瞬車両内の照明が消えて、辺りはセピア色の影に包まれる。



翔五:「飲み過ぎたかな。」


後二駅、乗り過ごしたら 今日はもう、電車が無い。

僕は深く腰をかけて座り直す。



やがて電車は止まり、

音が…消える。




ここは、コベント・ガーデンの駅? の筈。

なのに、扉は開かない。


ロンドンの地下鉄には、扉の開閉用のボタンがついている。

大抵は自動で開閉するのだが、コレくらいの遅い時間になると、もしかすると自分でボタンを押して開閉させなければならないのかも知れない…。


ふと、何気なく 窓の外を見る、



翔五:「駅、じゃ無い?」


電車は、線路の途中で停まっていた。



何かのトラブルだろうか?

セントラル線の乗り換えに間に合わなかったら、どうしようか。



翔五:「ま、良っか。 どうせ明日は土曜日だし。」


それにしても、寝過ごさない様にしなければならない。

自分でも不思議な位、酷い怠さ、それと眠気、…意識を保つのが辛い。


…色々遭ったからな。

…疲れてて当然だよな。


動いている事、息をしている事すら、面倒臭い様な、

まるで、停まった時間の中にいる様な、



翔五:「あ、」


ふと、よだれが垂れて、僕の手の甲を濡らす。

急いで口元を拭う…



そして、

顔を上げて見ると、

確かに、其処に実体のない大きな影が居て、僕の事を覆い被さる様に覗き込んでいた。


悪意も善意も、神聖さも邪悪さも感じない

でも、確実に何か異質なモノが ゆっくりと「実体のない触手」を僕の「胸の中」に潜り込ませる。



翔五:「これは…夢?」



内臓をいじられてる?


服は破れていない、皮膚を切り裂かれた痛みも無い。

なのに、「何かが僕の身体の中に鉤爪を差し入れて…もてあそんでいる」という「確信」だけが其処に在る。







そして、

電車が、動き出す…。

照明が、元に戻る…。


途端に、影は消え失せて、僕の身体に自由が戻る。

どっと、キツい汗が首筋を濡らす。



翔五:「…何だったんだ?」


不吉な幻覚は、どこか身体の不調を象徴しているのだろうか?

自分でも気付かない以上のストレスが…


アリア:「ショウゴ。」



僕は、

名前を呼ばれて、初めて、車両の隅に立っている2人の存在に気がついた。



一人は、

グレーのロングコートに身を包んだ長身の美男子。 痩せた体躯たいくに一切無駄の無い筋肉をまとい、腰までかかる銀の長髪と超絶美麗なルックス。 シルバーの十字架ピアスをしている。


まるで一昔前の少女漫画から抜け出してきたみたいな男である。



そしてもう一人は、

背の頃は130cm、華奢で中性的な肢体。 傷一つ無い端正な小顔は透き通る様に白く、長い睫毛に大きくて深い瞳、ウェーブした艶やかな髪は腰まで届く豊かな長髪、 そして潤った唇。 まるで造り物の様に一点の欠陥も無い美少女。



僕は、この少女を知っている。


…そうか、村木先輩のフェイスブック、




美少女は、ツカツカと僕の下へと歩み寄り…

そのまま僕の胸に抱きついて、顔を埋める。


翔五:「えっ?」



柔らかな少女の身体と、緩やかな金髪のウェイブが僕の身体を包み込む。


アリア:「やっと会えた。」




優しく、力強く、

美少女の小さな身体は、その一切を僕にゆだねて、

確かに「間違いなく僕の事を覚えている」と言っていた…。

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