第13話 真の楽園
「そう言えば、まだ名前も聞いてなかったわね」
満身創痍のショクシュ子に立ちはだかる
「岸…ショクシュ子よ」
「ショクシュ子ねぇ…えらく可愛らしい名前だけど、私を侮辱した罪は償って貰うわよ?」
そう言うと、再び裴多は身構えた。ショクシュ子も同様に臨戦態勢に。
そのショクシュ子の構えを見て、裴多は目を細めた。
「その構え…さっきの私の奥義に対する時もそうだったけど、蛇毒拳の構えに似てるわね?いや、似て非なる構えかしら?てっきり本家を真似た分家かと思ったけど、全くの別物の様ね」
「これは偉大なる父と母によって生み出された最強の格闘技!そんじょそこらの象形拳と一緒にされたら、痛い目にあうわよ!」
圧倒的、不利な状態でありながらも強がるショクシュ子。それは触手に対する絶対的な信頼から来るものであろう。
生まれた時から触手に
「ふんっ。そうやって強がったところで、私に勝てる訳が無いでしょ?どんな格闘技だろうと我が白鶴拳の前では…」
裴多は言葉を止めた。目の前に居るショクシュ子の動きが、並の格闘技の動きでは無かったからだ。
ゆらゆらと蠢くショクシュ子の身体。その動きはまるで…。
「なるほど、触手の動きを取り入れた象形拳、触手拳と言ったところね」
裴多はショクシュ子の見事なまでの触手化に感嘆の声を洩らした。
ショクシュ子の触手は女の子なら誰もが求めてやまない程の、見事なまでの触手。
白鶴拳のトップに君臨する
手加減しては痛い目を見る。裴多の格闘家としての本能が緩みかかった気を引き締め、更なる殺気を身に纏わせた。
そんな裴多に向かってショクシュ子は走り出した。先程は裴多から攻撃を仕掛けたが、今度はショクシュ子の方から仕掛けて行く。
ショクシュ子が裴多と比べて有利なのは、身長差からくるリーチの差。
特に厄介な足技は足の長さを活かして距離を置けば、防ぎきれるのではないだろうか?
そう思ったショクシュ子ではあったが、相手は自分と同じ天才である。リーチの差による不利など重々承知であろう。
距離を置いて闘おうにも恐らくは攻撃を掻い潜り、難なく懐に潜り込むはず。
ショクシュ子の予想通りに裴多はリーチの差を埋める様、小柄な体躯を活かして敵の懐に潜り込む術に長けていた。
下手に距離をとって闘っていたら間違い無く敗北を喫していただろう。
触手拳の使い手であるショクシュ子にとって、最も有利な距離は超至近距離。
そう判断したからこそ、自ら仕掛けて行ったのだ。
裴多に密着出来る程の距離に近づければ、蹴りを繰り出す為に必要な距離を封じることが可能。
両手の触手化で敵の動きを封じる事が不可能ならば、身体を密着させて複数の触手を絡ませればいい。
これならたとえツルツルの肌であろうとも、裴多の動きを完全に封じ込めることが出来るだろう。
そんなショクシュ子の考えを、裴多もまた理解していた。
触手を模した触手拳ならば、打撃や斬撃に特化してるとは思えない。
相手に絡み付く為に、超至近距離で攻めて来ることは容易に想像できた。
そして一度でも触手に囚われたら、触手による「攻め」が「責め」へと変わり、一切の抵抗も虚しく嫐られ続けるであろうとも、想像できた。
お互いに相手の手の内は読めていた。この読み合いを制する者こそ勝者になると、二人は口に出さなくても理解していた。
ダメージを受けているショクシュ子より裴多の方が有利。しかし、たとえ有利であろうとも、一手打ち損じれば立場は逆転して、敗北する事だって十分にあり得るのだ。
迫り来るショクシュ子に対して裴多のとった行動は、確実に勝利するための行動である堅実なる闘い。つまり、裴多が未だかつて破られたことの無い奥義「
ショクシュ子の眼前に広がる双頭の嘴による奥義。鋭く、速く、広範囲と、誰にも破られたことが無いのは必然と言えよう。
だがショクシュ子だって負けてはいられない。この奥義を攻略出来なければ、触手拳が最強では無い事を意味するのだから。
愛する触手の為にも、活路を見い出さなければならない。
そんな使命感にかられたショクシュ子は、
ショクシュ子の狙いは双頭の付け根にある小さな急所。
嘴を掻い潜りながら一本でも触手を打ち込む事が出来れば、戦局を大きく変えることが出来ると考えたからだ。
そんなショクシュ子の動きを見て、裴多は狙いが急所だと判断して若干内股気味に。だが、それこそショクシュ子の本当の狙いだった。
急所を狙われれば防ごうと、内股になる。
内股になれば広範囲の攻撃が窄められる。
攻撃範囲が小さくなれば、受け流して横に回り込むことが可能に。
裴多の動きを読んだショクシュ子は見事、裴多の攻撃を受け流して横に回り込んだ。
一発逆転、ショクシュ子が俄然優位に立ったと思いきや、その動きもまた裴多は読み取っていたのだった。
「奥義!
裴多の右手側に回り込んだショクシュ子であったが、その動きを読んでいた裴多は翼化した両腕と身体を器用に空中にて捻らせ、ショクシュ子に向かって渾身の旋風脚を繰り出したのだ。
未だかつて横に回り込まれたことの無い
横に回り込んだ相手に身体を捻らせて旋風脚をお見舞いする、これこそ奥義「
用意周到なる裴多の奥義は差し詰め小竜巻と言ったところであろう。受け切れないショクシュ子は、再び勢い良く吹き飛ばされるのであった。
読み合いに負け、更なるダメージを負い、勝利への活路を見い出せないショクシュ子。
しかし、敗色濃厚なのは誰が見ても明らかであるにも拘らず、何故かショクシュ子は笑みを浮かべていた。
ショクシュ子の中に生まれて初めて芽生えた感情。それは好敵手との相対。そしてそれを打ち破らんとする想い。
自分では気付かぬウチにショクシュ子は、ライバルと呼べる者との生まれて初めての対峙に、心の底から歓喜していたのであった。
自身の全力を、全身全霊をぶつけるべき相手を見つけたショクシュ子は、触手化した肉体が自分の意思を超えて蠢き出すのを感じとった。
心の何処かで知らず知らずに制御していた、いわゆるリミッター。ショクシュ子の本気の触手は難なくそれを破壊。
手加減を知らない本気の触手が、傷だらけになりながらも笑みを浮かべるショクシュ子と共に、ライバルと認めた裴多へと襲いかかる。
裴多もまた、ショクシュ子の触手の変化に気が付いた。ただ愛に満ち溢れていただけの触手が、禍々しいまでの愛に満ち溢れた触手となったのだ。
気付かない訳が無い。
先程と変わらず、真っ直ぐに裴多に立ち向かうショクシュ子。勝算は勿論ある。
今のショクシュ子の触手ならば、
しかし、相手はライバルと認めた天才格闘少女の裴多である。たとえ打ち破ったところで、無傷で済むわけが無い。
下手をしたら相打ち狙いの特攻をされ、引き分ける可能性だってある。確実なる勝利を掴む為には、正面からやり合うのは避けるべきなのだ。
正面からの攻撃も、横に回り込むのも下策とすると、他の方向から狙うしか無い。
再び
触手化したショクシュ子の両腕が、裴多の双頭の嘴を絡み取る。
勿論、ダメージは完全に殺せず…と思いきや、受け止めたショクシュ子は上体をグニャリと後ろに反らしてブリッジの姿勢となった。
身体全体を使って勢いを相殺。
全身の触手化を成し得た触手拳だからこそ可能とした、完全なるダメージ無効化。
裴多は自らの奥義を完全相殺されたことに驚きを隠せなかった。しかし、驚き以上に焦りを覚えた。
ブリッジをして威力を相殺したショクシュ子。
その体勢から裴多に繰り出される攻撃を先読みすれば、裴多にとっては間違いなく致命傷となるからである。
正面からの攻撃を無効化し、ショクシュ子がとった行動は後方からの攻撃。それも白鶴拳の命とも言うべき、翼化した両腕にである。
ショクシュ子はブリッジから、両足で地面を蹴り、裴多の背中越しから両腕に絡ませた。
白鶴拳が飛翔から無数の蹴り技を放てるのは、空中にて両翼を用いてバランスを取るところにある。
両翼を封じられては白鶴拳の威力は半減する。しかし、それだけではない。
裴多が両腕に巻き付く触手に対応しようと意識を腕に向けた時には、両足をショクシュ子の両腕が完全に絡みつき、裴多の全身には時すでに遅く、ショクシュ子の触手が絡みついた状態となったのだ。
絡み合う二人が地面にゴロゴロと転がり落ち、二人の動きが止まった時には勝敗を決する形がなされていた。
裴多の両腕にはショクシュ子の触手化した足が絡みつき、両足にはショクシュ子の触手化した両腕。
そしてショクシュ子の眼前には、裴多の急所が無防備にもさらけ出されている。
必死で逃げ出そうとする裴多であったが、完全に触手に囚われていては逃げ出すことは不可能。
だが、それでも無駄に足掻く。これから何が起こるか理解しているからこそ、無駄と分かっていても足掻くのだ。
裴多の急所を前に、ショクシュ子は自らの舌を完全なる触手化として奮い勃たせる。
青ざめる裴多。
それを見てもショクシュ子は手加減などする訳が無い。
ライバルと認め、リミッターを解除…いや、破壊した触手である。たとえショクシュ子が止めようとも、ショクシュ子の意思など御構い無しに、触手は望むがままに暴れることであろう。
そして繰り出されるであった…。
中国に来て、その名を轟かせんとする触手拳、初の奥義が!
「奥義!
それは父である岸ベシローが、妻となる益美に対して初めて繰り出した触手拳が奥義である。
しかし、当時は急所への攻撃を認めていなかったが故、お互いに頭は同じ方向を向いていた。
ショクシュ子が繰り出した奥義は、裴多とは頭の位置が上下逆となっている。つまり、舌を触手化させて急所への攻撃に特化した、恐るべき進化型の奥義なのである。
真の力を解放された触手の楽園。急所への攻撃などされたことの無い裴多にとっては、余りにも酷な攻撃と言えよう。
「ピギャルゲラァァァァっ!」
とても女の子の悲鳴とは思えない、歓喜にも似た奇声が日本から遠く離れた中国の地にて、高らかに木霊するのであった。
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