その44 It’s not your fault.

 それから、丸一日が経ちました。


 竹中くんの冥福を祈り。

 水谷さんの冥福を祈り。


 ”ゾンビ”の死骸を焼き。


 その間、私に声をかける人は、一人も現れませんでした。

 まあ、このコミュニティ全体に暗い雰囲気が漂っていたのもありますが。


 とりあえず、みんなが必要としていたことはすでに話したつもりです。

 あとは、ここの人たちが私をどう思うか、でした。



 早朝。

 校庭の花壇で、お墓に捧げるのに良い花がないか吟味していると、


「こらっ!」


 甲高い声で、叱りつけられます。

 見ると、佐々木先生でした。


「ここの花を摘むのは、校則違反だぞ」

「はあ……」


 この人、いつもこんな調子だから、冗談なのか本気なのかわからないんですよねー。

 どうやら先生は、花壇に水をやりにきたところらしく、私の隣に屈み込みます。


「こんな世の中でも、花は変わらんな。気楽に咲きおる」

「ですねぇ。……ここの水やりは、いつも先生が?」

「うむ。この十年間、ずっとだ。そもそも、ここに花を植えようと言い出したのもワタシだ」

「へえ」


 少し、驚きます。

 佐々木先生にそんな一面があるなんて、知りませんでした。


「三年でいなくなる君らより、こいつらの方がよほど長い付き合いだよ」

「へー」


 そんな風に思ってるから、生徒に冷たいんでしょうか、この人。


「……で、その後、どうだ?」

「どうだ、というのは?」

「元気に……使っとるのか。その、あの、不思議な力を」


 なんとも不器用な話題の切り出し方だと思いました。


「使えますよ。――《ファイア》」


 ぽっと、私の人差し指の先に、火が灯ります。


「ほほぉー」


 佐々木先生は、興味深そうにそれを見ました。


「化学の曾我先生が見たら大喜びしそうだが。あいにく休職中だからな」


 あー、いましたね。そんな先生も。


「ところで、……その」

「私は何も知りませんよ」


 機先を制して、私は応えました。

 佐々木先生は顔をしかめます。


「何も、とは?」

「何もかもを。この世界が、なんでこうなったのか。なんで私にこんな力が宿っているのか。なんでこんなにも、私の力が……この世界に適合しているのか。まあ、信じてもらえないかもしれませんが」


 すると、先生はトボけた顔をして、


「……別に、そんなことは聞いとらんのだが」

「じゃあ、何をしにここへ?」


 早朝の花壇に、雀が一羽、舞い降りました。

 ちちち、と鳴きながら、すぐにまた空へと飛び立ちます。


 鳥はいいなあ。

 自由です。

 ……などと、唐突に深窓の令嬢めいたことを考えてみたり。


「ワタシが君に言いたかったのは、たった一言だけなんだが」

「なんです?」


 「たった一言」の割には、ずいぶん長い前置きがあった気がします。


「ワタシが、一番好きな映画の台詞でね。『グッド・ウィル・ハンティング』というんだが」

「『グッド』……?」

「知らんか?」

「映画は、アメコミ系とアニメしか……」


 「これだから最近の若いモンは……」とばかりに、ふん、と、佐々木先生が鼻を鳴らします。


「“It’s not your fault.” 意味はわかるかね?」

「エエト……いのふぇ……?」


 聞くところによると佐々木先生は、ずいぶん長いこと渡米していた時期があるそうで。

 そのせいかは知りませんが、先生の英語ってとてつもなく聞き取りづらいんですよねー。

 こんなだから、この人の授業、すっごくわかりにくかったんですよ。


「この程度もわからんとは。それじゃあ赤点だぞ」

「それで、意味はなんです?」

「“君は悪くない”だ」

「……はあ」


 ずいぶん不器用ですが。

 ひょっとするとこれ、慰められてるんでしょうかね。


「悪くない……って。そんなこと言われましても」

「“君は悪くない”」

「わかってますけど」

「“君は悪くない”。わからんか? “君は悪くない”んだ」

「はあ……」

「これまでに起きたことも。これから起こることもな」


 顔をしかめます。


「それって、どういう……」

「竹中くんに起こったことも。水谷さんに起こったことも」

「…………………」

「外に怪物が溢れていることも。今も、多くの人が死んでいっているのも」

「それは…………」

「お前が責任を負う必要はない。――”君は、悪くない”」

「ん……」


 その時でした。

 私の中の、腹の奥底のよくわからないほど深い部分から、妙な感情が溢れ出てきたのです。


「“君は悪くない”」

「わた、私は……」


「お前が責任を負う必要はない」


「私が、……もっとうまくやっていれば……」

「“君は悪くない”」


「あるいは、別のスキルを選んでいたら。もっと多くの”ゾンビ”を仕留めて、もっとたくさんレベルを上げていれば……竹中くんも、水谷さんも……死なずに済んだかも……」

「全ては、起こるべくして起こったことだ」


「でもでも。……ひょっとしたら、私がここにいることで、怪物どもを呼び寄せてるのかも。ひょっとすると、私がここを去れば、みんなは安全になるのかも……」

「くだらん。そんなものは、憶測が生んだ仮定に過ぎん」

「ふぐぅ……」

「いいかね。そういったことの全ては、お前が背負う必要のないものだ。……言っている意味、わかるか?」


 涙は出ませんでした。

 そういった感情はすでに、枯れ果てていたのです。

 その代わりに、目のあたりをぎゅっと抑えていました。


 佐々木先生が、ぽんと私の肩に手を載せます。


「先生……」

「うむ」


「セクハラですよ」

「何を言う。ワタシァこう見えて、カミさん一筋だ」


 私は、小さく笑いました。

 佐々木先生も、カエルみたいな顔がくしゃくしゃになっています。


「朝食にしよう。みんなが待っとる。――みんなが、だ」

「はい」


 空を見上げると、雀が群れに還っていくところが見えました。


「ところで、――前々から、ずっと聞きたいと思ってたんだが」

「なんです?」

「そーいやお前、なんて名前だったっけ?」


 あー。

 やっぱこの人、ウンコ野郎ですわ。


 苦笑交じりに応えます。


「それは……まあ、ひみつってことで」

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