その350 ナナミと舞以:後編
昨日の朝。
ショッピングモール。
あの、三人の”ゾンビ”を目の当たりにして。
根津ナナミは、電池が切れたように動けなくなっていた。
末位さん、吉武さん、宇目さん。
自分と寝た男は、決まって不幸になる。
そういう非合理的な考えが、熱病のように感じられた瞬間から……。
涙は出なかった。
もとより彼女は、そういう点ではドライだ。親が死んだ時ですら泣かなかった。
だが、それでも……手と足が、棒のように動かなくなって。
そして、よりにもよって隣には左右田舞以がいて。
最初こそ、
「くそっ……酔っ払えるなら、酔っ払いたい気分」
「じゃあ《ハイテンション》使えば?」
「さすがにそんな空気読めないこと、できねーっ」
とか、
「最悪だ……あいつら、みんないいやつだったのに」
「そう思うんなら、特定の誰かに絞ってお付き合いすればよかったじゃん?」
「うるせえっ。あたし、彼氏いるんだよ? それだとマジみたいじゃん」
「うわっ。複数人相手なら逆に不倫じゃないとかいうやつ、……本当にいるんだ……どんびき……」
とか、そういう、無難な会話をしていたように思う。
だが、ふと気がつけば、余計なことまでたっぷり、舞以にぶちまけていた。
決して、誰にも話すつもりはなかったことを。
ここのところ、自分の身の回りで起こっている、ありとあらゆる出来事の詳細を。
別に彼女が、かつての相棒だったからではない。
別に彼女と、”終末”後の最も危険な時期を共に過ごしたからでもない。
きっとそこにいたのが”名無し”でも蘭でも、同じ事をしたと思う。
ヴィヴィアンとしての活動は、やはりどうしても人目をはばかることが多くて。
だから、短期間での出会いと別れが、少し立て続いていた。
そんな中で一人、ずっと一緒にいられると思える人がみつかったのだ。
その人は自分と同じ”プレイヤー”で。
だからこそ、こう思ったのかも知れない。
運命の人だ、と。
彼は自分に似た人生観で、自分に似た生き方を好む男だった。
だから、……そんな彼に甘えていたのだ。
きっとこの人も、自分と同じものを望むだろう、と。
一人で眠ると決まって聞こえてくる、ある夜に浴びせられた言葉がある。
――えー? いや俺、そーいうつもりで付き合ってたつもり、ないんだけど。
――ちょっと待ってくれよ。そーいわれても、すげぇ重荷なんだが。
――ってかお前、子どもはできないようにできたはずだろ?
――それを勝手に……先に裏切ったの、お前じゃん?
もっともな意見だった。
先走っていたのは、自分だけだった。
自分が必要としていた絆を、彼も必要としていると思い込んでいた。
十年もすればナナミは、今の自分を笑って、こういうだろう。
「若かった」と。
▼
そして、現在。
喉の奥に固いものを押し込まれた気分で、ナナミは二の句を告げなくなる。
ようやく口を開いて出たのは、この言葉だった。
「なんで……?」
「ん」
「なんのメリットがあって……?」
「友だちでしょ」
応えられない。
息が詰まる。
と、その時だった。
前方に”ゾンビ”の姿。ナナミたちの行く手を塞ぐ形だ。
どうやらこの当たりには群れに混ざらなかった”ゾンビ”がちらほらいるらしい。
思考のスイッチを切り替え、素早く前を向く。
「やっぱり、一筋縄にはいかないか……っ」
「なるべく、連中を避けて突っ走る。でもたぶんそのうち、原付は捨てることになるとおもう」
「だね。こいつの軽さじゃ、一匹轢けば横転だ」
「だから、残りの行程はマラソンだよ。――ところでナナミってマラソン大会、いつもびりっけつじゃなかった?」
「ビリじゃないわよ、ビリじゃ。……ビリから十番目くらい? 短距離走には自信あるんだけど。持久走向きの筋肉じゃないの」
「あらら。いくらか戦う覚悟をしたほうがいいわね」
「場合によっては、もっぺん《謎系》を……」
「それはなし。ってか、あんなクソ魔法、どーして選んじゃったかなー?」
「クソて」
ナナミが苦笑する。
そういえば、自分の口が悪いのは、そもそも舞以に移されたんだった。
いまではすっかり、イメージが逆転してしまったが……。
――簡単ですよ。
その時また、蘭の言葉が耳元で聞こえた気がした。
確かに彼女の言うとおり、簡単、だったのかもしれない。
生き方とか。
信念とか。
いろいろと、……そーいうめんどくさいことは、全部忘れて。
昔の、――仲が良かったころのように。
「ねえ、舞以」
「ん」
「ちょっとあたしに、考えがあるんだけど」
一つの作戦が浮かんでいる。
すぐ左手には、皇居が広がっていた。
ここに”ゾンビ”たちを誘い込むことができれば……橋は落すことは容易く、堀はかなり深い。
もちろん、完全に封じ込めることは難しいだろうが、北側に抜けて渋谷を目指す場合、かなり長時間にわたる足止めができるはずだ。
「……ふむ」
舞以が、にやりと笑う。
「それ、乗った」
するとどうだろう。
胸の中に温かいものが流れ込んできて、不思議と、勇気が湧き上がってきていた。
たった一人。
友だちに望まれただけで、こんなにも前向きな気持ちになれるなんて。
――生きる。生きて帰る。
ナナミはその時、そう確信している。
もちろん、その躯に宿った、新たな生命と共に。
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