その331 殺すべきもの

――だぁかぁらぁさぁ! なんでこんなことになる前にちゃんと済ませとかなかったのよッ!?


 光音のキンキン声が、ヘルメット内を反響して耳鳴りがする。


「それはその……いろいろ忙しかったし……でも、あるだろ?『このまま我慢できるかな? できないかな? 五分五分だけどまあいいか』、みたいなこと」

――ないわよ!

「俺にはあるんだよ。ずっと立て込んでただろ。ついつい自分のことを後回しにしちまって……」

――ってか美少女にウンコの話をするなっ。

「いや、お前が振ってきたんだろ」


 二人が言い合っている間にも、群れからはぐれた”ゾンビ”の六匹、行く手を塞いだ。

 それらの始末については特に話題にも上がらないまま、新品のハサミで紙を裂くような容易さで”ゾンビ”の頭部が破壊されていく。


――はぁ~あ。ウンコしてたせいで死者が出てなければいいけど……。

「安心しろって。自分でも数えたが、ロスした時間は三十秒ほどだ」

――その三十秒が命取りになることも……って三十秒? あ、あなた、ちゃんと拭いたんでしょうね?

「命には代えられない」

――さ、最低……ッ! ばっちい!

「今さらだろ。そもそも俺たち、こっちにきてからまともに風呂なんか入ってないし」


 無駄口を叩きながら三階を疾走、――さきほど轟音がした場所に到着すると、


「ん? なんだ、あれ」


 異様な光景が繰り広げられていた。

 見慣れたモールの通路が、一軒家のような何かで塞がっているのだ。

 半分倒壊しているその家は、まるで馬鹿な建築家の冗談のように、堂々たる様子でその場に建っている。


――”携帯型マイホーム”か。考えたわね。あれをバリケード代わりにしたんだ。


 よくわからないが、彼女が時々取り出すドラえもんのひみつ道具的なやつの一種らしい。

 一軒家の前には少女が二人、血まみれで倒れていて、ここで行われた戦いの壮絶さを物語っていた。

 なお、こういう時、犬咬蓮爾は遅れた理由を正直に話すことにしている。


「すんません! ちょっとトイレ行ってて遅れましたぁ!」


 場を和ませる冗談のつもりはなかったが、少女のうちダメージがより重篤な方が「ひひひひ」と笑った。


「お願いします! あいつを……殺して!」


 そう、物騒な言葉を叫んだ少女は、――確か、七裂蘭と言ったはず。

 もちろん頼まれるまでもなくそうするつもりだった。

 魔に堕ちた”プレイヤー”は、殺すほかに救済の方法はない。

 彼らを根絶やしにすることこそが”勇者”の目的の一つであり、世界を健全に運営するためには絶対に欠かせない作業なのである。


 バリケード扱いされた”携帯型マイホーム”の玄関扉が、どん、どんと数度叩かれる音がして、――遂に、蹴り破られた。

 その奥から現れた男は、浜田健介。

 ”脱出スイッチ”を使う直前、滑り込みで仲間に加わったこの男は、その眉をくいっと上げて、


『おお、――ッ!? ”勇者”! もう来たのかッ』


 思うに、この男は功を焦りすぎた。

 トドメを急ぐのは自分の能力に自信がない証拠である。

 だからこそ、不意に起こったアクシデントに対応できない。

 犬咬は一切容赦せず、彼の横っ面を”シカンダ”の切っ先で斬りつけた。

 ぱっと花が咲くように健介の頬が裂け、ドス黒い血が飛び散る。


『ぎゃはっ、ひでえ……!』


 浅い。

 できれば、喉を掻ききってやりたかったが。


「光音、”隼の剣”だ!」

――了解!


 眼前のモニターに、『そうび へんこう』。

 そして、


ぶき:”ゆうしゃのつるぎ”→”はやぶさのけん”


 という文字が浮かび上がり、犬咬の持つ剣が変異していく。

 風切り羽を模した鍔に、細身の剣。

 この剣を持つと、通常なら一度だけ剣を振れるだけの刹那に二度は攻撃が可能になるのだ。


『――ぐっ』


 浜田健介が目を見開く。これから始まる残酷ショーの主役は自分だと、ようやく気付いたのだろう。

 そこから先は、子どもが棒きれで殴りつけるようなもの。

 犬咬は、”シカンダ”で四方八方、防御などは考えずに斬りつけた。

 健介はほとんど反撃しない。

 いや、どう反撃すべきか迷っていた、というべきか。

 無理もない。彼の目的はそもそも、”勇者”の保護なのだ。


「死ね! くたばれ! 畜生!」


 剣を持つ指の力に私怨が混ざる。

 一時は、気が変になりそうになったこともあった。

 お陰で、可愛い女の子たちと仲良くなれそうな機会をふいにするハメになって……。


 だが、今はこれっぽっちも怖くない。

 悪を殺せば、善き人が生き残る。

 世の中はいつも、これくらいシンプルであってほしいものである。


 無力な男を十数回ほど、力任せに斬りつけた後。


『はは……は!』


 健介が、人を不安にさせる、歪んだ笑みを浮かべて、


『ひどいなっ。”飢人”の怪我は治らないのに……ッ』

「黙れ!」


 何がおかしい。

 なぜこいつは笑うのか。

 全てが不快でならなかった。


――蓮爾! そいつは、首を刎ねないと死なないよ!

「ああ……」


 全身を汚泥のような血に染めた男の首元目掛けて、今度は渾身の一撃を浴びせようと構え直す。

 とはいえ、その隙を見逃すほど、健介も無策ではなかった。


『………………』


 彼が何やら睨みをきかせると、犬咬の全身が一瞬、燃えるように熱くなる。

 瞬間、”はやぶさのけん”の刀身がどろりと溶けて、使い物にならなくなった。


「……ムッ」


 この男、金属などの電気伝導体に対して電流を流す力を持つらしい。

 とはいえ、コレの対策に関しては、光音とすでに相談済みだ。


「光音、例の……」

――わかってる!


 眼前のモニターに再び、『そうび へんこう』の文字が浮き上がる。

 そして、


ぶき:”はやぶさのけん”→”いしのけん”

あたま:”しろがねのかぶと”→”かわのかぶと”

からだ:”しろがねのよろい”→”かわのよろい”

うで:”しろがねのこて”→”かわのこて”

あし:”しろがねのブーツ”→”かわのブーツ”


 同時に、銀色に輝く鎧が、風通しの良い革の装備へと様変わりした。


『……むっ?』


 さすがに驚きを隠せない健介の開いた口に、犬咬は怒りを込めて、――黒曜石で作られた剣を突き刺す。

 その脳裏には、護れなかった三人の避難民の顔が浮かんでいた。


「喰らえ! しゃぶれっ! この……腐れ外道ッ!」

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