その330 ハイテンション

 顔面の、――左半分に、鉄釘の山が突き刺さる。

 常人であれば意識の消滅をもたらすそのダメージに、根津ナナミはなお、正気を保ち続けていた。


――テンションを……上げて、上げて、上げて、上げて……!


 心の在り方を、限度一杯まで喜色に染めていく。

 《ハイテンション》と呼ばれる”遊び人”固有のスキルは、自身の精神状態を操作することができた。

 これにより、痛みも、苦しみも、将来へのあらゆる不安も消え去って、この世の愉快な側面だけが見えてくる。

 こんな訳のわからない場所で、謎の敵と殺し合いをしていることも。

 自分の判断ミスで負傷した蘭が、傍らで倒れていることも。

 この世の何もかもが、たちの悪い冗談のように思えてきて、世界が金色の煌めきに包まれた。


「ひひひ……はは……」


 これにより、あらゆる苦界の哀しみから解き放たれた根津ナナミは、辛うじて《風船爆弾》の制御を見失わずに済む。

 右手の人差し指を、真っ直ぐ健介に向けて、


「そのクソッタレを……とりかこめ……ッ!」


 意志なき《風船》たちに命令。

 敵は恐らく、こちらの意識を奪えば《風船》の操作を手放すだろうと思っていたようだが、そうはいかない。ここで無力に斃れるわけにはいかない。


『む』


 浜田健介は、意外な粘りを見せる根津ナナミをぼんやりと観て、


『なんてことだ。このままではやられてしまう……とでも言うと思ったのか? ……俺にはこれが、子ども向けの玩具に見えるよ』

「……ッ」


 男が話し終えると、《風船爆弾》は残らず、どろどろに液化した釘により内部から破壊されていった。

 水風船を思わせる弱々しさで爆弾はそれぞれ地に落ち、ぺしゃり、ぺしゃりと廊下を穢していく。


「く、そ……」


 《ハイテンション》によって痛みを無視しているとはいえ、左半身がズタボロに破壊されていることには変わりない。

 ゴム人形のように感覚がなくなった左足が、力なく膝をつく。


 浜田健介が、ゆっくりとした足取りで、こちらに近づいていた。

 その手には、舞以が仲間に渡したはずのハンドガンが握られている。


――……?


 何故? 誰があの銃を? 盗まれたのか?

 いくつかの疑問が浮かんでは消えたが、いま重要なのは一つだけ。

 どうやらあの男、あれを使ってとどめを刺すつもりだ、ということ。


「すまん……舞以……」


 食いしばる歯の隙間からそう言って、向けられる銃口と目を合わせる。

 健介は、至近距離まで近づいてから、慎重に狙いをつけていた。


『”プレイヤー”の骨は頑丈だから、――眼球を正確に撃ち抜かねば死なないんだったな。まったく、厄介なじゃがいもの芽だよ、君らは』


 ここまでか。

 絶対に自分は、――死ねないのに。


 そう思った次の瞬間だった。

 いつの間にか、ナナミの足元まで這いずっていた蘭が、ポケットから何かを取りだして、――


「やらせ……るかッ! このボケェッ!」


 それはどうやら、一軒家のミニチュア、のようなものだった。

 まるで、「将来住むならこんな家」という万人の夢を顕現したようなそれを、七裂蘭が叩き付けるように置く。

 するとどうだろう。模型にしか見えなかったそれが、もの凄い勢いで巨大化し始めたではないか。

 

『――なッ!?』


 完全に油断していた健介は、それに巻き込まれて吹き飛ぶ。

 蘭が作りだした一軒家は、モールの天井を突き破り、周囲の店をも潰して、ちょうど通路をまるごと塞いだ形で固定された。


「これ……ッ」

「”携帯型マイホーム”って実績報酬でッ! それよりはよ、《治癒魔法》を……」


 言いながらも、蘭は自身の身体に《治癒魔法》を使っている。

 だが、ナナミはそれを、ぼんやり眺めているだけで……、


「え、え、え。何してるんです? 覚えてるでしょ、《治癒魔法》」

「いや、あたしはいい。使えないんだ」

「《治癒魔法》を……覚えてない……んですか?」


 蘭は目を丸くして、


「レベル50以上なのに?」

「それもこれも、”遊び人”の特性なんだよ……」


 特殊なジョブは、取得するだけで大きなデメリットをもたらすものが多い。

 ”遊び人”の欠点は、それまでに覚えた魔法が自由に使えなくなる点にあった。


「いいから、あなたは助けを呼びな。この家、別にバリケード用ってわけじゃないんでしょ。すぐ破られるわ」

「あ、あきません!」


 何が空かないんだろうと頭に?マークを浮かべていると、どうやら「いけません」が訛った感じらしい。


「だって、――ナナミさん、お腹に赤ちゃん、いるんでしょ?」

「……む。それ、どこで」

「昨日の朝! ”ゾンビ”騒ぎの後、舞以さんに話してたの、うち、たまたま聞いてしもて……」

「そっか」


 気まずくて、視線を逸らす。

 最悪だった。

 妊婦がやる冗談など、誰も笑わない。

 自分が考えた最高のジョークも、妊婦だというだけで色眼鏡で見られるのだ。

 ちょっぴりゴキブリの生食を試そうとしても、「お腹の子が」なんて。

 吐き気がする。


「ごめんそれ、誰にも言わないでもらえる?」

「え、……ええ」


 蘭は眉を八の字にして、


「でももし、ここでナナミさんが死んじゃったら、ナナミさんはともかく、お腹の子どもは……」

「皆まで言うな。……どーだっていいんだ、そんなことは」


 その時だった。

 バリケード代わりに展開した蘭の一軒家から、どん、どんと二度、衝撃音がしたのは。

 どうやら浜田のやつ、力尽くで壁を破壊してでも、こちらのトドメを刺すつもりらしい。


「うう。さよなら、一人暮らしの夢」

「それはともかく、……どうする?」

「どうもこうも、うちが戦うしか、――……って、ん? あれ?」


 蘭の疑問符につられて振り向くと、通路の反対側から、一人の奇妙な男が駆けていた。

 全身、白銀の鎧を身にまとい、赤いマントを羽織った奇妙な男。

 金属製のブーツが擦れて、がしゃがしゃと耳障りな音が聞こえている。

 一瞬、新手の敵かと思ったその男は、右手をぶんぶんと振りながら、こう叫んだ。


「すんません! ちょっとトイレ行ってて遅れましたぁ!」

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