その312 取引

「こっちに来てからさ。あの娘、変わっちゃったんだ」


 《魔人化》による空中飛行中。

 私の背中でふんわり繭に包まれている舞以さんは、そう呟きました。


「あの子……?」

「ナナミよ。根津ナナミ」

「変わった、というと?」

「あの娘、ちょっと前まではわりと、文学少女だったんだよねー。好きな小説は? って聞かれたら、『一周して人間失格』とか応えちゃうタイプの。文芸誌に私小説を投稿したりして」

「へえ」


 それはちょっと意外ですねえ。


「よく言ってたよ。物作りの本質は、――”真理を追究すること”にあるって」

「へえ。真理とはこりゃまた、難解な」

「だからあの子、いつだって俗悪なモノが嫌いだったな。大衆に迎合するような作品は常に、真理を遠ざける作りになってるから」


 あー。いかにも、芸術系の大学生が口にしそうな台詞ですねー。

 私、喫茶店とかで似たような台詞を耳にしたこと、あります。


「じゃじゃんっ! ここで”名無し”ちゃんに質問。なんで大衆向けの物作りが真理を遠ざけるか、わかる?」

「えっ……いや、その。私には、……ちょっと……」

「答え。――大衆はばかだから。大衆に喜ばれるものは、ばかを肯定するものでなくてはならないから」

「ばか……」


 大衆の一人として私、ちょっぴり落ち込みます。


「私の意見じゃないよ? でもその時のナナミは本気だった」

「そんなナナミさんが、どうして……」

「そりゃ、原因はいろいろあるけど。”王国”のルールがそうさせたのかもね~」

「へえ……」


 そこで私は押し黙り、しばし《魔人化》した身体の操作に意識を集中させました。

 ぶっちゃけこの状況、あんまり脳みそのリソースを会話に割いていられないんです。


「今思えばあいつ、自分のことをよっぽど賢い人間だと思ってたのね。……だから、老若男女問わず知能テストを行って、頭の良い人とそうでない人で活動する場所を分けた方が良い、みたいなことを本気で言う子だった」


 ”ばか”認定された人たちの革命で一瞬にして滅びちゃいそう。その社会。


 ちなみに今、私たちは20メートルほどの高さのビルからビルへと飛び移っていて、電車の車窓に見る空想忍者のように都心部を進んでいます。

 見た目は勇壮ですが、内心はヒヤヒヤ。

 万が一足を滑らせれば、――多分、あっという間に”ゾンビ”たちの餌食となることは間違いなく。

 気持ちとしては、マグマの上を跳ねるマリオのようでした。


 たぶん舞以さん的にも似たような心境でしょうが……彼女、押し殺したような口調で続けます。


「でも、皮肉だよねえ? 学生時代はどっちかっていうと私の方がみんなの注目を集めてたんだ。それをあの娘が”大衆的”だの、”性を売り物にしてる”だのって批判する側で。レオタードのどこがエロいんだっての。ねえ?」


 いや、それはエロいと思いますけど。普通に。


「……ちなみに舞以さん、学生時代は何を?」

「新体操。五歳から始めててね。一応、全日本でトップ10だったんだよ。リボンロープには自信があってさ。リオでやるオリンピックにも出る予定だった」

「え、それマジですか? すごい有名人じゃないですか」

「――まあ、オリンピックなんて、もう二度と開催されないだろうけどね~」


 そう話す彼女はまるで、かつての栄光を懐かしむよう。

 とても十代の健康的な女子がいう台詞ではありません。


「ほんとは、私もあの子も、根っこはずっと、同じ気持ちなんだ。……それなのに……なんでこーなっちゃったかなー……」


 そこでいったん《魔人化》を解除し、最後の跳躍の前に、休憩をとります。

 私たち、眺めの良いところでもしもしとチョコバーを食べながら、


「元気出してください、舞以さん。きっとまた、平和で仲良くやれる時代が戻ってきますよ」

「うふふふ。どうだろーね? もしその時が来るとしたら、――”名無し”ちゃんみたいに強い人が頑張ったお陰だろーけどね?」

「まあ、善処します」


 そこで舞以さん、思い切り大空に向けて伸びをしました。

 私はそのタイミングで、ずっと気にしていた件を彼女に問いかけることに。


「あの、――舞以さん?」

「ん?」

「舞以さんって、”不死隊”の一員なんですよね」

「そだよ~」

「”不死隊”って、志津川麗華さんの親衛隊だと聞きました。……一度死んじゃったのを、蘇生させられた人たちの集まりだって」

「うん。私は普通に、勧誘組だけどね」


 ああ、やっぱ例外の人もいるんだ。


「それでその、”不死隊”の中に、羽喰彩葉ちゃんって女の子、いません?」

「いるけど?」


 当然のように応える舞以さんに、私はちょっと驚きを隠せません。


「えっ。やっぱりいるんですか、彩葉ちゃん」

「うん」

「元気、してますか?」

「ん? ……うん。もちろん」


 その表情はどこか訝しげで、「なぜ? 今そんな話を?」という感じ。

 私は思いきって、


「彼女に会うことって、できないでしょうか?」


 しかし、それには彼女は、首を横に振りました。


「そりゃダメかな~」

「駄目? な、なんでです?」

「だって、当の本人が会いたがってないみたいだもの」

「彩葉ちゃんが?」

「うん。私だってそんな仲良い訳じゃないけど、それくらいはわかるな」

「そんなぁ……」


 私ひょっとして、何かしたのかな?

 うーん、心当たりがない。

 穴ぼこだらけの記憶が憎らしいぞよ……。


 舞以さん、ぽんぽんぽーんと私の肩を叩いて、


「まあまあ、安心しなよ♪ きっとまた、平和で仲良くやれる時代がくるさ!」

「ううむ……」


 私としてはそれが、”そのうち”ではなく、”いますぐ”であってほしいのですが。

 というのも、――志津川麗華さんとは近々、ほぼ間違いなく敵対する運命にあるという確信があったためです。


「ねえ、舞以さん」

「ん?」

「一つ、あなたを見込んで、取引したいことがあるのです」

「へ?」

「いいですか? それはですね、――」

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