フェイズ3「鏡の国の冒険」
その298 掴めぬ人
次の日。
朝早く、自然に目を覚ました私は、日課の素振りでかるく汗を流した後、冷水のシャワーですっかり身体をぴかぴかにして、再び”ウエスタン・エリア”へと向かいます。
道中では、少女達が今日も、自身の活動を動画に収めているのが見えました。
この光景、――実を言うと、西武池袋線上に住んでいる人にとっては、わりと見慣れたものだったりします。
特に江古田付近には大きめの芸術系大学が存在することも手伝って、この手の自主制作の撮影に出くわすことは、間々ある体験なのでした。
私は、できるだけ彼女たちの撮影の邪魔にならないよう、あえて大通りを避けながら”非現実の王国”を進んでいきます。
夏本番が過ぎつつあるとはいえ、未だ日射しが厳しいアビエニアの少女たちの肌は、すっかり日焼けのため浅黒くなっていました。
今の時期は、”プレイヤー”とそうでない人を見分けるのはとても容易い。
なんでも、《皮膚強化》のスキルを取得している我々は、どれほどキツい日射しの下にいても、決して肌が黒く焼けないのだとか。
ってわけで私たち、スキンケアに気を遣わずとも、シミ・ソバカスとは無縁の生活だったりします。便利。
そんなこんなで一人、スタジオまでの道のりを歩いていると、……ふいに、ゆら、ゆら、と、陽炎の中を歩いている少女と出くわしました。
『おおおおお……お、お、お、お、お、お、………』
彼女は一見、ピエロのコスプレをした人のようにみえて、その顔面には雑に白粉が塗りたくられています。
そしてその目と鼻、口元からは一筋、筆でさっと描いたように、赤いものが垂れていました。
『おぉおおお……おおおおお……』
不思議に見えるのは、その顔つきです。
足取りのおぼつかない彼女は、どうも笑っているようなのでした。
いや、――メイクの微妙な陰影によって、笑っているように見せかけている、とでも言いましょうか。
『ごおおおおおおおおおおおおおおおおおお』
道化師のコスプレをした”ゾンビ”。
その存在の全容を把握して、私はぞっと背筋を凍らせます。
”ゾンビ”に人間っぽい格好をさせるだけで、これほどまでに気色悪く、冒涜的な印象を与えるものか、と。
「こ、これは………っ」
普段の私なら、魔法を使うなり何なりして、さっとそれを始末していたでしょう。
ですが今の私は正直、そのあまりの不気味さに、すっかり戦意を喪失してしまいました。
『おおおおお、お、お………』
幸い、彼女は一般的な”ゾンビ”と同様によたよた歩きのため、ちょっと小走りになるだけで逃れることができそうです。
もちろん、他の被害者を出す訳にはいかないため、完全に”ゾンビ”を振り切るわけにはいきません。
つかず離れず、私と”ゾンビ”による早朝のお散歩が始まりました。
『うううう………う、う、う、う』
「……鬼さん、こちら……」
これが……何者かによる質の悪いイタズラであることは間違いありませんでした。
ですが、その理由が良くわからない。
そんな状況が、十分ほど続いたころでしょうか。
ゆっくりとした歩調で”ウェスタン・エリア”にさしかかったあたりで、
「えへ、へへへへ。へへへへへっ」
という笑い声と共に、ひょいと、一人の女性が現れました。
カメラを抱えた彼女の顔には、見覚えがあります。
確か、ミサイルをぶった切る時にちょっとだけ顔合わせした女の子の一人で……名前は、根津ナナミさん。
ここでの二つ名は、――”笑い姫”と言ったでしょうか。
ナナミさんは、その通称にふさわしい薄ら笑いを浮かべながら、
「へへへへ。いい
「……どういうつもりです?」
「えへへ。ドッキリだよ、ドッキリ。いま、話題の”名無しのJK”さんのビビり顔、いただきました! っつって。へへへ」
「はあ」
マジか。
『水曜日のダ○ンタウン』でもここまでやらんぞ。
「こいつ、――どうだった? いーい感じに気持ち悪く仕上がってるでしょ? あたしら、エゲツナイのには慣れてるから。むしろこーいう、不気味系の方がキクよねぇ?」
私は苦い表情で、今もこちらに向かっている”ゾンビ”を見ます。
「やっぱりあれ、あなたの仕業ですか」
「ええ。……メイクアップに、すごく手間取った。ひひひ」
年上に見える彼女に、私は少しだけ言葉を選ぶことにして、
「さすがに、ああいう真似は……視聴者に嫌われてしまうのでは?」
「ん?」
「”ゾンビ”とはいえ、死者を冒涜すると罰が当たる。……そんな風に感じる人は少なくないと思うんです」
「アッハハハハハ」
彼女はその、糸のような目をさらに細めて、
「マジになっちゃいけないよ。そーいう、冗談のわからないやつは無視しときゃいいのさ。私はいつだって、最高に楽しいことだけをやる」
果たしてそうでしょうか。
もし私が”ゾンビ”になるとして、死後、こんな風に身体を弄ばれていると知ったらやはり、いい気はしません。
同じように思う人、私の他にもたくさんいるんじゃないかな。
……とはいえ、年下の女に指摘されたとして、彼女のようなタイプの人が、素直に言うことを聞くとも思えませんでした。
私はそれ以上の余計な忠告は止めにして、
「では、――これ以上用がないのであれば、これで」
「ちょいちょいちょーい! ……へへへっ。用ならあるよ! 今のシーンは、ただの前座! 動画でいうと冒頭の、掴みのトコロだからねー!」
「……ふむ」
そういえば、明日香さんと綴里さんから、彼女ともコラボ企画をやると聞いた覚えが。
……うーん、気がすすまないなあ。
「うへへへ。あたしの企画はね、――『異世界探検してみた』っていうやつなんだ」
「異世界?」
「うん。……”ゾンビ”の”無限湧き”のゲートは知ってるよね?」
「ええ」
「そこに入り込んで、向こう側の世界を探検しようっていうのよ」
「それは、――正直、興味ありますけど。危険はないのですか?」
「危険はそりゃ、いっぱいいっぱいだよ? でも、”名無し”ちゃんくらいのレベルなら、大丈夫じゃないかな」
まあ確かに、襲われるとしても”ゾンビ”なら、”魔力切れ”を起こさない限り平気でしょうし。
「では、その日取りは……」
と、そう訊ねかけた、その時でした。
『かはぁあああああああああああああああああああああああああああッ!』
ピエロの仮装をさせられた”ゾンビ”の少女が、その顔面に笑みを張り付けたまま、私たちに飛びかかってきたのは。
「おっと、あぶな……っ」
そう言って、身を引きかけます。
「だいじょうぶだいじょうぶ」
刹那、ナナミさんはポケットから一枚の風呂敷を取りだしたかと思うと、この世から”ゾンビ”を跡形もなく消して見せたのでした。
それこそ、マジック・ショーみたいに。
「大事なコラボ相手だ。傷つけやしないよ。ひひひ」
「……いま、何を……?」
「手品さ。ただの手品」
手品。……の、わけがありません。
今のは恐らく、なんらかのスキルか、魔法でしょう。
彼女の手の中には、お人形よりも小さくなった何かが、もごもごと暴れています。
「明日朝の八時に、ニャッキーの家集合で。準備はこっちで済ませとくから、――そっちはご飯はたっぷり食べて……あと、暇つぶし用の小説なんかも用意しとくといい、かも。ひひひ」
「はあ……」
「それじゃ、オッケーってことで。明日は、そーいう段取りで進めるからね」
「了解しました」
「ではでは、また明日~♪」
「ええ。また明日」
そう言ってナナミさんは風呂敷をポケットに詰め、その場をふらふらと立ち去ってしまいます。
そんな彼女を見て、――私は素直に、こう思いました。
掴めない人だな、と。
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