その171  良い子悪い子

『ヴぉおおおおおおおおおおおおおおお』

『……おお……おおおおおお……っ』

『おおおおおおおおおおおおおおあああ……………っ』


 列をなす”ゾンビ”の群れを前にして、アキラは後悔していた。


――たすけて……たすけて、ヒーローの兄ちゃん!


 強く念じる。だが助けは現れない。当然だ。自分は悪い子なのだから。

 悪い子は救われない。

 悪い子は怪物にとって喰われる。

 悪い子は、……生きている価値がない。


 彼が犬咬いぬがみと呼ばれる青年と別れてから、数日ほど経過していた。


『身勝手に動くんじゃない! そういう迂闊うかつさが仲間を危険にさらすんだぞ!』


 それが、記憶の中の青年の、最後の言葉。


 知ったことか、と、思っていた。

 自分はもう、子供じゃないんだから、とも。

 実を言うと最近、ヒデオとアカリが妙に親しくなっていたこともすこし気に入らなかった。


 色々なことが心のもやもやとなって。

 そして、……アキラは家出を決意する。

 自分は一人でも生きていけることを、仲間に証明するために。


 その結果がこれだった。


『ぐおおおおおおおおおお……、お、お、お、お、お……』


 ”ゾンビ”の白濁した目が、年端も行かぬ少年の喉元を睨めつける。

 その口腔からは、ドロドロした血とよだれが、止めどなく流れ出ていた。


――いやだ。かまれて死ぬのはいやだ。


 これまで、多くの人が自らの血に溺れて死んでいくのを見てきている。

 だからこそ、『どうなるか』を想像するのは難しくなかった。


――くるしんで、いたくて、どうしようもなくなって。


 そうしてやがて、あの“歩く死人”の仲間と成り果てる。

 自分が自分でなくなって。

 それが今、とてつもなく恐ろしい。


『おおおごお、ごごごごご…………』


 ”ゾンビ”は今、アキラたちのすぐ目の前で足踏みしていて、こちらまで来られないでいる。

 どうやら、……何かの目に見えない力が働いているらしい。


 だが、感覚的にわかるのだ。

 その、目に見えぬ壁は、……今にも消失しようとしている、と。


――にげなくちゃ、にげなくちゃ、にげなくちゃにげなくちゃ……っ!


 頭では必死でそう考えているのに……、どうしても足が動かなかった。

 まるで身体が、どこかの誰かに乗っ取られてしまっているみたいに。


「ひい……!」「やだあ……もうやだあ……」「ちくしょう。ちっくしょう……」


 どうやら、アキラの周りにいる、たくさんの大人たちもそうらしい。


 実を言うと、少し前からずっとそういう感じなのだ。

 頭の中にもやがかかったような時間が続いていて。

 理由はわからない。

 この土地に迷い込んでしばらく経ってからのことだから、きっとこの場所が悪いのだと思う。


――たすけて、……もうわるいことはしないから……いうこともちゃんときくから……兄ちゃん……。


 その時だった。


「……え?」


 そこから少し離れたところで、耳慣れぬ音が聞こえてくる。

 音は、……「ずん、ずん♪」と、叩きつけるような音をあちこちに垂れ流し、世界を揺らしていた。


 次いで、が接近しているのがわかる。

 きゅるきゅるきゅるきゅるという、金属がものすごい力で擦れるような音。


 あまりのやかましさに、“ゾンビ”の群れも意識をそちらに移したらしい。

 自分たちに背を向ける”ゾンビ”たちの隙間から、こちらへ迫る何かの姿を垣間見る。


「あれって……」


 自分以外の誰かが、悲鳴のような声で叫んだ。


「せんしゃ……、おい、戦車だぞ!」

「たすけがきたの……?」

「自衛隊か? おい! ジエータイが来たぞー!」

「待て待て待て! あの、乗っかってるやつら、とても自衛隊にはみえないぞ!」

「あれは……?」

「子供……いや、どっかの学生、か……?」



 戦車の車体に腰掛けているのは、男子と女子が一人ずつ。

 そのうちの一人、――日比谷康介ひびやこうすけが、忌々しげに呟く。


「しっかし、この曲選んだの誰だ? あんまり好みじゃないんだが」


 応えたのは浅黒い肌の娘で、名を多田理津子ただりつこと言った。


「…………リンタローのバカだったはず」

「俺、洋楽はよくわからないんだよな。特にこういうシャウト系のやつ」

「やかましい方が効果的なんでしょ」

「そりゃそうなんだが」

「それにこの曲、とても縁起がいいのよ」

「縁起?」

「いつだったか、センパイがあなたの家族を救ったことがあったでしょう? あの時、“ゾンビ”どもを引きつけたのが、この曲なの」

「……ああ。なるほどな」


 確かに、効果はてきめんだった。

 大音量に導かれ、この近辺にいる”ゾンビ”たちが、波のようにこちらへ押し寄せてくるのがわかる。

 わざわざこのために舞台用のスピーカーを見つけてきて、戦車に取り付けた甲斐があろうってものだ。


「センパイ、……か。なんだか、ものすごく懐かしい気がする」

「…………だね」


 言って、理津子は頬を染める。

 一日千秋で待ち焦がれた恋人を想うように。


「それにしても、綴里つづりさんも人が悪いよな。連絡取ってたんなら俺たちに教えてくれたって良かったのに」

「…………情報漏れが怖かったんじゃないかな。…………間に入ってくれた連絡役の女性は、ずいぶん慎重な人のようだったから」

「なるほどな」


 ……と。

 そのタイミングで、二人が耳に装着している、小型の無線機に入電。


『はいはいのはーい! 毎度おなじみ、早苗さんだよ! みんなぁー、調子はどうかなぁー?』


 今回の作戦の通信担当、宝浄寺早苗ほうじょうじさなえさんだ。


『予定通りだ。かなりの数を引きつけている』


 最初に応えたのは、康介の父、日比谷紀夫ひびやのりおの声。


『えーっと、あと数分ちょいで接敵するかな』


 凛としたその声は、最近、綴里さんから力を譲り受けたばかりの、沖田凛音おきたりんねさん。


『うおおおおおおおお! 祭りの場所はここだぁあああああああ!』


 無駄にテンションが高いのは、アホの林太郎だろう。


『何人か、我慢できなくなったバカが突っ込んだ。こっちはもう始めるぞぉ』


 ”正しい生き方の会”から駆けつけてくれた、織田信夫おだのぶおさんもいた。

 それに続くように、秋葉原周辺を包囲する形で配置された仲間たちが、次々と応答していく。


『よおし! じゃあ、もう早苗おねーさんから言うことはなし! みんなは揃って生きて帰るし、ここにいる人だって死なせないよ!』


「応!」という声が無線機から重なるように聞こえて。


「戦闘開始……みたいね」


 理津子が、嘆息混じりに言う。


「それにしても、この辺は本当に数が多いな。……土日のアメ横みたいだ」

「…………なあに? …………ひょっとして、びびってる…………?」

「いーや。むしろ、みんなに申し訳ないよ。ひょっとすると俺、今回の作戦で一番安全な場所にいるかもしれないからな」


 康介は、この多田理津子という友人がいかに頼りになるかを知っている。

 ただでさえ運動神経が群を抜いている理津子だが、銃を持った彼女の戦闘力はちょっとしたものだ。

 何せこの娘、一発の弾丸で二匹以上の“ゾンビ”の頭を撃ちぬく。


「……ふうん。ずいぶんおだてるわね」

「事実さ」

「……くそ。そういう見え透いた手管で、あの可愛らしい梨花ちゃんを毒牙に……くそ。地獄に堕ちろ。くそ」


 素直に褒めたはずなのに、怒られるとは。


「言っとくが俺は、梨花とはまだ、何もないからなっ」

「嘘つけ。エッチしようとしたくせに」

「……なっ。……えっ、なにその話、どこで……」


 理津子は応えず、


「話してる暇はなくなった。……いくよ」


 弾けるように、射程距離内に近づいてきた”ゾンビ”の群れへと突撃していく。



 死と怪物を恐れぬ者たちの進撃が始まった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る