その138 ”王”

 男が居る。


 だだっ広いビルの一室に、一人。


 身動ぎ一つせず。

 人形のように。

 枯れかけた大樹のように。

 彼が”玉座”と呼んではばからない、安物のワーキングチェアに座って。


 齢にして六十手前、深く皺が刻まれたその男の頭には、宝石に彩られた王冠が鈍く輝いていた。


――”王”。


 そう呼ばれている男の居室へと足を踏み入れる。

 と、ふいに不愉快な無視が全身を這い回っているかのような悪寒が走った。

 苦楽道笹枝くがみちささえは小さく身震いして、


――観られているな。


 そう思う。


 ”王”には、そういうスキルがあるのだ。

 人の心と身体を、丸裸にしてしまうスキルが。


――お戯れを。


 薄暗い空間を、笹枝は物怖じすることなく進んでいく。


「――”王”」


 そして、堂々たる態度でその男の前に歩み寄り、跪いた。


「――”王”。お伝えせねばならぬことが」


 再び声をかけると、枯れ木のような顔面に、わずかな変化が起こる。

 眠っているように見えた老人の眼が、見開かれたのだ。

 その眼球に白い部分はなく、ただただ、暗黒を思わせる黒だけが広がっている。


「おお、笹枝。よくぞ戻ってきた。わしは嬉しいぞ」


 その瞳が、笹枝の身体を舐めるように観て。


「あれからまた、良い経験を積んだようじゃの」

「ええ。……時間に余裕がある時は、春菜が手伝ってくれていますので」

「良し、良し。――して、伝えねばならぬこととは?」

「“勇者”が死にました」

「ふむ……」


 ”王”は苦々しく嘆息して、


か」

「あの子を責めないでやって下さい。――何やら、凶暴な”プレイヤー”に追われているようなのです」

「しかし、このようなことが続くようでは、いずれこの場所も明るみに出てしまうぞ」

「それに関しては、――”商人”が手を打っています故」

「あやつ、役に立つのか?」

「あの者のスキルはユニークですので。恐らくはご期待に添えるかと」

「なれば良し」


 そこで”王”は、しばらく黙りこむ。

 笹枝は、さっさとここを去ってしまいたかった。

 が、まだ「下がってよい」という言葉を聞いていない。

 まだ何か話すべきことがあるのだろう。


「ところで」


 大方の予想通り、”王”は口を開いた。


「“マスターダンジョン”の件。新たに捕獲した”プレイヤー”がいる、とのことじゃが。……笹枝はどう思う?」

「ご自身の眼で”観”ていたのでは?」

「客観的な意見を聞きたいのだ」

「ふむ……」


 笹枝はしばらく考えこんで、


「“盗賊”と”格闘家”のコンビが良いかと」

「ああ、……あの、男同士でイチャイチャしとるヤツらか」

「ええ、まあ……」

「わしはそれより、”賭博師”と”戦士”の娘たちの方が……」


 笹枝は視線を床に落とした。


――すけべ爺め。


「彼女たちも決して悪くはありませんが、やはりここは男の”プレイヤー”の方が有用かと」

「ふむ……」

「それに、“賭博師”コンビは、かつてないほどに着実に歩を進めています。あるいは、”マスターダンジョン”のクリア者になるやも……」


 その言葉を”王”は、鼻で笑う。


「ありえぬな」

「で、しょうか……」

「“マスターダンジョンあれ”は結局のところ、人を屈服させるために存在しておる。人間というものは、目先の楽には抗えぬようできているのだ」

「………………………」


 否定はできない。

 苦楽道笹枝もまた、“マスターダンジョン”の道半ばにして心折れた身だ。


「彼女たちも、いずれ心折れる、と?」

「まあの。……だが、それでも……わしはあの、”戦士”を気に入っとる。あれなら、良き”勇者”の仲間となるじゃろう」

「確かに。あの者の持つスキルは、かなりのレアモノですからね」

「それに、わりと身体も良い。はよう撫でたいわ」


 ”王”は、自身の言葉に一片の恥ずかしげも感じていない。


「ところで、笹枝」

「は」

「今宵の伽はお主に頼みたいのだが、構わぬか」

「仰せのままに」


 平然としていながらも、笹枝は奥歯を噛み締めていた。

 今話題になった”戦士”と笹枝は、髪型と体格、それに顔つきが少し似ている。

 恐らく今夜、笹枝は、彼女の代用品として扱われるのだろう。


「ふむ、ふむ……良し、良し……」


 ”王”はにやにやと笑って、


「では、――そろそろ”勇者”を蘇生させる。おぬしは下がって良い」

「御意」


 笹枝はそれだけ応えて、”王”に背を向けた。

 その腹の中は、女としての恥辱と、自身に対する不甲斐なさに満ち満ちている。


 部屋の扉に手をかけると、


――きぃ、…………………ん!


 という青色の光が、薄暗い部屋を照らした。

 ”王”が、《蘇生》スキルを起動したのだろう。


「おお“勇者”よ! 死んでしまうとはなにごとだ!」


 老人のしわがれた声。

 対する者は、一言も応えない。


「しかたのないヤツだな。お前にもう一度機会を与えよう……」


 その台詞を断ち切るように、笹枝は扉を閉じた。

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