その76 外道
「こちらです」
訪れたのは、元々この学校のお偉いさんが使っていたと思しき空間。
部屋に通されたのは私だけでした。
「個人的な要件なので」
とのことで、織田さんは仲間はずれ。
私たちは向い合って座る形になります。
ソファに座ると、品のいい女性が二人、お皿に乗ったスナック菓子とおつまみ、それにお酒とジュースを運んできました。
「酒は……イケる口で?」
「いいえ」
素直に応えると、明智さんは頷き、私のコップにりんごジュースを注がせます。
まあ、元より口をつけるつもりはありませんが。
「……ふふ」
明智さんは、少し意味深に笑いました。
「なんです?」
「ずいぶん落ち着いた男だな、と。まるでギャングの親玉を目の前にしているとは思えない」
「いえ。内心どきどきですよ?」
「ふむ。……まあいい」
明智さんは、手元の菓子類を頬張りながら、続けます。
「ここに呼んだのは他でもない。……僕に何か、質問があるのではないかと思ってね」
「質問?」
「そうとも。君はここに来るまでで、多くの情報を耳にしたはずだ。もし誤解があるなら、今のうちに解いておきたい。織田の話だと、君は優秀な殺人鬼のようだから」
「いやー、それほどでも」
褒められた部分だけを拾って、返答しておきます。
不用意な発言は危険だと、本能的に判断しました。
「それでも、言いたいことの一つや二つくらい、あるのだろう?」
「では……」
私は、「特にそのことは大きな問題では無いけど、強いて言うなら……」という感じを装いつつ、応えます。
「女性をさらっているというのは本当ですか?」
明智さんは、さっとウイスキーを飲み干してから、
「もちろん事実だ」
「若い娘も?」
「たまにはな」
「何故?」
先ほどお酌をしてくれた女性がその人達だということはわかっていました。
この部屋のあちこちから、むせ返るほど濃い女性の匂いがします。
「理由は多くある。だが、まず個人的な理由を挙げるなら、――性癖だ。数年前、妻が別の男と寝ているところを目撃してね。それ以来、ただ一人の女性では満足できないのさ」
悪びれずに、その男性は続けました。
「それにこれは、僕自身が規範になって、一夫多妻制を取り戻そうという試みでもある」
「一夫多妻……?」
「と、聞くと、男尊女卑のイメージがまとわりつくが、逆さ。一夫多妻は、厳しい環境下における合理的なルールでもある」
「はあ」
歴史の授業を聞くような心持ちで、私は応えます。
「これは、もうすでにこのコミュニティにおいても起こっていることなのだが。……今後、男の死亡率は、女のそれと比べて何倍にも跳ね上がるだろう。――化物どもとの戦いでね」
明智さんの口調はどこか、預言者じみていました。
「そうした世の中において、従来の一夫一妻制はその実、不利益しか生まない制度なのさ。考えても見ろ、男たちが次々と死んでいく中で、残された女はどうなる? たった一人で子供を育てていくのか? 働き手を失い、ともすれば差別を受けるかもしれぬような社会で?」
自分の性癖に合わせて屁理屈をこねている、……ようには見えませんでした。
彼は、本気でこの世界がそういうふうに変わっていくのだと信じているようです。
「一夫多妻の考え方は、実のところ、女が男に卑属するものじゃない。いま我々が置かれている環境においてはむしろ、男が女に奉仕する制度なのだよ」
「それを……あなたが率先して行っている、と?」
「うん。だが、いきなりみんなの考え方を変える訳にはいかないから、私という前例を今のうちに作っておこうと思ってね。そうすれば、私の考えは次の世代に受け継がれるだろう?」
…………。
……………ふーん。なるほどぉー。
おおっと!
いけませんいけません。
なんか、普通に納得しかけちゃいました。
「いやいや、そういう問題じゃなく。そもそも、人さらいは良くないって話なのです」
「ん? 織田の話だと、君自身、女を一人さらってきたという話だが」
ああ、彩葉ちゃんのことですか。そーいやそういう設定にしてましたね。
「彼女については……ええと、本人の了承を得て同行してもらったのです。無理矢理連れてきたわけじゃありません」
「それなら、我々も同様の手順を踏んでいるよ。自分の手では育てられないという話に限って、保護を申し入れている。その結果、僕の愛人になることも納得しているはずだ」
うう。
うぐぐぐぐぐ。
こ、これは困りました。
こちらを正当化する理屈が思い浮かばないのです。
まさか、力と力のぶつかり合いではなく、舌戦によって打ち負かされるとは。これがコミュ力の差というやつか……。
もっとこう、少年漫画の悪役みたいに、「グヘヘヘヘ! 若い娘大好き! 俺様が一番! みんな死ね死ねぇー! フヒッ!」ってタイプのやつだったらよかったんですが。
「そ、それでも……」
私は、苦し紛れのグルグルパンチのつもりで言います。
「あの、正門のところに晒されていた女の子の”ゾンビ”は……」
すると、明智さんの表情に翳りが生まれました。
「……そうだ。いくら合理的だからといって、全ての人の心まで納得させられるとは限らない。”彼女”が悩んでいることには気づいていたが、それが何かまではわからなかった。その結果、悲劇が生まれたわけだ」
はっきりと苦痛が見て取れる表情。
「君は、“彼女”の関係者ということかな?」
ぽかんと口を開けます。
どういう話の繋がりでそういう風に思われたのか、検討もつかなかったためです。
「あるいは、”彼女”の関係者に頼まれて来た刺客、というところか」
「何を……?」
「航空記念公園の噂は常々聞いている。妙な男を崇めるカルト集団がいる、と。……そんな危険な連中を、我々が監視していないとでも思っていたのかい?」
ええと。
ってことは……その。
「ずっと、バレてたってことです?」
「うん。ただまあ、君が何者で、どういう目的でここに来たかまではよくわからなかった。だから、正直な意見を聞きたかったのさ」
「その割には、刀を取り上げませんでした」
「そりゃあ、ね」
苦笑しながら、彼は上着のポケットから、小型の拳銃を取り出しました。
「一応、念の為にこういう用意はしてある。ただ、ここで大暴れするような馬鹿じゃないことはわかっていた。そうなれば、生きて帰れないからね。そこまでする義理もあるまい?」
「まあ、確かに」
苦笑しながら、応えます。
彼の精神は、驚くほど安定していました。
”臆病者のメガネ”で見ても、
――状態:平静
であることに変わりないほどに。
だから安心していた、という訳じゃありませんが……。
「えっと……ちなみに今後、どういうつもりでいるか、お聞きしてもよろしいですか?」
「別に、何も? ここらで人殺しをしてみせて、非情な男を演じてみるのも悪くないが……実を言うと、君が仲間になってくれる可能性も考えてはいる。既に気づいているだろうが、この世界において、“ゾンビ”どもと戦える人材は貴重だ。命をかける価値のある投資だよ。ちょうど今、僕がしているみたいにね」
「申し訳ありませんが……それはちょっと無理です」
「ふむ? それはなぜ?」
「あなたの言いたいことはわかりました。あなたの考え方も、やり方も、間違ってはいないのかも。……でも、私がそれに与することはありません」
言いながら、慎重に刀をテーブルの上に載せます。
「ただ、もし、誰も傷ついていないという話が本当ならば……」
あなたに害をなすつもりもありません。
そう、言いかけた時でした。
ガチャ、と、奥の扉がゆっくり開いて、一人の少女が私たちの前に現れます。
「みつやさま……?」
「なんだ。勝手に入ってくるなと言ったはずだぞ」
「でも、ゆずさんが行けって……」
「何? ユズが? ……まったく、余計なことを」
瞬間、私の脳裏に蘇った記憶が。
――ここから少し行ったところにいる吉田さんなんかは、まだ小学生の娘を取られたと。
――”安全料”だそうだ。
ぞっと、嫌な予感がしました。
「ええと。あなた、吉田さん?」
「……おねえさん、あたしを知ってるの?」
私は、視線を明智さんに向けます。
「彼女も、――妾の一人ですか?」
「勘違いするな。僕はロリコンじゃない」
苦い顔をしつつ、明智さんは言いました。
「ただ、あらゆるタブーは、今のうちに打ち破っておかなければならないのさ。これからの世代は、若年結婚も多くなるだろうから」
「しかし……」
「なんなら、
瞬間、私の血潮に熱いものが煮えたぎります。
「――……外道め」
呟き。
気がつけば、ソファを思い切り蹴っていて。
明智さんの向ける銃口から、金色の閃光が、――。
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