その59 真っ向勝負

『グル、グルルルァ!』


 例えば。

 崩れて落ちてくるビルを目前にした気持ち、といいますか。

 まず私は、「逃げたい」という本能的な欲求と対峙しなければなりませんでした。


 思うんですけど。

 人間って、自分が死なないためであれば、大抵のことをしても許される気がするんですよね。

 例えば、さっき仲良くなったばかりの、年下の女の子を見捨てる、とか。


 誰も見てないことですし。

 このまま”怪獣”に背を向けても、きっと誰からも責められないでしょう。


 もちろん、そうすることで自分自身に対する良心の呵責から逃れうるかどうかは、別の話で。


「――《鋼鉄の服》」


 スキルを使用しつつ、《エンチャント》した刀を構えます。

 ”怪獣”は、邪魔するもの全てを吹き飛ばす勢いで突進してきました。


『ぐるぉおおおおおおおおおおおおおおお!』


 目にも留まらぬ速度で”怪獣”が右前足を繰り出します。

 私は、それを正確に見切って刀で受け止めました。


 ぎぎいっ! という不快な音が響き、爪と刀が跳ねます。


『ぐるぁっ……?』


 異常な状況でした。明らかに物理法則に反している絵面でした。

 彼我の体積の差は、二倍三倍どころではありません。

 私は、猫を目の前にした子鼠のはずでした。

 その、小さな鼠の牙が、必殺であるはずの猫の爪を弾いた訳です。


 《防御力Ⅳ》の力が働いていることは、疑いようもありませんでした。


 見ると、いまぶつかり合った虎の爪の方がダメージを負っているご様子。

 爪の一部が、どろどろに溶けてしまっています。


 行ける、……可能性が、……、微粒子レベルで存在している……?


 私は一縷の希望にすがって、もう一度刀を構えました。

 ”怪獣”の方も、もはや私を侮る気持ちはなくなったようで、冷静に距離をとります。


「彩葉ちゃん! 起きなさい! 死にたいんですかッ?」


 今のうちにと、彩葉さんに声をかけますが、


「う、ううう、む……」


 彼女の方は、しばらく立ち上がれそうにない感じ。


 ……と。


 一瞬だけでも、隙を見せたのがまずかったのかもしれません。

 ”怪獣”は、その鋭い爪と怪力で、真横にある建物の一部を破壊し、そうしてできた瓦礫の山を、こちらに浴びせかけてきました。


――ねこちゃんの すなかけ!


 なんて、生易しいものではありません。

 例えるならそれは、ショットガンの弾丸。

 雨あられと降り注ぐ土塊は、刀で弾けるレベルを遥かに超えています。


――当たる面積を最小にして波紋防御!


 ……とかできれば、喜んでそうしたところですが。

 今の私にできるのは、それを真っ向から受け止めることだけでした。


「――ぐ、……ぐぐぐ……」


 怒涛の勢いで降り注く瓦礫を受けて、膝をつきます。

 そのまま私は、刀を傍らに取り落としました。

 もちろん、それを見逃す虎の“怪獣”ではありません。


『グルァアアアアアア!』


 ずどんずどんと地鳴りをさせて、虎の”怪獣”が駆けます。

 トドメの爪を、私の脳天に突き刺すためでしょう。

 力尽きた私は、なすすべもなくその一撃を受けざるを得ず、……。


 なんつって。


「――――ッ!」


 バネ仕掛けのように跳ね上がり、私はもう一度刀を掴みます。

 すごいぞ《防御力Ⅳ》。

 やったぜ《鋼鉄の服》。

 本来なら、五度死んでもまだ足りないほどの一撃でしたが、今の私の命を脅かすには、すこしばかり威力が足りなかったようで。


 どうやら”怪獣”どもは、総じて知能が高いようでしたが。


 私の演技力の前に、あっさりと騙されてくれたようです。


 それも無理はありません。

 なにせ私は、中学の頃『タイガー・アンド・バニー』(アニメ)を観て以来……三ヶ月ほど、役者を志したことが、――ある!


 振りかざした炎の刀が、虎の”怪獣”の左前脚をぶった斬ります。


『グ、ガォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!』


 ものすごい絶叫が世界を揺らしました。

 半ばほど刃が入った”怪獣”の脚から、今まで見たことがない量の血液があたりにぶちまけられ、街が紅く染まります。


 当然、手負いのまま逃がす訳にはいきません。容赦する訳にもいきません。

 どのような原因でこんな生き物が生まれたかは知りませんが。


 人を襲う化物は、全て駆逐する必要があるのです。


 怪我に苦しんでいる“怪獣”の後ろ足に回りこんだ私は、人間で言うところのアキレス腱に当たる場所(ネコ科の生き物にそういう場所があるかは知りませんが)を斬り裂きます。

 ものすごい獣臭さと、血の匂いが鼻につきました。

 すでに私のジャージは、元からの色で赤いのか、”怪獣”の返り血で赤いのかよくわからないような有様になっていました。


 私は、ぞっとするほど一本一本が固く棘々しい”怪獣”の毛を掴み、その背中に飛び乗ります。

 あれだけ大きく、山のように思えた”怪獣”ですが。

 もはや、奴の命は、私の手のひらの中にありました。


『ぐるるるるるるるる! ぐるるるるるるるッ!』


 背に乗ると、最後の抵抗として”怪獣”が身をよじります。

 いいですねえ。

 命乞いをされるより、よほど殺しやすい。


 しかし、この最後の抵抗は、少なくとも時間稼ぎにはなりそうでした。

 波のようにうねる”怪獣”の背中で、私は必死に捕まります。

 なにせ、片手は刀で塞がっているので。

 この状況で止めを刺すのは、少し難儀でした。


 その時。


「――《爆裂・百裂拳》!」


 ずどどどどどどどど!


 ”怪獣”の頭のあたりから、彩葉ちゃんの声が。

 同時に、暴れる”怪獣”の動きが鈍ります。


「いまだ! ねーちゃん!」


 おうよ。

 私は、“怪獣”の背中を全力で駆けて、頭部へとたどり着きました。

 後頭部目掛けて、《エンチャント》した刀を突き付け、――


「死ね! 化物め、死ね!」


 自分の中にある、ありったけの暴力衝動をぶつけます。


 ずぐ、と、私の刀が頭蓋を突き抜けて、脳に達した感触がしました。


 私の手のひらの内で、一個の巨大な命が喪われていく実感がします。


 さらば、虎の”怪獣”よ。


 願わくば。

 お前の命に、安らぎのあらんことを。


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