その54 羽喰彩葉

 羽喰彩葉はくいいろはは、正義のヒーローになりたかった。


 実際、世界が終末を迎えてからというもの、ずっと世のため人のために戦い続けてきている。

 少なくともこれまで、自分が正しいと信じたことだけをしてきた。


 ”ゾンビ”は、これっぽっちも恐ろしくなかった。

 あれは、ただただ悪いものだ。

 悪者に容赦をするヒーローなど、彩葉は聞いたことがない。

 ただ、連中を殺す時、少し匂いが鼻につくことだけが難点だったが。


 目に付く人は片っ端から助け、安全地帯(練馬にあるスーパーマーケット)へと案内する。

 それだけの一ヶ月間だった。

 充実していた。たくさんの人に感謝された。

 彼女の人生において、かつてないできごとだった。


 そして。


 結局。


 彼女が行ってきた努力の大半は、無駄に終わる結末となった。


 救助した人の中に、ちょっと変わった考え方のおじさんが居て。

 彼は、みんなで”ゾンビ”になることが”正しいこと”だと信じていた。

 おじさんの手でスーパーマーケットの扉が開け放たれたことに気づいたのは、物資調達に遠出した、次の日のことだった。


 彩葉が戻った時、彼女が必死の思いで確保した安全地帯は、“ゾンビ”の巣と化していた。


 救助したみんなは、散り散りになってしまったようだった。


 彼らが今、どこでどうしているかはわからない。

 ただ、その多くが”ゾンビ”の餌食となったことだけは確かだった。


 そして、一昨日のこと。

 ぼんやりした頭で街を歩いていると、一人の女性に声をかけられる。

 彼女は、見るからにぼろぼろの服を身にまとっていて、助けを求めていた。

 ”とある女”の元から、命からがら逃げ出してきたのだと言っていた。

 ”とある女”の名前はわからない。

 ただ、赤いジャージを身にまとい、不思議な力を操るという。


 すぐにピンときた。

 そいつは、自分と同じ、“力”を与えられたものだ、と。


 話によると、“とある女”は、ここからしばらく行ったところにある“雅ヶ丘高校”の女王として君臨し、避難してきた人を奴隷のように扱っているという。

 話を聞くに連れ、一時は空虚なまでに鎮火していた彩葉の心に、ふつふつと怒りの炎が燃え上がってきた。


 自分たちに与えられた“力”は、誰かを救うための、神様の贈り物だ。

 決して、弱者を虐げるために使って良いものではない。


 気づいた頃には、彩葉は駆け出していた。

 それは、喉の渇きを満たす行為に似ていた。

 一度、全てを失った彼女には、目標が必要だったのだ。



 赤ジャージ女を見つけたのは、ついさきほど。

 彼女の姿は思ったより簡単に見つかった。

 死人彷徨うこの世界において、生者の姿はよく目立つ。

 女は雑貨屋の屋上で、なんかものすごい数のカセットコンロでお湯を沸かしているところだった。


 何をしてるのかと思って観察していると、なんとその女、すっぽんぽんになって風呂に入り始めたのである。


(正気じゃない……)


 そう思った。

 こんな、誰が見ているかもわからない状況下で。

 お風呂を。


 ごくり、と、喉を鳴らす。


 彩葉もまた、暖かい湯船には飢えていたのである。


「むーっ……」


 ゆるせん。

 なんかしらんけど、あいつのトボけた顔を見てると、すっごくムカムカする。


 本当は、襲撃は明日の朝にするつもりだった。

 少し話してみるべきだと思っていた。

 だが、構うものか。

 寝込みを襲って、やっつけてやる。



 そして、現在。


(なんか。……なーんかおかしい)


 羽喰彩葉は表情をしかめながら、その雑貨屋をふらついている。


 聞いた話と違う、と思った。

 あの、名も知れぬピカニャン着ぐるみパジャマ女は、聞くところによるともっとこう……少年漫画の悪役的なやつだと聞いていたのに。


 少なくとも奴は、一方的に攻撃を加えた自分を、「殺したくない」と言った。


 その意味するところはわからない。”あの女”なりの目論見があるのかも。

 こっちを油断させる作戦、とか。


 なんにせよ、一度ぼこぼこにしてやる必要があった。

 ”雅ヶ丘高校”とやらに連れ帰って、いじめていたみんなにごめんなさいをさせる必要があった。


 身構えながら、彼女は追加の《雷系魔法Ⅲ》を唱える。

 この魔法は、自分の周囲十数メートルに存在する電気製品全てに、十分な電力を供給する魔法だ。攻撃に使うことはできないが、すこぶる便利である。

 特に、建物の中に隠れた悪党を追う時などに。


「――!」


 見つけた。

 ”あの女”は、どういうわけか刀を床に置き、こちらを真っ直ぐに見据えている。

 もちろん、考える前に攻撃していた。

 武器を持たずとも、自分達には魔法がある。何か狙いがあるのかもしれない。


「喰らえ! ――《餓狼連撃》!」


 《餓狼連撃》とは、《格闘技術》から派生するスキルで、《必殺技Ⅰ》とも言う。

 彩葉もよくわからない、謎のエネルギーで強化した拳を連続で叩き込む技で、対”ゾンビ”であればまさしく”必殺”の技だ。

 だが。


「――なッ!」


 異様な出来事が起こっていた。

 たしかに、今放った《必殺技》は会心の一撃だったはず。

 だが、目の前にいるピカニャン着ぐるみ女は、平然としてその場に立っていた。


「くっくっくっく。努力値ぼうぎょガン振り個体値厳選わんぱくピカニャンの堅さを見よ」

「なんだおめー! な、なにした!」


 これまでで、自分の攻撃が通用しないことなど、一度もなかった。

 あってはならないことだと思った。

 もし今の一撃を受けたのが”ゾンビ”なら、ばらばらになって吹き飛んでもおかしくなかったはずなのだ。


 女は、親指をぐっと立てながら、


「百回殴ると言いましたね。……いいでしょう。どうぞ、百回殴ってください」


 何言ってんだこいつ。マゾか?


「ただし! 百回殴られても私が立っていたら! ちゃんと話を聞いてもらいます!」

「………ッ!」


 ぞっと、背筋が凍る思いがした。

 やっぱりこの女、どうかしてる。


「さあ、来なさい! でも! できれば顔は避けていただきたい!」


 わけがわからなかった。

 ただ、わけがわからないなりに、こちらにも意地がある。


 殺すつもりはないが……それでも。


 こいつに、ありったけをぶち込んでやりたい。


「――いったなー! このー!」


 怒涛のラッシュが始まった。


 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10。

 111213141516じゅうななじゅうはちじゅうくにじゅう。


「く、くそっ。……なんでだ。なんで……」

「ふはははは。痛くも痒くもありません」


 そう言う女の笑みは、ちょっとだけ引きつっているように見える。

 効かないはずはない。それは間違いなかった。

 ただでさえ、スキル《鉄拳》の力で、彼女の拳は鉄よりも硬いはずなのだ。


「なら……これは、どうだ! ――《波動撃》!」


 《必殺技Ⅱ》。

 手のひらから、彩葉自身よくわかっていない謎のエネルギー波を発生させる技だ。


 金色に輝くそのエネルギーは、ものすごい勢いで女に向かっていく。


 瞬間、女が小さく、「――《鋼鉄の服》」と呟いた。


 ガキィン! と、鉄と鉄がぶつかり合うような鋭い音がして、彩葉の《波動撃》が、その場で消滅する。


「やっぱり……おめー、なんかスキル使ってんなー! ずるー!」

「あなたも使ってるじゃないですか。おあいこですよ」


 完全論破である。

 ぐぬぬ。


 彩葉は歯噛みしながら、怒りをぶつけるようにラッシュを再開する。

 攻撃は、確かに効いているはず。


 だが。


 追いつめられているのはこちらの方だった。


 きゅるるるるる……。


 飢餓が、彼女の身体を蝕み始めている。


(まずい……すっごくまずい)


 一度、無理をしすぎて、魔力切れになったことがあった。


 あの時は酷かった。


 魔力切れを起こした場合、普段無意識的に発動させているスキル《格闘技術》や《自然治癒》、《皮膚強化》などの効果も失われるらしい。

 その時ばかりは、身体が鉛のように動かなくなり、“ゾンビ”一匹にも苦戦するようになってしまっていた。


 もし、そうなってしまえば、もはや戦いにはならないだろう。


「おらおらおらおらおら! どららららららららら!」


 すでに、何発女に打ち込んだかもわからなかった。


「……あと二十発ですよ」


 が、女のほうは数えてくれていたらしい。


「くっそぉー!」


 こうなったら、最後の賭けにでるしかなかった。

 彩葉が持つ、最強の必殺技。


「――《爆裂・百裂拳》ッ!」


 《必殺技Ⅲ》。

 拳から、彩葉自身よくわかっていない謎のエネルギー弾を連続して撃ちだす技である。


「さっきから思ってたんですけど、それ、”裂”って言葉が重複してるので、名前を変えたほうがいいのでは?」

「――ッ! うるさーい!」


 光の弾が、雨あられとなって女に突き刺さる。


「……ぐっ」


 そこで、女のやせ我慢も限界に近づきつつあることがわかった。

 口から、血を吐いたのだ。


 よし! もう一発!


 彩葉はもう一度身構える。


「え、ちょ、まっ、いまので百発いきませんでしたぁ?」


 知った事か。


「――《爆裂・ひゃくれぇ》…………?」


 同時に。

 彩葉の舌が、突如として回らなくなった。


「あう、あう……」


 これは、まさか。

 この感じには経験がある。

 魔力切れだ。


 少女は、その場でがくりと膝をつく。


「くそぉ……」

「えーと。なんか知らんけど、もう終わりってことでいいです?」

「ぐぐぐ……」


 女は、傍らに置いた鞘におさめたままの刀を拾い、それを彩葉の首元に突きつけた。


「はい。これで私の勝ちですよね」


 何事か、恨み言を言ってやりたかったが。


 ぐきゅるるるるるるるるるるるるッ!


 腹が勝手に返事をする。


「あらまあ」


 そこで、彩葉の意識は暗転した。

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