第二十一章 敗戦処理

(1)

 わたしは、さっきから無言で俯き続けている社長をじっと見つめた。ねえ、社長。後回しのツケは、こんな風に出ちゃうの。それも、いっぺんにね。


 わたしがずっとサボって後回しにしてきたことのツケ。それを、今必死に払ってる。でも払っても払っても、溜まっちゃった負債はちっとも減らないの。なくならないの。わたしは、つまんない借金で押し潰される寸前なの。だからわたしは、社長の気持ちはよーく分かるよ。そんなもん、全部ぶん投げて逃げ出したいって。わたしだって、ずーっとそう思いながら生きてきたんだもの。だけどさ……。


「ちょっと待ってください!」


 わたしが突然張り上げた大声に驚いて、黒坂さんと白田さんがわたしを見た。


「お二人にそんなことを言われると、わたしがここを辞める意味がなくなります。わたしは、白田さんや黒坂さんを社長から離反させるために爆弾を撒き散らかしたわけじゃありません! 最初に言ったはずです。わたしはここが嫌だから、我慢出来ないから辞めるんじゃない! そんな理由で辞めるのは逃げです! わたしは逃げるつもりなんかありませんよ。これっぽっちも。わたしはちゃんと筋を通したいだけです!」


 ぐんと胸を張る。


「わたしが入社してから、今みなさんにこうやって報告するまで、何が起きたか。それはなぜか。社長のオーダーは、テレオペに流入する情報を記録し、解析して報告せよ、です。わたしが今があがあ怒鳴ってるのは、その社命をきちんと果たすためです。それが、わたしの社員としての責務なんですよ!」


 文句をどんなにぶちまかしたって、そんなの意味ないじゃん! 


「何度も言いますが、その報告には社員としての制限がかけられると公開出来ない、微妙な内容が含まれていました。わたしが社員の立場のままで報告をすると、その責任が命令した社長に及んでしまうんです。世間知らずの青二才が、身の程わきまえないで好き勝手に暴言を吐いた。そんな風にしないと、全部オープンに出来ないんですよ。わたしが辞める理由はそれだけです。いいですね?」


 わたしは、みんなをゆっくり見回しながら報告を締めた。


「いろいろ報告しましたけど、わたしが今回のことを解析して導き出した結論は一つだけです。この社ではあらゆる情報がふん詰まってる。それが原因で、社員間のコミュニケーションがまるっきり取れてない。社員同士の意思疎通が不十分だから、バカげた妄想が膨らんじゃう。くだらないいざこざが生まれちゃう。わたしが最初からおかしいなあ、変だなあと思っていたことがそのまま当たってた。それだけ。ただそれだけなんです」


 社長と社員との間だけじゃないよ。白田さんと黒坂さんの間も、ぷっつり切れてたの。社の重役だった人と、末端の女子社員。たぶん……白田さんの方に強い遠慮と忌避の感情があったんだと思う。そして黒坂さんは、それを分かっていても自分からはどうにも出来なかった。黒坂さんも、社屋での居心地がすごく悪かったんだろう。だから社屋にほとんどいなかった。いたくなかったんだ。


 ふう。これで。わたしがこの社のために言うべきことは、残らず言った。社員なら、これで終わりなんだよね。でも、わたしはもう社員じゃない。それなら、ここを去る前にきちんとけじめを付けないとならない。そう、社長と同じで、何もかもずるずる後回しにしてきた自分自身へのけじめを。


「これで、わたしの報告は終わりです。でも、ここを辞める前に、最後に一つだけ言わせてください。社長に命じられたことを、言われるままにただこなすだけじゃなく。わたしがここの社員として、生き生きと自発的に働くためには何が必要だったのかなー。そういう自分自身の反省。それをもとに。言わせてください」


 わたしは、ゆっくり席を立って後ろで手を組んだ。


「わたしは、ひつじです」


 全員の目がわたしに集まった。


「温和で、臆病で、ケンカや争い事が嫌いで、敵から慎重に遠ざかる。それが羊の性質なんです」


 御影さんに目を向ける。


「信じられないかもしれませんが、わたしは今日のこの日まで、誰かに徹底的に反撃する。攻撃するっていうのを一度もやったことがありません。決していつも人の言いなりってわけじゃありませんけど、でも選択肢は出来るだけマイルドに、無難に、波風を立てずに。ごめんなさいと言うことで揉め事を解決出来るなら、自分のプライドとか勝ち負けとか、そんなめんどくさいことをごちゃごちゃ考えずに頭を下げて。謝罪して。そうやって、これまで生きてきたんです」


 ふうう……。


「でも。わたしは大学で、横暴教授にもこれまでと同じ対処をしてしまいました。一切逆らわない。文句を言わない、口答えしない。返事は『はい』だけ。心の中ではこいついつかぶっ殺してやると思っていても、その感情はおくびにも出さずに、ひたすら従順な羊であろうとしたんです。だけど。そういう逃避型、我慢型の対応が完全に裏目に出ました。横暴に耐えるためには、少しぐらい削れても壊れない頑丈な自分が必要だったのに、わたしの中身はほとんど空っぽだったんです」


 涙すら流せないほど空っぽに。


「毎日暴言を浴び、徹底的にこき使われている間に、残り少ない『わたし』が無くなってしまう。その恐怖から来るストレスでげっそり痩せ、精神的にも病んで、わたしは崩壊寸前になりました」


 我ながら、よく……生き残ったと思う。


「もし、大学でそういう修羅場を経験していなかったら。わたしはここへの赴任当日に辞表を出してたと思います。さっさと逃げたでしょう。いつものようにね。社長、すみませーん。こんなんやっぱり無理ですー。ごめんなさーい。そう言って。だって、説明会の時の社長の話とはあまりにギャップが大きかったから。慎重で安全性重視の羊が訳の分からない空き地にぽんと放り込まれたら、警戒して逃げるのは当然じゃないですか」


 社長がこそっと顔を上げる。ああ……あれは、かつてのわたしの目だ。


「わたしが逃げ出さなかったのは、社長が過渡期だから協力してくれって言ったからです。今はなんか変でも、そのうちきっと新しい展開があるんだろうなって。そう思ってました。自分が目一杯がんばってるって実感出来たら。逃げるとか自分を削るとか以外の生き方が身に付くかもしれない。今度こそ、自分の中身を自分でこさえることが出来るかもしれない。ささやかだけど、それがわたしの夢だったんです」


 ふ。思わず自虐の笑いが漏れた。


「それでもね。わたしの中身は羊です。そんな、いきなりタフなキャリアウーマンになんかなれるわけない。わたしはまだ、臆病な羊のままなんです」


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