第二十章 決戦
第1作戦 背水の陣
(1)
先週の金曜日はテレオペ室に完全籠城し、集めたデータの解析に没頭した。全体の推論はほぼ固まってる。でも、それだけじゃだめなんだ。どこが判明した事実で、どの穴がまだ埋まっていないか。それをきちんと確かめながら作戦を立てないと、決戦を乗り切れない。
そして、金曜日には気味が悪いくらい何も起こらなかった。白田さんのアクションも、社長からのコールも、出て行け親父のがなり声も、お客さんや迷惑学生からのクレームも。何一つ。電話機はひたすら沈黙を守り続け、テレオペ室は丸一日静寂に浸っていた。平和で穏やかな一日。今何も起こらなければ、これからも起こらないように感じちゃう。でもね、違う。事態は、すでに
週末も、就眠時間以外の全てをデータ検証と作戦のブラッシュアップにぶち込み、紙に書き出したシナリオを何度も読み直して頭の中に刻みつけた。一発勝負。再戦はない。どこかでしくじったら、そこで終わりだ。
そして、明けて月曜。身支度を整えたわたしは、異様に緊張しているのに、同時に奇妙な高揚感を覚えていた。自室のドアの前で一度大きく深呼吸する。無傷では戻れないだろう。それでも、わたしは必ず戦い抜く。戦い抜いて、ここへ戻ってくる!
「よし!」
どん! ドアに正拳突きを一つ食らわして。出陣!
◇ ◇ ◇
わたしは職場に着くまで恐ろしいほど冷静だったと思う。戦闘に入るまで、一滴たりともアドレナリンをこぼしたくなかったから。いつものように事務室のドアを開けて、普通に挨拶する。
「おはようございますー」
黒坂さんが、日経朝刊の紙面から目を離さないまま生返事をした。
「おはよう、ようちゃん」
「出木さんは、今日も工場ですか?」
「こっちには出てこんだろ。めんどくさがって」
「あはは」
広げて読んでいた新聞を器用にぱたぱたと畳んだ黒坂さんが、ちらっと白田さんに目を遣った。その白田さんは、集計表を前に置いて脇目も振らずに電卓を叩いてる。いつもミーティングの前に完璧に準備を済ませる白田さんにしては珍しいね。そうなってしまった原因は分かるけどね。
今日の朝会。いつもはいないはずの人がいる。そう、御影さんだ。御影さんは、わたしと黒坂さんをおどおどと見比べている。わたしは、この前の無言電話の主が御影さんだってことを携帯の電話番号から割り出してある。水沢さんの持ってるクラスメイトの電話連絡網には御影さんのも入っていて、それを照合させてもらった。確認済み。
わたしはアパートを出る直前に、御影さんの携帯に電話を入れたの。この前、うちの社のクレーム受付用回線に何度も無言電話をかけたことはもう割れてる。悪質な営業妨害として、あなたのご両親と大学に強く抗議させてもらう。場合によっては警察沙汰にするってね。
引っ込み思案で臆病。わたしの水沢さんに対する見立てが正確なら、自分の行動が第三者に漏れて大っぴらになるってことは彼女にとって致命傷だ。電話したのはわたしじゃない、知らないっていう開き直りは出来ないだろう。もし開き直れるくらい神経が太いのなら。見かけと中身が違うのなら。わたしは本当に容赦しない。わたしが出来る限りの、最強の対抗手段を直接ぶつけさせてもらう。
でも。それは杞憂だった。御影さんは、水沢さん以上にへたへただった。がっつり説教してやっから、すぐに社に来い! 電話でそう怒鳴りつけたら、知りません、行きませんとはもう言えなかった。蚊の鳴くような声で同意した。御影さんの家や大学に通報されたら、白田さんはサポート出来ないからね。
白田さん。代理人攻撃の欠点はそこなの。自分が当事者でなければ、自分に直接追求が及ばない代わりに、代理人のサポートが臨機応変に出来ないの。甘いね。わたしの出勤時間帯は、白田さんのと重なってる。白田さんは車で通勤してるから、もし御影さんがどうしようって電話しても繋がらない。きっちりしてる白田さんは、ちゃんとルールを守って車の中では携帯の電源を落としてるもの。御影さんは、孤立無援のまま社に出て来ざるをえない。そして、みんなが揃ってしまうと白田さんは御影さんに入れ知恵出来ない。動揺して、社長に報告するデータのまとめが遅れてる、と。そういう状態だ。
黒坂さんは、御影さんがバイトで来てることは知ってるんだろう。特に彼女を気にするでもなかった。どこまで御影さんのことを知っているのかは、分からないけどね。
「おはようございます!」
きびきびとした声に続いて、社長がすたすたと事務室に入ってきた。わたしは、社長の目の動きを確認した。案の定、御影さんを見つけた社長の視線が、そこで止まった。
「あれ? 彼女は?」
「ああ、白田さんが雇われたバイトさんです」
わたしが答えると、社長からそれ以上の突っ込みはなかった。
「あ、そう」
それだけ。知ってて、あえて無視してるって感じじゃないね。本当に知らないんだろう。御影さんは真っ赤になって俯いてる。でも、社長がそれを気にしてる風ではなかった。
「じゃあ、定例の打ち合わせを始めます」
「ああ、社長!」
わたしは、挙手して社長のアクションを一度止めた。
「なに? ようちゃん」
「とても重要な報告があるので、社長のお話よりも先に、そちらをさせてください」
「重要な報告?」
「そうです」
「急ぐ?」
社長の確認には、暗に余計なことを言うなよというニュアンスが混じっていた。そうは行かない。
「急ぎます」
「しょうがないな」
しょうがない、か……。社長にその程度しか危機感がない。こりゃだめだ。出来れば切りたくなかった切り札。マイルドな展開になるのなら、ぶっ放すのは様子を見てからにしようと思ったけど、無理だね。最初に切ってしまわないと、全部ぱあだ。作戦はコードレッド! 覚悟を決めて、一気にぶちかまそう。
わたしは椅子から降りて、まだドアの前にいた社長を事務室の中に押し込んだ。それからドアの内鍵をかけた。がちん!
すぐに回転椅子を一つ引いてドアの真ん前に据え、そこにどっかり腰を下ろした。
「申し訳ありませんが、しばらくこの部屋をロックし、封鎖いたします。密室にします」
「おいおい」
社長が眉をひそめたけど、無視して話を続けた。
「最初に宣言しておきます。わたくし、何野羊、本日をもって高野森製菓を退社させていただきます!」
「はあっ?」
事務室にいた全員が、ぎょっとした顔をした。わたしは、すぐに話を続けた。
「それは、わたしがこの社に不満を持っているとか、待遇が気に入らないとか、そういう理由からではありません。わたしがここの社員である限り、本来絶対に口に出せないこと。これからわたしが報告させていただくことに、それが含まれているからです」
事務室の中が、一瞬にして静まり返る。
「いいですか? わたしはここで勤め始めてから、自分の私利私欲で行動したことは一度もありません! 社長から命じられたことを忠実にこなし、わたしなりに社の業績に貢献出来るよう努力してきたつもりです。それを……」
わたしは……声が詰まった。
「その努力を、まるでゴミかカスであるかのように否定するアクションがあったこと。何もしていないわたしを、一方的に追い出そうとするアクションがあったこと。わたしは、それに我慢がなりませんっ!」
力一杯怒鳴った後、みんなを睨み回した。表情はいろいろだ。社長は蒼白。黒坂さんはあっけに取られてる。白田さんは無表情。御影さんはおろおろしてる。
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