第十五章 敵の敵は味方
(1)
ベガ女の教務課に名刺を出して、正式に抗議を申し入れる。昨日の貴学学生による迷惑電話の件で谷口教授に面会したいとねじ込んで、アポを取った。たぶんその先生は、わたしが抗議に来ること自体は想定していると思う。わたしが鼻先であしらわれることは分かっているんだけど、そいつがどういう言い訳を持ち出して来るのかを聞きたいんだよね。
水沢さんの携帯に電話を入れて、経済学部の校舎の玄関前で待ち合わせた。
「ごめんね。先生へのアポは取れたので、案内お願いします」
「はい!」
水沢さんは、わたしの前をきびきびと歩き出した。くぅ、若いなあー。
三階の一番奥の研究室。ごっつい扉の上の方に、金文字で部屋の主が印字されている。
『教授
うん。クウキがとっても重厚。今時の学生さんなら、この雰囲気だけでもうお腹いっぱいだろう。水沢さんではなく、わたしがドアをノックした。こんこん!
「どなたですか?」
「先ほどご連絡させていただいた、高野森製菓の何野と申します」
「どうぞお入りください」
わたしは、ドアを開ける前に水沢さんに小声で耳打ちした。
「今一緒に入るとね、あなたにとばっちりが行くかもしれないから、少しタイミングをずらして」
「は、はい」
「失礼します!」
ふうっと大きく一回深呼吸をして、気合いを入れ直す。それからごついドアを力一杯引いて、部屋にすたっと踏み込んだ。
壁一面を埋め尽くす本。機能的に整理されたデスク周り。びっしりマグネットが張り付いてるホワイトボード。窓の方を向いていたでかい回転椅子がぐるっと回って、教授がこっちを向いた。
縁なしのメガネ。短く整えられた髪。スーツはわたしのみたいな安物じゃなく、間違いなく高級スーツだ。一ミリの隙もなくびしっと着こなしている。ぐだぐだしたところの全くない、いかにもエネルギッシュでシャープな人。あらふぉだって聞いたけど、もっと年を食ってるように見える。シャープだけど、それが若いっていう印象に繋がってないって言うか。言葉は悪いんだけど、ハイミスの切羽詰まり感がなあんとなく漂ってくる感じ。
わたしはバッグの中から名刺入れを出して、そこから名刺を一枚抜いた。
「ああ、そこに入れておいてください」
ふうん……。交換にしないんだ。
「では」
『名刺受付』と書かれたプラスチックの箱に、名刺を入れる。病院の診察券入れみたいな感じ。やな感じ。なんだかなあ。
「ご用件は?」
そういう聞き方っすか。
「教務課の方に申し入れてあったんですが」
「何も聞いてないけど」
あ、そう。それが本当かどうか知らないけど、教授という立場の人の言い方じゃないよね。水沢さんのコメント通りで、相当の猛者だな。
「昨日、谷口先生が学生さんに出された課題で、当社が甚大な被害を被っています。抗議に伺いました」
「ふうん」
じろじろじろ。椅子から立とうともせず、わたしを無遠慮に見回す。ああ、あのクソハゲ教授とまるっきりおんなじやん。むっかむかするわ。
「あのね。私はそちらの許可を頂いて、出題したの」
「少なくとも、わたしは事前に伺っておりません。社長からも、そのようなことに対応せよという依頼を受けておりません」
「それはわたしの知ったことじゃないわ。わたしはそちらの担当者の方に、ちゃんと連絡を取って了承をもらってる。あなたのところの連絡不徹底のせいじゃないの?」
そう来たか。
「では、本当にそのような話があったのかすぐ確認いたしますので、先生が連絡を取ったとされる当社社員のお名前をお聞かせください」
反論がすぐ来ない。最初の言い逃れで通ると思ったんだろうか。甘いわ。
「当社は、五名しか社員がおりません。お客様との応対は、わたしがお客様からのクレームを受ける以外全て事務の白田が行っております。白田にご依頼をされたということで、よろしいですねっ?」
わたしが目を吊り上げて声を荒げたことに、少しだけまずいと思ったんだろう。
「さあ、覚えてない」
「大学の教授ともあろうお方が、そんないい加減な出題をされるんですね」
「わたしにケンカを売るわけ?」
「ケンカ? どちらに非があるかは明らかでしょう?」
めんどくさそうに席を立った谷口教授は、放り捨てるように謝罪した。
「謝ればいいんでしょ? 謝れば。ああ、ごめんなさいね」
それは謝罪とは言わない。捨て台詞だよ。幼稚園の子供でもしない言い方だよ? まあ。それでも、絶対に頭を下げずに罵倒し続けるあのクソハゲ教授よりは数百万倍マシだけどね。
「謝罪なんかどうでもいいです。再発させないよう、お願いしますね。今後も同様のことが起きるようであれば、大学名、講座名、教授名を公表して公開抗議いたします!」
「はいはいはい」
どこまでもどたまに来る女だ。くそう。でも、ここで時間を浪費するのはもったいない。筋を通して謝罪させ、再発防止を申し入れた。
「それだけです。失礼いたし……」
その時。バッグの中で、突然わたしの携帯が鳴り出した。しまった! マナーにしてなかった! でも、相手だけは確認しとかないと。切る前にさっと番号に目を通して……青くなった。な、なんで? どうしてわたしの携帯の番号を!? だめだ! クソハゲはわたしが出るまでかけ続ける。そういう奴だ。仕方ない。
「尾上先生! わたしは勤務中です!」
「そんなのは俺の知ったことか!」
「今、ベガ女子大の谷口教授のお部屋に伺っているんです。先生に失礼ですので、わたしの勤務時間外に掛け直してください!」
「そいつを待たせりゃいいだろ?」
このクソハゲっ! どこまで非常識なんだっ!
「谷口先生はお忙しい方です。その時間を割いてお会いさせていただいているんです。あなたも教授と呼ばれる人種ならば、少しは常識をわきまえてくださいっ!」
「世間知らずの阿呆女が、偉そうに何をほざく」
変わらんな。相変わらずだ。わたしが在学生だろが、OBだろうが、そんなのはどうでもいいんだろう。クソハゲ教授の罵倒は続いた。
「谷口だと? 知らん。女子大の連中なんざ、学生も教師もてんで使い物にならんバカばかりじゃないか。おまえ、なんでそんなところに出入りしてる?」
「ちょ……」
尾上教授のダミ声は、わたしが携帯を耳から離さないとならないくらいバカでかい。それに加えて、街中で通話しやすいようにって携帯の受話音量設定を上げてあったんだ。尾上教授の非常識な罵倒は、静かな部屋の中によーく響いて丸聞こえ。谷口教授の額にぴきぴきと青筋が浮いていくのが、よーく分かった。
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