(2)

 わたしは、ぎっちり腕組みをしたまま話を続けた。


「まず。僭越ですが、わたし個人のことからお話させていただきます。社長。とりあえずどこかに着席してください」


 よろよろよろ、どすん。崩れるように、社長が白田さんの隣の席の椅子に座った。


「社長と白田さんにはすでに雑談でお話ししましたが、わたしはここに就職を決める前、大学でひどく惨めな二年間を過ごしました。わたしの指導教官だった尾上教授って人は、時代錯誤もいいとこのとんでもない暴君で、女性を徹底的に蔑視します。男子学生にとってはすごく厳しい先生、くらいなんですが、女子を人間扱いしません。わたしたちに、汚れたトイレの床を舐めさせるようなことを強要するんです」


 黒坂さんの顔が歪んだ。


「わたしは……わたしは、それに反発することよりも、屈辱を耐え忍んで無事に大学を卒業する道を選びました。わたしのような臆病者には、教授に逆らうようなガッツはありません。仕方ないって諦めたんです。でもね、わたしはその悪夢のような二年間で、ぎりぎりまですり減ってしまいました。これ以上すり減ると、もう自力で立っていられなくなる瀬戸際。一生誰かの奴隷としてしか生きられない、そういう無力感に陥ってしまう一歩手前。わたしの精神は、壊れる寸前だったんです」


 ふうっ……。


「だから合同説明会で社長から誘われた時に、ここが天国に思えました。仕事が社員間で独立していて、のんびりで、干渉や圧力もなく。まるで、至れり尽くせりのリハビリ施設」


 ちっちっちっちっちっ! わたしは目の前で指を振った。


「甘かったですね。心がぼろぼろだったわたしが、いかに自分のすぐ近くしか見えていなかったか。それがよーく分かります」


 そう。あの時わたしは逃げ込みたかっただけなんだ。柵のある小さな牧場にね。


「入社してから二か月間は、確かに完全リハビリモードでした。クレームの電話なんか、一日一件あるかどうかです。それに対応することなんか、わたしでなくても誰にだって出来ますよ。とっても楽で、ちゃんとお給料がもらえる。でも、それはすごーくおかしいんです。でえっかい会社なら別ですよ? こんなぎりぎりの小人数で綱渡りでやってる会社に、ニーズのないポジションと人を、なぜ正社員で置くの? 普通はそんなのバイトにさせる。雇ってもせいぜい派遣さん。ねえ、白田さん、黒坂さん。普通そう考えますよね?」


 黒坂さんが、大きく頷いた。白田さんは何も答えない。


「でも、激務をこなされているお二人は、業務量に極端な差があるわたしを雇った理由を社長に聞いてない。違います? そして社長も、理由をお二人に説明されていませんよね?」


 三人とも、無言。返事がない。


「そもそも、それがおかしい。わたしのリハビリが進んだ頃、わたしはそれを友人に指摘されました。あんたの会社、大丈夫かいって。五人居ても、それが有機的に繋がってない。単細胞生物、ゾウリムシの集まり。それなのに、社としての業績がちゃんと上がっているというまか不思議」


 最初に、わたしだけではなく、誰もがみんな指摘するであろう疑問をきっちり全員に投げかけておく。最後に、そこに戻さないとならない。わたしの話の主題テーゼになるから。


「わたしが一番気味悪かったのは、わたしを熱心に誘ったはずの社長が、入社後はわたしをほとんど放置していたことです。他の方との業務量にあまりに大きな差があること。それなのに、正社員としてのお給料をいただけること。わたしが他の社員の方からどう見られるのか、それに対する配慮がまるっきりない。無責任もいいとこです」


 きっ! 社長を睨む。


「わたしがとことんのんびりの怠け者なら、ああ極楽極楽なんですけどね。わたしは、これまで仕事はきちんとこなしてきてます。あの横暴教授の下で卒論を書いてた時も、教授の立てた膨大な実験計画を片っ端からこなして、遅滞なく教授にデータを渡してます。それこそ、土日も祝日も盆も正月もないんです。全てのわたしの時間は、教授が好き勝手に使うんです。だからと言って、わたしは絶対に手抜き出来ない。それを全部こなした上にバイトもしてましたから、わたしは根性だけはあるんですよ。わたしが我慢出来なかったのは、教授の人格無視の態度だけです」


 わたしは、ぴっと社長を指差した。


「もし社長が、うちは小さな社だから何でも嫌がらずにてきぱきこなしてくれって命じてくれたら。わたしはどんな雑用でも喜んでやったでしょう。でもそういうアクションは、わたしが入社してから二か月間、全くなかった。暇で暇でしょうがなかった。おかしくありません? 社長からのクリアな命令もなく。白田さんや黒坂さんからの嫌味も出ず。飼い殺しの羊が一頭、テレル−ムで日干しになってる。おかしくありませんか?」


 社長が何か言おうとしたから、手で制した。


「わたしは辞める人間です。その前にきちんと言うべきことを言わないと、筋が通りません。黙っててください!」


 背筋をぐんと伸ばして、話を続ける。


「でも、苦情処理のテレオペ以外にわたしを使うプランだったのなら、話は別です。それはわたしの放置ではなく、わたしを使うタイミングの問題。じゃあ、それを最初から教えてくれればいいのにということになるんですが、そんな単純な話ではありません。ことが情報管理に関わるからです。つまり、社長はわたしを二か月間泳がせていた。そこで、わたしの情報管理者としての適性を見ると同時に、わたしに流入してくる情報、わたしから流出していく情報、それがどうなっているかを注意深く見守っていた。社長、違いますか?」


 確認する。ここで、初めて社長が口を開いた。


「そう。その通り」

「つまり。社長は自分自身で情報統制を行うのが困難だから、わたしに交通整理させようとした。それでよろしいですね?」

「テレルームで言った通りだよ」

「はい」


 わたしは社長の意図を確かめてから、全力でぶちかました。


「わたしが、なぜ自分の首をかけてまで、こんな風に話をしないとならないのか。それは、社員間でまともなコミュニケーションが取れてないからです。コミュニケーションに必要な情報の行き来が、どっかで詰まっちゃってるんです。その元凶を作っているのは、他の誰でもない社長です!」


 ぎん! 全力で社長を睨みつける。社長が慌てて目を伏せた。ほら、そもそもそれがおかしいの!


「何万人も社員がいる会社ならともかく、たった五人しかいない会社で、リーダーである社長自身が社員のコミュニケーションに全く注意を払わない。そんなの論外でしょう!」


 それは。わたしだけでなく、社長以外全員の共通認識だったと思う。わたしはそれを代弁しただけ。でも、それを指摘しただけじゃ感情的なもつれが何一つ片付かない。踏み込もう。


「じゃあ、社長の性格は異常で、コミュ障なのか? いや、そんな人だったら会社なんて絶対に起こせません。それなら、社長と社員の間のパワーバランスが歪んでて、コミュニケーションに悪影響してしまってる。そう考えるしかないじゃないですか!」


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