第3話

 魔王どもが台頭しはじめた戦後から、北海道という土地は少しだけ変わってしまった。

 ある魔王は大地を動かし、またある魔王は天候を制御して、自分たちの住みやすいように局地的な気象条件を作り替えた。いまでは真冬でも花が咲き誇る春のような土地すらあるという。


 だが、なにしろ北海道は広い。

 基本的に冬はほとんどの地域が雪に閉ざされているし、都市部から離れれば吹雪の中を歩く羽目になる。それでも、魔王の勢力圏である《黒領地》に近づく場合、道路を行くよりも山道の方がずっと安全だ。

 魔王や、その眷属に見つかるリスクが減る。

 そして当面の俺の目的地も、山道の先にあった。


「――あのさ」

 山道を歩くこと一時間――いや、二時間は経過していただろうか。

 真っ先に不安を表明したのは、セーラ・ペンドラゴンだった。箱入り娘はこれだから困る。彼女は白い息とともに、言葉を吐き出す。

「さっきから、この構図、なんかおかしくないか」

「おかしい?」

 俺はそこで足をとめ、三人を振り返った。三人とも、バカでかいザックを背負っているだけあって、疲労の色が濃い。そのうえ、登山用のオーバージャケットを身にまとった、完全装備の雪中移動である。

 なれない地形は、それだけで体力を消耗する――そろそろ休憩するべきときかもしれなかった。


「なにがおかしいんだよ」

 俺は傍らの岩に腰を下ろした。腰に吊っていた水筒を取り出す。中身は温めたお茶だった。ほんの少し、口に含ませるだけでいい。

 ついでに太陽を見上げる。位置は低く、日差しも頼りない。ただ真っ白な光を、黙って山の斜面に投げかけている。

 だが、晴れていてよかった。もしかすると、この近辺の魔王が天候を制御している可能性もある。北海道に広大な基盤を持ち、雲を支配するという《罅ぜる聖図》卿のことはあまりにも有名だ。

 足を止めると、山が静まり返っているのがよくわかる――雪が、音を吸うのかもしれない。俺は少しだけ呼吸を整え、熱いお茶が喉を通り抜ける感覚を味わった。


「北海道の冬を舐めるなよ。この辺は魔王の勢力圏だから、気象条件はだいぶ影響受けてる。こんなんでも戦前よりマシなくらいだぜ」

「そうじゃねーよ!」

 セーラは怒鳴った。ザックを放り出し、やっぱり傍らの岩にどかっと腰を下ろす。

「なんで私らだけ荷物持ちで、センセイはそんな軽装なんだよ。ローテするって言っただろ」

「ローテーションしてるじゃん。お前らの間で」

「センセイがローテに入ってねーし」


「あのな」

 俺は腰に吊ったバスタード・ソードの柄を叩いてみせた。

「このパーティー最大戦力である俺が、荷物なんかで体力を消耗したらまずいだろ。警戒しなきゃいけないし。ホントなら、俺、こんな役やりたくねえよ。まだ荷物持ってるだけの方が気楽だよ」

 《ソルト》ジョーを連れてきたかったのは、それが理由だ。俺とジョーなら荷物もコンパクトになるし、荷物を運んでいる間は楽ができる。こと野外での遭遇戦闘なら、認めるのはシャクだが、ジョーは俺よりも強い。というか、有利に立ち回れる。


「というわけで、お前たちは文句を言わず荷物を保持するように」

「ってか――この辺、ほんとに魔王の勢力圏なのかよ? こんな広い場所で、眷属と出くわす確率なんて低いんじゃないか?」

「ん。そうでもない」

 セーラの疑問に応じたのは、印堂雪音だった。

 ともすれば自分自身よりも大きそうな荷物を、やや乱雑に雪面に下ろし、手近な岩の隅っこに座る。白の雪山迷彩用オーバージャケットをまとった印堂は、そうやって動きを止めると、気配まで薄くなる。ただ、呼吸の荒さから、さすがに多少の疲労がうかがえた。

「《黒領地》の魔王の中には……こっちの位置を、知覚できるやつもいるから」

「と、いうことだ。印堂、よくできたポイント五点をやろう」

「やった」

 印堂は無表情で拳を握った。俺は思わず笑ってしまった。真面目すぎる。


「引退したとはいえ、現地の元スタッフがこう言っている。警戒しすぎて損はない」

「――まさしく、そのとおり!」

 不意に、城ヶ峰が存在を主張するように大声をあげた。こいつはどこから体力が沸いているのか、印堂よりも元気そうで、しっかりと仁王立ちしている。バカだから疲労を感じていない可能性すらあった。

「これも師匠からの試練という名の贈り物! こうして我々の足腰も鍛えられるという寸法ですね? わかっています!」

「いや、別に考えてなかった」

 というより、たった一日か二日くらい無茶して負荷をかけたところで、たいした効果があるとは思えない。だが、城ヶ峰は食い下がった。

「では、無意識のうちに我々を鍛えていると! さすが教え上手!」

「よくできたポイントはやらねえぞ」

「――残念です」

 城ヶ峰は一瞬だけ静かになった。が、俺がお茶をもう一口飲んでいる間にまたしゃべりだした。


「しかし! こうした疲労も、今夜は旅館で温泉で北海道のグルメが待っていると思えば! 私は乗り越えられます! 大丈夫!」

「え? 旅館って――温泉? それマジで?」

「北海道のグルメ?」

 城ヶ峰につられて、セーラと印堂が目を見開いた。束の間、疲労を忘れたかのようだった。

 そのとき俺は、彼女たちに残酷な宣言をくださなければならないことを知った。


「ねえよ」

 俺は吐き捨てるように呟いた。

「そういうのは、一切ない」

 静寂があった。

「そもそも、いま向かってるのは旅館とかじゃないからな」

「そんな! こんな山奥なのですから、さては幻の温泉旅館があると思ったのに! 師匠、私の気持ちを弄びましたね」

「知らねえよ」


 そもそも、そんな金はない。《ソルト》ジョーを連れて行くために適当なことを言ったかもしれないが、こんな場所まで来て呑気に温泉に入っている暇はない。

「――別にいいけどさ」

 明らかに失望した様子で、セーラ・ペンドラゴンは立ち上がる。白い呼気が、ため息のように長々と吐き出された。

「センセイにそういうの期待してなかったし」

「失礼なやつだな。よくできたポイントを五点没収だ」

「さっきから、なんなんだよそれ」


「ふっ」

 城ヶ峰は鼻で笑った。

「残念だったな、セーラ。そういうことは心の中で思っていても、口には出さないものなのだ。その調子でどんどん心証を悪くするがいい」

 俺はあえて何も言わずに黙っていた。言うまでもないが、城ヶ峰からは奪うほどの『よくできたポイント』は存在しない。


「とにかく、先を急ぐぞ。日が暮れる前に到着したい」

「どこへ?」

 質問してきたのは、印堂だった。

「このあたりには、《北の篝火》の駐屯拠点もなかったはず」

「詳しいのか、この地域?」

「少しは。地図を知ってる」

「めちゃくちゃ詳しいじゃねえか。よくできたポイント五点追加」

「やった」

 印堂はまた拳を握った。俺も複合ポリマー製のズボンの雪を払って、ゆっくりと立ち上がる。


「じゃあ、この先に小さい教会があるのも知ってるな?」

「うん。無人のやつ」

「俺の友人――とは言いたくないな。知り合いが乗っ取って、このあたりでの稼ぎ用の《ガレージ》として使ってる」

 実際には、エド・サイラスの店の常連のひとりだ。やっぱり勇者という仕事の例外に漏れずクソ野郎に間違いなく、周りからは《神父》と呼ばれている。運がよければそいつの備蓄している食料にありつけるし、運が悪くても風雪は凌げる。


 ただし、最悪のパターンもある。

 そいつがなんらかの仕事のために、《ガレージ》である教会に居座っていた場合だ。

 ヘタをすると、《音楽屋》イシノオよりも《神父》の野郎はタチが悪い。勇者の免許がなければ、ただの殺人鬼だったような男だ。俺たちが寝ている間に、身ぐるみを剥ぎ、『楽しむ』ために襲ってくる可能性もあった。

 そうなると面倒だが――俺にできることは、やっぱり、祈るぐらいしかなかった。

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