04 スパーリング
咲田桜の一日体験入門が開始されてから、およそ一時間後。ついにその日の締めくくりであるスパーリングを決行する旨が、景虎によって告げられた。
「色々と拝見させてもらったけど、やっぱりあんたはなかなかの逸材だよ。柔道初段ってのは伊達じゃないねえ」
景虎がそのように述べると、咲田桜は「恐縮っす!」と元気に応じた。かなり密度の濃い一時間であったはずだが、スタミナに関してはまだまだ余力があるらしい。
「で、最後にスパーリングを希望ってことだけど……あくまで、安全を第一に考えさせてもらうからね。あたしが危険だと感じたら、その場でストップをかけさせていただくよ」
「了解っす! それで、どんなスパーをやらせてもらえるんすか?」
「そうだねえ。柚子とは道着ありの柔術ルール、九条さんとは道着なしのグラップリング・ルールってことにさせてもらおうか」
「あ、やっぱり打撃ありのスパーではないんすね」
と、咲田桜がいくぶん不満げに唇をとがらせる。
「やっぱりあたしの打撃はお粗末でしたか? 後半はけっこう調子がつかめてきたように思ってたんすけど」
彼女は柔術とグラップリングの稽古の後、再びキックミットを装着した景虎を相手に、数々の打撃技をお披露目したのである。
伊達の稽古を手伝うかたわら、レオナもその姿はじっくりと観察させていただいた。多少の素人くささは否めないものの、正式なトレーニングを受けたことのない人間としては、大した腕前であったように思う。
景虎は、分厚い肩をすくめながら「安全が第一だからねえ」と答えた。
「実はさ、あんたのお手並みがお見事すぎて、なおさら打撃ありのスパーを許すわけにはいかなくなっちまったんだよ」
「んん? どういう意味っすか?」
「あんたの打撃はまだまだ力まかせだけど、まともに当たったらダウンを奪えるぐらいの破壊力があるんだよ。それでガチ・スパーなんてやらせたら、柚子も九条さんも本気にならざるを得ないだろうし、そんな危なっかしいスパーをやらせるわけにはいかないって話さ。……かといって、力半分のマス・スパーじゃ意味がないんだろ?」
「そうっすね! 力半分じゃ勝負をつけられないっすから!」
「だったら、やっぱり打撃は禁止だね。柔術やグラップリングでだったら、おたがい本気でかかっても危険なことにはならないだろうからさ」
そう言って、景虎は楽しそうに口もとをほころばせた。
「ただ、九条さんはめっきり道着ありのレッスンには参加しなくなっちまったから、道着なしのグラップリング・ルールぐらいでしか相手はさせられない。柔道家のあんたにとっては、相当なハンデになっちまうだろうね」
「自分が不利になる分にはいっこうにかまわないっすよ! 無茶なお願いをしたのはこっちなんすから!」
無茶なお願いであるという自覚はあったのか、とレオナはまた溜息を噛み殺すことになった。
そんなレオナの腕を、伊達がこっそり肘でつついてくる。
「おい、油断だけはするんじゃねえぞ? もしも負けたら、ただじゃおかねえからな」
「はい。全力を尽くします」
晴香と乃々美はまだ二人だけのトレーニングに励んでいたので、見物しているのは伊達とアリースィ、それに亜森だ。亜森はまるで自分に罰を与えるかのように、ずっとトレーニングルームの片隅で正座をしていた。
「それじゃあ、まずは柚子からだね。二人とも、道着を着て。……悪いけど、アリースィに審判を頼めるかい?」
「うん、いいよ」
アリースィは、相変わらず無邪気に微笑んでいる。その小鹿みたいに黒い瞳が、ふっとレオナのほうを見た。
「ねえ、サクラは『シングダム』ににゅうもんしないのかな? なげわざがじょうずだから、わたし、サクラともれんしゅうしたいよ」
「アリースィさんの目から見ても、やっぱり咲田さんの投げ技は巧みですか」
「うん。たいじゅういどうとか、あしのかけかたとか、すごくべんきょうになるね。MMAでも、おうようできるとおもうよ」
柔術黒帯のアリースィが言うのだから、それは確かなことなのだろう。レオナは、柚子の身がいくぶん心配になってきてしまった。
その間に、二人は着替えを完了させていく。
「へー、遊佐先輩の道着は青いんすね! なんだか、オシャレっす!」
「そ、そうかな。どうもありがとう」
「そんで、帯まで青いんすね! 柔術の青帯って、どういうランクなんすか?」
「青帯は、白帯の次の級位だよ。その上に、紫、茶、黒があるの」
「そうなんすか。それじゃあ、柔道初段のあたしと同じようなもんなんすかね?」
そこのところは、レオナにもよくわからなかった。
ただわかるのは、柚子の格闘技歴が二年足らずであり、咲田桜のほうは幼い頃から柔道を習っていた、ということだけだ。
(どう考えても、腕力は咲田さんのほうが上だろうし、おまけに遊佐さんはリハビリ中だし……いくら得意の柔術ルールっていっても、本当に大丈夫なのかなあ)
そんなレオナの心配もよそに、景虎が二人をマットの中央に呼び寄せる。
「それじゃあ、ルールの確認をしておくよ。マットからはみだしたら場外で、自分からマットの外に逃げるのは反則行為。時間は三分間で、途中で勝負がついたら、また中央から仕切りなおし。何か賭け事をしたいなら、勝ち星の数でも競っておくれ」
「はい、了解っす!」
「で、柔術の基本ルールに関しては、大丈夫だね?」
「はい! 投げ技と抑え込みで一本は取れないんすよね? 綺麗に投げても、寝技で『参った』を奪うまで試合は続行されるって聞きました!」
「うん、それで間違いないよ。絞め技や関節技が綺麗に極まったら見込み一本を取らせてもらうから、無駄に我慢しないようにね」
「押忍! それじゃあ遊佐先輩、どうぞよろしくお願いします!」
「あ、うん、よろしくお願いします」
咲田桜の差し出した手を遠慮がちに握ってから、柚子はふーっと大きく息をついた。
かなり緊張している様子である。下手をしたら、柔術の大会に参加したときよりも緊張しているのではないだろうか。
(遊佐さん、頑張って)
スパーリングの舞台とされたマットの外で、レオナは強く祈った。
景虎は後方に下がり、それに代わってアリースィが進み出る。
「じゅんびはいいね? それじゃあ、はじめ!」
マットの中央で、二人は同時に腰を落とした。
が、やはり柚子のほうがより前屈の姿勢だ。自分から投げ技を狙わないなら、体勢を低くするに越したことはない。おもいきり腰を引いて、頭は相手の腹ぐらいの位置まで下がっている。柔道よりもレスリングに近いフォームだ。
咲田桜はその姿勢の低さに若干の戸惑いを見せつつ、それでもじりじりと接近していった。
咲田桜は右の手足を前に出しており、柚子はその逆である。よって、咲田桜の右手と柚子の左手が、とても近い距離にあった。
組手争いでは、咲田桜のほうに分があるだろう。柚子としては、投げをくらう前に得意の寝技に引き込みたいはずであった。
咲田桜の右手から逃れるように、柚子はサイドに回り込もうとする。
その懐に、咲田桜が一息で飛び込んだ。
咲田桜の右手が、柚子の左腕をすりぬけて、襟もとをつかむ。
柚子は慌てて、それを振り払おうとした。
そのときには、すでに右腕の裾をもつかまれてしまっていた。
前屈の体勢であった柚子の身体が引き起こされ、さらに、左足を内側から刈られてしまう。
柚子は、なんとか踏ん張った。
しかし、すぐさま咲田桜が上体をひねると、柚子の身体はふわりと浮き上がってしまった。
大内刈から内股の連携技である。
柚子の身体はきりもみをして、背中からマットに叩きつけられた。
咲田桜はそのまま柚子にのしかかり、両手で右腕をひっつかむ。
腕ひしぎ十字固めを狙っているのだ。
柚子は、まったく反応できていなかった。
咲田桜は、容赦なく後方に倒れ込む。
柚子の右腕が真っ直ぐにのばされそうになった瞬間、アリースィが「それまで!」と声をあげた。
咲田桜は即座に柚子の腕を解放し、「ふう」とマットで大の字になる。
柚子は身をよじり、うつぶせの体勢になると、苦しそうに咳き込んだ。
「ずいぶん早いストップっすね。そこまで完璧に極まるとは思わなかったんすけど」
「うん。でも、ユズコはみぎひじをけがしてるからね」
「あ、そうか! 大丈夫っすか、遊佐先輩?」
それでも柚子は答えられないまま、まだ咳き込んでいる。マットといっても畳と大差のない硬さであるので、けっこうなダメージを受けてしまったのだろう。
「時計は止めないよ。柚子、ギブアップかい?」
マットの外から景虎が呼びかけると、柚子はぶんぶんと首を振りながら立ち上がった。
「それじゃあ、仕切りなおしだね。時間は残り二分と三十秒」
わずか三十秒で、柚子は一本を取られてしまったのだ。
息を詰めて拳を握り込むレオナの肩を、伊達が「おい」と揺さぶってくる。
「何だよ、まったく相手にならねえじゃねえか! こんなんで本当に大丈夫なのかよ?」
「私に言われても困ります。スパーを許可したのは景虎さんなのですから」
その景虎は、静かな面持ちで柚子たちの挙動を見守っていた。
柚子は胸もとに手を置いて呼吸を整えながら、咲田桜の前に立つ。
「それじゃあ、にほんめね。はじめ!」
柚子は悲愴な表情で、さきほどと同じように腰を落とした。
すると、景虎がいきなり大きな声をあげた。
「柚子! それでいいのかい!? 相手は柔道の段持ちなんだよ!」
柚子は、ハッとしたように上体をあげた。
そして、今度はその体勢のまま、相手との距離を測り始める。わずかに腰を落としてはいるが、背筋は咲田桜と同じぐらい真っ直ぐだ。
(あ、そうか!)
レオナの中で、とある記憶が蘇った。
それと同時に、咲田桜が踏み込んだ。
さきほどに劣らぬスピードだ。柚子はあっけなく、左襟と右裾を取られてしまう。
咲田桜の右足が、今度は外側から柚子の右足を跳ね上げる。
大外刈である。
柚子は一切の抵抗を見せないまま、再び背中からマットに倒れ込んだ。
しかし今回は、左腕でしっかり受身を取っている。
咲田桜は、そのまま柚子の首をとらえて、袈裟固めに持ち込もうとした。
が、柚子は外側から相手の左足を両足ではさみ込み、何とか背中の側に回り込もうと身をよじる。
咲田桜は、左腕で柚子の足を引き剥がそうとした。
その咽喉もとに、柚子が肩ごしに左手をのばした。
柚子の指先が相手の右襟をひっつかみ、それを引き絞って咽喉もとを圧迫する。
咲田桜は、苦しそうに上体をのけぞらした。
その動きに合わせて、柚子はブリッジをした。
今度は咲田桜の背中がマットにつき、柚子が横からのしかかる格好になる。
そして、その体勢になったときには、柚子の頭が相手の脇に潜り込んでいた。
二人の身体がもつれ合い、しばらくの後に、肩固めの形が完成する。
しばらくもがいてから、咲田桜は柚子の背中をタップした。
「あー、やられちゃったっす! さすがに寝技はお上手っすね!」
反動をつけて上体を起こすと、咲田桜は悔しそうに頭をかきむしった。
「これで一勝一敗っすね! 次は負けないっすよ!」
しかし、その次も似たような結果に終わった。
咲田桜が内股を仕掛けて、それに逆らわずに倒れた柚子が、すぐさま相手の背後を取り、送襟締で一本を取った。
さらにその次は、相手に道着をつかませた上で、自分からマットに腰を落とした柚子が、下から三角締めを極めた。
この時点で、二分四十秒が経過した。
最後の二十秒で、咲田桜は再び豪快な大外刈を炸裂させたが、そこでタイムアップであった。
三勝一敗で、柚子の勝利である。
レオナは安堵の息をつき、伊達は小声で「よっしゃ」とつぶやいた。
「くっそー! 後半は一方的だったすね! ありがとうございました!」
「ありがとうございました」
柚子も、ほっとした顔をしている。
その柚子に、咲田桜はずいっと詰め寄った。
「なんか、二戦目からは動きがふにゃふにゃで、まったく手応えがなかったんすけど! あれってひょっとして、わざと投げられてたんすか?」
「うん。組手争いはあきらめて、受身を取ることに集中してたんだよ。そうでもしないと、勝てそうになかったし」
それは、かつての柔術の大会で服部選手を相手にしたときに使った戦法であった。そういえば、服部選手も柔道の有段者であったのである。
(しかも服部選手は中学で全国大会に出場するぐらいの実力者だったんだもんな。柔道のキャリアで言えば、咲田さんよりも服部選手のほうが上だったんだ)
しかも服部選手には、MMAや柔術の経験があった。なおかつ柚子より年長者で、体重は咲田桜よりはるかに重い。すべての面で、彼女は咲田桜を上回っていたのだった。
そんな服部選手に、柚子は大接戦の末、惜敗を喫した。あと数秒あればタップを奪えそうなぐらい、健闘することができたのだ。
(だから景虎さんも、柔術のルールなら遊佐さんに勝機があると判断したんだな)
景虎は、笑顔と拍手で両者の奮闘をたたえていた。
「咲田さんの投げ技も柚子の寝技もお見事だったよ。柚子、右肘は大丈夫かい?」
「はい! アリースィがすぐに止めてくれたおかげです!」
アリースィも、にこにこと笑っている。
「わたしもサクラとスパーしたいな。サクラ、あとでおねがいしていい?」
「もちろんっす! でも、その前に九条先輩との勝負っすね!」
そのように述べながら、咲田桜はしゅるりと帯をほどいた。
さらに道着の上だけを脱ぎ、それを丁寧に畳んでから、レオナの前に立ちはだかる。
「さあ、九条先輩、お願いします!」
「ああ、はい。でも、インターバルを置かなくて大丈夫ですか?」
「大丈夫っすよ! いい感じに熱くなってるんで、このまま挑ませていただきたいっす!」
レオナの側にも、異存はなかった。
ただしその前に、こっそり景虎に声をかけさせていただく。
「あの、景虎さん。私にも何かアドヴァイスがあれば、先に聞かせていただきたいのですが」
「いや、特にないよ。いつもの調子で、頑張りな」
「はあ。それで勝機はあるのでしょうか?」
「負ける要素が、どこかにあるのかい? たぶん咲田さんは、入門当初の九条さんとおんなじぐらい窮屈な思いを抱えることになると思うよ」
半信半疑で、レオナは咲田桜に立ち向かうことになった。
が、開始してすぐに、景虎の言葉が真実であったことが知れた。
彼女の投げ技の技術は実に見事なものであったが、道着をつかむという行為を封じられてしまうと、それもご破算になってしまったのだった。
踏み込みのスピードは、大したものだ。それに、反射神経も大したものである。瞬発力や反応速度に限って言えば、服部選手にも引けは取らないのではないかと思われた。
が、それはそれだけの話に過ぎなかった。道着が存在せず、着衣をつかむことは禁じられているため、彼女が投げ技を繰り出すには、レオナの腕や肩などをつかむしかない。ステップワークを多用して遠距離で戦う修練を積んでいるレオナであるので、それを回避するのは決して難しい作業ではなかった。
なおかつ彼女は、タックルというものに対して耐性を持っていなかった。
柔道においても双手刈というタックルそのものの技が存在するが、それは中学柔道において禁じ手とされていたのである。
なおかつ近年では、高校以上の公式試合においても、双手刈には厳しい制限がもうけられたとのことだ。組み合いの中で繰り出す分には有効とされているが、初手からいきなり相手の足もとをつかむのは反則行為である、とルールが改正されたのだという話であった。
そんなわけで、景虎やアリースィに比べれば実にお粗末なレオナのタックルでも、簡単に相手をひっくり返すことができた。柚子とて、咲田桜に体格で負けていなければ、きっと簡単に上を取ることができたのであろう。
そうして寝技にもつれこんでからも、咲田桜にはなすすべがなかった。ここでも道着がつかめないと、彼女は元来の力を発揮することがかなわなかったのだった。
結果、レオナは三分間で八回ものタップを奪うことができた。
いささか気がとがめないこともなかったが、本気の勝負を挑んできている相手に手を抜くことはできなかったし、また、手を抜いて勝敗を危うくするわけにもいかなかった。
「だーっ! おみそれいたしました! さすがは『マスクド・シングダム』っすね!」
三分間のスパーが終わった後、咲田桜はマットの上でぜいぜいと息をつきながら、そのようにわめきたてた。
「あのですね、あまり大声でその名前を口に出さないでいただきたいのですが」
「それは失礼いたしました! そんでもって、あたしなんかのワガママにつきあってくれて、本当にありがとうございました!」
咲田桜はマットに額をこすりつけて、そのように宣言した。
「では、私と遊佐さんを柔術同好会に勧誘しようというお話は、これであきらめてくださるのですね?」
「はい、それが約束でしたから! 負けた腹いせにお二人の秘密を暴露するような真似も、絶対にしませんので!」
そうして咲田桜は面を上げると、座った体勢のままレオナの手を握りしめてきた。
「どうもありがとうございました! 九条先輩と遊佐先輩とお手合せすることができて、本当に光栄でした!」
気づくと、柚子と亜森もレオナたちのそばに寄ってきていた。
亜森はレオナたちを真横から見る位置で膝を折り、咲田桜の顔をじっとねめつける。
「咲田さん。あなたは今後、どうするおつもりなのですか? お二人を勧誘できなくとも、同好会の発足を目指すおつもりなのですか?」
「え? いやー、あたし一人じゃ活動のしようがないっすよ! 自分がどれだけ未熟者かってことも思い知らされましたから!」
「そうですか。それなら、安心です」
黒縁眼鏡の向こうでまぶたを閉ざし、亜森は深々と息をついた。
そこに、景虎たちもぞろぞろと近づいてくる。
「話は丸く収まったかい? 何とも騒がしい一日だったね」
「はい! みなさんにもお手数をおかけしました! 心から感謝してるっす!」
「それじゃあ、あらためて聞かせてもらうけど、うちのジムに入門する気はないのかい?」
「えー? それって、本気で勧誘してくれてるんすか?」
「もちろんさ。まあ、学校の都合とかもあるだろうから、あまり無理には誘えないけどね。……でも、あんたが才能の塊だってことは、あたしが保証してあげるよ」
咲田桜は座ったまま腕を組み、「うーん!」と考え込んでしまった。
「実は、うちの父親が打撃ありの競技にはあんまりいい顔をしてくれないんすよね。だから、キックのジムに入門することもあきらめたんすよ」
「そうなのかい。でも、柔術やらMMAやらの同好会を学校で作りたいっていう話だったんだろう?」
「はい。それも、学校の部活だったら文句を言われないかなっていう気持ちだったんすよね」
「それなら、じゅうじゅつぶもんににゅうもんすれば? にゅうもんしちゃえば、MMAのれんしゅうにだってさんかできるし」
アリースィが言うと、咲田桜は「いやいや!」と手を振った。
「親をだましたりはしたくないっす! ていうか、あたしは隠し事とか苦手っすから、きっといつかはバレちゃうっすよ!」
「……それは何だか、とても不安感をかきたてられる発言ですね」
レオナが口をはさむと、咲田桜は「あは」と小さく笑った。
「それでも先輩がたのことは絶対秘密にしますから! えーと、お二人の正体はもちろん、このジムに通ってるってことも秘密なんすよね?」
「はい。学園内でそれを知るのは、この場にいる三名と校長先生と───あとは、遊佐さんのご家族だけです」
「で、仮にあたしがこのジムに入門したとしても、やっぱり秘密にしなきゃいけないんすか?」
「そうですね。後で面倒になることを避けたいなら、校長先生に相談する必要があると思いますし……相談したら相談したで、きっと学園内の人間には秘密にするようにと約束させられるでしょうね」
「うーん!」と咲田桜は再度うなり声をあげた。
すると、亜森とは逆の側から、アリースィが咲田桜の顔を覗き込む。
「にゅうもんしなよー。『シングダム』はたのしいよー?」
「おい、新入りが勝手なこと言ってんじゃねぇよ。アタシはこんな頭の足りねぇガキはごめんだよ」
「えー? サクラがにゅうもんしたら、きっとみんなもスキルアップできるよ? カズキなんていちばんたいじゅうがちかそうだから、いいパートナーになれるんじゃない?」
「はん! 誰がこんなクソガキと───」
と、言いかけて、伊達が咲田桜をじろりとにらむ。
「……おいガキ、手前は体重何キロなんだ?」
「ほえ? あたしは五十四キロっすけど」
それは、伊達が目指している平常体重とほぼ変わらないぐらいの数値であった。それで伊達は、五十六キロ以下級から五十二キロ以下級に階級を落とそうと苦労しているさなかなのである。
「こらこら、自分たちの都合ばっかり押しつけるんじゃないよ。大事なのは、当人の気持ちだろ」
苦笑まじりに、景虎がそう言った。
咲田桜は、意を決したように立ち上がる。
「わかりました! 九条先輩だって、さっきあたしを勧誘してくれたっすもんね!」
「あ、いや、あれは勝負をあきらめさせようという方便で……」
「まだきっちりとしたお答えはできないっすけど、両親と相談してみます! それでもしも、オーケーがもらえたら……その節は、どうぞよろしくお願いします!」
それでその日の騒動は、ようやく終わることになった。
柚子は安堵の表情を浮かべて、レオナのほうを振り返ってくる。
レオナも、同じように笑顔を返してみせた。
だが───
この春に始まった柚子の不運は、まだまだこれからが本番なのだった。
レオナがそれを思い知らされたのは、それから数日ばかりが経ち、無事に咲田桜の入門が認められたのちのことだった。
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