SECTION.5

ACT.1

01 始業式

 四月の第二木曜日。

 その日が私立弁財女子学園の始業式であった。


 まだまだ底冷えのする日は多いが、校内に植えられた桜もようやく満開になっている。その下を歩く生徒たちは、新学期に対する期待と不安を隠しようもなくその面に浮かべながら、しずしずと歩を進めているように感じられた。


 弁財女子学園は中高一貫であるので、高等部の新一年生というのはそのほとんどが中等部からの繰り上がりだ。三年間も顔を突き合わせてきた間柄であるのだから、今さら新鮮味を感じることはないだろう。さらに長い時間を過ごしてきた新二年生や新三年生などは、何をか言わんやというものである。


 しかし、学年が変わればクラス替えが行われる。生徒たちの抱く期待や不安というのは、そのクラス替えからもたらされるものなのだろう。仲のよい友人と同じクラスになれるのか、新しい担任教員は誰になるのか、そういった部分に関心は集約されるわけである。


 弁財女子学園において、クラス替えの内容は昇降口を抜けてすぐの壁にでかでかと掲示される形で発表されていた。そこから自分の名前を探しだし、指定された新しい教室に向かうという段取りであるのだ。


 レオナの新しいクラスは、二年一組であった。

 そこには亜森紫乃の名前も見つけることができた。

 そして───もう一人の大切な友人である遊佐柚子は、人だかりができているのとは反対側の壁にもたれかかって、「あああ……」と絶望のうめき声を振り絞っていた。


「もうダメだ……あたしの人生はおしまいだ……九条さん、亜森さん、今までどうもありがとう……」


「少しは落ち着いてください、遊佐さん。これぐらいのことで絶望してはいけません」


「これぐらいのことって! あたしだけ二人と別々のクラスになっちゃったんだよ!? ああ、もうダメだ……文化祭も体育祭も、あたしはひとりぼっちで過ごすことになるんだ……」


「文化祭や体育祭で、何か楽しい思い出などありましたっけ? 私も遊佐さんもクラスの輪に入ろうともせず、ぼんやり過ごしていた記憶しかないのですが」


 文化祭と体育祭は、どちらも秋口に行われる。が、その頃はまだ亜森と和解できておらず、二人とも初めての公式試合に向けてトレーニングに集中していたので、学校の行事などは他人顔で適当に受け流していたのだった。


「でも! 二年生には修学旅行っていうビッグイベントもひかえてるんだよ! あああ……ひとりぼっちで鹿に語りかけている自分の姿が目に浮かぶ……」


「京都・奈良は中等部で、高等部の修学旅行は沖縄であったはずですが」


「……なんくるないさー……」


「あのですね、遊佐さん、お気持ちは察しますが、少しはしゃんとしてください」


 と、亜森が柚子を叱咤するように声をあげる。


「つい先日、九条さんに甘えすぎないように気をつけると宣言したばかりではないですか。それなのに、その体たらくはあんまりではないですか?」


「ううう……九条さんだけじゃなく、亜森さんとまで別々のクラスになっちゃったのが悲しくてしかたないんだよぅ……」


 亜森は虚をつかれた様子で身をのけぞらしたが、すぐにまた「いえ」と強い声をあげる。


「これを機に、遊佐さんもクラスメートと正常な関係を築けるように努力するべきだと思います。遊佐さんは以前ほど遅刻や欠席も多くはなくなりましたし、生傷だらけになることも多少は減ってきたように思いますので、それほど変人扱いされることもないはずです」


「……あたしはでも、変人扱いされて距離を取られたほうが楽なんだけど……」


「何故ですか?」と亜森が怖い顔で詰め寄る。

 柚子はじんわりと涙を浮かべた目でそれを見返した。


「だって……クラスのコたちと普通に仲良くなったりしたら、文香姉さんのことをあれこれ聞かれそうじゃない? 文香姉さんは、とにかくこの学園で目立ちまくってるし……それでいて、あたしと姉さんの複雑な関係性なんて、校長先生以外は誰も知らないんだからさ……」


 亜森は絶句することになった。

 柚子には半分だけ血のつながった姉がおり、その人物はいまだに一学年上に在籍しているのである。そしてその人物は柚子ときわめて険悪な仲であるため、クラスメートの娘たちが期待するような心温まるエピソードは何ひとつ存在しないはずであるのだった。

 柚子はこぼれそうになる涙を手の甲でぬぐいながら、さらに元気のない声で言う。


「あたしはさ、ジムや試合のことだけじゃなく、家のことでも秘密を抱えてるんだよ。そういう話を内緒にしたまま、クラスのコたちと仲良くするのって、なんか罪悪感を感じちゃうの……人をだましてるような気分になっちゃってさ……」


「で、ですが……」


「うん、ごめんね。そんなのあたしの都合だもんね。亜森さんや九条さんに甘えるばっかりじゃダメだってのはわかってるよ」


 柚子は壁から身を離し、まだ目もとに涙をにじませたまま、にっこり微笑んだ。


「あたしのことは気にしないで、二人も新しいクラスで頑張ってね。特に九条さんは、新しいお友達をばんばか作っちゃいなよ」


「……そんなものをばんばか作れたら世話はありませんよ。私だって秘密を抱えた身ですし、遊佐さん以上に社交下手なのですから」


「そんなことないよー。あたしなんかがそばにいなければ、周りの人たちが勝手に集まってくるはずだからさ!」


 レオナは溜息を噛み殺しつつ、柚子の左手を取ることにした。肘の靭帯を痛めた柚子は、いまだに右腕をアームスリングという器具で吊った状態であるのだ。


「何にせよ、遊佐さんとの関係は何も変わりませんよ。昼休みや放課後には今まで通りおしゃべりできるのですから、あまり気落ちしないでください」


「昼休みのごはんなんかも、新しいクラスメートのコたちに誘われるんじゃない? あたしのことは気にしなくていいよ」


 そのように述べながら、柚子はまた弱々しく微笑んだ。


「その代わり……他の休み時間とかに、ちょっと顔を覗きに行ったりしてもいいかなあ? 他のコたちとのおしゃべりを邪魔したりはしないから!」


「そんなの、お好きなだけどうぞ。お昼のごはんだって、ご一緒しましょうよ」


「九条さんのそばに亜森さんしかいなかったら、あたしのほうから突撃するよ! それじゃあ、また後でね!」


 そうして柚子は、駆け足でいなくなってしまった。

 レオナは大いに苦悩しながら、亜森のほうを振り返る。


「あの、私は亜森さんと遊佐さんと仲良くしていただけるだけで十分だと考えているのですが、それでもあえて交流を広げなくてはならないものなのでしょうか?」


「それを決めるのは九条さんご本人ですので、わたしには何とも言えませんが……遊佐さんのように最初から他者を拒絶してしまうのは、あまり正しくないと思います」


 亜森はちょっと切なげに眉をひそめながら、そのように答えてくれた。


「もちろん、興味のない相手と無理に交流を広げる必要はありません。でも、最初から拒絶するのではなく、相手の人となりを判断してから交際の度合いを決めるというのが、一般的なのではないでしょうか?」


 レオナには一般的な考えというものがあまりわかっていないので、それを亜森が親切に解説してくれているようだった。


「たとえばですが、九条さんに新しい友人ができて、その人物も遊佐さんと友人になることができれば、それは誰にとっても実りのある交流になると思います。……言ってみれば、わたしだってそういう経緯でお二人とお近づきになれたようなものなのですから」


「亜森さんのように魅力的なお人がそうそう存在するとは思えないのですが」


 レオナの言葉に、亜森は一瞬で真っ赤になった。

 校内ではめったに感情を乱さない亜森には珍しいことである。


「い、いきなりそのようなことを言われてしまうと、さすがに照れてしまいます。そんなだから、遊佐さんにジゴロ扱いされてしまうのですよ?」


「そうですか。私は本心を語っているだけなのですが」


 亜森は困り果てたように身をよじらせる。


「と、とにかく、わたしのほうこそ、九条さんや遊佐さんが魅力的なお人であるということを誰よりもわきまえています。そんなお二人が学園内で孤立しているというのは納得がいきませんので、これを機に交遊関係が広がればおめでたいことだと思っています」


「そうですか……」


 レオナは亜森と柚子さえいてくれれば、後のことはどうでもよかった。勉強とトレーニングで私的な時間は埋まってしまっているので、これ以上交流を広げても手が回らないような気がしてしまうのだ。


(そんな風に最初っから拒絶するのがよくないって話なのかな……よくわかんないや)


 ともあれ、新学期は始まってしまったのだ。

 新しい教室で、新しいクラスメートたちと、新しい生活が開始されるのである。

 どんな新生活であろうとも、臨機応変に対処するしかないだろう。まずは現在の成績を維持することを一番に考えて、懸命に立ち向かうしかないように思われた。


                ◇◆◇


 新しい担任の教員は、とても優しげな風貌をした年配の女性であった。

 もう定年まで何年も残っていないのではないだろうか。髪は半分がた白くなっており、ふくよかなお顔には皺が深い。小さくて丸い眼鏡をかけており、安楽椅子で編み物でもしたらさぞかし似合いそうな風情であった。


「それでは、ホームルームはこれで終了となります。みなさん、気をつけてお帰りくださいね」


 時刻は午前の十一時半。新しいクラスメートたちとともに、始業式と帰りのホームルームを終えたところである。授業の開始は明日からで、本日はこれで帰宅が許されることになった。


 今のところ、おかしな事態は勃発していない。クラスメートの大半は知らない顔であったが───いや、むしろ知らない顔が大半であるゆえに、レオナに好奇の目を向けてこようとする者はいなかった。昨年度はそれなりの問題児としてレッテルを貼られていたレオナと柚子であるが、他のクラスにまで鳴り響くほどの悪評ではなかった、ということなのだろう。


 よって、レオナにしてみれば、何だか転校してきた初日と似たような心地であった。

 あんまり見分けのつかない従順そうな娘たちの中で、なるべく目立たないように息をひそめている。ボロが出てしまわないように行いをつつしみ、品行方正な人間を目指す。普段から心がけているそういった事柄を、あらためて実践しているようなものである。


(だけどまあ、悪目立ちさえしなければ、あとのことはどうでもよくなってきちゃったんだよな。人の目にどう映るかじゃなく、自分で正しいと思える人間を目指してるだけだし)


 そのようなことを考えながら帰り支度を進めていると、亜森が前のほうの席から近づいてきた。座席は出席番号順に決められており、亜森は一番で、レオナは五番であったのだ。


「九条さん、今日は食堂でお昼を食べていかれるのですよね?」


「はい。亜森さんも部活でしたっけ?」


「はい。明日から新入部員の勧誘期間となりますので、そのミーティングを行う予定です」


 亜森はこの学園の茶道部であるのだ。午後の授業のない日に亜森と食堂でご一緒するのは珍しいことだった。


「遊佐さんは、まだあちらには参加できないのですよね?」


 あちらというのは、『シングダム』でのトレーニングのことだった。周りの耳を気にしている際に使う隠語である。


「ええ。今日は真っ直ぐ帰って、病院に向かわれるそうです。うまくいけば、今日あたりから腕を吊らずに済むようになるそうですよ」


「そうすれば、あちらにも参加できるようになるのですよね。それは何よりです」


「ええ、本当に。だいたい、遊佐さんは───」


 と、レオナが言いかけたところで、別の人影が近づいてきた。

 どれも知らない顔ばかりだ。人数は三名で、みんな穏やかな表情を浮かべている。


「お話の最中に失礼します。亜森さんと九条さんですよね?」


「あ、はい。何かご用事でしょうか?」


「用事というほどではないのですが……わたしは加藤と申します」


「佐藤と申します」


「後藤と申します」


 なかなか名前を覚えるのが難儀そうなメンバーであった。


「学年首位の亜森さんと、それに並ぶ成績の九条さんとご一緒のクラスになることができて光栄です。今、少しお時間をいただけますか?」


「ええと……私たちは、これから食堂に向かうつもりであったのですが……」


「それでしたら、わたしたちもご一緒させてください。わたしたちも、食堂に向かう予定でしたので」


「みなさんも午後から部活動ですか?」


 亜森の問いに、たしか佐藤と名乗っていた娘が「はい」とうなずく。


「明日からは新入生の勧誘期間ですものね。わたしは天文部に所属しています」


「わたしは弓道部です」


「わたしは郷土研究同好会です」


 意外に弁財女子学園は、部活動も盛んなのである。レオナも転入当初は運動部から熱烈に勧誘されたものであった。


「亜森さんは茶道部でしたよね。九条さんは、けっきょくどの部活動にも参加されなかったのですか?」


「はい。勉強などで忙しくしているもので」


「それは残念です。弓道部の先輩がたも、当初は九条さんをお誘いしていましたよね」


 そんな気もするが、片っ端から断っていたのであまり記憶にない。

 レオナが不明瞭な表情でいると、三人娘は楽しそうに口もとをほころばせた。


「当時は運動部の間でものすごい勧誘合戦が繰り広げられていたそうですね。特にバスケ部とバレー部と陸上部は熱心だったと聞いています」


「そ、そうだったかもしれませんね。運動はまあ、得意なほうでしたので」


「文武両道は素晴らしいと思います。わたしなんて、運動のほうはからきしですので」


 なんとなく、出会った当初の亜森を思わせる物言いであった。

 レオナはちょっと心配になってきてしまう。


「あの、さきほども申し上げた通り、私は部活動に参加する時間もないのですが……」


「あ、いえ、勧誘のお話ではありません。わたしたちはただ……九条さんや亜森さんとお話をしたかっただけなのです」


「去年まではクラスも離れていて、まったく交流がありませんでしたし」


「よかったら、今後は仲良くしてください」


 邪念の欠片も見当たらない、実に善良そうな笑顔であった。

 とにかくこの学園は、善良で穏やかそうな生徒が多いのである。金持ち喧嘩せずの精神で、こういった気性が育まれるのかもしれない。


「それではとにかく、食堂に移動しましょうか」


 そのように答えながら、レオナは立ち上がった。

 すると、後藤の肩ごしに教室の出入り口が見えた。

 ドアの隙間から、黄色みがかったショートヘアが見えている。柚子が廊下から覗き見をしていたのだ。


 そうしてレオナと目が合うと、柚子は危険を察知した野ウサギのような俊敏さで消えてしまった。

 声をかける隙さえない。そのままパタパタと廊下を駆けていく姿が容易に想像できる身のこなしであった。


(だから、そこまで気を使わなくてもいいってのに……)


 レオナは再び溜息を噛み殺すことになった。

 そんなレオナの前で、新しきクラスメートたちはにこにこと微笑んでいた。


                ◇◆◇


 それから、およそ一時間半の後。

 新しいクラスメートとの交流会を終えたレオナが『シングダム』に直行すると、そこには柚子の姿があった。


「あれ、遊佐さん?」


 トレーニングルームの片隅で、柚子は小さくなっている。制服姿のままで、その手には大きなリュックを抱え込んでいた。柚子は昨日、レオナのマンションに宿泊しており、そのときの荷物は駅のロッカーに預けていたのだ。

 柚子は「押忍」と小さな声で答えてから、ますます小さく縮こまってしまった。


「九条さん、お疲れさまっす。自分は見学してるだけっすから、お気になさらず練習を始めてほしいっす」


「何か新しいキャラ作りですか? あまり親しみやすいキャラとは言えないようですね」


「押忍。恐縮っす」


「そうやって自分の気持ちを押し隠そうとするのは水臭いと思います」


 レオナは柚子の真正面まで歩を進め、そこに屈み込むことにした。

 柚子はリュックで顔の下半分を隠しながら、「押忍……」とさらに小さくなってしまう。どこまで小さくなれるのか、ちょっと見守りたいぐらいであった。


「やっと来たかよ。おい、九条、その死にかけたカナブンみたいなやつをどうにかしやがれ。鬱陶しくてたまんねえんだよ」


 そのように荒っぽい声を投げかけてきたのは、もちろん伊達であった。まだ正式なオープン時間には達していないのに、本日もジムにはすでに伊達と景虎とアリースィの姿があった。三人で、寝技の乱取りスパーに励んでいた様子である。


「死にかけたカナブンだそうですよ。ひどい先輩もいたものですね」


「押忍。恐縮っす」


「とりあえず、いつもの遊佐さんに出てきていただけますか?」


 柚子は左手一本でぎゅっとリュックを抱きすくめつつ、おそるおそるレオナを見つめてくる。


「あのね、ほんとにあたしのことは気にしないで、練習を始めてほしいの。それをちょっぴりだけ見学させてもらったら、すぐに病院に向かうから」


「はあ。病院はこれからだったのですね。……どうしてまた、わざわざ『シングダム』に寄ることにしたのですか?」


「それはその……精神力ゲージがレッドゾーンに達してしまったもので……」


「だったらあんな風に逃げたりせず、普通に話しかけてくれればよかったではないですか」


「だって、九条さんの新しい生活を邪魔したくなかったんだもん……」


 レオナは柚子の頭に手を置いて、その黄色っぽい猫っ毛をわしゃわしゃとかき回してやった。


「いきなり初日から無理をするものではありません。なんなら、もう一泊していかれますか?」


「ぬわわ。なんたる誘惑を! 九条さんは、あたしをとことん堕落させるおつもりなの?」


「大切な友人と仲良くすることが堕落につながるという考え方が、私には理解できないだけです」


 すると柚子はほんの少しだけ顔をあげて、まぶしいものでも見るように目を細めた。


「それは九条さんが強い人間だからだよ。あたしは自分の弱さにうんざりして自己嫌悪の真っ只中なの」


「怪我をしていて身体を動かせないから、ささいなことでも普段以上に苦しく感じられてしまうのですよ。私にも身に覚えのあることです」


「本当に? 九条さんでもそんな風に落ち込むことがあったの?」


「私なんて、喧嘩の強さしか取り柄がありませんでしたからね。馬鹿な父親や兄たちにぶちのめされて寝込むことになったときなどは、自分なんかに一片の価値もないんじゃないかという無力感に苛まれたものです」


 レオナは柚子の頭から手を離し、その鳶色がかった瞳を真っ直ぐ覗き込んだ。


「自分を無力と感じても、一歩一歩進むしかないのですよ。あなたはそれができる強さを持っている人です。何も心配する必要なんてありません」


「……うん、ありがとう」


 柚子は、泣きそうな顔で微笑んだ。

 レオナも微笑みながら身を起こす。


「それじゃあとりあえず、明日のお昼は一緒に食べましょうね。亜森さんとも、約束しておきましたから」


「え? でも、さっきのコたちとかは? お昼を誘われたりしなかったの?」


「誘われましたが、お断りしました。明日は遊佐さんとご一緒したかったので」


「ダ、ダメだよー! あたしは九条さんの足を引っ張りたくないんだってば!」


 柚子も、ぴょこんと立ち上がった。

 頭ひとつ分ほど低い場所にあるその顔を、レオナはまた間近から覗き込んでやる。


「あのですね、私の気持ちというものも少しは考えてください。クラスが分かれてさびしいと感じているのはあなた一人だとでも思っているのですか、遊佐さん?」


「え、だって、それはその……」


「いきなり遊佐さんと引き離されてしまったら、私だってさびしいんです。お願いですから、私を突き放すような真似はしないでください。あんまり冷たくすると、泣いちゃいますよ?」


「く、九条さんが泣くところなんて想像つかないなあ!」


「私だって人の子です。さびしければ、泣きたくもなりますよ」


 そのように述べてから、レオナは感情のおもむくままに微笑んでみせた。


「亜森さんの言い分ももっともですが、ゆっくりやっていきましょうよ。私たちは、名うての社交下手なのですから。新しい友人作りにかまけて一番大事な友人との関係に支障が生じてしまったら、本末転倒でしょう?」


 柚子はきゅっと唇を噛んでから、レオナの胸もとに頭を押しつけてきた。

 その小さな頭を、レオナはそっと撫でてみせる。


「どうでもいいですが、寝起きみたいなヘアースタイルですね」


「なんだよー、九条さんがひっかき回したんじゃん!」


 文句の声をあげながら、柚子はぐりぐりと頭を押しつけてくる。

 ようやく柚子も普段の調子を取り戻してきたようだった。


 かつてのレオナは、過去の自分をすべて捨て去りたいという気持ちで弁財女子学園に転入を果たした。しかし今は、捨て去りたくない存在がこの腕の中にある。それを大事に守りながら、新たな生活の場でうまくやっていこうというのはなかなか大変なことであるのかもしれなかったが、レオナはどちらも二の次にする気はなかった。


 そうしてレオナたちの新生活は、さまざまなすれ違いを経たのちに、ようやく正しい方向に回り始めたようだった。

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