03 冬の宴

「メリークリスマス!」の声が、リビングに響きわたる。

 十二月二十四日の、夜である。

『横須賀クルーザー・ジム』における練習試合と合同稽古を終えた一同は遊佐家の別荘へと舞い戻り、女子だらけのクリスマスパーティを敢行することとなった。


 取り決めとして、プレゼント交換は禁じられていた。

 もちろんクリスマスツリーなどは持参してきていないし、これといって部屋を飾りつけているわけでもない。ただそれっぽい料理をテーブルに並べただけの、ささやかなパーティだ。


 それでも一同は、それなりの盛り上がりを見せていた。七名中の約三名は素直に喜びの感情を表現できない偏屈ものであったのだが、残りの四名がそれをカバーしてくれている。特に柚子などは一人で四人分ははしゃいでいたし、サンタ帽をかぶせられた隆也少年は愛くるしく、そして、景虎と晴香の手には大人のドリンクが掲げられていた。


「うーん、いい匂い! このローストチキンを楽しみにしてたんだよねー!」


 残りの未成年組は、レオナと晴香の準備した料理で大いに食欲を満たしている様子である。

 ローストチキンは、晴香の作だ。昨日の晩から醤油と調理酒とみりんと蜂蜜のタレに漬け込んでおいた鶏の足を、オーブンでじっくり焼きあげている。つけあわせのポテトやブロッコリーとともに供されたその品がパーティのメインディッシュであった。


 レオナはひかえめに、サラダやスープや副菜などで晴香のローストチキンに彩りを添えることにした。チキンだけでは肉が足りないとのことであったので、サラダは豚肉の冷しゃぶサラダ、スープはベーコンがたっぷりのミネストローネである。

 宿泊代は無料であり、交通費などは黒田会長が経費扱いにしてくれたので、合宿参加費の三千円はのきなみ食材の費用としてつかわれていたのだった。


「それにしても、今日の練習試合は大将のあたしだけが黒星をつけちまって、何とも締まらない結果になっちまったねえ」


 と、ひとしきり盛り上がった後で、ビールのグラスを手に景虎がそのように言い出した。


「四勝一敗で戦績的には大したもんだけど、あたしのせいで全勝にできなかったのが不甲斐ないよ」


「なに言ってるんですかー! 相手のアベリィさんは柔術の専門家で紫帯だったんですから! 苦戦するのが当たり前ですよー」


「格上の青帯から一本を取った柚子に言われてもねえ」


 景虎の口調はあくまで冗談めいていたので、場の空気が重くなることはなかった。むしろアルコールが入っている分、景虎は普段よりも陽気にすら見える。


「ま、あたしが不甲斐ないばっかりじゃなく、四連勝できたみんなが大したもんだってことになるんだろうね。よく考えたら、全員が格上の選手をぶつけられてたんだからさ」


「本当だよ。僕は何でもかまわないけど、景虎と遊佐は級位が上の柔術の選手で、晴香はアマ・キックの準優勝者、九条は素行不良でプロテストを見合わせてる大馬鹿だもんね。あの門倉ってコーチ、にこにこしてたけど僕たちを潰すつもりだったんじゃない?」


「そんなことないよ。それでも五分の勝負ができるはずだって、あんたたちの力量を高く評価してたってことだろ。ウジさんの終生のライバルが、そんな騙し討ちみたいな真似をするわけがないって」


「どーだかね」と乃々美はミネストローネのスープをすすりこむ。


「ま、晴香は去年の準優勝者にKO勝ちできたんだから、アマの大会で優勝を狙えるレベルってことだよ。今年こそ、何か大会に出てみたらどうだい?」


「うーん、どうだろ。アマの大会って大体ワンデイ・トーナメントだからね。今のスタミナじゃあ一日に二試合以上はきついかなあ」


 そのように応じる晴香は、最初から赤ワインを口にしている。目もとがほのかに赤く染まっており、何やら色っぽい。


「ま、階級を上げるかどうかって問題もあるし、トンチャイと相談しながら色々と考えてみるよ。……それよりあたしは、レオっちの一発KOが衝撃的だったなあ」


 と、晴香がレオナを流し目で見つめてくる。


「あの石狩エマってコ、何かオーラが違ったもん。話を聞いたら、本当にプロに上がってないのがおかしいぐらいのキャリアと戦績だったしね」


「ふん。九条より喧嘩っ早いやつがいるなんて驚きだよね」


 ローストチキンをかじっていた乃々美も、そのように口をはさんできた。

 練習試合の後、門倉コーチの口から石狩エマのこまかな素性が語られることになったのである。


 彼女はレオナよりも一歳年長の十七歳で、中学生の頃からアマ・キックのリングに上がっていたらしい。対戦成績は、五十四戦で四十八勝四敗、二回の無効試合ノーコンテスト。KO率は実に九割で───なおかつ、負けた試合も無効試合も、すべて自身の反則が原因であったのだそうだ。


「そういう態度を改めない限り、プロテストなんて受けさせられるもんではないしね。道端の喧嘩で警察沙汰なんかになった日には、ライセンスを剥奪された上、ジムの看板にも泥を塗られちゃうんだから」


 晴香の言葉にうなずきながら、乃々美がきろりとレオナのことをにらみつけてくる。


「……試合中に反則技なんて使われたら、九条だって熱くなっちゃうんじゃない?」


「そうですね。でもそのときは、反則技をやり返すんじゃなく、リング下にでも逃げたいと思います」


「ふうん? やられっぱなしでムカつかないの?」


「……それでも反則を犯すよりはマシです」


 公式試合での反則というのは否応なく父親の過去を想起させられるので、レオナとしても平静ではいられなくなる案件なのである。それで頭に血がのぼってしまうようなら、レオナは試合放棄さえ辞さない所存であった。


「ま、九条さんはMMAが本職だからね。キック専門のあの娘さんと公式試合で当たることはありえないんだから、何も心配する必要はないさ。次に顔を合わせるとしたら、来年の合宿ぐらいだろ」


「そうですね」とレオナは景虎にうなずき返す。

 すると、柚子が横から「ねえねえ!」と飛びついてきた。


「試合の相手はちょっとアレだったけど、合同稽古はすっごく楽しかったよね!」


「はい。とても有意義な時間を過ごせたと思います」


「うんうん! だから来年の合宿も、絶対一緒に参加しようね、九条さん!」


「……………………ええ、まあ、ご縁があれば」


「ん? 何かな、その微妙なお返事は!」


 ソファにぺたりと座り込んだ体勢で、柚子がぐぐっと顔を近づけてくる。


「いえ、来年は高校二年の冬ですよね。ひょっとしたらもう受験勉強に取りかかっている時期なのかなと思ってしまって……」


「高二で受験勉強なんて早すぎでしょ! ていうか、九条さんの成績だったら受験勉強自体が必要ないって!」


「そんなことはありえません。私はこれでも必死に現在の成績を保っているのですよ? 受験勉強がからんでくるとなると、もう少しはジムに通うペースを落とさないと───」


「それでもいちおう、その頃まで『シングダム』に通ってるっていうのが前提なんだね」


 と、景虎が愉快そうに声をあげてくる。


「ちょいとぶっちゃけさせてもらうと、九条さんは十一月の試合でジムを辞めちまうんじゃないかってあたしは考えてたんだよねえ」


「……そうなのですか?」


「うん、だって、何かそういう思い詰めた目つきをしていたからさ。練習と勉強の両立もしんどそうだったし」


 気づけばその場にいる全員がレオナのことを注視していた。

 柚子にひっつかれたまま、レオナは「ええと」と言葉を探す。


「そういう気持ちが、なかったわけではありません。伊達さんの代わりに対抗戦に出場して、自分の気持ちに区切りをつけられたら、このジムに通う意義を失うのじゃないかと……そんな風にも考えていました」


「うん、そうだと思ってたよ」


 景虎はあくまで陽気に言い、その手のグラスを高々と掲げた。


「でも、試合が終わって一ヶ月以上経っても、九条さんはこうして『シングダム』に居残ってる。それが答えってことでいいんだよね?」


「はい」とレオナはうなずいてみせた。


「もちろん来年や再来年に自分がどういう気持ちになっているかまではわかりませんが、少なくとも、今のところは『シングダム』に通い続けたいと思っています」


「そんな先のことは誰だってわからないさ。プロまで上がってもいきなり辞めちまうやつは辞めちまうし。その場その場で考えていくしかないことだよ」


 景虎の言葉をありがたく受け取りつつ、レオナはもう一度「はい」と答えた。

 すると、柚子がレオナの胴体をぎゅうっと抱きすくめてくる。


「何ですか? 少し苦しいです」


「えへへ。来年も一緒に合宿してパーティしようね?」


「だからそれはまだわかりません。返事は来年まで保留させていただきます」


「いやーん、いけずー」と柚子はぐりぐり頭を押しつけてくる。

 シャンメリーで悪酔いしてしまったのだろうか。


「それじゃあさ、この先、キックとMMAを掛け持ちしていく気はないの?」


 と、今度は晴香が呼びかけてくる。

 新たな赤ワインを手酌でグラスに注ぎつつ、ちょっと目もとがとろんとしてしまっている。


「昨日からの集中スパーと今日の練習試合ではっきりしたけど、レオっちってキックに向いてると思うんだよね。現時点でもあんな戦績を持つ選手を秒殺できるぐらいなんだから、本気で取り組んだらMMAよりいい成績を狙えるんじゃない?」


「いえ、ですが……」


「あ、別にMMAからキックに転向しろって意味じゃないよ? MMAをメインにしながらキックを掛け持ちって選手は別に珍しくないからさ。女子選手なんてただでさえ試合の機会が少ないから、それほど負担にもならないと思うんだよねえ」


 やはりアルコールの効果であろうか。普段から明るく気さくな晴香であるが、いっそう饒舌になっている様子である。


「もともとレオっちは空手家だったわけだし、キックのルールのほうが順応しやすいんじゃない? 今でも寝技や組み技のほうが苦手なんでしょ?」


「ええ、確かにそういう面もありますが、でも、私が正式なキックボクシングの選手になることは、どうやら難しいようなのです」


「あらあ、どうしてえ?」


「トンチャイコーチがそのように言っていたのです。羽柴塾というのは日本中の空手連盟から除籍された身であるので、そこを隠したままキックボクシングの試合に出場するのは難しいだろうな、と」


 レオナにはあまり理解しきれていなかったが、要するに空手の世界とキックボクシングの世界はMMAよりも強い結びつきを持っている、ということなのだろう。


 というか、これも門前の知識であったが、そもそもキックボクシングというのは、1960年代に日本の空手家がタイに乗り込んでムエタイの試合をした、というのが始まりであったようなのだ。

 その後、正式にキックボクシングという呼称が定められ、空手家を中心に選手が集められた。それぐらいの昔から、キックと空手というのは密接な関係にあったわけなのである。


 レオナにしてみれば、キックボクシングという競技が日本発祥である、ということからして驚きのことであった。

 もちろんそれより先にムエタイという競技があり、ルールなどはほとんどそれに準拠する形になっている。が、キックボクシングという呼称が日本発のものであり、そこから世界に広がっていったのだ、などというのは想像の外であった。


 ともあれ、レオナがキックボクサーとして生きていくには、まず自分が羽柴塾の道場主の娘であり、十年以上もそこで稽古を積んでいて、なおかつ現在は完全に関係を絶っている、ということを公にしなければならないのだそうだ。


 もとよりレオナは過去を隠匿したいと考えているのだし、そんな苦労をしてまでキックボクシングの世界に足を踏み入れたいわけでもない。コーチのトンチャイは晴香のような論調でレオナのキックボクサーとしての資質を褒めたたえた上で、「残念だなあ」と自己完結していたばかりなのである。


「そっかあ。カズっちが去年まで籍を置いてた武魂会なんて、いちおう空手の道場なのにキックの大会を主催してるぐらいだもんねえ。言ってみれば、羽柴塾ってのはキック界でも出入り禁止の流派に認定されちゃってるわけかあ」


「ええ、そのようです」


「残念だなあ。レオっちだったら、プロでトップを狙えるぐらいかもしれないのにい」


 と、いささかおぼつかない足取りで近づいてくるや、晴香はふにゃりとレオナの身体にしなだれかかってきた。

 柚子もまだ抱きついたままであったので、左右から挟撃された格好である。


「おかあさん、ちょっとのみすぎです」


 サンタ帽の隆也少年がカーディガンのすそを引っ張っても、「うふふ」と笑っていっそうレオナにまとわりついてくる。

 すると、向かい側から乃々美が「ふん」と鼻を鳴らしてきた。


「だけど、MMAならともかく、キックで覆面をかぶってる選手なんてひとりもいないんじゃない? ましてやアマチュアの世界じゃあ、それで出場できる場なんてひとつもないと思うよ」


「ええ、そうかなあ? でもそれならそれで、史上初の覆面キックボクサーとして評判を呼べるじゃあん」


「いえあの、私はなるべく人目につかないように、つつましく生きていきたいと願っているのですが」


「もったいないなあ。MMAでもキックでも、レオっちだったら女子格闘技界を牽引していくような存在になれると思うよお?」


「そのように大それたものを牽引するつもりはありません。四ヶ月前に入門したばかりの新参アマチュア門下生に何を言っておられるのですか」


「あー、晴香はからみ上戸なんだよ。そうなっちまったら寝るまでどうにもなんないから、ま、適当にあしらってやんな」


 そういう景虎も笑いながら浴びるようにビールをあおっている。これが大人の世界というやつなのだろうか。


「話を戻すと、そういったわけで九条さんはなおさらあの跳ねっ返りと公式試合で当たる可能性はなくなるってこったね。向こうがMMAに転向でもしない限りはさ」


「……その可能性は、低いのでしょうか?」


「うん? まあ、カズの例があるから何とも言えないけど、どっちかと言えば低いんじゃないかね。あの『横須賀クルーザー・ジム』でも女子でMMAの選手なんてのはひとりもいなかったろ? 立ち技も寝技も磨かなきゃならないMMAってのは、柔術やキックと比べても、ちっとばっかり狭き門なんだよ」


 笑いながら、景虎は伊達を振り返る。


「カズなんかは、真面目にグローブ空手の稽古を積んでたのに、出稽古先でMMAの選手に痛めつけられて、それで悔しくなっちまったんだよね。MMAのルールでそいつをぶちのめさないと気が済まない、とか言い出してさ」


「いいですよ、その話は」


 これまで無言でひたすら食欲を満たしていた伊達が、苦い顔で振り返る。

 そういえば、伊達もレオナと同じように、空手の道場から『シングダム』に移籍してきた身なのである。武魂会というのはきわめてキックに近いグローブ空手という競技の流派であったようだが、MMAの選手として活動するために、伊達は三年も通った道場を辞めてしまったのだった。


「MMAの選手はもともと立ち技の腕も磨いてるから、その気になればキックの試合に出ることもできるけどさ。キックの選手がMMAの試合に出るには、一から組み技と寝技の稽古をしなくちゃならなくなる。そうまでしたって、女子のMMAはキックよりも活動の場が少ないぐらいだから、カズみたいに本腰入れようって選手じゃない限り、なかなか手を出そうとはしないだろうね」


「そうですか」


 女人の重さを左右から感じつつ、レオナはふっと息をつく。


「どうしたんだい? なんか、残念そうなお顔だね。あの石狩エマとかいう娘っ子と再戦したかったのかい?」


「いえ。反則も辞さないような選手と試合をしたいとは思えません。ただ───」


 あの娘は、確実に当たると感じた最善の一手をぎりぎりでかわしてのけたのだ。その反射神経や身体能力というのは、ちょっと尋常でないものに感じられてならなかった。


 むろん、結果はレオナのKO勝ちである。服部選手などは、最初からレオナに満足な一手を打たせないぐらいのフットワークを有していたのだから、レオナにとってはそちらのほうが難敵であった。


 しかしそれは、MMAやキックボクシングという競技においてのことだ。

 ルールのない喧嘩であれば、たぶんレオナは服部選手を数秒で地に沈めることができる。しかし、あの石狩エマという娘は───おそらく、そんな簡単にはいかないだろう。そういう、競技者ではなく生き物としての強靭さ、しぶとさを、レオナはあの短い攻防でひしひしと感じることになったのである。


(でも、だからって、今さら誰かと路上の喧嘩がやりたいわけじゃないし……いったい何なんだろうな、このモヤモヤは)


 自分はまだ負けていない、と涙のにじんだ青い目でレオナをにらみつけていた石狩エマの姿が、頭から離れない。その理由が、レオナにはまったく判然としなかったのだった。


「ま、いざとなったら車で二時間足らずの距離だ。会おうと思えばいつでも会えるんだし、そんな深刻に思い悩まなくてもいいんじゃないのかね」


 景虎の言葉に、レオナは想念に沈みかけていた心を浮上させる。


「ええ、そうですね。むしろ私は、あの方に関わらないほうがいいのかもしれません。何がどうあれ、試合で反則をするような人とはもうやり合いたくもありませんし」


「ああ。故意じゃない反則ならしかたないけど、通算戦績の一割が反則で終わってるってのは尋常じゃないからね。そんなことを繰り返してたら、どんなに戦績がよくってもそこら中の団体から出場停止をくらっちまうよ」


 レオナの父親などは、ただ一度の反則ですべての空手連盟にそっぽを向かれてしまったのだ。それぐらい、故意的な反則というのは許されないものなのだろう。そうでなくては、レオナも『シングダム』に身を置いている甲斐がなかった。


 そうして話がひと区切りついたところで、景虎が「さて」と膝を叩く。


「そろそろ料理も尽きてきたね。後半は喋ってばっかりだったけど、九条さんもきちんと食べられたかい?」


「あ、はい。それなりに満腹です」


「それじゃあ夜の後半戦、クリスマスケーキを堪能しながらのビデオ鑑賞会といこうか。ひとりは撃沈しちまったみたいだけど」


 そう、少し前から静かになっていた晴香は、レオナの肩にもたれてすぴすぴと寝息をたててしまっていた。レオナが憧れてやまない晴香の、思わぬ弱点である。が、その晴香にこんな風に身をゆだねられるのは、案外に悪い気分ではなかった。


「それじゃあケーキを運んでこよう。カズ、ちょいと手伝っておくれよ」


 空のグラスをテーブルに置いた景虎は、いそいそと部屋を出ていく。この後は、景虎が持参したさまざまな試合の映像を勉強がてら鑑賞する予定になっていたのだ。何でもその中には、黒田会長やトンチャイなどの若かりし日の試合なども含まれているらしい。


 伊達は景虎と一緒にリビングを出ていき、乃々美は隆也少年を呼びつけて余り物をつついている。そんな中、じっとレオナに寄り添っていた柚子が「ねえねえ」と囁きかけてきた。


「実はさ、九条さんにお願いしたいことがあったんだよね」


「はい、何ですか?」


「うーんとね……あの、駄目だったら駄目ってはっきり言ってほしいんだけど……」


「ええ、もとよりそのつもりです」


「……大晦日の夜、九条さんのおうちにお泊りさせてくれない?」


 レオナは、きょとんとしてしまった。

 レオナの左腕を抱え込んだまま、柚子は何やらもじもじしている。


「ほら、あたしって、家だとひとりきりだからさ。それで今年は父さんも帰ってこられないみたいだし……ヘルパーさんにも休みをあげちゃうから、大晦日から三が日までは完全無欠にひとりぼっちになっちゃうんだよね」


「……はい」


「中学にあがってからはずっとそんな感じだったから、別にどうってことないんだけどさ。この別荘で、九条さんとお泊りする楽しさを知っちゃったから……どうにも我慢がきかなくなってきちゃったんだよね」


「私の家など、来たって何も楽しいことはないですよ」


 そう前置きしてから、レオナは言った。


「それでもよかったら、どうぞ」


「え、いいの? ほんとに?」


 柚子のほっそりとした腕に、さらなる力がぎゅぎゅっとこめられる。


「母に会わせるのはいささか気恥ずかしいような気もしますが、まあしかたがありません。……あと、我が家にお年玉の習慣はありませんので、あしからず」


「そんな図々しいこと考えてなかったよー」


 柚子は笑い、またぐりぐりと肩に頭を押しつけてきた。


「えへへ。亜森さんにバレたら、またややこしいことになっちゃうなー」


「そうですね。そのときは遊佐さんの全責任において対処をお願いいたします」


 そのように言ってから、レオナはもののついででつけ加えておいた。


「そういえば、遊佐さんには服を選ぶお手伝いを約束してもらっていますし、その御礼と思えば安いものでしょう。……ショッピングには、いつおつきあいしていただけますか?」


 柚子は答えず、なおさら強い力で頭を押しつけてくる。

 そうして柚子や晴香から温もりを与えられていると、石狩エマからもたらされた不可解な感覚もいくぶんやわらげられるような心地がした。

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