26.無能の意地

「まずいな……」


 ゲイルが、激昂するブラッドを見つつ、険しい表情で呟いた。

 今までブラッドは、ヴァイスを見下して、完全に舐めて掛かっていた。要は、まだどこか油断していた所が有ったのだが。

 鬼のような形相でヴァイスを睨みつけるブラッドの身体からは、戦意どころか殺意までもが色濃く吹き出ている。あれではもう、油断とか言っている場合ではない。

 瞳が魔気の色に染まっているのがその証拠だ。あれは、纏う魔気が一定以上に濃くなった場合に現れる現象なのだ。

 それでも限界強化オーバーブーストまでは行っていないのだが。かなりのレベルまで強化が引き上げられているだろう。


「なぜ立ち上がれるのですか! あのヴァイスの蹴りを受けて、どうして!?」


 リリカが信じられない物を見るような目でブラッドを見つめ、声を上げた。

 彼女からしたら、あの蹴りを受けてなお立ち上がる事が出来ると言うのは、考えられなかった。

 しかし、それには理由があって。それに見当が付いていたゲイルが、その考えを口にした。


「いや、完全じゃなかった。蹴りの瞬間、奴の後頭部に魔法陣が浮かぶのが見えた。一瞬だったがな」

「魔法陣ですか!?」

「ああ、おそらく、障壁シールドだ。状況からして、物理障壁マテリアルシールドだろうな」


 それは、ゲイルの、戦士の優れた動体視力だからこそ分かった事だった。

 ヴァイスの蹴りがブラッドの後頭部へと打ち込まれるその瞬間、まるでその後頭部を守るかのように、魔法陣が展開したのだ。

 その魔法陣は、ヴァイスの凄まじい速度の蹴りを受けて、即座に消滅したのだが。あれが物理障壁だったなら、それで蹴りの威力が減衰されてしまったのだろう。

 だからこそ、ノーダメージとは行かなくとも。ブラッドの意識を刈り取るまでには至らなかったのだ。


 そして、それは実際に蹴りをみまったヴァイスにも分かっていた。彼は、苦々しい表情で吹き飛んだブラッドを見ていたのだから。


「そんな、何時の間に……」


 その話を聞いて、リリカが釈然としない様子で呟く。

 彼女の言葉通り、ブラッドは魔法を発動させたようなそぶりは見せていなかった。そもそもヴァイスの攻撃を知覚できていなかったはずだ。それなのに、障壁を張るなど、普通に考えたら出来るはずがない。

 つまり、それは普通の方法では無く。あの瞬間に障壁を張ったのではなくて、既に張っていた、と言う事である。

 その考えに行き着いて、リリカが更に驚愕したような表情を見せた。


「そんな、もしかして常駐型ですか!? そんな高難度魔法、戦士に使えるはずがありません!」


 常駐型とは、意識的に障壁を張るのではなく、常に障壁を張った状態を作る魔法だ。これは魔法と言うよりも、そういう装備に近い物である。

 能動的に張る障壁と違い、普段は目に見えず。相手の攻撃に反応して発現し、その攻撃から対象者を保護する。

 通常の障壁と比べて、強度で劣るのだが。今回の様に不意打ちにも有効な、かなり有用な魔法なのだ。


 しかし、この常駐型の魔法は、下級上級以前に、かなりの高難易度魔法である。半ば無意識下で魔法を発動しっぱなしにする必要があるからだ。

 本職の魔法使いにすら使い手が少ないのに、戦士が使えるはずが無かった。

 だから、リリカの言葉は正しいのだが。


「いや、見ろ」


 興奮するリリカと対照的に、ゲイルが冷静に言葉を放った。

 その言葉に釣られて、皆がブラッドに目を向ければ。

 彼のその豪華な鎧の首元から、彼の紅い魔気に混じって、蒼い光が漏れているのが見て取れた。

 更に良く見ると、彼の首には銀色の細い鎖が通っているのが分かったのだ。

 それは見たアリスが、自身のペンダントを握りながら、呆然とした様子で呟いた。


「まさか、魔道具? 常駐型の、しかも障壁なんて、すごい希少レアなのに……」


 その言葉に、ゲイルが舌打ちしつつ、


「まさに、貴族かねの力だな。まったく、恐れ入るぜ」


 と、吐き捨てる。実際、あんな高価な魔道具は、平民には手が出ないだろう。


「でも、常駐型なんて、消費魔力も凄いはずだよ? 戦士の彼が使うのは、やっぱり難しいはずだよ」

「それも、魔道具だろ」


 それでも納得いかない様子で、アリスが言えば。やはり、ゲイルが答えを返した。

 その言葉通りか。ブラッドの付けていた腕輪の一つが、やはり同じく蒼白い光を放っていた。


「あれは、ヴァイスの貯蓄ストックの指輪と同じもんだろう。まぁ、アイツのと比べると、数段上の、容量が大きい型だろうけどな」


 ヴァイスの持つ貯蓄の魔道具は、そこまで珍しい物でもない。障壁と比べるとかなり一般的な物だ。

 魔力は気力と比べると回復が遅いせいか、戦闘時には気力よりも枯渇しやすい。そのため、平時の内に、貯蓄の魔道具に己の魔力を貯めておくのは、魔法使いにとっては良くある備えではある。

 ブラッドはこの貯蓄の魔道具を使って、障壁の魔道具を発動する魔力を補っているのだろう。それなら、魔力の少ない戦士でも魔道具を使えるはずだ。


「そんな……そんなのって」


 アリスが、悲痛な声を漏らした。その瞳には、うっすらと怒りまでも沸き上がってくる。


 ヴァイスは、その身一つで戦っていたというのに。研鑽と鍛錬の末手にした剣技で、正面から戦っていたというのに。

 その身を削る奥義を使ってまで、勝利を目指したと言うのに。

 そんな彼を無能と蔑んでいた者が、弱者と卑しめていた者が。

 恥知らずにも、道具に頼るのか。己の力が及ばぬからと、道具に頼るのか。それも、よりにもよって。魔法が使えず、物理攻撃しか出来ないヴァイスに対して、物理障壁を使うなんて……!


 アリスが、まだ多少ふらついているブラッドを、憎々しげに睨みつけた。

 しかし、ブラッドはそれに意も介さず。


「無能如きがぁ、調子にのってんじゃねぇえええ!」


 一層その身体から魔気を吹きつつ、ヴァイスに向かって突進していった。


「くそっ!」


 ヴァイスが、脚の痛みに脂汗を流しつつも、ブラッドを迎え撃つ為に立ち上がる。

 怒涛の勢いで突っ込んでくるブラッドは、確かに勢いは凄まじい物があったが。頭に血が上っているからなのか、余りに直線的過ぎた。


「うらあああああああ!!」


 ブラッドが、ヴァイスの目の前まで距離を詰め、そのまま大剣を上段から振り下ろした。

 紅い光を纏った剣が、その光の尾を引きつつ大地に叩きつけられた。

 爆音と共に地面が弾け、その剣の威力をまざまざと見せ付けるが。


「ぐっぉおおおおおお!」


 ヴァイスは、それをかわしていた。痛みを忘れ飛ばす為に雄叫びを上げつつ、その場に上がっていた土煙の中から、ヴァイスが飛び出した。

 そのまま、剣を振り下ろした状態のブラッドに向かって切りかかる。


 しかし。それをブラッドは見据えていて。そのまま回避する事も無く、


「うぜえんだよ!!」


 甲高い音が、その場に鳴り響いた。ヴァイスが驚きに目を見張っている。

 その瞳には、蒼い魔法陣が、己の剣を受け止めている状況が写し取られていた。


 ブラッドが、常駐型の障壁を、能動的に発動したのだった。

 常駐型の状態とは比べ物にならない程の強度を得た物理障壁が、容易くヴァイスの剣を止めていた。


「おらあ!」


 流石に予想外だったのか、動きを止めたヴァイスに対して、ブラッドが大剣を横から打ち込んだ。

 ヴァイスもそれに反応し、全力で地を蹴るが。


「ぐっ!? があぁ!」


 脚の痛みのせいで回避が遅れ、遂にブラッドの剣がヴァイスを捕らえた。

 ヴァイスは、咄嗟に長剣で受けるが、止まらずに。その剣ごと、大剣にその身を打ち据えられた。

 幸い、受けたのが胸当てだったため、身体に直撃する事は無かったが。その一発で胸当てはひび割れ、ヴァイスの全身を軋む様な衝撃が走った。

 呼吸が止まり、上手く脚が動かぬ為に受身も取れず、そのまま転がるように吹っ飛ばされる。


「がはっ……くっそ、まだ、だああ!」


 しかし、ヴァイスは全身の力を振り絞って、その場に立ち上がった。口の中に鉄の味が広がるのを吐き捨て、身体を走る痛みを無視して、相手から距離を取るように地面を蹴り飛ばす。


「逃げんじゃねええ!」


 そこにブラッドが突っ込んでいく。紅い魔気を纏い、蒼い障壁に守られた悪鬼が、ヴァイスを追い立てていった。



「ヴァイス君! 駄目、あんなの卑怯だよ! 先生、決闘を止めて!」


 その光景に耐えられなくなったように、アリスが叫んだ。彼女は目に涙をため、マリアへと訴えるが。

 マリアは目を伏せ首を振り、冷静な様子で答えた。


「卑怯ではありませんよ。冒険者たる者、使える物は全て使うべきです。魔道具も、使えるなら使って良いのです。あなたは、魔物との戦闘でも、卑怯だからと道具を使わないのですか?」

「そんな、でも!」

「あの二人は、見習いとは言え冒険者として、決闘しているのです。であれば、冒険者の流儀を、守らねばなりません」


 冒険者は実力主義。使える物は全て使い、それら全てを合わせて、実力なのだ。

 魔物は、ルールなど守らない。魔物との戦闘に、ルールなど存在しない。その戦いに、「卑怯」などという言葉は無いのである。

 そんな過酷な戦闘をこなす冒険者にとって、決闘も同じだった。相手が人だから、戦闘ではなく決闘だから、道具を使うのは卑怯だなどと。そんな理屈は通じないのだった。




 ヴァイスとブラッドの決闘の、その後は。ブラッドの一方的な暴力であった。

 ヴァイスは限界突破リミットブレイクで足を痛めているため、動きが鈍くなっており。それ故に、それは当然の結果でもあった。

 

「ぎゃはははは! 無能がぁ、 無様だなあ! おい!」


 ブラッドが嘲笑を上げながら、剣を振る。

 ヴァイスは、もうそれを完全に回避する事は出来なくなっていた。

 その身に付ける防具は破損し、全身に打撲と裂傷を負い。制服は所々赤く滲んでいた。


「先生、止めてください! このままじゃヴァイス君が!」


 アリスが、マリアに懇願する。

 このままでは、ヴァイスが殺されてしまう。そう思える程、彼は既にずたずたに嬲られていた。

 しかし、マリアの答えはやはり冷徹で。


「駄目です。決闘終了は、どちらかが負けを認めるか、戦闘続行不能になるかです。本人に戦う意思があるなら、止められません」


 その言葉通り、ヴァイスはボロボロになりながらも、しかしその目から闘志は失われてはいなかった。

 ふらつきながらも立ち上がり、ブラッドへと剣を向け、真っ直ぐ敵を睨みつけていた。

 そんな彼を見つつ、マリアが諭すように言う。


「無謀な事はしてはいけません。勝てない相手に立ち向かうなど愚の骨頂です。プライドなど、命に比べたら軽いのです」

 

 無謀な勝負を続ける、ヴァイスを見ながら言う。

 ブラッドが物理障壁を使っている以上、魔法の使えない彼には、もはや勝ち目など無いのである。


「彼は、自分で負けを認めなければならないのです。それが、出来ないというのなら」


 マリアは、ほんの少し。悲しそうに、目を伏せた。

 それは、ヴァイスに対する、哀れみの気持ちなのか。


「結局、この先、長生きは出来ないでしょう」


 その言葉を聞いて、アリスが押し黙る。

 手をぎゅっと握り締め、ぎりぎりと歯を食いしばって。

 それでも堪らず、声を上げた。


「ヴァイス君! もうやめて!」


 アリスの、悲痛な声が場に響く。しかし、それをマリアが冷めた目で見ていた。


(……それは、逆効果でしょう? あなたがそう言えば、彼は……)


 マリアの想像通り、ヴァイスはそれで止まらない。それどころか、ますます闘志を奮い立たせていた。


「うおおおおおおお!」


 何度攻撃を食らおうとも。無様に地面に転がされ、顔面に蹴りを入れられ、どれだけボロボロになろうとも。

 ヴァイスは立ち上がる事を止めなかった。

 無駄だと言うのに。無謀だと言うのに。どれだけ望もうと決して届かないと言うのに。

 それでもヴァイスは、挑む事を止めなかった。止めるわけにはいかなかった。


 ここで負ければ。全てが無に帰す気がしていた。

 今まで訓練に費やしてきた時間が。流してきた血と汗が。すべて意味の無いものに成り果ててしまう気がした。

 そして、なによりも。


「うおおおああああああああああああああ!」


 ヴァイスが、渾身の力を込めて剣を振り下ろす。ブラッドの剣とぶつかりあい、その刃がぎりぎりと音を立てる。


 彼の脳裏に、校舎裏の広場での、アリスの姿が浮かんできた。孤児院の事を馬鹿にされ、聖女を貶され。恥辱に顔を赤らめても、それでも耐えていた彼女の姿が。


 負けたくなかった。負ける訳にはいかなかった。この世界の誰に負けようと、こいつにだけは、負けたくなかった。


「あああああ!」


 全身の力を振り絞り、剣を押す。しかし、簡単にブラッドに押し返され、その剣ごと弾かれた。その勢いで身体が後方に飛ばされ、無様に地を転がっていく。


 力が欲しい。今まで何度願った事か。今まで何度祈った事か。

 例えそれがかなわないと、届かないと知っていても。

 願わずにいられなかった。祈らずにいられなかった。

 痛みで朦朧としてくる頭で、ヴァイスは願い続けた。祈り続けた。

 どうか。どうか。どうか。

 俺に、こいつを倒す力を。俺に、力を―――



 立ち上がり、鬼気迫る表情で慟哭し、ヴァイスはブラッドへと切り掛かる。全身を血化粧で紅く飾った無能が、紅い魔気を纏った強者へと襲い掛かる。

 その姿に、周りの者は言葉を失っていた。それは、例えるならば、修羅。その身を裂かれようと、敵の喉笛を噛み切らんとする、恐るべき獣。

 学生達は、無能であるはずのヴァイスに畏怖の念を感じ始めていた。


 しかし。


「ヴァイス君」


 アリスは、今にも泣きそうな顔でヴァイスを見つめている。祈るように組んだ手は、青くなるほどに握り締められている。

 彼女は、ぼろぼろになってなお足掻く、自分の半身とも言えるその者の姿を、目に焼き付けるように見つめていた。

 

「ヴァイス君……」


 とうとう、アリスの頬に、一筋の涙が流れた。

 アリスには。この場に居る中で、唯一彼女にだけは。

 ヴァイスが、泣き叫んでいるようにしか、見えなかった。嘆き悲しんでいるようにしか、見えなかった。

 彼の何処が、修羅だと言うのか。彼の何処が、獣だというのか。


 彼は、まるで。迷子の子供のようで。誰か助けてと、泣きじゃくる子供のようで。


「うおおおおあああ!」


 彼の叫びが、嘆きが。アリスの心をも、ぐしゃぐしゃに掻きまわしていた。

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