第六話 見えざりし者

 年の瀬も近づいたある深夜。

 堺の街はずれに用意された卜伝の庵の戸が、突然数度ばかり叩かれた。


「ふむ、こんな時間にお客人とは、一体どなた様ですかのう?」

 蝋燭に火を灯し、回国の日記を記していた卜伝は、ゆっくりと立ち上がると入口に向かって歩く。

 そして玄関の戸を開けたところで、彼は思いがけぬ男をその目にした。


「はは、申し訳ありません。失礼かと思いましたが、こんな時間でないと中々に人目があるものでして」

 夜更けに卜伝の元を尋ねた人物、今井彦八郎は苦笑を浮かべながら謝罪を口にした。

 一方、そんな彼が口にした言葉を聞き、普通の要件ではないことを理解した卜伝は、そのまま戸を大きく開けると、彼を中へと通す。


「ふふ、家主殿を閉ざす扉など存在せんよ。どうぞ中にお入り下され」

「失礼致します」

 元々、堺の騒々しい街中を嫌い、離れの茶室として彦八郎が立てたこの庵。

 それは二人の男を中に収めるだけで、少し狭さを感じるほどの大きさであった。


「思わぬお客人で些か驚きましたが、はてさて何の御用ですかな?」

 畳の上で相対した卜伝は、ニコリと微笑みながらそう切り出す。


「いえ、先日のお礼を申し上げに参った次第でして」

「先日? はてさて何かございましたかな」

「マリア様の件にございます」

 わかっていながら敢えてとぼけていることを見抜きつつ、彦八郎はあっさりとした口調でそう告げる。

 すると、そんな知恵の回る商人に向かい、卜伝はニッコリと微笑んでみせた。


「ああ、あの件ですか。ですが、あれはほとんど弟子たちが成したこと。特に私が何かしたということはありませんでな」

「いえ、貴方の指導がなければ、剣技の未熟な若者は帰ってこれなかった。そんな結末は容易に想像できますよ。ですので、突き詰めれば貴方のおかげと言っても過言ではないでしょう」

「ふむ、本当にそう考えておいでですかな?」

 卜伝とて、無駄に謙遜などするつもりはない。そしてあの事件の解決に際して、彼が伝えた技術が役に立ったことも事実だとは認識していた。

 だが、それによって結果が違ったのかと問われると、彼は些か異なる見解を有している。


「……つまり卜伝殿は違うと、そうお考えですか」

「然り。私に出会っていなくても、あの子はマリア殿を助けたことでしょうな。おそらくはまったく別の手段を用いて」

 そう、それが卜伝の考える結論であった。


 あの若き弟子が彼と出会わず、そして刀を仮に扱えなかったとしても、結果には大差がない。つまり異なる方法を用いて、同じ結果を上げたのではないかと彼は考えていた。


 一方、そんな卜伝の見解に対し、彦八郎は敢えて異論を口にする。


「ふむ、ですがこれほど上手く物事を収束させられ無かったと、私は見ますな。何せ今回は、『三好家の偉大なる四男殿が、家中の悪事を一人で解決なさった』わけです。そのような無理を通すことが出来たのも、賊以外に誰一人被害を出すことがなかったが故。さらに言えば、貴方の下で、あの十河様と出会うことが出来たからでしょう。そうではありませんか?」

「かっかっか、そこまで広く解釈されますと、なかなかに否定しがたいものですな」

 彦八郎の話を耳にして、卜伝は嬉しそうに笑う。

 すると、そんな彼に向かって、目の前の商人は真剣な表情で一つの問いを口にした。


「否定される必要はございますまい。いずれにせよ、これでこの堺にはしばしの平穏が取り戻される。これは貴方のおかげです。そしてだからこそ敢えてお尋ねさせて下さい。今年いっぱいのご滞在との由でしたが、今後はどうなされるおつもりですかな?」

「今後ですか……そうですな、年が明ければ伊勢に参ろうかと思うております」

 彦八郎の問いに対し、卜伝はあっさりとした口調でそう答えた。


「伊勢でございますか?」

「ええ。あそこにも我が弟子がおりますもので」

 卜伝はそう口にすると、穏やかに微笑む。

 一方、その回答を受けて、彦八郎は該当すると思われる人物のことをその口にした。


「伊勢におられるお弟子様となりますと、伊勢国司の北畠きたばたけ様のことにございますかな」

「然り……さすが今井殿、よく聞こえるお耳をお持ちのようだ」

 卜伝は苦笑を浮かべながら、彦八郎の言葉を肯定する。

 すると、彦八郎は恐縮しながらも、この訪問における本題をここで切り出した。


「いえ、たまたま小耳に挟んだだけでございますよ。して、あの子のことは?」

「ふふ、そう焦られますな。伊勢へ向かう前に、京に立ち寄ろうかと思うております。その折に、約束通り我が弟子に預けることにしましょう」

 その卜伝の口から返された言葉。

 それを受けて、彦八郎は喜びをその表情に表しつつ、念を押すように更に卜伝へと問いただす。


「では、卜伝殿のお眼鏡にかなったと、そう思ってよろしいのですね?」

「あまり好みませんなあ。端から私が好むに決まっているとわかっておきながら、あのような賭けを申し出されるのは」

 卜伝はそう口にすると、わずかばかり渋い表情を浮かべる、


 京に滞在中の卜伝をわざわざ招聘し、そして交わした一つの賭。

 その結果が予想通りであったことを喜びつつ、彦八郎は敢えて肩をすくめてみせた。


「これは手厳しい。ですが、やはりあの子は貴方から見ても、興味深い存在であったということでよろしいのですな」

「否定は出来ませんのう。十河もなかなかに面白い男ではあるが、秀一は稀代と呼んでいい器でしょうな」

 この時代において並ぶものなしとされる剣豪。

 その彼を持ってして、ここまでの評価が成されたことに、彦八郎は言葉を詰まらせる。


 そう、それは流石に、彼の予測を上回っていたがゆえに。


「まさかそこまでとは……」

「ふふ、でもあなたもそう思っておいででしょう? 齢十二にして、堺の南蛮貿易を一手に握る少年。そんな者、彼以外に存在しうるはずがない。むしろ私こそ問いたいところです。本当に手元からお放しになってよろしいのですかな?」

 彦八郎の驚く顔をその目にしながら、卜伝は逆に彼に向かってそう問いかける。

 すると、目の前の比類なき商人は、初めて悩ましげな表情を見せた。


「それはもちろん、心情としては出したくはないですよ。ですが、私はこう見えて義理堅いたちでしてね」

「義理? 秀一と何かお約束でも成されていたのですか?」

「いえ、彼とは別に。ですが、彼を私に紹介してくれた少年とは、一つだけ約束をしたのですよ。私の目から見て、彼が更に上へと上る器を有するならば、必ずその後押しをするという約束を」

 播州において、ただの小作農の子供を彼へと推挙した少年。


 彼とあの日交わした約束を、彦八郎は未だ忘れてはいなかった。

 そして同時に、彼は卜伝によって告げられた言葉を、この場にはおらぬ萬吉という少年に向かって強く言いたかった。


 つまり端から私が好むに決まっているとわかっておきながら、あのような約束を申し出してきたのは、些か卑怯だったのではないかと。


「ほう、面白い約束をなさったものですな。しかし、その者も少年……ですか」

「ええ、少年です。そして彼に勝るとも劣らぬ傑物ですよ」

「それは実に興味深い。しかし、やはり時代の変わり目なのかもしれませんな」

 卜伝はそう口にすると、わずかに遠い目となる。


「時代の変わり目……ですか」

「回国の旅に出る度に、この日ノ本には面白き者たちが増えていると、そう感じております。我が弟子だけをとってしても、武田のところにおる隻眼の男、京で出会った知と礼に長けた若者、そして今川の……まあ、あやつは良いか。いずれにせよ、そんな者たちの中でも、秀一とそしてあの御方は格別と言ってよいでしょう」

 卜伝の口から発せられたその言葉。

 それを受けて、彦八郎はすぐに彼に向かって問いかける。


「つまり当代は……大樹はそこまでの御方だと?」

「然り。だからこそ、秀一を推挙するに足る人物であると、この老い先短い老人はそう考えておる次第です」

 その卜伝の言葉には一切の迷いが存在しなかった。

 だからこそ、彦八郎はただただ目の前の剣聖と称される老人に向かい、頭を下げる。


「そこまであの子を買って頂けたならば、もはや私は何も申すことがありません。どうぞあの子のことをよろしくお願いいたします」





 摂津の国の西に存在する滝山城。

 その離れに存在する狭い茶室の中には、一人の初老の男の姿が存在した。


「何の用かな?」

 冷え込んだ部屋の中、茶碗の湯で茶筅通しを行っていた男は、突然誰もおらぬ部屋の中で、そう言葉を放った。

 すると、彼の上方から一つの声が返される。


「松永様。堺で行っておりました例の件……失敗したとの由にございます」

「ほう……失敗か」

 天井から発せられた声に対し、男は特に動揺を見せることもなく茶筅通しを続けながらそのまま答える。

 一方、報告を行う屋根裏のものは、申し訳無さそうに言葉を返した。


「はっ、恐れながら……」

「で、何が原因だ? 堺の商人共が嗅ぎつけたというのか?」

「いえ、たまたま異国の女人をさらう際に居合わせた者がおり、の御方がそのまま件の船に乗り込んで、捉えていた者共を開放したと」

 その報告を受け、男は初めて茶筅を握っている手の動きを止めた。

 そして眉間にしわを寄せると、彼は詳細を問いかける。


「御方といったな? 一体、何者だ」

「四男殿にございます」

 その回答を受けて、男は小さく息を吐き出す。そしてほんの僅かに下唇を噛むと、正直な感想を漏らした。


「十河か……ふん、やはり目障りな男だ」

「いかが致しましょう。闇夜に紛れて、襲いましょうか?」

「できるのか、あの鬼十河相手に」

「それは……」

 弱々しい天井裏の部下の言葉。

 それを耳にして、男は軽く鼻で笑う。


「ふん、今は放っておけ。まだあの男の力は、我が三好に必要だからな」

「ですが、事が露見いたしましたら、些かまずい事態になりかねないかと愚考します」

「そうなる可能性を見越して、予め手は打っておる。もちろん、そんな安全策が必要になるなど、露程にも思っておらなんだがな」

 男はそう口にして、小さく頭を振る。

 そして改めて気を取り直すと、彼は言葉を続けた。


「いずれにせよ、堺でのこと故、十河もわしを怪しいと思うておろう。だが、決してわしまでたどり着くことは出来ん。その為に、少なからぬしっぽを用意しておいたのだからな」

「差し出がましいことを申し上げ、大変失礼いたしました」

 そう、決して抜け目なく、逆境においても自らの身だけは必ず守る男。

 それが天井裏の忍びが仕えている男の習性であった。


「構わん。それよりもだ、本当に十河一人だけで事を成したのか?」

「は? それは一体どういう意味でございましょうか」

「あの男が一人で対処したにしては、些か静かすぎる。自らの手で事を成したのなら、とっくに大声で騒ぎ立ている頃合いにもかかわらずな」

「確かにその通りですな……」

 三好家の四男の気性と素行を思い起こし、天井裏の部下もここで初めて違和感を覚える。

 すると、彼の仕える主人は顎に手を当てながら、一つの行うべき方向性を示してみせた。


「ふむ……やはり些か気になるな。少し調べてみるとしよう」

「では、かの御方の周りを?」

「ああ。あの男の周りに、あの脳無しに知恵を授けるような曲者が現れていないか、それを調べてこい」

「は、了解いたしました」

 その言葉を置き去りにして、瞬時に天井裏に潜んでいた部下の気配が消失する。

 そうして再び静寂が部屋の中を包み込んだ。


「何か妙な気配を感じるのう。あの脳無しが自分で考えたとはとても思えぬ。彦八郎や宗易あたりが何やら吹き込んだ可能性もあろうが……まあいずれにせよ、この久秀が天の頂きに手をかけるのを邪魔するものが現れるならば、ただ消えてもらうのみよ」

 そう独り言ちると、久秀は薄ら笑いを浮かべる。


 頂きへとたどり着くまでに殺めなければならぬ人間の名簿。

 そこに埋められるべきあらたな空白が産み出されたことを、彼は心から笑った。




あとがき


松永まつなが久秀ひさひで

永正7年(1510年)生まれとも言われる出自不明の戦国時代の武将。後に大和国の戦国大名となる。

一般的には、官位を合わせた松永まつなが弾正だんじょうとしてその名がよく知られており、戦国の世における最大の梟雄の一人とされる。その悪名は、世人にはなしがたき三つの事(将軍殺し、主君殺し、東大寺焼き討ち)を行った者として、現代にかぎらず当時においても日ノ本の国に鳴り響いていた。

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