第六話 越後府中

 越後府中。


 府内とも呼ばれる上越の中心であり、日本海側の物流における要衝と知られる直江津港に隣接する街である。

 甲斐からの長旅の末、僕はこの地で一人の男と待ち合わせを行っていた。


「しかしこれはまたえらい違いだな」

「ええ……差があると聞いていましたがここまでとは」

 この港へとたどり着いた僕と慶次郎は、ぐるりと周囲を見回し思わず感嘆の声をあげる。

 堺とまでは言わぬものの、明らかに甲斐や信濃とは比較にならぬ程、多くの人々が行き交い、街は活力に満ち溢れていた。


「噂じゃ、年々港の規模が大きくなっているらしいぜ」

「そうなのですが。しかし、これだといろいろと説明がつきますね」

 慶次郎のその言葉に、僕は納得したとばかりに一つ頷く。


 堺で商人として下働きをしていた頃から、越後の青苧から作られた麻布は非常に質が良く、売り買いに苦労することはなかった。

 だからこそ、これだけの街へと発展したのだとも言える。

 何しろ、度重なる戦役に耐えうるだけの資金を、間違いなく青苧の売上が叩き出しているのだから。


 そうして、僕たちが物珍しげに周囲を見回していた時、突然側面から穏やかな声が掛けられた。


「すいません、もしかして天海秀一どのでしょうか?」

 その問い掛けを受け、僕は声の主へと視線を向ける。

 するとそこには、恰幅の良い一人の男性の姿があった。


「はい。天海ですが……えっと、貴方は?」

「細川さまからご連絡いただいておりましたもので、蔵田五郎左衛門と申します」

「貴方があの蔵田さまですか。お噂はかねがね伺っております」

 僕はそう口にするなり、改めて目の前の人の良い笑みを受かべる男性を見つめ直す。


 蔵田五郎左衛門と言えば、上杉政虎の第一の御用商人として知られ、この府内一帯の商人の元締めとされる人物である。

 そう、我が主人たる今井彦八郎や千宗易どのに勝るとも劣らぬほどの人物として。


 一方、そんな大商人は穏やかな笑顔を浮かべたまま、僕に向かって笑いかけてきた。


「はは、こちらこそまさかこの地で今井の麒麟児とお会い出来るとは。いやはや嬉しい限りです」

「恐縮です。しかし今井の……ですか」

「ええ。何しろこの越後の青苧の一部は、堺へも運ばれますからな。彦八郎どのの秘蔵っ子と呼ばれた貴方とは、以前より一度お会いしてみたいと思っていたのです」

「秘蔵っ子と言われましても、既に飛び出してしまった身ですので」

 蔵田どのがどの程度まで自分の下調べを終えているのかわからぬ以上、僕はそう口にして軽く探りを入れる。

 すると、目の前の商人は全て知りつくしているかの素振りで軽く首を傾げてみせた。


「おや、まだ深く関係されていると伺いますが。確か桶狭間の際も、今井がかなりの武具を織田に供給したとかしなかったとか」

 なるほど、油断ならぬ相手だ。

 僕は蔵田どのの返答から、すぐさまそのことを理解した。


 だからこそ、重ねて事実を一部修正して伝えてみる。


「確かにそんなこともありましたね。ですがあれも、以前より彦八郎と信長どのの間に縁があったが故です。僕だけのためにそこまではされませんよ」

「そうですかなぁ。まあこれ以上立ち話もなんです。これより越後にてお過ごしいただく邸宅へとご案内いたしましょう……っと、その前に」

 そこまで口にしたところで、蔵田どのは一度後ろを振り返る。

 そしてそこに一人の老人の姿を認めると、改めてその口を開いた。


「今回ご使用いただく邸宅の主を、ご紹介させていただきましょう」

「邸宅の主……ですか。つまり蔵田どのの管理されている邸宅ではないと?」

「ええ。あのようなお屋敷には、私のようなものはとてもとても」

 僕の問いかけに対し、蔵田どのは顔の前で掌をパタパタと左右にを振り、あっさりと否定してみせる。

 途端、彼の背後に控えていた白髪の老人が、おもむろにその口を開いた。


「まあお主の家に比べれば、貧相なものじゃからのう」

「はは、そういう意味ではありませんよ。大きなお宅に住まれておると言いたいだけです」

「ふん、あくどいことをして儲けておるわりに、住んでいるところはまともじゃからな」

 蔵田どのの説明を耳にするなり、老人は目の前の商人のことは軽く鼻で笑う。

 一方、蔵田どのは軽く首を左右に振った。


「これは辛辣な。本当に悪辣なことをしていましたら、とっくに政虎様に成敗されておりますよ」

「なら、今のうちに首を洗って待っておくことじゃな。ともかく、お主のことはどうでも良い」

 そこまで口にしたところで、白髪の老人は僕たちへとその視線を移す。


「えっと、貴方がお世話になる邸宅のご主人どのですか?」

「そうじゃ。お主らには、わしの邸宅でしばし過ごしていただく」

「は、はあ。ご厄介になります」

 どう反応してよいのかわからず、僕は無難な受け答えを行う。

 すると、老人は口元を僅かに歪め謙遜らしき言葉を口にしてみせた。


「なに、気にするな。独り身の老人が部屋を余らせているだけの話じゃからな」

「だとしたら、早く勝行どのとお仲直りをされるべきでしょうに」

「うるさい」

 蔵田どのの揶揄を耳にするなり、老人は軽くいらだちを見せる。

 それを前にして、蔵田どのは小さく行きを吐き出すと、改めて僕たちへと向き直り、そして予想外の言葉を吐き出した。


「はぁ……ともかくこちらの御方が邸宅の主、宇佐美うさみ定満さだみつさまにございます」

「宇佐美じゃ。よろしくな、足利と前田……そして後ろに隠れておる忍びの小僧」

 宇佐美どのの口からその言葉が吐き出された瞬間、僕と慶次郎は慌てて後方を振り返る。

 するとすぐさま、背後の商家の屋根から一人の青年が飛び降りてくる。


「参りましたね。彼らにもバレなかったものを……いやはや、政虎殿の右腕は実におそろしいお人だ」

 してやられたという表情を浮かべた青年は、悔しそうにそう告げる。

 途端、僕はその青年の顔を目にして驚きの声を発した。


「え……小次郎?」

 そう、目の前に姿を現した人物。

 彼はこの越後へは同行しないと言っていた北条家の案内人、小次郎その人であった。



宇佐美定満

延徳元年(一四八九年)生まれ。上杉二十五将、及び上杉四天王の一人であり、越後十七将にもその名が数えられている。ただし彼に関しては、子孫が彼をモデルにした上杉謙信の軍師である「宇佐美駿河守定行」なる架空の人物を作り上げ、越後流軍学の大家としてその業績を誇張した可能性が示唆されており、山本管助と同様にその出自を含め不明な点が多いとされる。


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