第三話 躑躅ヶ崎館

 躑躅ヶ崎館つつじがさきやかた

 武田家が収める甲斐の国、そのまさに中心として存在する館である。


 自らの根拠地が城ではなく館であること。

 それは「人は城、人は石垣、人は堀」という当主の言葉をまさに体現していると言えよう。


 もちろんいざという時のために、要害城と呼ばれる詰城を躑躅ヶ崎館の北に用意してはいる。だが平時は常にこの館を根拠としており、このことからも信玄の開かれた人柄の一端を見て取ることができよう。


 そんな躑躅ヶ崎館ではまさに今、武田家の重臣たちが一同に揃い、一つの急報に対する評議を重ねていた。


「源五郎……それでまた越後が動きそうなのか?」

「はっ、関東から戻って休む暇なく、すでに北信濃への出兵準備を行っているとの由」

 奥近習を務める源五郎という名の涼やかな青年は、眼前の主に向かい、たった今入ってきたばかりの情報を伝える。

 途端、信玄は顔をしかめるとその腹を押さえだした。


「ううっ、胃が痛いのう。まったくなぜあの男はあれほどに戦いが好きなのか……しかし、これでまた民を戦いに駆り出さねばならぬ。なんとかあやつの視線をそらす方法はないか?」

「そんな方法があれば、最初からご提案いたしております。むしろ中途半端な策に走るほうが、民の被害が増える結果となるかと」

 信玄の淡い期待を向けられるも、後に真田昌幸と呼ばれることになる源五郎はばっさりと彼の甘い考えを切り捨てる。


「むぅ、それはわかっておるんじゃがのう……飯富、お主はどうだ?」

「御屋形様、次に同じようなことを起こさせぬ為の戦いです。此度で完全に決着をつけ、二度と北信濃に手を出させぬようにすることこそが寛容かと」

 武田家の宿老にして、赤揃えの猛将として知られる飯富虎昌は、源五郎に続く形で、信玄を窘めるようにそう告げる。

 途端、信玄は再び腹を押さえると、軽く下唇を噛んだ。


「わかっておる、わかっておるのだ。だからこそ、いつでも迎え撃てるよう準備を進めさせておるのではないか。だがもし、更に良き案があればと思うのは当然じゃろう?」

「そんな都合の良い方法などありませぬ。兄上、ご決断を」

 目の前で決断をしかねている兄をその目にして、これまで沈黙を保っていた弟の武田信繁が、有無を言わさぬ口調で信玄へと判断を迫る。

 一方、周囲から向けられた強い目線に、信玄は苦い表情を浮かべると、言い訳がましい事を口にした。


「だから決断はしておると言うておろう。覚悟自体はとっくに決めておる。言うなれば、こらはただの未練のようなもの――」

「御屋形様、御屋形様、たった今、菅助が戻りました。例の大樹の部下を連れて来たとの由にございます」

 視線をそらせながら喋っていた信玄の言葉を遮る形で、突然部屋の外から駆け込んできた老人がそう言い放つ。

 その室住虎光のおぼつかぬ足元を心配しながらも、信玄はその表情に待ち人がきたかのような喜色を浮かべた。


「おお、やって来たか。通せ通せ」






「この度はご面会の機会をお与えくださり、恐悦至極にございます」

 僕は震えそうになる手をどうにか押さえ込みながら、眼前の人物に向かい深々と平伏する。


 武田信玄。

 甲斐の虎とも呼ばれるまさに戦国時代最大の大立者の一人である。

 そんな人物を前にして、僕は緊張を覚えつつ感謝の意を告げた。


 途端、信玄どのはにこやかに微笑まれ、そして僕に向かって労いの言葉をかけてくださる。


「よいよい。堅苦しいことは構わんですぞ、天海どの。それよりも小田原からの長旅、ご苦労であったのう」

「いえ、信玄どのにお会いできると聞き、喜んで足を運ばせて頂いた次第です」

「ふふ、さすが京の男だな。一つ一つの所作が侘び寂びに満ちておる」

 僕の緊張感に満ちた所作を、信玄どのは好ましそうに微笑まれる。

 その気遣いに感謝を覚えつつ、僕は正直な事実を彼へと口にした。


「お恥ずかしながら、元々僕は播州の農家の出にございます。このような振る舞いに関しましては、全て細川藤孝どののご指導の賜物でして」

「ほほう、あの細川どのがのう。そう言えばお手紙にも書かれておりましたな。我が弟弟子を送ると。して、此度の甲斐へのご訪問は如何な理由によるものですかな?」

 人好きのする笑みを浮かべつつも、信玄どのはその大きな瞳をギロリと僕へ向けられる。

 それに対し、僕はわずかに首を傾げてみせた。


「先程のお言葉からして、既に細川様からお手紙が届いていると思いますが……」

「無論そうである。だが、わしはその方の口から聞きたいのだ。相模の獅子に肩入れして、あの越後の虎を追い払った大樹の懐刀の口からのう」

 その信玄どのの言葉に、僕は完全に虚を突かれた。

 だがすぐに気を取り直すと、慌てて対外的な建前を口にする。


「……小田原に居たことは事実ですが、大したことなど何もしておりません。ただただ氏康どのの治世と、その戦いぶりに感心させられたばかりです」

「そうかそうか、つまりは成田長泰を引き抜いたことなど、お主にとっては大したことではなかったというわけか。いやはや、さすが大樹は頼もしき男を抱えていらっしゃるようだ」

 流石。

 まさにその一言が脳裏に浮かび上がる。


 関東から離れたこの甲斐に居ながら、あの越後の龍による北条討伐の実体を完全に把握していたこと。それがまさに今の信玄どのの一言で理解できた。

 一方、動揺を隠せず次の言葉が出てこない僕を横目にし、隣に座っていた隻眼の男が場の空気を一変させるかのように軽やかに笑ってみせる。


「はっはっは、何しろ某の弟弟子でありますからな」

「そうなのか、菅助?」

 信玄どのは興味深そうな口調で、菅助どのに向かいそう問いかける。

「はい。天海どのは、我が師卜伝が特に目をかけている最後の弟子と、そう伝え聞いております」

「今現在はそのとおりですが、御年七十二にしてあの人はまだまだ盛んです。ですので、おそらくは最後の弟子にはならぬかと思っておるところでして」

 話題がようやくそれたところで、僕が二人の会話へと言葉を差し挟む。

 すると、信玄どのは満足げに一つ頷き、そして柔らかな声色で一つの提案をなされた。


「ふむ、そのあたりも含め実に興味深いのう。では、今宵は歓迎の宴を催すとしよう。その際に色々と教えてもらうとしようか。なぜ大樹が、我が武田とあの上杉の仲を取り持とうとされているのかをな」



武田信玄

大永元年(一五二一年)生まれ。幼名は太郎。元服後に武田晴信と名を改め、後に芳名として徳栄軒信玄を名乗った『甲斐の虎』とも呼ばれる不世出の名将。

天文十年に実父である信虎を追放して国主となり、信濃攻略を開始。そして北信濃の地にて、宿命のライバルである越後の上杉謙信と長きに渡る戦いを繰り広げることとなる。


真田昌幸

天文一六年(一五四七年)生まれ。幼名は源五郎。真田幸村(真田信繁)の父としても知られる。

真田幸隆の三男として生まれ、武田信玄の側近である奥近習六人衆の一人として活躍。後に、兄二人を長篠の戦いで失い、真田家の家督を次ぐこととなる。特に有名な戦いとしては二度に渡り圧倒的多数の徳川軍を僅かな手勢のみで守りきったことが知られ、『表裏比興の者』という渾名通り老獪な軍略家として成長していった。



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