第65話

「……まさか、こんなことになるとは思わなかったな」


 溜息を吐くのは、アースだ。

 そんなアースの左肩にはいつものようにポロがいるが、そのポロも今はアースを慰めるように鳴き声を上げ、その大きな尻尾二本をアースの頬に擦りつけていた。

 現在アースがいるのは、シュタルズの宿。

 アースがシュタルズに来てからずっと泊まっている宿であり、それだけに普段であればどこか落ち着くのだが……今の状況では、そうも出来ない。

 現在アースが落ち着かない様子でいるのは、当然のように古代魔法文明の遺跡が……正確には遺跡の中で起きた出来事が理由だ。

 あの遺跡でアースは弓を使う者として……いや、冒険者をやっていく上で役に立つのは間違いない、高い動体視力を手に入れた。

 魔眼……と呼ぶには些か能力が低すぎるが、それでも一種の魔眼に近い能力を持つことは間違いない。

 また、ポロも尻尾が一本増え、額には宝石のような物が現れた。

 このことから、アース達が探索した古代魔法文明の遺跡はまだ生きている遺跡なのではないのかという結論になったのだ。

 そうなれば、当然その恩恵を受けたアースとポロは色々と面倒なことになる。

 それを避ける為、アースはこうして宿屋に引き籠もっていた。


「ホーレンさんから最初に聞いた時は、何かの冗談だと思ったんだけどな」


 溜息を吐きながら、窓からそっと外の様子を見る。

 そこには月明かりに照らされる、数人の冒険者と思しき者達の姿があった。

 アースの目で見ても分かる辺り、隠密行動は得意ではないのだろう。

 そもそも月明かりのような明かりに照らされた程度でどこにいるのかが分かってしまうのだから。

 もっとも、それを見つけることが出来たのも、もしかしたら魔眼のおかげなのかもしれないが。

 その冒険者達が行っているのは、アースを見張るというものもあれば、逆にアースを守る為というのもある。

 シュタルズのギルドでも意見は色々と分かれており、同時にシュタルズにいる貴族や影響力の強い商会といった者達がアースに強い興味を寄せていた。

 アースを自分の配下として引き入れたい、古代魔法文明についての何かの情報を得られるかもしれないから調べてみたい、純粋に話を聞いてみたい、何が起きるのか危険なのでいっそ殺したい。

 そんな様々な意見を持つ者がおり、それぞれがアースと接触を持つ為に動いている。

 アースもそんな風に自分が見られているというのは理解しており、だからこそ現在は迂闊に動くことが出来なかった。

 今は、それこそお互いがお互いを牽制し……張り詰めた糸の上に立っているような、そんな状況なのだ。

 もしここでアースが下手に動いてしまった場合、張り詰めた糸が……それも複数の糸が切れ、シュタルズがどんな状況になるのか分からない。

 古代魔法文明の遺跡がまだ生きていたというのは、それ程の大事なのだ。

 ホーレンからその辺りの話を聞き、アースは全く自覚がないまま宿に戻ってきた。

 出来るだけ情報を隠しておきたいと思っていたホーレン達だったが、サンゾスはその遺跡を調べる為に盗賊に潜入していたということもあり、またそもそもリヴの依頼が遺跡の調査ということもあり、隠し通すことは出来なかった。


「……まさかこんなことになるとは、本当に思わなかったよな」

「ポルルル」


 アースの言葉に、ポロは短く鳴き声を上げる。

 その鳴き声にはアースを励ますような声も混ざっていた。

 シュタルズにやってきてから、まだ一年も経っていない。

 それだけに、まだシュタルズに対して強い愛着がある訳でもないが、それでも今の自分の状況は決していいものではないのは明らかだった。

 二本になったポロの尻尾を撫でながら考えていると、不意に扉がノックされる。


「っ!?」


 今の自分の状況が状況だけに、もしかして自分に危害を加える相手がきたのではないか。

 そんな思いから、アースは咄嗟に近くに置いてあった弓と矢筒に手を伸ばし……


「私よ」


 聞き覚えのある声に、アースが弓に伸ばそうとした手を止める。


「リヴさん?」

「ええ。ちょっといいかしら」

「え? あ、うん。別にいけど」


 尋ねてきた相手が、もしリヴ以外……いや、アースにとって顔見知り以外の相手であれば、恐らくアースもそう簡単に部屋の中に入れたりはしなかっただろう。

 だが、リヴはアースが会った冒険者の中でも極めて友好的な存在であり、信頼出来る人物でもあった。


「どうしたの、リヴさん?」

「……そう、ね。単刀直入に言うわ」


 部屋の中に入ってきたリヴは、二本に尻尾が生えたポロに一瞬意識を奪われるが、すぐに表情を改めて自分がここにやってきた理由を口にする。


「アース。貴方はこのままシュタルズにいると色々と面倒なことになるわ」

「それは……分かってます」


 現在の自分の状況がよくないというのは、それこそアースであれば……いや、アースだからこそ十分に理解していた。

 そんなアースの言葉にリヴは頷き、言葉を続ける。


「分かってるのなら、話は早いわ。シュタルズを出ましょう」

「そうは言っても……え? 出ましょう?」


 シュタルズを出なさい。

 そう言われたのかと思ったアースだったが、リヴは今、何と言ったのか。

 出ましょう。それはつまり、アースだけで出ていけというのではなく、まるでリヴも一緒にシュタルズを出ると、そう言っているようにすら思える。


「リヴさん、今なんて?」

「私もシュタルズを出るわ。アースと一緒にね」

「……え? え? いや、その、本気?」


 リヴはシュタルズでも腕利きとして有名で、若手の中でも出世株と言ってもいい人物だ。

 そのリヴが、何故シュタルズを出るのか。

 それが分からず、アースは不思議そうな視線をリヴに向ける。

 アースに視線を向けられたリヴは、一瞬戸惑うもののすぐに口を開く。


「元々シュタルズ以外の場所にも行きたいとは思っていたのよ。それに、アースは私にとっても親しい相手よ。そんなアースを一人で放り出す訳にもいかないでしょ?」


 もっともらしい理由を口にするリヴだったが、アースと共にシュタルズを出ようとしている最大の理由は、やはり尻尾が増え、額に宝石のような物が現れたことにより、以前よりも愛らしさを増したポロだった。


「ポロロロロロ!」


 そんなリヴの言葉に、ポロは嬉しそうに鳴き声を上げ、二本に増えた尻尾を振る。


「うぷっ! ちょっ、おいこらポロ! あまり尻尾を振り回すな!」


 二本に増えた分だけ、その尻尾が振られるとアースの顔にぶつかりやすくなっていた。


「ふふっ、相変わらずね。……それより、準備をしなさい。すぐに出るわよ」

「え? 出るって……明日とかじゃなくて、今すぐ!?」


 ポロの尻尾から顔を背けていたアースは、リヴの言葉に驚きを隠せない。

 だが、それも当然だろう。まさか今すぐにシュタルズを出ていくとは思っていなかったのだから。


「私に流れてきた情報だと、厄介な相手が動いているらしいわ。明日になれば、その動きが本格化をするかもしれない。だから、シュタルズを出るなら今すぐよ」

「けど……もう、門は閉まってるんじゃ?」


 もう夜中……と呼ぶにはまだ少し早いが、それでも既に火は暮れており、正門が閉まっているのは確実だった。

 今すぐに宿を出たとしても、それこそ明日の朝まではシュタルズを逃げ隠れしなければならない。


「安心しなさい。こう見えてそれなりに付き合いは広いのよ。それに、シュタルズの中にはアースが今この街にいられると困ると思っている実力者もいるわ」

「実力者?」

「ええ。シュタルズにはシュタルズで、色々とあるのよ。……さ、準備を」


 リヴに促されたアースは、急いで準備を整える。

 もっとも、長年シュタルズで冒険者として活動しているのであればまだしも、アースはまだ冒険者になってから一年も経っていない。

 そうである以上、この宿屋の部屋にはそれ程多くの荷物はない。

 依頼を受ける時のように装備を調えると、それだけで大まかな準備は終わってしまう。


「さ、行くわよ」


 リヴに促され、アースは部屋を出る。

 既に手続きも終わっているのだろう。アースの姿を見た宿の店主……ツノーラの知り合いだという男が黙って店の奥に案内する。


(表からは……出られる訳がないか)


 表には、アースから見ても分かるような人物が宿を見張っている。

 だとすれば、今の状況で表通りから出れば面倒な出来事に自分から突っ込んでいくようなものだった。

 そのまま宿の奥……従業員用の裏口の扉に前に案内される。


「ほら、ここだ。表の入り口に比べれば、見張られている可能性は少ない筈だ。ただ……それでも絶対って訳じゃないから、気をつけてな。ほら、これを持っていけ」


 乱暴にアースの頭を撫でた男は、そのまま何かの包みを渡す。


「ポルルル!」


 その包みから漂ってきた匂いを鋭く嗅ぎ取ったのだろう。ポロは嬉しそうに鳴き声を上げる。


「これは?」

「料理を適当に詰め込んだ。腹が減ったら食え」

「……ありがとう」


 男の厚意に深々と一礼すると、アースはそのままリヴと共に宿を出る。


「そう言えば、俺の荷物は特にないけど……リヴさんはいいの?」

「いいのよ。荷物の方はもう馬車に用意してあるから。後は、アースを連れて行けばすぐにでも出発可能よ」

「……馬車?」

「ええ」


 馬車は、そう安いものではない。

 アースのような冒険者になったばかりの者にとっては、とても買えるようなものではなかった。

 特に馬車を牽く馬の値段を考えると、その値段はアースにとってちょっと考えられないものになる。


「じゃあ……っ!?」


 更に何かを言おうとしたアースだったが、不意に視線の先に誰かが立っているのに気が付き、反射的に警戒するが……


「ポルルル!」


 そんなアースを余所に、ポロは嬉しそうな鳴き声を上げる。

 ポロの様子に疑問を持ったアースだったが……やがてその人物が前に出てきて、月明かりで顔が露わになるとアースも安堵の息を吐く。


「ビルシュ」

「おう。アースの折角の旅立ちだ。見送りに来ようと思ってな。……まぁ、色々と邪魔も多かったが」


 視線を近くの建物の裏に向けるビルシュだったが、アースはその視線に……意識を失って気絶している数人の冒険者には気が付かない。

 リヴだけがそれに気が付き、無言で小さく頷いて口を開く。


「じゃあ、行きましょうか」


 こうしてアース達は正門前に向かい……そこにはリヴの言葉通り、馬車が用意されていた。

 ビルシュ以外にもサニスン、ニコラス、フォクツ、メロディ、ライリーといった者達の姿がある。

 色々と複雑な思いを抱く者も多いのだろうが、それでも旅立ちの場に情けない顔はしたくないと、それぞれ笑みを浮かべて挨拶を交わす。


「じゃあ、行くわよ」


 御者台に乗ったリヴに頷き、アースとポロも御者台に乗る。

 御者として、いつまでもリヴだけに頼るわけがいかないからだ。


「じゃあ、またな! 俺達の冒険は、これからだ!」


 こうして、将来獣王の異名を持つことになるアースは、シュタルズを出て……より大きな世界で活躍することになる。

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