第46話

 茂みに隠れていたアースは、視線の先の光景が信じられなかった。

 ゴブリンが群れを作っているという話は聞いていた。

 だが、話を聞いただけで自分が理解していた気になったというのを心の底から思い知らされたのだ。


(嘘だろ……これだけいるのに、まだ増えるのか?)


 林の中を進むゴブリンの数は、百匹は軽く超えているように見える。

 それだけでも問題なのだが、それ以上に信じられないのはこうして見ている間にゴブリンの数はどんどん増えていっているということだった。

 また、アースは理解していなかったが、普段は注意力散漫で歩いている時にも何か自分の興味を引くものがあればすぐにそちらに手を出すゴブリンが、整然と……とまでは言わないが、それでも無駄に時間を潰すような真似をせずに移動している。

 ゴブリンが向かっているのが、シュタルズではなく林の中だというのは、アース達にとって幸運だったのだろう。

 もしこの数のゴブリンがシュタルズへと向かえば、今の状況では確実に防ぐことは出来ない。

 少なくない数のゴブリンが街中に侵入し、大きな被害が出ていたのは間違いないだろう。

 ニコラス達もアース同様、初めて見るゴブリンの数に声も出せないでだた無言で見ていることだけだ。

 アースの先輩といった風に振る舞っているニコラス達だが、実際に冒険者として登録したのは一ヶ月と離れてはいない。

 そう考えると、殆ど同期と言ってもいいだろう。

 だからこそ、アースが目を奪われている中では、ニコラス達も何か行動に動くことが出来なかった。

 だが……今回はそれが幸いした形だった。

 もしこの状況で下手に動いたり……ましてやゴブリンに攻撃を仕掛けていれば、間違いなく新人冒険者は骸へと変えられていただろう。

 じっと身を潜める四人と一匹。

 普段は騒がしいポロも、今の状況で見つかるような真似をすればどうなるか分かっているのだろう。

 アースの左肩の上で、じっと息を潜める。

 もしゴブリンの群れを見掛けたら、自分が倒してみせる。

 そんな風に思っていたアースだったが、その考えがいかに甘いものだったのかを身に染みて思い知ってしまう。

 一匹のゴブリンなら倒すのは問題ない。二匹や三匹でもポロがいれば何とか互角に戦うことは出来るかもしれない。

 だが、このように数百匹……もしくはそれ以上いるかもしれないゴブリンを相手にして、自分がどう足掻こうがどうしようないというのを理解してしまった。

 そうしてじっと身を潜めてどれくらいが経っただろう。

 一時間は経っていないが、それでも三十分以上は経った頃。

 ようやくゴブリンの集団はアース達の視界の中から消え、林の中には静けさのみが残されていた。


「……ふぅ……」


 アースは緊張を解すかのように息を吐き、慌てて口を押さえながら周囲を見回す。

 もしかしたら、まだゴブリンが残っているのではないか。

 そんな不安からだ。

 それはアースだけではなくニコラス達も同じだったようで、安堵の息を吐いた後に慌てて周囲を見回していた。

 そんな三人の姿を見ながら、アースは口を開く。


「シュタルズに戻って報告した方がいい……よな?」


 アースの口から出た言葉に、他の三人も隠れながらではあるが頷きを返す。

 木の陰に隠れていたので、ニコラスとフォクツが頷いたのははっきりと見えた訳ではなかったが……それでも、頷いているというのは理解出来た。

 メロディはアースの近くに隠れていたので、確認するまでもなく明らかだったが。

 周囲に間違いなくゴブリンがいないと、ようやく理解したのだろう。ニコラスとフォクツが木の陰が姿を現す。

 アースが予想した通り、その表情に浮かんでいるのは血の引いている顔。

 普段は精悍という言葉が似合うニコラスも、今は強大な敵を目の前にして怯えている新人冒険者以外のなにものでもない。


「い、行こう。早くゴブリンの群れのことをギルドに知らせた方がいい。……このままだと、下手をすればシュタルズが攻め落とされるぞ」


 それでもこうしてすぐに行動を決めることが出来るのは、自分がこの中ではリーダーだということをきちんと理解していた為だろう。

 ニコラスの言葉に従い、四人と一匹は急いでその場を去っていく。

 だが……この時、アース達は誰も気が付いていなかった。

 先程のゴブリンの群れには、リーダー種と呼ばれる上位種や、アーチャー、メイジといった者達はいたのだが……ジェネラルやキングといった、これだけの群れを作る場合にいなければおかしい種族がいなかったことを。






 林から抜け出たアース達は、真っ直ぐにシュタルズへと向かう。

 林が街道から数日単位で離れていないこともあり、道なき道――それでも草原だが――を血相を変えて走っているアース達の姿は、当然のように他の者にもはっきりと見えていた。

 それを見て、ゴブリンのことを知っている者はもしかしてゴブリンの群れが現れたのではないかと緊張し、知らない者は何故あんなに急いでいるのだろうと疑問に思う。

 そんな視線を向けられているということにすら気が付かないまま、アース達は街道を走っていく。

 そうしてシュタルズへと到着した時には、当然ながら全員が息も絶え絶えだった。

 特に重量級のフォクツは、新鮮な空気を求めて激しく息を吸う。

 ベテランの冒険者であれば多少走った程度で息を切らせるようなことはないのだが、この場にいるのはアースを含めて全員がまだ冒険者になってから一年未満……いや、まだ数ヶ月程度の者達だ。

 緊張のあまりに走り出した状態でペース配分のようなことが出来る筈もなく、フォクツ程ではないにしろ全員が息を切らせていた。

 そんな四人の冒険者を見て、シュタルズの警備兵は大きく目を見開く。

 もしかして盗賊か何かに襲われて、命からがら逃げてきたのではないかと思ったからだ。

 だが、周囲を見回しても盗賊の追っ手のような存在はいない。

 それを確認してから、警備兵の四十代程の男は安心させるように口を開く。


「ここまで来れば、もう安心だ。それで、何があったのかを教えてくれるかな?」


 そんな落ち着いた声に答えたのは、ニコラス。

 息を切らせながらも、自分がリーダーであるという意識を持っている為に何とか口を開く。


「ゴブリンです、ゴブリンが現れました」

「ゴブリン?」


 ゴブリンという言葉を聞いた正門の近くにいた者の反応は、綺麗に二つに分かれた。

 真剣な表情を浮かべる者と、ゴブリン程度に何を慌てているんだといった呆れ。

 前者はゴブリンの群れのことを理解している者達で、後者は未だにその件を知らない者達。

 手に入れる情報の速度や質に影響している言ってもいい。

 そして幸いなことに、アース達の対応をした警備兵の男はこの正門の担当ということでゴブリンの群れについて知らされていた。

 ニコラスの言葉に、先程までは落ち着かせるのを第一に考えて穏やかな笑みを浮かべていたのが、見る間に厳しく引き締まっていく。


「場所は?」


 その言葉に、ニコラスはようやく息を整えながらも、自分達がゴブリンを見た林のことを説明する。

 ここからそう歩いても数時間程度の距離にある林なので、警備兵も当然その場所のことは知っていた。


「そうか。まさかあそこを拠点にしていたとはな」

「拠点かどうかは分かりません。その、あの林で見たのは事実ですけど、偶然通りかかっただけかもしれませんし」


 ニコラスの言葉に、警備兵は頷いて口を開く。


「そうかもしれない。だが、今までは群れをなかなか見つけられなかったんだ。……皆、シュタルズからもっと離れた場所を探していたからな。それが、まさかこんなに近くに潜んでいたとは」


 ゴブリンの群れが現れたという話を聞き、シュタルズの中でも一定以上の腕を持つ冒険者はそれぞれがゴブリンの群れを探していた。

 だが、当然のようにゴブリンの群れが集まっている場所は、シュタルズからある程度の距離を持った場所だと思っていたのだ。

 近ければシュタルズを襲うのは容易いが、同時にゴブリンの群れが見つかるのもすぐだ。

 ゴブリンの群れを率いている上位種であれば、そのくらいの知恵が回ってもおかしくはない。

 実際今回ニコラス達に見つけられているのだから。

 だからこそビルシュを始めとした冒険者達は、それぞれ自分の心当たりを探していたのだが……まさか意表を突くかのようにそんな近場に本拠地があるというは、警備兵にとっても驚き以外のなにものでもない。

 早く上に知らせる必要があると判断した警備兵は、同僚へと視線を向けると口を開く。


「この子達は俺がギルドまで連れていく。そうした方が向こうも信じやすいだろう。お前はすぐに隊長に連絡をして、この件を伝えてくれ。もしかしたら、騎士団が出撃することになるかもしれない」

「分かりました、すぐに」


 二十代程の警備兵は、同僚の言葉にすぐに頷いてその場を去っていく。

 他の警備兵達は、今の話を聞いて意味が分からないと考えている者や、話の意味を理解して深刻な表情を浮かべている者達のシュタルズへ入る手続きを進めていく。

 そうしてアース達はそのまま警備兵に連れられて、ギルドへと向かうのだった。






 ギルドへと入るアース達。

 当然ながら、警備兵と一緒に入っていくのだから、ギルドの中にいる冒険者達に視線を向けられる。

 それでもロープで縛ったりしてはいないので、何か悪いことをして捕まった訳ではないと見て分かるのはアース達にとっては幸運だったのだろう。

 それとゴブリンの群れを探す為に多くの冒険者が街の外へと出ており、冒険者の数が少なかったのも幸いだった。

 とにかく、そんな四人が……警備兵を入れると五人が入って来た中で最初に行動を起こしたのは、アースの担当に近いギルド受付嬢のライリーだった。


「アース君、どうしたの? 何かあったの?」


 最初はアース達が何か良からぬことでもしたのではないかと思ったが、ロープ等で縛られていないのを見て安堵し、落ち着いてから尋ねる。

 そんなライリーに、アースが口を開く。

 この時、ニコラスではなくアースだったのは、ニコラス達はライリーとそれ程親しくなかったからだろう。

 ……もっとも、この状況でもニコラスの頬が紅くなっているのを思えば、それだけではないのだろうが。


「えっと、ライリー姉ちゃん。実は俺達、ゴブリンの群れを見たんだけど……」


 そう、アースの口から衝撃の言葉が飛び出すのだった。

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