第39話

「んん……うん……あれ? ここってどこだ?」


 目が覚めた瞬間、アースは自分がどこにいるのか全く分からなかった。

 自分が部屋を借りている宿ではないのは、今まで眠っていたベッドを見れば明らかだ。

 宿のベッドでさえルーフにある自宅のベッドと比べると段違いの寝心地の良さだったのに、今こうして自分が寝ているベッドの寝心地は宿のベッドよりも更に上だった。

 それこそベッドに寝ているのではなく、空中に浮かんでいるのではないかと思ってしまうほどの寝心地の良さ。

 その気になれば、いつまででも眠っていられそうな極上の寝心地。


「ポロロロロ」


 もう少しこの気持ちよさに包まれて眠っていたい……そんな風に思っていたアースだったが、耳元で聞き覚えのある鳴き声が聞こえると急速に意識を覚醒させていく。


「ポロ……ここは……」


 慌てて周囲を見回すと、改めてここが自分が借りている宿の部屋ではないということを理解する。

 だが、同時に見覚えがある部屋であるとも。


「そうか……昨日ロームを助けた後……」


 寝起きの頭ではあったが、すぐに前日のことを思い出してきた。

 そう、連れ去られたロームを助けに行き、ビルシュやリヴのおかげで連れ去った相手を倒すことが出来たのだ。

 そして屋敷の中を探そうとした瞬間、丁度騎士と思われる者達が屋敷に突入してきた。

 最初はアース達と敵対しそうになった騎士達だったが、中にリヴのことを知っている者がおり、そのおかげで無駄な戦いにはならずに済んだ。

 それには屋敷の二階に閉じ込められていたロームがアース達は自分を連れ去った者達ではないと証言したのも大きかったが。

 その後、ロームを助けたということでこの屋敷に招待されて宴に参加し、結果として一晩泊まっていくことになったのだ。

 ようやく自分が何故ここにいるのかを思い出し、取りあえず起きるかとベッドから起き上がろうとした瞬間、まるでそのタイミングを待っていたかのように扉がノックされる。


「すいません。アース様。お目覚めでしょうか?」

「え? あ、うん。大丈夫、起きてるから!」


 何か大丈夫なのかは言ってる本人も理解出来ていなかったが、それでも扉の外へと向かってそう声を掛ける。


「中に入っても構いませんか?」

「え? えーっと……いいよ」


 特に断る理由もなかった為にそう告げると、部屋の扉が開いて一人の女が入ってくる。

 メイド服に身を包んだ、二十代程の女。

 優しげな顔立ちをしており、ベッドの上に起き上がっているアースと、その側にいるポロを見て笑みを浮かべる。


「おはようございます、アース様。昨夜は良く眠れましたか?」

「うん。こんなに寝心地のいい部屋は初めてだよ」

「それは良かったですね。この屋敷は旦那様がシュタルズに滞在中に使う為に作られた別邸ですので、それを聞けば喜ぶと思います。……それと、そろそろ朝食ですのでよろしければ準備を手伝わせて貰いますが」

「準備? 準備って言っても……」


 自分の服装は、ロームから借りた寝間着だ。

 準備といっても着替える程度しかやることはない。

 何を手伝うのか疑問の表情を浮かべたアースだったが、メイドは笑みを浮かべながら口を開く。


「勿論身支度です。着替えや顔洗い、髪を梳かす……他にも細々とありますから」

「……着替え? え? ここで?」

「はい」

「俺が?」

「はい」

「姉ちゃんに?」

「はい」

「……本気で?」

「はい」


 何を言っても、笑みを浮かべてはいとしか答えないメイド。

 その姿に若干の恐怖を抱きつつ……アースは慌てて首を横に振る。


「い、いいよ。大丈夫、一人で出来るから!」

「いいえ」


 何故かこの時ばかりは、はいではなくいいえと口にするメイド。

 だが、そんなメイドを前にしてアースは慌てて首を横に振る。

 当然だろう。アースの前にいるメイドは、殆どの者が見れば美人と判断するような相手だ。

 リヴには劣るが、寧ろリヴの完璧すぎる整った顔立ちに比べると親しみが持てるとも判断出来る。

 だからこそ、思春期を迎えたばかりのアースにとって目の前にいるメイドに着替えさせて貰うという選択肢はなかったのだが……


「お任せ下さい。こう見えてメイド歴はそこそこ長いので、殿方の着替えを手伝うくらいは楽に出来ますから」


 満面の笑みを浮かべるメイドは、そのままアースへと向かって足を踏み出し……部屋の中から、少しの間ドタバタと騒ぐ音や、悲鳴が聞こえるのだった。






「ア、アース。おはようございます……って、その、どうかしたんですか? 妙に元気がないですけど」


 食堂へとやって来たアースに向かって声を掛けたのは、ローム。


(いや、もうローズ……だな)


 ロームと名乗っていたのは、あくまでもシュタルズの街中を歩き回るときのことだ。

 つまりアースの目の前にいるのは、ロームではなく、ローズ。

 今は貴族が着るような、豪奢なドレスを身に纏っている。

 それもただ女に戻っただけではない。このミレアーナ王国の中でも公爵に次ぐ地位を持つ侯爵、ソレナ侯爵家の一人娘だった。

 ローズに言葉を返す前に、アースは視線をチラリとテーブルに座っている人物へと向ける。

 その人物こそ、ローズの父親であり現ソレナ侯爵、ラーズヒル・ソレナ侯爵その人。

 細身の身体ではあるが、十分に身体を鍛えているというのを理解出来るだけの雰囲気を持つ人物。

 髭も生やしておらず、一見するとまだ十代……というのは少し厳しいが、それでも二十代には見えるだろう若々しい外見。

 それでいながら、貴族ではない一般人に対する人当たりが決して悪くないというのは、昨夜の宴の席でアースも十分に理解している。

 そんなラーズヒルの視線を受けながら、アースはロームに口を開く。


「ああ、色々とあってな」


 とてもではないが、貴族に対する言葉使いではない。

 だが、それはローズが望んだことだった。

 昨夜の宴の席で、最初はアースも慣れない言葉使いながら敬語でローズに接したのだが……ローズはそれを嫌い、自分と一緒に行動していた時のように話して欲しいと頼んできたのだ。

 ラーズヒルも娘のそんな態度に驚いたものの、異論は口にしない。

 もしこれが普通の相手であれば話は別だったかもしれないが、アースは連れ去られたローズを助けてくれたのだ。

 そんな恩人に対し、無茶を言うつもりはなかった。

 そんなラーズヒルの態度に、アースは少しだけ貴族に対して抱いていた偏見をなくす。

 良い貴族というのも、意外に多いものだと。


「おはよう」

「おう、アース。良く眠れたか? 俺はぐっすりだったぜ。……サニスンに何て言い訳するかも全く考えられない程にな」


 いつも通り表情一つ変えずに朝の挨拶をしてくるリヴと、ぐっすりと寝てから今朝起きて、初めてサニスンに何の連絡もしていなかったことを思い出したビルシュ。

 お互いの態度は正反対と言ってもいい。

 ……もっとも、例によってリヴは内心でアースの左肩にいるポロの愛らしさに目を奪われていたのだが。


「さて、では全員揃ったことだし朝食にしようか」


 ラージヒルの言葉で朝食が始まる。

 パンにシチュー、野菜サラダ、肉料理……普通に考えれば十分に豪華な朝食だが、侯爵として考えれば決して豪華な訳ではない。

 だが、一品一品にきちんと手を加えられて食事をする者の舌を楽しませるのには十分な料理の数々。

 珍しい食材を使うよりも、すぐに手に入る食材を使っていかに美味な料理を作るか。

 それが、ソレナ侯爵家に仕える料理人の為すべきことだった。


「美味い……」


 その料理の味に、アースはしみじみと呟く。

 そんなアースの横では、ポロが自分用に用意して貰った料理を嬉しそうに鳴き声を上げながら食べている。

 自分の家の料理人が作った料理をここまで美味しそうに食べるのを見れば、当然ラーズヒルも悪い気はしない。

 口元に微笑を浮かべ、娘の恩人に対して話し掛ける。


「喜んで貰えたようで何よりだ。それと……そちらの二人には既に話したが、君にも娘を助けて貰ったお礼をしたい。朝食を食べた後、少しいいかな?」


 ラージヒルの言葉に、アースは視線をリヴとビルシュの二人へと向ける。

 そんなアースに二人は特に言葉を発さずに頷きを返す。

 今回の件で最も働いたのは誰なのか、それが分かっているからだ。

 勿論ラージヒルが言っていたように、リヴもビルシュも今回の件の解決には大きく貢献している。

 相応の謝礼を貰えるということは、アースが食堂に来る前にきちんと説明があった。

 二人の先輩冒険者を見たアースは、ラージヒルに向かって頷きを返す。


「分かりました、楽しみにしています」

「うむ。……ローズ、お前がやるべきことは分かっているな?」

「はい、お父様」


 ラージヒルの言葉に、ローズは一瞬顔を強張らせる。

 今回の件を引き起こしたのは、ローズの護衛だったヴィクトルだ。

 だが、そのヴィクトルの口車に乗って外へと出てしまったのは、間違いなくローズのミスだった。

 それを問題にしたラージヒルは、暫くの間ローズに謹慎を言いつけている。

 ……それでも、こうしてアースがいる間は自由に振る舞わせている辺り、娘に対する愛情を抱いているのは確実なのだが。

 そうして食事が終わると、アースはラージヒルに連れられて別室へと向かう。

 そこにはアースの左肩の上にいるポロを目当てにしたリヴと、アースの兄貴分的な役割を自認しているビルシュ、そして謹慎前の最後に……と、アースと一緒にいたローズの姿もある。


(何だかんだと全員集合だな)


 そんな風に思いつつ到着した部屋には、一つの弓が置かれていた。

 装飾の類は殆どなく、実用性のみを重視した非常にシンプルな弓。

 黒をベース色としている弓で、鑑賞用の弓ではなく実戦用の弓なのは明らかだったが。


「アース。君のことは色々と調べさせて貰った。君がシュタルズに来る理由となったブルーキャタピラーとの戦いもギルドから聞いたし、柄の悪い冒険者に襲われた時のことも。また、ビルシュから今回の戦いでも弓を使ったと」


 その言葉に、アースはビルシュの方へと視線を向ける。

 視線を向けられたビルシュは、どこかバツの悪そうな表情でアースから視線を逸らす。

 昨夜の宴の席で、酒を飲みながらアースと自分の活躍を口にしたことを思い出したのだろう。

 別にそれは悪いことではない。

 だが、それでもアースの秘密――と言える程のものではないが――でもある、弓について喋ったのが気まずかったのだろう。


(弓、弓かぁ……)


 そんなビルシュとは裏腹に、アースはビルシュを責めるようなこともなく目の前にある弓へと目を向ける。

 弓に合わせたような黒い矢筒と、二十本程の矢が入った矢筒。……そして主役の弓。


「この弓はそれなりに値段はするが、それでも一流の冒険者が使う程の物ではない。だが……今のアースにとっては、十分すぎると思うのだが、どうだろう?」


 ラージヒルの言葉に、アースは少しだけ迷う。

 自分が目指しているのは英雄であり、将来的に長剣を使うのを目指しながら、現在は体格の問題もあって短剣を使っていた。

 だが……これまでの短い期間で繰り広げてきた戦いを考えれば、自分に近接戦闘の才能がないというのは十分に理解していたのだ。

 それでも諦め切れずに短剣を使っていたのだが、そんなアースにとって、目の前にある弓は魅力的すぎた。

 嫌いながらも惹かれ……そっと弓へと手を伸ばす。

 同時に感じたのは、吸い付くような感触。

 まるで自分の身体の一部ではないかと思えるような、そんな感触。

 それは、短剣を武器にした時には一切感じたことがないものだった。

 そんな弓を手にすると、ふとアースは視線を感じる。

 視線を感じた方を見ると、そこには何かを口に出したくても出せないローズの姿があった。

 何となくそのローズの顔を見ると気が抜け、小さく笑みを浮かべ……


「ありがとうございます。この弓、大事に使わせて貰います」


 そう告げ、アースは弓を手にしたままラージヒルへと頭を下げる。

 ……こうして、アースはこれまでとは違う、明確なまでの自分の牙を手に入れたのだった。

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