第38話

「うおおおおおおおっ!」


 自分に迫ってくる短剣の一撃を回避しながら、ビルシュは相手との距離を詰める。

 長剣を持っている自分と、短剣を持っている相手。

 普通に考えれば、有利なのはビルシュだった。

 ……だが、それはあくまでもビルシュの相手が……暗殺者風の男が普通に戦っていれば、の話だ。

 間合いでも一撃の威力でもビルシュに及ばない暗殺者風の男が取った攻撃は、短剣の投擲。

 いや、寧ろその攻撃方法こそが向こうの主要な戦い方なのか。

 それを示すかのように、今までに投擲された短剣の数は既に十本近い。

 攻撃方法が最初から投擲を重視したものでなければ、これだけの短剣を持ってはいないだろう。


「けど、幾らなんでも同じ攻撃を何度も見れば慣れるんだよ!」


 叫びながらビルシュは意図的にバランスを崩して身体を斜めにする。

 同時に、一瞬前にビルシュの身体があった空間を一本の短剣が貫いていく。

 短剣を投擲出来るといっても、一度投げてしまえば次に投擲するには次の短剣を取り出さなければならない。

 両手に一本ずつの短剣を持ってはいるのだが、それでも二本投げてしまえば武器は手に存在しない。


「厄介な!」


 自分の短剣をこうも容易く回避されるとは思わなかったのだろう。

 暗殺者風の男は自分の攻撃をあっさりと回避したビルシュに向かい、続けてもう片方の手に持っていた短剣を投擲する。

 利き腕ではない左腕で投擲された短剣だったが、それでも空気を斬り裂きながら飛んでいく短剣の威力は刺されば相手に大きな傷を与えられるものだった。

 ……当たれば、だが。


「ぬおおおお!」


 長剣を盾にするようにして突っ込むビルシュは、その狙い通りに自分目掛けて飛んできた短剣を長剣の刀身で弾く。


「なっ!?」


 まさかそのような手段で弾かれるとは思わなかったのか、暗殺者風の男の口から驚愕の声が上がる。

 今まで盾のようなもので防いだ者はいたが、まさか長剣を盾のようにするとは思わなかったのだろう。

 その驚きは一瞬だけ暗殺者風の男を呆然とさせる。

 だが、その一瞬があればビルシュも相手との距離を詰めるのに十分だった。


「ちぃっ!」


 下手にまあいをつめられると自分が不利であると知っている暗殺者風の男は、そのまま次の短剣へと手を伸ばしながらビルシュから距離を取ろうとするが……


「そんな簡単に好き勝手させると思うのか、よ!」


 距離を詰めた動きから、更に強く床を蹴って速度を上げる。

 暗殺者風の男、二度目の失態。

 まさか走っている状況から更に速度が上がるとは思ってなかったのだろう。

 再び振るわれる長剣の一撃は、真っ直ぐに暗殺者風の男の胴体を斬り裂いた。


「ぐはぁっ!」


 血を吐きながら床へと崩れ落ちる暗殺者風の男。

 だが、ビルシュもただでは済んでいない。

 レザーアーマーの隙間を縫うようにして短剣が腕へと突き刺さっていたのだ。


「ぐっ、くそっ、厄介な真似をしやがって……痛っ!」


 利き腕である右腕に短剣が突き刺さったのを考えると、ビルシュの戦力は大きく削がれたといってもいいだろう。

 幸いなのは、暗殺者風の男の投げた短剣だったにもかかわらず、毒の類がなかったことか。

 動くと痛みはあるが、それでも動けないという程ではない。

 ビルシュは痛みに顔を顰めながらも刺さっていた短剣を抜く。

 そうすれば当然のように傷口から血が流れる。

 出血量だけを考えれば、短剣は抜かない方がいい。だが、それはあくまでも刺された者が動かず安静にしている場合に限っての話だ。

 今のビルシュは、リヴかアースの援護に回ろうとしている。

 つまり、戦闘を行おうとしているのだ。 そんな状況で身体に短剣が突き刺さったままであれば、動いた分だけ傷口は広がる。

 だからこそこうして短剣を引き抜き、傷口へとポーションを掛ける。

 ビルシュも決して高ランク冒険者という訳ではないし、当然そのポーションは高級品という訳ではない。

 ポーションを掛ければその時点で全快という訳ではなく、あくまで出血を止める程度の効果。

 それでもビルシュにとって手持ちの金のかなりの部分を使って購入したポーションであり、精一杯の回復だった。

 そのポーションを使って回復したのを確認すると、改めてどちらに援護を行うのか迷う。


(アースはポロがいるから、そう簡単にやられるようなことはない。リヴは一人だけど既に相手をしていた二人のうち片方を倒している。だとすれば……)


 このままいつまでも悠長に考えていられる時間はない。

 どちらを援護するのか、すぐにでも決める必要があり……そんな中で、ビルシュが決めたのはアースの援護をすること、だった。

 リヴの強さは十分以上に理解しており、実際に何度もその目で見ている。

 アースやポロと初めて出会ったブルーキャタピラーの件でも、リヴがいなければ絶対に自分達は負けていたと言えるだけの実力を持っている。

 それに比べると、アースはポロがいるといっても本人はそこまで強くはない。

 路地裏で戦ったヴィクトルの実力を考えれば、アースが本当に立ち向かえるかどうかと言われると首を傾げざるを得なかった。

 そうなれば、リヴとアースのどちらを助けるかというのは考える間でもないだろう。

 なら……行くか。

 広いダンスホールの中、アースとヴィクトルが戦っている方へと向かってビルシュは歩き出すのだった。






「ほら、ほら、ほら! どうした!? 英雄になるんじゃなかったのか! その程度の強さしかないで英雄になれるものかよ!」


 ヴィクトルが狂ったように笑いながら、連続してレイピアを突き出してくる。

 連続突きで離れたらレイピアの刃を何とか回避するアースだったが、その顔は悔しげに歪んでいる。

 当然だろう。ヴィクトルの一撃が本気でないのは、嗜虐的な笑みに歪んでいるヴィクトルの顔を見れば明らかだったからだ。

 顔の右半分が焼け爛れているだけに、ヴィクトルの顔は余計に醜悪な笑みに見えた。


「ポルルルルルル!」


 ヴィクトルの突きを回避し続けているアースから少し離れた場所で、ポロの鳴き声と共に空中を紫電が走る。


「がぁっ! ……いってえなぁ、このクソネズミがぁっ!」


 ポロの放った電撃をまともにくらったというのに、その攻撃は致命傷とはならない。

 いや、痛みを与えているのだから無効化している訳ではないのだろう。

 それでも今までであれば、ポロの電撃をまともに食らえば一撃で意識を失っている者が殆どだった為に、アースの顔には驚愕が浮かぶ。

 そしてアースの顔に浮かんだ驚愕の表情を見たヴィクトルは苛立ちの表情から一転、心の底から楽しそうな笑みを浮かべていた。

 自分にこのような傷を負わせたアースの持つ、最大の攻撃。

 その攻撃が一切通用しないということで受けるその衝撃を見ると、ヴィクトルは自分の心の中に爽やかな一陣の風が吹いているような気すらした。

 ニタリとした笑みが浮かぶのを堪えることは出来ず、その笑みを見たアースは一瞬気圧されるものを感じて後退ろうとしたが、すぐにその場で踏み止まる。


「お前がロームを裏切るような真似をしなければこんなことにはならなかったんだぞ! それを分かってるのか! お前の怪我だって自業自得だ!」


 半ば自分を鼓舞する為の叫び。

 それを理解しているからこそ、ヴィクトルはその台詞に苛立ちを感じながらも我慢することが出来た。

 それどころか、アースを煽るように笑みを浮かべて口を開く。


「侯爵家だなんだって言っても、結局はただのガキに過ぎなかったよな。ちょっと街のことを話題に出しただけで、こうして俺に都合のいいように踊ってくれるんだからな。おかげで俺としては楽だったよ。……お前が姿を現すまではな!」

「くっそおっ!」


 再び放たれたレイピアの突きを、アースは横っ飛びで回避する。

 だが、ヴィクトルの突きの速度を前にしては無傷で回避出来る訳もなく、周囲に激しい金属音が鳴り響く。


「なっ!?」


 驚愕の声を上げたのはアース。

 手の中にあった筈の短剣が、激しい衝撃を受けたと思った次の瞬間には消えていたのだから。


「ほう、身体に当てるつもりだったんだが……予想外に素早いな。ただ、今の一撃で手に傷は負わなかったようだが、代わり武器がなくなったぞ? さて、この状況でどうする? 短剣を拾うような真似が出来るとは思うなよ?」

「なら、こうするに決まってる……だろ!」


 その声が聞こえると同時に、自分に迫ってくる何かの風切り音を聞いたヴィクトルは咄嗟にその場を跳び退る。

 兜は被っていないとはいえ、身体を覆っているのはフルプレートアーマーだ。

 防具の重量を考えると、ヴィクトルの咄嗟の瞬発力は驚異的と言ってもいい。


「ちっ、避けやがったか」


 そう言いながらも、ビルシュの表情に悔しさは存在しない。

 そもそも今の一撃は最初から回避させるつもりで放った一撃であり、ヴィクトルの注意をアースから自分に引き寄せる為のものだ。


「何だよお前……邪魔だな。何でお前が……ちっ、コールの野郎あれだけ偉そうな口を利いておきながらあっさり負けたのかよ。口程にもねえ役立たずが」


 少し離れた場所で倒れている暗殺者風の男……コールと呼ばれた男の姿に、ヴィクトルは唾を床へと吐く。

 本来であればコールはヴィクトルよりも技量は上なのだが、今回に限っていえば相性が悪かったとしか言えないだろう。


「仲間に対して随分な言いようだな」
































 ビルシュが長剣の切っ先をヴィクトルに向けながら告げる。

 そんなビルシュを前に、ヴィクトルも視線を外すことは出来ない。

 目の前にいるのは、コールを倒した相手なのだ。油断すれば、自分もやられてしまう危険は十分にあった。


「別に俺の仲間って訳じゃない。今回の件で手を組んだだけにすぎない相手だからな」


 そう告げるヴィクトルの表情には、言葉通り仲間の身を案じるような色はない。

 仲間思いのビルシュにしてみれば、そんなヴィクトルの言動はとても許せるものではなく……これ以上喋らせても苛立たせるだけだと知り、一気に長剣を手にしてヴィクトルへと斬り掛かって行く。

 ヴィクトルもそんなビルシュを迎え撃ち……そうなれば、当然のことながらアースからヴィクトルの意識は外れる。

 それでも派手に動けばすぐにヴィクトルに気が付かれるのは確実であり、そうである以上自分が動いた行動で勝負を決める必要があった。


(何かないか……何か……)


 動かないままで周囲の様子を探るが、この状況を一変させるような代物は見つからない。

 それでも諦めずに周囲を見回していると、ふと壁に掛かっている弓と矢が目に入った。

 矢筒はなく、弓の側に飾られている矢は二本だけ。

 だが、ヴィクトルに対して遠距離から攻撃が出来るのは非常にありがたかった。


(矢が二本しかないのが心配だけど……けど、やるしかないよな。うん、そうだ。やるしかない。ロームを助ける為にも……)


 アースの視線がポロへと向けられ、その視線を受けたポロが小さくみじろぎする。

 それを見た瞬間、一気にアースは弓へと向かって走り出す。


「やるしか、ない!」

「どこに行く気だ!」


 当然そんな派手な動きをすればヴィクトルはすぐに気が付く。

 だが、声を発すると同時にビルシュが長剣を振り下ろしてきた為、アースを追うことは出来ない。

 更に動きを見せたアースに意識を幾らか割かなければならず、ビルシュの相手に専念することも出来なかった。

 それは決定的な隙を生み出し……


「ポロ!」

「ポルルル!」


 アースの声と共に放たれた紫電は、一瞬であったがヴィクトルの動きを止める。

 同時に、アースが壁に掛かっていた弓へと手を取り、矢を番え……次の瞬間放たれた矢は真っ直ぐにヴィクトルへと向かい、その額へと突き刺さるのだった。


「やった……」

 

 呟くアースが、慌ててリヴの方へと視線を向けると、丁度リヴの槍の穂先が男の胴体を貫いたところだった。

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