アクロイド 貴族 3

 右手の怪我もあってハーニーは真っ直ぐに宿に戻った。宿の自室には誰もいない。

 リアはネリーとどこか出かけていた。ネリーがリアと仲良くなるために連れ出したのだ。帰るのは夕方か、夜か。

 どちらにせよ昼の今、ハーニーは一人だった。


「……はぁ」


 一人で使うには大きいベッドに倒れ込む。疲労が実感を伴って身体を襲う。

 肉体的な疲れはもちろん、精神的な疲れもあった。


「実際、どうなんだろう……」


 つぶやきはリオネルのこと。発言を見れば何か企んでいるのは分かる。それも貴族に対する大々的な何かだ。パウエルに相談すべきことなのだろう。


「だけどなぁ……」


 それが正しいことなのか分からない。今日のリオネルを見ればただの優しい老人だ。師の師として魔法の秘密まで明かしてもらっている。それなのに疑惑を持つのはどうも気が引ける。

 本当は全部気のせいで何も企んでいないんじゃないか。ただ愚痴っているだけなんじゃないか。

 根拠なしの希望まで頭に湧いて出る。


「セツはどう思う?」

『リオネル老のことですか?』

「うん。今までリオネルさんは何か悪いことを考えてるって思ってたけど、今日のああいう姿を見ると……自信がなくなってきた」

『あなたに自信がないのはいつものことでしょう』

「う……」

『あなたが一人で今すぐ決めようとすることがおかしいのではありませんか? もし気になるのなら聞けばいいんです』

「誰に」

『本人に決まっています』

「リオネルさんに直接か……」

『人が一面だけの存在ではないのは当たり前のことです。誰だって良い面があれば悪い面があります。それは見方によって激しく異なりますが、そうであることは確かです。ですから一方的に決めるのは危険です。妄信的になってはいけません。どちらの意味でも』

「……心の中でいつもどこかで抗いなさい」

『何ですか突然』

「不意に思い出してさ。ネリーのお父さんがネリーに送った言葉。こういうことを言うのかなって思ったから」


 いつだったか。ネリーの湯浴みに出くわした時だっけ。

 脳裏に白い肌が過って顔が熱くなる。


『……何考えてるんですか』

「えっ、あ、何でもないよ」

『どうでしょうね』

「……とりあえずハッキリ本人に問いただすまで決め付けないでおこうか」

『そうです。あなたは愚かなほど真っ直ぐなのが取り柄なのですからそれを生かさない手はありません』

「……何か怒ってない?」

『怒る理由が見当たりません』


 抑揚のなさは、捉えようによってはいくらでも怒気を孕んでいるように思えるから怖い。


『真面目な話、さしたる証拠もない今パウエル卿に話したところで結果は変わりません。あなたの代わりにパウエル卿がリオネル老に聞くことになるだけでしょう』

「違いないね。パウエルさんならきっとそうする」


 あの人が小細工をする人間ではないことは分かっている。誇りに生きているのだから当然だ。


「……」


 ベッドに横になりながら自分の右手を天井に伸ばす。清潔感のある純白の包帯が巻かれていた。少し握ってみると血が滲む。すぐに力を抜いて腕を下ろした。

 次会ったら聞いてみよう。

 そう心に決めると一週間の溜まった疲れが睡魔としてどっと押し寄せてきた。昼寝にしては長い睡眠。それはリアが帰ってくる夜まで続いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る