コトのお見合い 5

 シューマは牧場の管理があると言って、屋敷へ一緒に戻らなかった。彼なりに気遣ってくれたのだ。この性格ならほとんどの結婚相手が幸せになるに違いない。もちろん事情があるコトは除かれるが。

 夏の、夜に近い夕暮れ時はいつもより暗かった。雨でも降りそうな黒雲が空を埋め尽くしつつある。湿気が張り付くようで煩わしい。

 コトはそんな空の下、屋敷から少し離れた林沿いにいた。切株を椅子にして、林の木々の揺れる音に耳を傾けている。こちらに背を向けていて表情は分からない。

 ここはシューマの屋敷から見える距離だ。離れ過ぎずにいるあたりに、コトの独善的になれない性格の一端が見える。

 ハーニーの足音が聞こえてもコトはピクリと震えただけで振り向かなかった。


「もう夜になるよ。雨も降りそうだ」

「別にいいよ……せんぱいはあたしの何でもないんだし、気を遣わなくていい」


 無難な会話の始まりは、拗ねた言葉で続かない。

 腹は立たない。コトの背中は小さく縮こまっていて、今の言葉をもう後悔し始めている。つい言ってしまったんだなと伝わる。


「シューマさんには僕から断ったよ」

「えっ」


 コトは驚いて振り返った。困ったような八の字眉だが、涙の色はない。泣いてはいなかったようで安心だ。


「コトに結婚する気はない、って言ったんだ。向こうも分かってくれたよ」

「そ、そうなんだ……」

「うん」


 ザザザ、と不安を掻きたてるような林の風音。

 コトは恐る恐るといった風に立ち上がって、一歩だけ歩み寄ってきた。躊躇いがちに胸の前で手をもじもじさせながら、苦しそうに訴えてくる。


「……あ、えと……あたし、ね? さっきはつい色々言っちゃったけど……せんぱいを利用しようと思ったわけじゃなくて、あ、助けてくれたらいいのにとは思ってたけど、で、でもあたし自分で断ろうとは思ってて……あたし……」

「いいよ。自分を責めなくても」


 優しい言葉は今のコトにとって距離を感じるものだったらしい。コトは泣きそうな顔をして慌てた。


「や、やだ! 待ってっ。あたし、本当にそのつもりで、さっきはいっぱいいっぱいになっちゃったけど、あたしはせんぱいにこうさせたかったわけじゃ」

「大丈夫だってば。僕は怒ってないし、嫌いになったりしてないよ。どうでもよくなったらから優しいフリしてるわけじゃない」

「……ホント?」

「嘘つかないよ」

「……失望してない?」

「しないしない」


 そんな心配まで。つい笑みが零れる。

 分かっていたけどコトは良い子だ。「断ってくれた! やった!」とはならずに、自分を責めるのだから可愛く思える。今も不安そうに僕を直視できずにいるから放っておけない。


「実際、僕こそ謝らないといけないことがあるよ」

「え? せんぱいは何も悪くないよ?」

「そうでもない。僕が代わりに断るのだって遅かったくらいなんだ。それくらいの手伝いはしてよかった。いや、するためについてきたんだから」


 そうできなかったのはなぜか。


「いざトウコさんから話を聞かされてみると僕は怖気づいたんだ。結婚なんて人生の転換点を僕が左右するのが怖かった。本当はいっつもそうなんだ。誰かの人生に関わるのは怖い。僕には責任が取れないもの」


 コトに限らず、全員に対しての話だ。ネリーにもアルコーにもユーゴにも、誰に対しても僕なんかが関与していいのか、と不安になる。


「でも、せんぱいは助けてくれたよ?」

「それはコトの気持ちがハッキリ分かったからだよ。コトは後悔してるけど、さっきはああやって感情を表に出してくれたから、本当に結婚したくないんだって確信できた。そこまで分かりきらないと動けないんだから僕は情けないよ」


 助け船を出してはいけない、なんて考えていたのも馬鹿らしい。パウエルさんが助けなかったのは、僕が自身をどうするかの判断の部分であって、判断の先は師匠としてあれほど助けてくれたのに。

 結局、僕は楽な道──コトが自力で何とかするのを待った。その言い訳でパウエルさんを使っていた面がある。

 自嘲的な笑みが零れた。


「意気地なしって言われても仕方ない」

「そんなことない!」


 沈みかけた空気を断ち切る、明確な否定だった。


「あたしが自分で断るべきことなんだよ! せんぱいがそこまで気に病むことない! 反省しないといけないのはあたし! あたし、せんぱいが全部何とかしてくれれば、なんて思ってた。でもそれってすごくずるい。あたしの問題なのにね。だから、せんぱいがそこまで肩代わりしなくていいんだよ!」

「……そうだね。コトの責任まで奪い過ぎか」

「そうだよ! あとはあたしがお母さんにハッキリ言えばいいだけ! ちゃんと説得して……説得して……うう」


 意気込んでいたのが急速にしおれる。コロコロ変わる感情の揺れ幅にハーニーは表情が緩んだ。


「トウコさん相手はやっぱりきつい?」

「ちょっとね……。結婚はともかく、刀に関しては何年も喧嘩してきたことだから、簡単に引き下がってくれないよ」

「詳しい話を聞いてもいい? 僕はコトの味方だけど、どうして刀にこだわってるのかちゃんとした理由は知らない。知っておきたいんだ」

「……人に話したことないけど、せんぱいは特別だからね」


 コトは曇天に過去を見ながら話しだした。


「おじいちゃんが刀匠なのは知ってるよね。お母さんはその一人娘。それでお父さんが貴族だったんだ。あたしと違って2層以上の魔法が使える立派な魔法使い」


 コトの家は職業貴族で正規の貴族ではなかったはずだ。しかし、貴族は魔法を行使できる貴族同士で婚姻するのが普通だと聞く。色々な反対をされての結婚だったに違いない。

 コトはトウコの馴れ初めなどは語らなかった。話は父親へと移行する。


「せんぱいと同じく刀を使ってたんだ。あたしが5歳くらいまでしか記憶にないけど、格好良かった。……思いだそうとすれば、絶対お父さんは刀と一緒にいるんだ。毎朝修練してたり、おじいちゃんの刀鍛冶を見物してたり。あたしはそんなお父さんをずっと追いかけてたんだ。それで、それで……」


 コトは俯き、目を伏せた。


「お父さんは10年前の戦争に出て帰らなかった。戦場で消息不明になっちゃったんだ。あたしは毎日待ってたけど、全然帰ってこなくて、待っても待ってもダメで、そのうちいないのが当たり前になってきたの」

「当たり前?」

「だって情報も何もないんだよ。生きてるか……死んでるか分からない。そしたら実感がなくなっていくんだ。死んでるかもしれない、その『しれない』の中でお父さんはぼんやり浮いてる。生きてる可能性があるのに悲しんでいられないし、かといって喜べることもない。だから実感がなくなっちゃう」


 コトは俯くが、涙を流さない。表情も悲嘆に暮れるほどではない。


「お母さんはお父さんがいなくなったら、お父さんの話を全くしなくなった。あたしも毎日待つほどじゃなくなった。……終戦して1年経った時、あたし疑問に思ったんだ。お父さんってどんな服着て戦争に行ったんだっけって。そしたら急に怖くなったの。このままお父さんのこと忘れちゃうのかな、思いだせなくなるのかなって」


 話の中でハーニーは首の傷に触れていた。顔も姿も全てハッキリ覚えている。鮮明に覚え続けて居られるのは思いだす機会が多いからかもしれない。戦うとき、人を殺めるとき、その都度サキの姿が脳裏をよぎる。首の傷もそう。

 でも、コトにはそれがないのか。分かりやすい父の姿がない。

 ……いや、一つあった。なるほど。そういうことなんだ。

 コトは目をしっかり開けて、凛とした表情になる。


「だからあたしは刀に寄り添おうと決めた。他の皆が忘れていっても、あたしだけはお父さんを覚えていたいから。……あは。帰ってきたのに誰も気づかなかったら可哀想だしね」


 冗談っぽく言うのは暗くなるのを避けたからだろうか。

 でもその冗談は乗っていけないものだ。ハーニーは思考を現在に戻す。


「それだけしっかりした理由ならトウコさんも納得しそうだけどな」

「ダメダメ。何度も言ったけど全然聞いてくれない。まるでどうでもよくなっちゃったみたいにお父さんに関して喋らないし、刀は嫌うし。昔はそんなことなかったと思うんだけど」

「そうなの?」

「たぶん……ぼんやりとしか覚えてないけど、お母さんはお父さんと仲良かったし。って、当たり前だよね。夫婦なんだから。……なんだけどなー」


 唇を尖らせて不満を表すコト。やがて悲しそうにため息を吐いた。


「……まあ、お母さんの言うことも分かってるんだ。あたしは夢ばっか見てる。現実的に考えたらお父さんは──」

「言わなくていいよ」

「……うんっ」


 コトはにやけるほど嬉しそうになる。

 僕が言ってこうなんだ。トウコさんが言えばもっと嬉しいだろう。


「えへへ。やっぱりせんぱいはあたしの味方だ」

「途中何もしなかったけどね」

「でも助けてくれた。……あたしはずるしちゃった」


 コトは落ち込まなかった。ぐっ、と拳を握って見せる。


「だから明日はあたしが一人で言う! お母さんを説得して、ついでにあの男の人にも謝っとく!」

「シューマさんね」

「お、覚えてるもん名前くらい。ちぇっ、せんぱいに気を遣ってあげたのに」

「え? どこで?」

「もー、分かんないかな。あたしが男の人の名前だしたら嫌かもしれないじゃん。嫉妬するかも」

「ハハハ」

「うわーっ、ムカつく! 恋はよく分かんなくてもせんぱいのことは好きなんだけど?!」


 さすがにドキッとする。


「ご、ごめん。す、好きまで言われると照れるね……」

「ま、まあね! 恋とか知らないけど! ……あたしも恥ずかしい気がする。分かんないけど」


 コトはぽつりと愚痴っぽく言った。


「……あたしはせんぱい以外にコトって呼ばれたくないのに、どうしてせんぱいはあたしに独占欲とかないかな……」

「ああ、だからシューマさんがコウトウって呼んでも怒らなかったのか」

「ちょっと! そういうこと聞いてないふりしてくんないの!」

「だって聞こえてるから」

「ぐむむ……駆け引きもさせてくれないもんね! せんぱいは!」


 それは必要なものなんだろうか。


「せっかく言ってくれたのになかったことにしたくないじゃないか。僕は嬉しかったし」

「……そうなの?」

「そりゃあ、なんだか特別な気がするからね。でもこれから名前を呼ぶ時照れちゃいそうだなあ」

「呼んで?」

「え?」

「ちょっと呼んでみて? あたしの名前」


 期待するような瞳が見上げてきていた。口元は僅かに斜めになっていて、小悪魔じみている。


「別に今呼ぶ必要ないから……」

「あーあ! あたし結婚するしかないのかー!」


 嘘だとは分かっている。しかし、ここで従わなかったらコトは怒るを通り越して悲しみそうだ。「せんぱいはあたしが結婚してもどうでもいいんだ……」とか言って落ち込みかねない。


「……コ」

「コ?」

「コウトウ」


 苦し紛れの逃げ道にコトは怒りの形相で立ちはだかっていた。


「せんぱいはその名前で呼ばないで! 一切禁止!」

「ええ……他の人はいいのに?」

「いい! あ、ちなみにそれは、どうでもいいの、いいだから安心してね」

「特別扱いは嬉しいけどさ……分かったよ。コト。これでいい?」


 コトはぼや~っとした後、顎を手で押さえて思案した。


「んー、なんかあんまり響かないかも。大げさにしすぎちゃったからかな」

「それはそれで悔しい気がする」

「へへー、あたしに照れて欲しかった? 悶えて欲しかった?」


 一転、ウキウキして煽ってくる。ちょっとうっとおしくて可愛い。


「あ」


 楽しい会話を止めたのは、頬に感じた水の一滴だった。


「雨だ。屋敷に戻ろう」

「いいところだったのに……」

『残念でしたね。全く残念です。天気というものはまったく予想ができない。これはとてつもない不幸でしょう』

「うわ、すごい皮肉……っていうかセツはずっと聞いてるんだ? それってずるくない?」

『……触れられるそちらの方が。いえ、それは仕方ありません。私なりに黙ってはいました』

「……ま、そうか。ありがとね」

『雨、最高です』

「素直に感謝受け取ったら!?」


 雨の中、笑いながら屋敷に戻る。

 屋敷までの短い道中、コトは小さく宣言した。


「……あたし、明日の朝、お母さんに刀から離れたくないって言う。納得するまで耳元で叫び続けてやるくらい、言うからね。あたしの心からの願望だもん。負けないよ」

「誠心誠意ぶつかっていけば、ちゃんと伝わるよ」

「うん」


 コトは小さくうなずいた。ただの気休めに受け取ったのだろう。

 ……でも僕はテキトーなことが言えるほど強くない。だからこの言葉が偽りにならないために動くつもりだ。

 ハーニーはささやかな覚悟を気づかせないように、笑みを絶やさなかった。

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